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「校友会会報」発表短歌

 
     灰色の岩          健吉
 
鈍感の、鼠色なる、この岩は、七月の午後の、霧を吸ひたり。
 
そのむかし、なまこのごとくみな底を、這ひて流れし、石英粗面岩。
 
おろかなる、灰色の岩の、丘に立ち、今日も暮れたり、雲はるばると。
 
(うまのひとみ等。)
 
しめりある、黒き堆肥は、五月より、顫ふ樹液となりぬべきかな。
 
硼砂球、クロツカスのしべ、さてはまた、ペンが配れる、青黒の汁。
 
苹果りんごの樹、ボルドウ液の、霧降りて、ちいさき虹のひらめきにけり。
 
うるみたる、馬の瞳に、ゆがむかな、五月の丘に開ける戸口。
 
ひとにぎり、草をましめ、つくづくと、馬の機嫌を、とりてあるとき。
 
きたり、高鳴るものは、やまならし、あるひはポプラ、さとりのねがひ。
 
 
旅の手帳より。
 
 
暮れてゆく、奈良の宿屋に、ひたひたと、せまりぬるかな、そら銀鼠ぎんねずみ。  
暗に向く、鹿のまなこの、燐光と、酔ひたるごとく、行けるわれらと。
 
なつかしき、わが長石よ、たそがれの、淡きに照る、そとぼりのたもと。
 
にほの海、石山行きの、小蒸気に、陽はあかあかと、山なみの雪。
 
そらはれて、くらげはうかび、わが船の、知多ちた半島を、めぐり行くかな。
 
肥りたる、ひわ色の山、たちならび、あかきうれひの、函根山かな。
 
輝石たち、こゝろせはしく、さよならを、云ひ替えすらん、淡陽うすひの函根。
 
山の藍、空のひゞわれ、草の穂と、思ひきたらば、泣かざらめやは。
 
まどろみの、山の絵巻えまきの、みどりこそ、つかれしこゝろ、なぐさむものぞ。
 
大使館、低き煉瓦の、塀に降る、並木桜の朝の病葉わくらば
 
錦町、もやを通れる晨光の、しみじみそそぐ、プラタヌスかな。
 
八月も、終れる故に、小石川、青き、木のの降れるさびしさ。
 
東京よ、これは九月のあを苹果りんご、あはれと見つゝ汽車に、乗り入る。
 
毛虫焼く、まひるの火立つ、これやこの、秩父寄居のましろき、そらに。
 
山峡の、町の土蔵の、うすうすと、夕もやに暮れ、われらもだせり。
 
霧晴れぬ、分かれて乗れる、三だいの、ガタ馬車は行く、山岨のみち。
 
星あまり、むらがれる故、恐れしを、鳴く虫のあり、みつみねのやま。
 
鳳仙花ほうせんくわ、実を弾きつゝ、行くときは、かひの流れの、碧々として。
 
盆地にも、今日は別れの、本野上ほんのがみ、駅にひかれる、たうきびの穂よ。
 
はるばると、宗谷に行かん、少年の、工夫はねむる、朝の阿武隈あぶくま
 
            『校友会会報 第32号』(1916/11/25)
 
     雲ひくき峠等          銀縞
 
雲ひくき、峠越ゆれば、いもうとの、泣顔なきがほに似し丘と野原のはらと。
 
よどみたる、夜明よあけの窓を、無造作むぞうさに、過ぎ行く、とりの冬の、うたがひ。
 
みんなにて、写真しゃしんをとると、台の上に、ならべば、朝の虹、ひらめけり。
 
弦月げんげつのそつと吐きたる、薄霧うすぎりを、むしやくしや、しつゝ過ぎ行きにけり。
 
あてもなき、けだものに似る、くさの、黄なるをふめば、こゝろわびしむ。
 
灌木は、かゞやかしきに、ななもり、ふさぎこみたるリバライトかな。
 
大空おおぞらあし」と、いふことを、ふと気付く。かなしからずや、大空の脚。
 
こは雲の、しまならなくに、正銘しやうめいのの、よるの空虚うつろのひかるだんだら。
 
かがやける、朝の空虚うつろに、突つたちてする、木のあり、緑青の丘。
 
何かしらず、不満ふまんを、いだく、やまなみは、緑青色ろくしやういろを、うかべけるかな。
 
こちらには、紫色むらさきいろのギザギザと、かがやく灰色のねたみ合ひかな。
 
ちゞれ雲、銀のすゝきのもふるひ、とぼけしごとき、雲かげの丘。
 
そらにのみ、こゝろよ、行けど、いのるとき、空はわびしき、蛋白光たんぱくくわうの。
 
いざともに、うたがひをやめ、さかしらの、地をばかゞやく,そらと、なさずや。  
 
            『校友会会報 第33号』(1917/03/16)
 
     箱が森七つ森等     銀 縞
 
はこもり あまりに しづむ ながこゝろ いまだに 海にのぞめるごとく。
 
はこもり れし木立こだちにふみまよひ とほきむかしのはゝをおもへり。
 
はこもり たやすきことゝ しかども なゝもりゆゑへかねつも。
 
箱が森 七つ森とはなかあしき なれなるをもて かゝる たはぶれ。
 
をきなぐさ とりてかざせど なゝもり 雲のこなたにひねくれしかほ
 
七つ森 青鉛筆あをえんぴつを さゝぐれば にはかに 機嫌きげんなほしたりけり。
 
水色みずいろのそらのこなたによこたはり まんぢうやまのくらき かれくさ。
 
うつろとも 雲ともわかめ あをびかり つめたきおかの かたにのぞける。
 
そらもまた しろがねなれば やまのはの 木々はく ちうに立ちたり。
 
たそがれの しるにとつぷり ひたり入る しらくもと河と七つの丘と。
 
沼森ぬまもりは 山々つくる 野に 立ちて 所々しよしよにはげつゝ に けぶりけり。
 
朝の厚朴ほう たゝへて 谷に入りしより 暮は さびしく別れするなり。
 
あかの 高洞山の 焼痕やけあとを あたまのおくにて わらふものあり。
 
     黎明のうた
 
ますらをの おほきつとめは わてすれはて たゞやすかれとつとむるむれは。
 
ますらをは はてなきつとめになひたち をかなしまず とはにくべし。
 
をのこらよ なべてのものゝ かなしみを になひてわれら とはに行かずや。
 
このむれは をのこのかたちしたりとて こころはひたに をみなに似たり。
 
まことなる をのこらはたて ちいづる そのあめつちの はるのあかるさ。
 
あめつちに たゞちりほども 菩薩ぼさつたち われらがために 死したまはざる無し。
 
春すぎて かがやきわたる あめつちに わかものたちは たゞ身をあいす。
 
ひたすらに をみなを得んとつとむるは まことに強き をのこのわざか。
 
たびはてん 遠くも来つる 旅ははてなむ 旅立たむ なべてのひとの 旅はつるまで。
 
            『校友会会報 第34号』(1917/07/18)
 
     アザリヤ十月号より(抄)
 
○雲ひくき青山つゞき、さびしさは百合のをしべに、とんぼがへり
す、(高倉山)……賢治
 
○山峡の青き光のそが中を章魚の脚食み行く男はも(遠野)……同
 
○あかりまど、そらしろく張るに、すゞめ来て、いとどせはしくつ
ばさ廻せり……賢治
 
○阿片光さびしく、こむるたそがれの、むねにゆらげる青き麻むら
……賢治

○きれぎれに雨を伴ひ吹く風にうす月こめて虫の鳴くなり……賢治
 
            『校友会会報 第35号』(1917/12/27)