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歌稿B 大正八年八月より


711  くらやみの
   土蔵のなかに
   きこえざる
   悪しきわめきをなせるものあり。
 
     ※
 
712  中留の
   物干台のはりがねは
   暮れぞらに溶けて
   細り行くらし。
 
     ※
 
713  雲母摺りの
   ひかりまばゆき大空に
   あをあを燃ゆる
   かなしきほのほ。
 
     ※
 
714  雲きれら
   うかびひかりぬ
   雨すぎて
   さやかに鎖ざす 寒天のそら。
 
     ※
 
715  暮れ方の
   まぼろし坂をかゞやかに
   油瓶来る
   黄の油瓶
 
715a  雲焼けの
    からたち坂を
    ほこらかに
    油瓶もて
    おりくる子あり
 
715b  うなゐの子
    電車ガードの夕焼けを
    油瓶もて
    ほこらかに来る
 
 
   北上川第一夜
 
     ※
 
717  銀の夜を
   そらぞらしくもながれたる
   北上川のみをつくしたち。
 
     ※
 
718  ほしめぐる
   みなみのそらにうかび立つ
   わがすなほなる
   電信ばしら。
 
     ※
 
719  銀の夜を
   虚空のごとくながれたる
   北上川の遠きいざり火。
  
713a  かすかなる
    星の下より
    うつろしく
    ながれ来て鳴る
    北上の水
 
     ※
 
720  銀の夜を
   北上川にあたふたと
   あらはれ燃ゆる
   あやしき火あり。
 
720a  銀の夜の
    北上川にあたふたと
    燃えて下りくる
    いざり火のあり。
 
     ※
 
721  北上川
   そらぞらしくもながれ行くを
   みをつくしらは
   夢の兵隊。
 
 
   夜をこめて行くの歌
 
     ※
 
723  みかづきは幻師のごとくよそほひて
   きらびやかなる虚空をわたる。
 
     ※
 
724  みがかれし
   空はわびしく濁るかな
   三日月幻師
   あけがたとなり。
 
     ※
 
725  みかづきの
   ひかりつめたくわづらひて
   きらびやかなる
   夜ははてんとす。
 
     ※
 
726  すみやかに
   鶏頭山の赤ぞらを
   くもよぎり行きて
   夜はあけにけり。
 
     ※
 
727  三日月よ
   幻師のころも
   ぬぎすてて
   さやかにかかるあかつきのそら。
 
     ※
 
729  ものはみなよるの微光と水うたひ
   あやしきものをわれ感じ立つ。
 
     ※
 
730  ほしもなくいざり火もなく
   きたかみの
   こよひは
   水の音のみすなり。
 
     ※ 北上川第四夜
 
733  黒き指はびこりうごく
   北上の
   夜の大ぞらをわたる風はも。
 
     ※
 
734  黒雲の
   北上川の橋の上に
   刧初の風ぞわがころも吹く。
 
     ※
 
735  黒雲の
   北上川の風のなかに
   網うつ音の
   きこえきたりぬ。

735a  よるふかき
    雲と風との北上を
    水に網うつ音きこゆなり
 
     ※
 
736  巨なる
   秋のあぎとに繞られし
   薄明をわがひとりたどれる。
 
     ※
 
737  そらのはて
   わづかに明く
   たそがれの
   秋のあぎとにわがきらるゝらし。
 
737a  たそがれの
    森をいそげば
    ほのじろく
    秋のあぎとぞ
    うちめぐるなれ
 
737b  ほのじろき
    秋のあぎとに繞られて
    森ある町の
    しづかに暮れたり
 
     ※
 
738  風ふけば
   こゝろなみだち
   うすぐもの空に双子のみどりひかれる。
 
     ※
 
739  あけがたの
   風に吹かるゝ錫紙の
   やなぎの前に汽車はとまりぬ。
  
     ※
 
740  おゝ 蛇紋岩サァペンテインのそばみちに
   そらは薄明のつめたきひとみ
 
     ※
 
741  わが青き蛇紋岩サァペンテインのそばみちに
   ことしの終りの月見草咲き。
 
     ※
 
742  北面のみ
   うす雪置きて七つ森
   はるかに送る
   わかれのことば。
 
     ※
 
743  ひややかに
   雲うちむすび 七つ森
   はや飯岡の山かげとなる。
 
     ※
 
745  朽ちのこりし
   玉菜の茎をそら高く
   ほうりあげつつ
   春は来にけり。
 
     ※
 
746  うすぐもの
   いつわきにけん
   見あぐれば
   たゞすばるのみうすびかりして。
 
     ※
 
747  北風は
   すこしの雪をもたらして
   あまぐもを追ひ
   うす陽そそげり。
 
     ※
 
749  桐の木の
   ねがひはいともすなほなれば
   恐らくは
   青ぞらに聞かれなんぞ。
 
     ※
 
752  うみすゞめ
   つどひめぐりて
   あかつきの
   青き魚とる 雲垂れ落つを
 
     ※
 
753  うちゆらぐ
   波の砒素鏡つくりつゝ
   くろけむりはきて船や行くらん。
 
     ※
 
754  鬼ぐるみ
   黄金のあかごらいまだ来ず
   さゆらぐ梢
   あさひを喰めり。
 
     ※
 
755  鬼ぐるみ
   黄金のあかごを吐かんとて
   波立つ枝を
   あさひに延ばす。
 
     ※
 
759  サイプレス
   忿りは燃えて
   天雲のうづ巻をさへ灼かんとすなり。
 
     ※
 
760  天雲の
   わめきの中に湧きいでて
   いらだち燃ゆる
   サイプレスかも。