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歌稿A 大正五年十月中旬より

 
     ※
 
366
あけがたの食堂の窓そらしろくはるかに行ける鳥のむれあり
 
367
沈みたる夜明の窓を無造作に過ぐる鳥あり冬ちかみかも
 
368
さだめなく鳥はよぎりぬうたがひの鳥はよぎりぬあけがたの窓
 
369
鉄ペンよ鉄ペンよなれたゞひとりわがうたがひのあれ野にうごく
 
370
雲ひくき峠超ゆればいもうとのなきがほこむる丘と野原と
 
371
草の穂はみちにかぶさりわが靴はつめたき露にみたされにけり
 
372
あけがたの皿の醤油にうつり来て桜の葉など顫ひあるかな
 
373
すゞかけの木立きらめく朝なるを乳頭山ゆきふりにつゝ
 
374
いたゞきにいささかの雪をかぶるとてあまりいかめし乳つむり山
 
375
蜘蛛の糸いとながれてきらと光るかな源太ヶ森の青き山のは
 
376
はるかなる山の刻みをせなにして夢のごとくにあらはれし雁
 
377
うすら酔へるつめたき気層ほの赤きひかりのしめりめぐるきらぼし
 
378
「大萱生かゆふ」これはかなしき山なるをあかまへだれに染め抜けるかな
 
379
みんなして写真とると台の上にならべば朝の虹ひらめけり
 
380
何もかもやめてしまへと弦月の空にむかへば落ちきたる霧
 
381
弦月のそつとはきたる薄霧をむしやくしやしつゝ過ぎ行きにけり
 
382
にせもゝの真鍮いろの脂肪酸かゝるあかるき空にすむかな
 
383
東にも西にもみんないつはりのどんぐりばかりひかりあるかな
 
384
こざかしくしかもあてなきけだものの尾をおもひつゝ草穂わけゆく
 
385
しろがねの月はうつりぬhumusの野のたまり水野馬車のわだち
 
386  かゞやけるかゝるみそらの下にしてあまり辛気の Liparite かな
 
387  灌木もかゞやくものを七つもりあまり陰気な Liparite かな
 
388
猩々緋雲を今日こそふみ行けと踊るこゝろのきりぎしに立つ
 
389
猩々緋の〔以下判読不能〕
 
390
きん色の西のうつろをながむればしばしばかつとあかるむひたひ
 
391
「大空の脚」と云ふ事をふと□□□かなしからずや大ぞらのあし
 
392
いまいちど空はまつかに燃えにけり薄明穹のいのりのなかに
 
393
学校の郵便局の局長は(桜の空虚)とし若く死す
 
394
まどがらすとほり来れる日のひかり日のひかりつくゑひとの縄ばり
 
395
いきものよいきものよととくりかへし西のうつろのひかる泣顔
 
396
あてもなく遠くのぞめばひらめきてたそがれぞらはだんだらの縞
 
397
たそがれのそらは俄にだんだらの縞をつくりて灯もゆれにけり
 
398
こは雪の縞ならなくに正銘のよるのうつろのひかるだんだら
 
399
ギザギザの硬き線ありむらがりてねむりの前のもやにひかれり
 
400
こなたには紫色のギザギザとひかるそらとのあしきあらそひ
 
401
霜枯れしトマトの気根しみじみとうちならびつゝ冬きたるらし
 
402
青腐れしトマトたわわの枯れ枝とひでりあめとのなかなるいのり
 
403
霜腐れ青きトマトの実を裂けばさびしきにほひ空に行きたり
 
404
はだしにて雲落ちきたる十月のトマトばたけに立ちてありけり
 
405
ある星はそらの微塵のたゞなかにものを思はずひためぐり行く
 
406
ある星はわれのみひとり大空をうたがひ行くとなみだぐみたり
 
407
なまこ雲ひとむらの星西ぞらの微光より来る馬のあし音
 
408
ねたみあひこがたなざいく青き顔盛岡のそらのアルコール雲
 
409
オリオンは西に移りてさかだちしほのぼののぼるまだきのいのり
 
410
三日月は黒きまぶたを露はしてしらしらあけの空にかゝれり
 
411
かゞやける朝のうつろに突つたちて馳する木のあり緑青の丘
 
412
何かしらず不満をいだく丘々は緑青の気をうかべけるかな
 
413
ある山はなみだのなかにあるごとく木々をあかつきのうつろ浸せり
 
414
ギラギラの朝日いづればわがこゝろかなしきまでに踊り立つかな
 
415
「何のだ」「酒の伝票」「だれだ。名は」「高橋茂ぎづ」「よしきたり。待で」
 
416
ちゞれ雲銀のすすきの穂はふるひ呆けしごとき雲かげの岡
 
417
黄葉落ちて象牙細工の白樺はまひるの月をいたゞけるかな
 
418
霜ばしら砕けて落つる岩崖は陰気至極の Liparitic tuff
 
419
凍りたる凝灰岩の岩壁にその岩壁にそつと近より
 
420
凍りたる凝灰岩の岩壁を踊りめぐれる影法師はも
 
421
シベリアの汽車に乗りたるこゝちにて晴れたる朝の教室に疾む
 
422
そらにのみこころよ行けといのるときそらはかなしき蛋白光の
 
423
そらよそらはてなく去れと行き惑ひ蛋白光のなかにわびしむ
 
424
流れ入る雪のあかりに溶くるなり夜汽車をこめし苹果の蒸気
 
425
つゝましき白めりやすの手袋と夜汽車をこむる苹果の蒸気と
 
426
あかつきの真つぱれぱれのそらのみどり竹は手首を宙にうかべたり
 
427
とね河はしづに滑りてあまつはらしろき夜明の巻雲に入る

428
とね河はしらしらあけのあまつはらつめたき雲をとかしながるゝ
 
429
東京の光の渣にわかれんとふりかへりみてふといらだてり