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歌稿A 大正三年四月

80
どこまでも検温器のひかる水銀がのぼりゆく時目をつぶれりわれ
 
81
かゞやきの地平の紺もたよりなし熱のなかなるまぼろしなれば
 
82
涌水のすべてをめぐり夢さめてまたつまらなく口をつぐめり
 
涌水のすべてをめぐりふとさめてまたつまらなく口をつぐめり
 
83
白樺の老樹の上に眉白きをみな住みつゝ熱しりぞきぬ
 
84
朝廊をふらめき行けば目はいたし木々のみどりとそらの光りに
 
朝廊をふらつき行けば目はいたし木々のみどりとそらの光りに
 
85
金色の陽が射し入れどそのひかりふらめく眼にはあまりに強し
 
金色の陽が射し入れどそのひかりふらつく眼にはあまりに強し
 
86
学校の志望はすてぬ木々の青弱りたる目にしみるころかな
 
87
空に光木々は緑に夏ちかみ熱疾みしのちの身のあたらしさ
 
88
木々の芽はあまりにも青し薄明のやまひを出でし身にしみとほり
 
89
われひとりねむられずねむられずまよなかに窓にかゝるは赭焦げの

 
90
ゆがみひがみ窓にかゝれる赭焦げの月われひとりねむらずげにもの
がなし
 
91
われ疾みてかく見るならず弦月よげに恐ろしきながけしきかな
 
92
まことかの鸚鵡のごとく息かすかに看護婦たちはねむりけるかな
 
93
星もなく赤き弦月たゞひとり窓を落ちゆくは只ごとにあらず
 
94
ちばしれるゆみはりの月わが窓にまよなかきたりて口をゆがむる
 
95
月は夜の梢に落ちて見えざれどその悪相はなほわれにあり
 
96
鳥さへもいまは啼かねばちばしれるかの一つ目はそらを去りしか
 
鳥さへもいまは啼かねばちばしれるかの一つ目のそらを去りしか
 
97
よろめきて汽車を下ればたそがれの小砂利は雨にひかりけるかな
 
 
   病院の歌 以下
98
熱去りてわれはふたゝび生まれたり光まばゆき朝の病室
 
99  (破棄)
 
100 (破棄)
 
101 (破棄)
 
102 (破棄)
 
103 (破棄)
 
104 (破棄)
 
105
つゝましき午食の鰤を装へるはたしかに蛇の青き皮なり
 
つゝましく午食の鰤を装へるはたしかに蛇の青き皮なり
 
106
わが小き詩となり消えよなつかしきされどかなしきまぼろしの蛇
 
107
かなしみよわが小き詩にうつり行けなにか心に力おぼゆる
 
108
目をつぶりチブスの菌と戦へるわがけなげなる細胞をおもふ
 
109
今日もまたこの青白き沈黙のなかにひたりてひとりなやめり
 
今日もまたこの青白き沈黙の波にひたりてひとりなやめり
 
110
さかなの腹のごとく青白く波うつ細腕は赤酒を塗ればよろしからん
 
111
十秒の碧きひかりは去りたればかなしくわれは又窓に向く
 
十秒の碧きひかりは過ぎたればかなしくわれは又窓に向く
 
112
すこやかにうるはしき友よ病みはてゝわが眼は黄なり狐に似ずや
 
113
ほふらるゝ馬のはなしをしてありぬ明き五月の病室にして
 
114
いつまでかかの神経の水色をかなしまむわれにみちくるちから
 
115
粘膜の赤きぼろきれのどにぶらさがり父とかなしきいさかひをする
 
赤きぼろきれは今日ものどにぶらさがりかなしきいさかひを父と又
する
 
116
風木木の梢によどみ桐の木に花さくいまはなにをかいたまん  
117
雲ははや夏型となり熱去りしからだのかるさに桐の花咲けり
 
118
雲かげの山いと暗しわがうれひその山に湧きてそらにひろごる
 
119
空白し屋根に来りてよごれたる柾をみつむるこの日ごろかも
 
120
酒粕のくさるゝにほひを車ひく馬かなしげにじっと嗅ぎたり
 
121
蛭が取りし血のかなだらひ日記帳学校ばかま夕暮の家
 
122
屋根に来ればそらも疾みたりうろこぐも薄明穹の発疹チフス
 
123
風さむし屋根を去るべしうろこ雲ひろがりて空はやがて夜なり
 
124
むねそよぎ白雲垂るゝ朝の河原からすのなかにてわれはかなしみ
 
125
ふとそらにあらはれいでゝなくひばりそらに白くもわれは憂へず
 
126
北のそら見えずかなしも小石原ひかりなき雲しづに這ひつゝ
 
127
地に倒れかくもなげくをこころなくひためぐり行くかしろがねの月
 
128
たんぽぽを見つめてあれば涙湧くあたま重きまゝ五月は去りぬ
 
129
雨にぬれ屋根に立ちたりエナメルの雲はてしなく北に流るゝ
 
130 何とてなれかの巌壁の火のごとき上にたゝざるなんぢ何とてなんぢ
 
131
岩つばめわれ(−)むくろにつどひてなくらんか大岸壁の底に堕ちなば
 
132
さみだれにこのまゝ入らん風ふけど半分燃えしからだのだるさ
 
134
わがあたまときどきわれにきちがひのつめたき天を見することあり
 
135 〔判読不能〕
 
136 〔判読不能〕
 
137 〔判読不能〕
 
138 〔判読不能〕
 
139 〔判読不能〕
 
140
きんぽうげつめくさのはなむらがりの中に錆ある一すじの水
 
141
その鳥はからすにはあらずその黒鳥の羽音がつよく胸にひゞくぞ
 
142
踏みゆかばかなしみいかにふかゝらん銀のなまこの天津雲原
 
143
うす紅くくまどられたるむら雲をみつめて屋根にたそがれとなる
 
144
濁り田に白き日輪うつるなり狂乱をばさりげなく抑へ
 
145
友だちの入学試験近からんわれはやみたれば小き百合掘る
 
146
またひとりはやしに来て鳩のなきまねしかなしきちさき百合の根を掘る
 
147
あたま重きひるはつゝましく鍋いろの魚の目球を切りひらきたり
 
148
すずきの目玉つくづくと空にすかし見れど重きあたまは癒えんともせず
 
149
ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたるすかんぽの花に風が吹くなり
 
150
職業なきをまことかなしく墓山の麦の騒ぎをじっと聞きゐたれ
 
151
たゞ遠き夜の火にはこべかくわれはよるひるそらの底にねがへり
 
152
金星の瞑するときしわれなんだすもとより北の空も見えねば
 
153
対岸に人石をつむ人石をつめどさびしき水銀の川
 
154
すべりゆく水銀の川そらしろくつゆ来んけはひ鳥にもしるし
 
155
そらはいま蟇の皮にて張られたりその黄のひかりその毒の光り
 
156
東には紫磨金色の薬師仏そらのやまひにあらはれ給ふ
 
157
いかに雲の原のかなしさあれ草も微風もなべて猩紅の熱
 
158
火のごときむら雲飛びて薄明はわれもわが胃もたよりなきかな
 
159
なつかしき地球はいづこいまははやふせど仰げどありかもわかず
 
160
そらに居て緑のほのほかなしむと地球の人のしるやしらずや
 
161
わが住めるほのほさ青みいそがしくひらめき燃えて冬きたるらし
 
162
なにの為に物を食ふらんそらは熱病馬はほふられわれは脳病
 
163
六月の十五日より曇りしと日記につけんそれも懼れあり
 
164
わなゝきのあたまのなかに白き空うごかずうごかずさみだれに入る
 
165
ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし
 
166
目は紅く関折多き動物が藻のごとく群れて脳をはねあるく
 
167
物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる
 
168
この世界空気の代りに水よみて人もゆらゆら泡をはくべく
 
169
南天の蠍よもしなれ魔物ならば後に血はとれまづ力欲し
 
170
いさゝかの奇蹟を起す力欲しこの大空に魔はあらざるか
 
171
げに馬鹿のうぐひすならずやわれ夜の空にねがへる時をなきたり
 
172
雲ひくしいとこしやくなる町の屋根屋根栗の花すこしあかるきさみだれのころ
 
173
雨も来ずたゞどんよりといちめんの雲しらくもの山なみなみによどみかゝれる
 
174
思はずもたどりて来しかこの線路高地に立てど目はなぐさまず
 
175
君がかた見んとて立ちぬこの高地雲のたちまひ雨とならしを
 
176
城址のあれ草に来て心むなしのこぎりの音風にまじり来
 
177
われもまた日雇となりて桑つまん稼がばあたま癒えんとも知れず
 
178
風ふけば岡の草の穂波立ちて遠き汽車の音もなみだぐましき
 
179
山上の木にかこまれし神楽殿鳥どよみなけばわれかなしむも
 
180
はだしにて夜の線路をはせ来り汽車に行き逢へりその窓は明るく
 
181
しろあとの四つ角山につめ草のはなは枯れたりしろがねの月
 
182
碧びかりいちめんこめし西ぞらにぼうとあかるき城あとの草
 
183
行けど行けど円き菊石をちぞらの雲もひからず水なき川原
 
184
さびしきは壁紙の白壁紙のしろびかりもてながれたる川
 
185
わが眼路の遠き日ごとに山鳩はさびしきうたを送りこすかも
 
186
しやが咲きて霧雨ふりて旅人はかうもりがさの柄をかなしめり
 
187
たそがれの葡萄に降れる石灰のひかりのこなは小指ひきつる
 
188
しんとして街にみちたる陽のしめりに白菜のたばは後光しにけり
 
189
鉄橋の汽車に夕陽が照りしかばこゝまでペンキ匂ひくるかな
 
190
乾きたる石をみつめてありしかな薄陽は河原いちめんに降り
 
191
いかにかくみゝづの死ぬる日なりけん木かげに栗の花しづ降るを
 
192
いなびかりそらに漲ぎりむらさきのひかりのうちに家は立ちたり
 
193
いなびかりまたむらさきにひらめけばわが白百合は思ひきり咲けり
 
194
空を這ふ赤き稲妻わが百合の花はうごかずましろく怒れり
 
195
いなづまにしば照らされてありけるにふと寄宿舎が恋しくなれり
 
196
夜のひまに花粉が溶けてわが百合は黄いろに染みてそのしづく光れり
 
197
花さけるねむの林のたそがれをからすのはねを嗅ぎつゝあるけり
 
198
いざよひの月はつめたきくだものの匂をはなちあらはれにけり
 
199
四時に起きて支度ができて発たるにはやくすばるもいでゝありけり
 
200
あけがたの黄なるダリヤを盗らんとてそらにさびしきにほひをかんず
 
201
夜はあけぬふりさけ見れば山山の白雲に立つでんしんばしら
 
202
くるほしきわらひをふくみ学校は朝の黄雲に延びたちにけり
 
203
しづみたる月の光はのこれども踊の群のもはやかなしき
 
204
羽ね抜けの鶏あまたあめふりの温泉宿をさまよひてけり
 
205
よるべなき酸素の波の岸に居て機械のごとく麻をうつひと
 
206
仕方なくひばりもいでて青びかりちらばりそめし空を飛びたれ
 
207
停車場のするどき笛にとび立ちて暮れの山河にちらばれる鳥
 
208
すゝきの穂みな立ちあがりくるひたる楽器のごとく百舌は飛び去る
 
209
青りんごすこしならべてつゝましくまなこをつむる露店の若者
 
210
つくられし祭の花のすきますきまいちめんこめし銀河のいさご
 
211
山山に雲きれかゝりくらがりのしろあとにあわさんざめきたり
 
212
かすかなる日照りあめ降りしろあとのめくらぶだうは熟れひかりけり
 
213
なにげなき山のかげより虹の脚ふつと光りて虫鳴けるかな
 
214
やま暗く柳はすべて錫紙のつめたき葉もてひでりあめせり
 
215
秋風のあたまの奥にちさき骨砕けちるらん音のありけり
 
216
日は薄く耕地に生えし赤草のわなゝくなかに落ち入れる鳥
 
217
鳥さしはをとりをそなへ草明き北上ぎしにひとりすはれり
 
218
空ひくく銀の河岸の製板所汽笛をならし夜はあけにけり
 
219
舎利別の川ほのぼのとめぐり来て製板所よりまっしろの湯気
 
220
ちぎられし毒べにだけに露おきて泣く泣く朝日のぼりきたりぬ
 
221
入合の町のうしろを巨なるなめくじの銀の足の這ひ行く
 
222
うろこぐも月光を吸ひ露置きてばたと下れるシグナルの青
 
223
あまの邪鬼じゃく金のめだまのやるせなく青きりんごをかなしめるらし
 
224
そら青くジョンカルビンに似たる男ゆつくりあるきて冬きたりけり
 
225
(顔あかき)港先生。このごろはエーテルのまこと冴えて来しかな
 
226
オイノのごとく朝早く行くなりけりそらはかゞやく黄ばらの晒ひ
 
227
からくひは道にしたがひ並びたりとりいれすぎの葬式なれば
 
228
たらの木のすこし群れたる勾配にひつぎとそらの足の碧と
 
229
ちゞれたる陰いろの雲かくて冬先生も死にて烏とびけり
 
230
たそがれの町のせなかをなめくじの銀の足がかつて這ひしことあり