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花鳥図譜ヽ八月丶早池峯山巓

  森林主事、農林学校学生、

(根こそげ抜いて行くやうな人に限って
 それを育てはしないのです
 ほんとの高山植物家なら
 時計皿とかペトリシャーレをもって来て
 眼を細くして種子だけ採って行くもんです)
(魅惑は花にありますからな)
(魅惑は花にありますだって
 こいつはずゐ分愕いた
 そんならひとつ
 袋をしょってデパートヘ行って
 いろいろ魅惑のあるものを
 片っぱしから採集して
 それで通れば結構だ)
(けれどもこゝは山ですよ)
(山ならどうだと云ふんです
 こゝは国家の保安林で
 いくら雲から抜けでてゐても
 月の世界ぢゃないですからな
 それに第一常識だ、
 新聞ぐらゐ読むものなら
 みんな判ってゐる筈なんだ、
 ぼくはこゝから顔を出して
 ちょっと一言物を言へば、
 もうあなた方の教養は、
 手に取るやうにわかるんだ、
 教養のある人ならば
 必ずぴたっと顔色がかはる)
(わざわざ山までやって来て、
 そこまで云はれりゃ沢山だ)
(さうですこゝまで来る途中には
 二箇所もわざわざ札をたてゝ
 とるなと云ってあるんです)
(二十方里の山の中へ二つたてたもすさまじいや)
(あなたは谷をのぼるとき
 どこを見ながら歩いてました)
(ずゐ分大きなお世話です
 雲を見ながら歩いてました)
(なるほど雲だけ見てゐた人が
 山を登ってしまったもんで
 俄かにショベルや何かを出して
 一貫近くも花を荷造りした訳ですね
 それもえらんでこゝ特産の貴重種だけ
 ぼくはこいつを趣味と見ない
 営利のためと断ずるのだ)
(ぼくの方にも覚悟があるぞ)
(覚悟の通りやりたまへ、
 花はこっちへ貰ひます
 道具はみんな没収だ、
 あとはあなたの下宿の方へ
 罰金額を通知します)
(ずゐぶんしかたがひどいぢゃないか
 まるで立派な追剥だ)
(まだこの上に何かに云ふと
 きみは官憲侮辱にもなるし
 職務執行妨害罪にもあたるんだ)
(きみは袋もとるんだな)
(これも採集用具と看做す
 最大事な証拠品だ)
(袋はかへせ!)
(悪く興奮したまふな
 見給へきみの大好きさうな入道雲が
 向ふにたくさん湧いて来た)
(失敬な)
(落ちつき給へ
 きみさへ何もしなければ
 ぼくはこゝから顔も出さなけゃ
 声さへかけはしないんだ
 わざわざ君らの山の気分を邪魔せんやうに
 この洞穴に居るんぢゃないか
 早く帰って行き給へ)

(あゝいふやつがあるんでね)
(結局やっぱり罰金ですか)
(まああゝ云っておどしただけさ)
(大へんてきぱきしてゐましたね)
(きみがたまたま居たからさ
 向ふはきみも役人仲間と思ってゐた)
(すっかり利用されました)
(どうです四五日一所にゐたら)
(あなた一人ぢゃないやうですね)
(高橋といふ学士が居る)
(やっぱり植物監視ですか)
(いや雷鳥を捕るんだと)
(こゝに雷鳥が居るんですか)
(高橋さんは居ると見込をつけてゐる)
(でも雷鳥は
 雪線附近に限るさうではありませんか)
(ところがそれが居るんだと
 一昨日ぼくが来た晩も
 はい松の影を走るのを
 高橋さんが見たんだと)
(でもほんたうの雷鳥なら
 そんなに遁げたりしないんでせう
 大へんのろいといふやうですよ)
(ははは
 ところが大将
 雷鳥なんか問題でない
 背后のもっと大きなものをねらってゐる)
(あゝあゝそれだ
 何か絶滅鳥類でせう)
(どこからそれをききました)
(今朝新聞へ出てました)
(ぢゃあ高橋さん昨日の記者へ話したな
 だが鳥類ぢゃないんだね
 鳥類ならばこゝが最后に島だったとき
 自由によそへも行けたんだから)
(こゝが最后に島だった……?)
(高橋さんがさう云ふんだよ
 何でも三紀のはじめ頃
 北上山地が一つの島に残されて
 それも殆んど海面近く、
 開析されてしまったとき
 この山などがその削剥の残丘だと
 なんぶとらのをとかヽヽヽヽヽとか
 いろいろ特種な植物が
 この山にだけ生えてるのは
 そのためだらうといふんだな)
(なるほどこれはおもしろい)
(もし植物がさういふんなら
 動物の方もやっぱりさうで
 海を渡って行けないもので
 何かゞきっと居るといふんだ)
(一体どういふものなんでせう)
(哺乳類だといふんだね)
(猿か鹿かの類ですか)
(いゝや鼠と兎だと)
(とれるでせうか)
(大将自費で
 トラップ二十買ひ込んで
 もうあちこちへ装置した
 一ぺんぐるっと見巡るのに
 四時間ばかりかゝるんだ)