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     稲作挿話(作品第一〇八二番))

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきつぱりと灌水みづを切つてね
三番除草はしないんだ
 ……一しんに畔を走つて来て
   青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残つてゐない?
みんな使つた?
それではもしもこの天候が
これから五日續いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂しだれ葉をねえ
むしつてとつてしまふんだ
 ……せわしくうなづき汗拭くその子
   冬講習に来たときは
   一年はたらいたあととは云へ
   まだかゞやかな苹果のわらひをもつてゐた
   いまはもう日と汗に焼け
   幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちやうどシヤツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖をとつてしまふんだ
 ……汗だけでない
   泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすつかり見て来たよ
陸羽一三二号號のはうね
あれはずゐぶん上手に行つた
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育つてゐる
硫安だつてきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あつちは少しも心配ない
反當三石二斗なら
もうきまつたと云つていゝ
しつかりやるんだよ
これからの本當の勉強はねえ
テニスをしながら商賣の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
 ……雲からも風からも
   透明な力が
   そのこどもに
   うつれ……