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     五輪峠(作品第一六番)

み雪の森のなだらを
ほそぼそとみちがめぐれば
向ふは松と岩との高み
高みのうへに
からんと暗いみぞれのそらがひらいてゐる
    ……そここそ峠のいたゞきだ……
あれがほんとの峠だな
いつたいさつきあの楢の木の柵のある
あすこを峠とおもつたために
みちがこんなに地圖に合はなくなつたんだ
宇部何だって?……
宇部興左衛門?……
ずゐぶん古い名前だな
   何べんも何べんも降つた雪を
   いつ誰が踏み堅めたでもなしに
   林の裾をめぐつたり
   森の肩を越えたりして
   みちはほそぼそつゞいて来た
地主つたつて
君の部落のうちだけだらう
野はらの方ももつてるのか
……それは部落のうちだけです……
それでは山林でもあるんだな
……十町歩もあるさうです……
それで毎日絲織を着てあぐらをかいて
ゐろりのへりできせるを叩いて
政治家きどりでゐるんだな
それは間もなく没落さ
いまだつてもうマイナスだらう
   岩と松 峠の上はみぞれのそら
   松が幾本生えてゐる
   藪が陰氣にこもつてゐる
   なかにしよんぼり立つものは
   まさしく古い五輪の塔だ
   苔に蒸された花崗岩みかげの古い五輪の塔だ
あゝこゝは
五輪の塔があるために
五輪峠といふんだな
ぼくはまた
峠がみんなで五つあつて
地輪峠 水輪峠 空輪峠といふのだらうと
たつたいままで思ってゐた
地圖ももたずに来たからな
   そのまちがつた五つの峯が
   どこかの遠い雪ぞらに
   さめざめ青くひかつてゐる
   消えやうとしてまたひかる
五輪は地水火風空
むかしの印度の科學だな
空といふのは總括だとさ
いまの眞空だらうかな
つまり眞空そのものが
エネルギーともあらはれる
火といふ方はエネルギー
アレニウスの解釋だ
殘り三つは古い原素の分類だらう
世界も人もこれだといふ
心といふのもこれだといふ
いまだつて變らないさな
雲もやつぱりさうかと云へば
それは元来一つの眞空だけであり
所感となつては
氣相は風 液相は水
固相は核の塵とする
そして運動のエネルギーと
熱と電氣は火に入れる
それからわたくしもそれだ
この楢の木を引き裂けるといつてゐる
村のこどももそれで
わたくしであり彼であり
雲であり岩であるのはたゞ因縁であるといふ
そこで畢竟世界はたゞ因縁があるだけといふ
雲の一つぶ一つぶの
質も形も進度も位置も時間も
みな因縁が自體であるとさう考へると
なんだか心がぼおとなる
    みちのくの
    五輪峠に雪がつみ
    五つの峠に雪がつみ
    その五の峯の松の下
    地輪水輪火風輪
    空輪五輪の塔がたち
    一の地輪を轉ずれば
    菩提のこゝろしりぞかず
    四の風輪を轉ずれば
    菩薩こゝろに障碍しやうげなく
    五の空輪を轉ずれば
    常樂我浄の影うつす
    みちのくの
    五輪峠に雪がつみ
    五つの峠に……雪がつみ……
「あゝ何だあいつは」
「あゝ野原だなあ」
いま前にひろく暗いものは
まさしく早春の北上平野である
薄墨の雲につらなり
酵母の雲に朧ろにされて
海と湛へる藍と銀との平野である
  二の水輪を轉ずればだめ
  三の火輪を轉ずればだめ
  みんな轉ずればをかしいな
  大でたらめだ
「向ふの雲まで野原のやうだ
 あすこら邊が水澤か
 どの邊だ君のところは
 どの邊だつて云つたつて
 こゝから見て見當のつかないことは
 やつぱりおれとおんなじだらう」
雪がもうこゝにもどしどし降つてくる
塵のやうに灰のやうに降つてくる
つゝじやこならの灌木も
まつくろな温石をんじやくいしも
みんないつしよにまだらになる