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浮世絵版画の話

一般に「版画は肉筆の旧屈な模写」といふ考が行はれてゐるが、さ ういふ場合も相当ある。三色版の如きは全くこれであるし、木版で も仮令ば狩野派の墨絵を原図とした張交用のものや国華毎号の古名 画を模した何十度刷といふやうな口絵のごときものがある。しかし どんなに技術を尽しても版画が南画、水墨の神韻や油絵の重麗を伝 へ得るものではない。若し版画が名画の安価な模写のみを職能とす るならば、畢竟、版画は芸術とは称し得ない。ところが版画には版 画の特種な機能がある。水墨、水彩、フレスコ油絵、等の材料にみ なそれぞれの能力がありその作品にそれぞれの味があるやうに版画 は版画でほかのものがどうしても企て得ない効果を出す。こゝを完 全に把握して最初から版画としての製作を行ふ。木版ならば版下を 書く際からこれを木に彫んだ際に最木のいゝ味を出すやうな線を選 び、あらん限りの効果をその刷の度数に対して期するやうに色彩を とる。これが創作版画である。浮世絵は画家と彫師と刷師は三人で あったが今日以后は多くこの二又は三を自分で兼ね行ふ。

これを浮世絵木版画を中心にして考へるにその第一は純潔である。 これは製作の技法から形態色彩共に極度に単純化されこの際単なる 省略ではなしに題材の心理的昇華が行はれるためであらうと思ふ。 従って作品の価値は版画家の題材昇華の能力に依て大半を決せられ るとも云へやう。

第二は諧律性である。版画には詩や音楽に於ける韻律の感じが高度 に含有される。これは一つはその木彫といふ約束から線に非常に特 異な一定の個性があってその個性の中でのいろいろな変化である為 にそこに一つのリズムに近いものができる。仮令ば歌麿の版画の曲 線の海外でsinging lineと称せられる如くである。且つは色彩に於 る数の過多でないといふ制約がその間の調和を非常に高度顕著なも のにすることが原因であるらしい。同一作家の肉筆とその版画を比 較すればこれの証明は容易である。春信の時代に天保頃の豊富な木 版用の顔料が得られたならばあの高雅清純な詩の国は生まれなかっ たらうと思はれる。

第三は神秘性である。版画一般にさうであるが殊に浮世絵木版のい ゝものに於て神秘性が顕著である。それは一見間が抜けているやう でもある。或は無表情のやうでもある。然しながらそこに見れば見 るほど味があり深さがあるといふのは、これもやはり版といふ特種 な制約からと、できるだけ表現が約されて居り或る部分は全く観賞 者のその時々の心境による想像によって補ふやうに残されてゐるの に基くらしい。事実或る程度の教養を以った眼に対しては画家は物 象を必しも噛んで含めるやうの表現する要はなく、蓋ろそのやうな 至れり尽くせるものはよほどしっかりしたものでなければ一べつで もう沢山といふ事はないでもない。進んだ芸術観賞者に対してはた ゞその材料を作家の如何としても抜くべからざる意図に於て暗示的 に構造するを以て必要にして十分なりとする。浮世絵人物の表情に 関しては海外の多数の評論これを不可解とし神秘とする。日本では 野口米二郎氏の如きこの表情は浮世絵の秘戯画を検した後初めて理 解されるといったりしてゐる。然しながら事実は版画がさういふ微 妙な表情を示すべく適当なものでないことにある。その結果仮面劇 殊に神楽や能楽に於けるやうなあらゆるしぐさに対して常に表情の 変らない同一の仮面といふことが何かそのものを超人的なものに想 像させるといふ仮面劇の原理によるものである。

第四はその工芸的美性であってこれはその材料と性質及製作の過程 から当然起こってくる。即ちゼラチン質を以て連結された三叉繊維 の薄層、これにまづ墨版の中の厳しい線が食ひ込む。それが若し歌 麿の女の腕でありうなじであればそこに微かな半肉彫のやうな膨ら みが出来上がる。純白な紙の色は直ちに肌膚の色であり気温湿気に よる微妙な紙面の増減は直ちに肌膚の呼吸である。敢て人物に限ら ず墨線に限らない。北斎の赤富士に於る雪と巻雲、広重の雨、春信 の衣服、北寿の積雲等に於る無色刷みなこの性質を利用して非常な 効果をあげている。

既に木版画は書かれたものでなく彫られたものを刷ったのであるか らその線は全部木の精神則ち或る硬さと同時に或る弾性をもった木 といふものを刻む際の特種な感触を示してゐるものである。南画の 観賞に長じた人や油絵を書く人ほど却って木版はどうも判らん、或 はまあいゝ玩具だといった風の態度になるのはこの工芸的美的性質 を不問ししてどこまでも版画を筆勢とか色彩とかを遇するによる。 之を陶器に見るにそのへらやろくろの痕、面の光沢と朧度、感触模 様の染付の出来上がり工合を見ないで構図と筆勢色彩をのみ見るな らばその味の大半は現出しない。

第四にそれがぜい沢品であるといふ感じのないこと。この工芸的製 作方法によって同一の作品が多数得られるために原則としては之を 求める人は何人と雖も然く所有に難くなく且つそれは誰も持ち誰も 持ち得るといふ親しさがある為に日本画や油絵の数十数百乃至骨董 的のものでは幾万金を呼び同時に個人の占有であって応々慳吝〔一、 二字分空白〕豪の目標に属するやうな憂がない。この点が版画がプ ロレタリア芸術の花形である所以でもある。蓋ろ版画の鼓興はこの 最后の経済的立場から起って漸次にその特性を習特し発揮したもの である。