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盛岡附近地質調査報文

大正五年夏期実習として盛岡附近地質調査を課せられ、全員十二名 を四班に分ちて関教授の指導の下に各班分担して山河を跋渉し実地 に調査を行ひ、野稿を統合し地質図を調製し報告を編成するを得る に至れり。茲に関教授の許可を経て本会報に登載し同好の士の参考 に供す。

大正六年一月     盛岡高等農林学校農学第二部第二年生

○地理及地質の概要

本調査の範囲は盛岡市の全部岩手郡及紫波郡の一部に亘り、岩手郡 に於ては太田村及び厨川村の大部、滝沢村、米内村、浅岸村、簗川 村、中野村、本宮村、及御所村の各一部を包含し、紫波郡に於ては、 飯岡村及び見附村の各一部を受容す。

地勢によりて区分を分ちて三区域となすを得べし而して地質も亦各 区特異の相を具ふるを見る。

第一区域は図幅の略中央を南走する北上川以東に於ける丘陵乃至高 原性を帯びたる山地にして、主として古生層及び旧火成岩吉成る、 則ち盛岡市の東端に薄れる天神山(一六〇米)岩山(三四五米)蝶 ヶ森(二二三米)等又市の北方に当りて黒石山(二五四米)大森山 (二七一米)等あり、此等の山岳は東方に連りて次第に高度を増加 し高原性を呈す、黒石の山勢は米内川を隔てゝ高洞山(五二二米) となり岩山に続て其南東に大森山(三八〇米)あり、蝶ヶ森の東隣 には鑢山(三九〇米)を突出し、更に図幅の東端境界外に於ては大 倉山高森山高帽山六百米を超へたる山岳を起す、此等は実にナウマ ン氏の所謂北上山地の西縁を形成するものとす。区域内を東西に貫 流して北上川に注ぐ所の河川二あり、簗川及び中津川之なり、簗川 は源を早池峰山に近き大甲子山に発し簗川に於て兜明神山より来れ る支流を合し図幅内に入りその南部を西流して少しく盛岡市の南端 を離れて北上川に合す、中津川は図幅の東半の略中央を西流して盛 岡の平地に出てんとするに際し南転し来れる米内川を合し東南に走 りて盛岡市の東部及び南部を貫き北上川に灌注す、一般に此等の諸 川は山地を浸蝕してその沿岸に青年期の地貌を現はす、殊に中津川 の上流は峡谷の観を呈す、本山地の大部分は雑木地若しくは草地に して牧場及び森林に乏しく、耕地比較的稀にして民家極めて粗なり。

第二区域は北上川の西方に於ける平地並に盛岡附近及び北上川の東 岸に沿へる比較的細長なる平地を含有せる低地にして、北上平野の 一部を形成す而して本区域は図幅の中央を東西に走れる想像線によ りて南北二部に分つを得るなり。

(一)北部は南部より少しく高位置を占め観武ケ原、種馬育成所等を 載する台地をなし主として洪積層より成る、傾斜極めて緩にして殆 ど平坦と称するも敢て不可なくして幼年期の原成地貌を示す、北方 より流来せる北上川は盛岡市以北に於て深く此台地を刻み其東岸に 於て絶壁を造る、河川としては北上川の他に台地の中央を南流する 細き諾葛川あるを見るのみ、台地は主に畑地として利用せらる、然 れども荒蕪せる所尠からず。

(二)南部は北上雫石両川並に中津川及び簗川の下流によりて形成せ られたる低き沖積地にして、其北端に近く雫石川の東流するあり、 同川は源を岩手山の西南に発し上流に於て大なる数個の支流を合し、 東流して図幅西南端に於て第三区域をなせる岡巒の一部即ち鳥泊山 と大欠山との間を貫きて進んで盛岡市の南部に近づきて北上川に会 す、本沖積地は人家比較的稠密にして道路発達し其大部分は水田と して利用せらる。

第三区域は図幅の西端に近く南走する一連の岡巒にして主に第三紀 層より成り新火山岩を随伴す、其北端は石ケ森(四四六米)より起り 燧堀山(四六六米)高峰山(四二〇米)鳥泊山(三八九米)となり、雫石 川を隔てゝ宰郷山(三六八米)に対峙し、更に南走して図幅外に出 て遠く南晶山(一一三〇米)以南に亘れる小山脈をなし、其雫石川 以北に於ける岡巒の西側は岩手火山の南部の麓野にして、図幅以外 に於ける小岩井農場を載せたる台地をなす。

此より進みて調査区域の地質系統につき其の綱要を記述せんとす。 (一)水成岩系にありては太古層及び中生層を欠き左記の諸系統よ り成る。

(略)

(二)火成岩にありては旧火山岩を欠き主として左記の諸岩からな る。

○深造岩及び準深造岩  花崗岩、閃緑岩
            橄欖岩、蛇紋岩

○新火山岩 流紋岩(石英粗面岩)、石英安山岩、輝石安山岩

(略)

(以下、上記火成岩、水成岩の個別の記載がある、略)