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国語綴方帳

花城尋常小学校六学年

宮沢賢治

遠方の友につかはす。

このごろはしばらく御無沙汰をしました。

だんだん寒くなってきましたがおかはりありませんか。

私は毎日無事で学校に来て居ります。

今度、皇太子殿下は盛岡においでになってをりますので私共は明後 日盛岡迄遠足するつもりであります。今度は、皇太子殿下がおいで になってをるばかりでなくまだ新しく建った銅像も見ませんからそ れと工兵演習の後を見て来るつもりであります。

またここの停車場にも皇太子殿下の御乗になって居る汽車がよるの でその時の唱歌や姿勢を練習してをります。

皇太子殿下を拝す。

昨日は私等のいつまでも忘れることができぬ日であります。

工兵八大隊の兵営や演習の後を見て来た帰りに私等が皇太子殿下が おいでになるのを拝す為に一列にならんで待って居りますと自てん 車に乗ったけいぶが通りその後に人力車で三人通りそれから殿下は、 挙手の礼をこの賤しい私等になされましてお通になりました。

あー、雲の上の貴きお方がこの賤しい私等に礼をなさるとは校長さ んのお話の通り涙がこぼれるばかりであります。

昔は土下座して殿様の顔も見ることができぬ代がどーしてこの如き 有難い代になったでせう。この有難い代に生まれたにつけても君の 為につくさねばなりせん。

病気見舞の手紙。

先生このごろから御病気なさうですが今日は御やうすはいかがでご ざいますか。

私供は毎日学校に来て、阿部先生や三田先生から御世話を受けて居 ります。

「病は気から」とも云ひますからあまり何も気をおかけにならない で一日も早く学校においでになるのを待っております。

農家の秋、

稲は黄金色に実りその他の作物もみな実りて百姓の一年の間毎日働 きて実れる稲などをかる 喜ばしさいかばかりならん。

今はたいていの所にては稲をかり始めたり。

百姓はみな笑顔にて稲などをながめなどしてをれり。

その間をとびまはるすずめなどもさも嬉しげに見え、稲などをつけ 行く馬も勇みていななく。

関ヶ原の戦、

豊臣秀吉が前田利家と徳川家康とに秀頼のことをたのんで死んだ。

あとで前田利家が死んだので天下の政事は家康が治めておった。

さうしてゐる中に秀頼が大きくなっても家康は秀頼に政事を返さな いので豊臣の臣、石田三成がそれを快よく思はないで「これは家康 が天下を取る気である豊臣家の恩を思ふものは集れ」といって集め たのが十三万であった。

この時家康はえちごの上杉をせめていたがこれを聞いて上杉とわぼ くして帰り七万五千の兵をひきひて関ヶ原で戦った。始には家康の 方は負けさうであったが小早川秀秋が石田の後から政めてとーとー 家康の方が勝って石田三成は生捕られた。

和気広虫

和気広虫は清麻呂の姉であります。

生れつきたいそーなさけ深くありました。他の家によめに行きまし たがその夫が死んでからあまになってこーけん天皇につかはれまし た。

ある時藤原仲麻呂がむほんしました。その時天皇をおいさめ申して むほんに組したものを助けました。その後に大ききんがあった時あ ちこちに人をつかはして捨児をひろはせて自分が養っておきました。 そーした者八十三人の多くに上りました。

その後清麻呂が島流になった時広虫も流されましたが後にゆるされ て帰って尼に位をやる役になりました。

こーけん天皇は広虫を賞めて「他の人は人の事を悪くいひなどする が広虫がさういふ事を云ったのを聞いた事がない」と申されたとの ことであります。

害虫の駆除法を問はれしに答ふ、

拝啓、お尋下されし、害虫駆除法はせんだって読本にて読み候に付 御答申上候、害虫の種類も一様ならず候へば私の知ってゐる三四種 を御答申候、

螟虫は稲の害虫にてその蛾と成りし頃燈火を田におきてさそい殺す べく、浮塵子は水田に石油を少々そそぎて、ふるい落して殺すべく 候、又夜盗虫は畑のまはりにみぞ作りその所々に穴を堀りおき夜此 虫のはいまはって穴に落ち集った所を殺し、ありまきは石油にしゃ ぼんをまぜたものやたばこのにしるにがい汁などをかけて殺すがよ ろしく候。

なほ又駆除法は共同一致いたしてなさずば効果少く候、

     

古校舎をおもふ、

あの古校舎には我等は四年の上も居って習った。尋常二年の時の二 学期から尋常三年の二学期の末まであそこで習ひ、それから新校舎 に来たが二ヶ月ならずして焼けて二度、あの学校に入って今年のす ぐせんだってまだ入って居た。

その間には北風がぷーぷー吹くと一しょに雪が入って、寒かった事 もあった。

雨がふったりするとすぐもって来、すぐ入って来て教室中が水だら けになったこともあった。

しかし、あの古校舎からこの新校舎にうつって来る時はやはり、な ごり惜しかった。

あー、我等と一しょに、四年の上も苦楽を共にしたあの校舎も今は 捨てられて、この寒い時に只一人、あの風あたりの強いところで寒 さに泣いてゐるであろう。今は我等はこのべんきょーしやしい所に 居るのだが、なにとなくあの校舎はなつかしい。

徳川吉宗

徳川吉宗は紀伊の国から出た人であります。この人は家康の曾孫で あります。

徳川七代将軍綱吉が世継とすべき子がなかったので吉宗を八代将軍 にしたのであります。

吉宗はたいそー賢い人で倹約をはげみ、又学事に心を用ひて、室鳩 巣を大学頭として湯島に学問所をおきました。又その頃たいそー質 の悪くなってゐた、貨へいをえ直したりしました。又産業をはげま して甘しょを植えさせたりしてたいそー為になる事をしました。

それですから人は吉宗の事を徳川中興の英主と迄もいってをります。

朝寝の害

朝寝はたいそー害になるもので、一度この習慣をつけるとやういに 止められません。

それですからこの習慣をつけないやうに気をつけなければなりませ ん。

朝寝をした日は其日一日なんとなくボンヤリとして、たいそー心持 がよくありません。

それに反して早起をした日は頭がハキハキとしてをります。

又朝は新鮮な空気が家の外にあるのに毎日悪い空気ばかりを吸って 朝寝をしてをるから吸はないばかりでなく自分のはく息には炭さん ガスがまじってをって自分のねま一ぱいになってをるのを吸ふから 自然身体も弱くなります。

又昔から成功した人はたいてい早起な人であります。又読本で習っ た「白い雀」の農夫も朝寝をした為にびんぼーになったのがそれを なほしたところがもとのやうになったといひます。

私共はそれですから朝寝をしないやうに気をつけなければなりませ ん。

一月一日

朝起きてから御飯を食べて四方拝の式があるので学校に来ました。

遊んでをる中に笛がなって、御真影の御倉の前にならんで御真影を 御迎しました。

それから式場にはいって私共が君が代を歌ったり勅語を校長さんが お読みになったり校長さんのお話があったり、して式が終りまた御 真影御送りして家に帰りました。

そして雑誌などを見てゐました。

さうしてゐる中に鐘がなって火事がありましたが一けんで消ました。

それから鍛治町に遊に行って、夕方帰って来ました。

夜は早くやしみました。

堪忍の六助

昔三河の国に六助といふ者がありました。たいそー堪忍深いと云ふ のでその辺の人はみな感心して堪忍の六助六助といっておりました。

所がたいそー悪い若者が十人ばかり、六助の賞められるのをねたで ある夜待伏てみんなでたくさんたたきました。

始に五六人でたたきましたが少しも怒らずだまってをりますのでこ んどはみなでたたいたりけたりしましたがやはり少しも怒らないの で若者等もとーとー恐れ入って「全体あなたはどーしておこらずに ゐることができますか伝授でもあらばどーか御教下さい」とたのみ ました。

すると六助は笑って「いや伝授も何もない。これは一ったたかれた らこればかりと思って堪忍しまた一ったたかれたらこればりと思っ て堪忍せば何百たゝかれても何千たたかれてもよい」といひました。

冬季休業の一日。

二月四日のことなりき。

我は父に回章をまはすことを云ひつけられぬ。

於田屋町をまはして鍛治町に行かんが為上町を通りしに杉本にぶち 犬をきすかけられて恐ろしかりき。

鍛治町をまはしてより向花巻をまはして家に帰れり。

それより上町のいとこに行って遊びたり。

夜店の用紙をおこして手つだへり。

悔みの手紙

拝啓うけたまはればおぢ上さまにはかねて御病気の所養生叶はず昨 夜御死去なされ侯との事、まことに驚き入候。

御家内様にはさぞさぞ御悲みのことと存じ候。

先頃のお便にては少しは御気分もおすぐれなされ候由うけたまはり うれしく存じ候ところ、このころのさむさにてかくも御死去を早め られしものと残念に思ひをり候。

されど今更かひなきことに之有候へば御あきらめなされお身御大切 におとむらへのほど祈り上げ候。

別封、御霊前におそなへ下されたく存じ候。まづはとりあへず御悔 みまで申上候、敬具。

私の教室、

私等の教室は学校の中の平屋造の一番東の教室の次であります。

この教室の外五つは火事の時焼残ったものであります。教室の坪数 は二十坪でその中に七十幾人の人が毎日来て習ってをります。

教室の中には私等の机とこしかけと黒板二つと教だんとテーブルが おいてあります。

この教室は式のあるときはいつも式場になって御真影を於くところ でありますからその度にここのしきりをはづしたりなどします。

老人と驢馬の話を読みて、

老人が驢馬を売らうと思って町へ行くとき始に一人の女に「乗れる 馬に乗りもせず歩いてゐる」といはれてむすこをのせ次に「今頃の 若いものは老人をいたはらない」といはれて老人が乗り次に子共を つれた女に「おぢいさんあんまりぶしょーではないか」といはれて 二人乗り教師らしい人に「動物を虐待するものでない」と云はれて 棒を通してかついでいきついころしてしまった。もしこの時老人と 子共がかはるがはる乗り馬の疲れたころには休ませて行ったらこん なことはなかったろー。

それだから私共は何も彼もみな人の云ふとほり自分はすこしも考へ なへでしたならばやはり何かでこの老人と同じような事にあふだら う。

それだから私共は気をつけてこの老人と同じやうにならないやうに 気をつけな〔以下なし〕