目次へ  縦書き

[76] 1918年6月27日 保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

この手紙はおっかさんに別れたあなたを慰めやうとして書くのではありません 私の労れた心を励ます為に書くのです けれども何を書いたらいゝのでせうか

空では巻雲が舒かに走ったり或は中空と下空と風の方向が違って雲が入りちがひに駆けたり今は本当に忙がしいときです

地ではあなたが母上を失ふ。又私は不思議な白雲を感ずる。私は目をつぶってゐました。睡る前ですから。白い雲が暸々と私の脳を越えて湧きたちました。

この雲は空にある雲です。そしてこの雲は私のある悲しい願が目に見えたのでした。その願はけだものの願であります。白雲よ。わが心の峡を徂徠する悲みの白雲よ。わが額に初まつて果知らず遠き空間に去来して或時は雨となり或時は米を実らさぬ不思議の白雲よ。あなたの心の中に入って行ってはおっかさんの死をも純に悲しみ得ぬ陰影を往来させる。

私は前の手紙に楷書で南無妙法蓮華経と書き列ねてあなたに御送り致しました。あの南の字を書くとき無の字を書くとき私の前には数知らぬ世界が現じ又滅しました。あの字の一一の中には私の三千大千世界が過去現在未来に亘つて生きてゐるのです。けれどもそれは今こつこつと書いて居るこのの字もの字も同じことです の字もの字も別のよみ方は南無妙法蓮華経と云ひその中に前の様な白雲が去来したり夜昼が明滅する灯の様にまたゝいたりおっかさんを失くしたり戦ったりしてゐるのでせう。あゝ不可思議の文字よ。不可思議の我よ。不可思議絶対の万象よ。

わが成仏の日は山川草木みな成仏する。山川草木すでに絶対の姿ならば我が対なく不可思儀ならばそれでよささうなものですがそうではありません。実は我は絶対不可思議を超えたものであって更にその如何なるものと云ふ属性を与へ得ない。実に一切は絶対であり無我であり、空であり無常でありませうが然もその中には数知らぬ流転の衆生を抱含するのです。

流転の中にはみぢめな私の姿をも見ます。本統はみぢめではない。食を求めて差し出す乞食の手も実に不可思儀の妙用であります。食を求めることはいやしいことか。宇宙みな食を求るときは之はいやしい尊いを超えたことであります。おっかさんを失って悄然と試験を受けるあなたにこの様なことを云ってすみません。

保阪さん。諸共に深正に至心に立ち上り、敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静にその方便品、寿量品を読み奉ろうではありませんか。
  南無妙法蓮華経
  南無妙法蓮華経

   大正七年六月二十七日            宮沢賢治拝

保阪嘉内様