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[63] 1918年5月19日 保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

御葉書ありがたう存じます。この前のはがきに之からは毎月泊り先 からご便りする様の事を云ひながら今まで何とも済みませんでした。 旅先から何辺もあなたに書かうとして住所を覚えていないのに気が 付いてやめました。今日とてもこの手紙は明後日夜花巻で宛名を書 くのです。

扨てその後御互に予期しない様に立場が向いて来ました。あなたは 勿論、私もこの間の兵隊検査で第二乙種になりました。いくさのと きは二等卒の新兵で行くのでせう。初め軍医は第一乙種としたさう ですが例のラッパを私の胸にあてゝから「君は心臓が弱いね。」と 申しました。「さあどうですか。」と云ってゐるうちに軍医は向ふ に向いてしまひました。心臓が弱いかどうか私もしりません。けれ ども人並に山が歩けるのを見るとそんなに弱いのでもない様です。 私はしかしこの間、からだが無暗に軽く又ひつそりとした様に思ひ ます。私は春から生物のからだを食ふのをやめました。けれども先 日「社会」と「連絡」を「とる」おまじなゑにまぐろのさしみを数 切たべました。又茶碗むしをさじでかきまわしました。食はれるさ かながもし私のうしろに居て見てゐたら何と思ふでせうか。「この 人は私の唯一の命をすてたそのからだをまづさうに食ってゐる。」 「怒りながら食ってゐる。」「やけくそで食ってゐる。」「私のこ とを考へてしづかにそのあぶらを舌に味ひながらさかなよおまへも いつか私のつれになって一緒に行かうと祈ってゐる。」「何だ、お らのからだを食ってゐる。」まあさかなによって色々に考へるでせ う。

さりながら、(保坂さんの前でだけ人の悪口を云ふのを許して下さ い。)酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、魚鳥が心尽しの犠牲のお 膳の前に不平に、これを命とも思はずまずいのどうのと云ふ人たち を食はれるものが見てゐたら何と云ふでせうか。もし又私がさかな で私も食はれ私の父も食はれ私の母も食はれ私の妹も食はれてゐる とする。私は人々のうしろから見てゐる。「あゝあの人は私の兄弟 を箸でちぎった。となりの人とはなしながら何とも思はず呑みこん でしまった。私の兄弟のからだはつめたくなってさっき、横はって ゐた。今は不思議なエンチームの作用で真暗な処で分解して居るだ らう。われらの眷属をあげて尊い惜しい命をすてゝさゝげたものは 人々の一寸のあわれみをも買へない。」

私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありません。

又屠殺場の紅く染まった床の上を豚がひきずれらて全身あかく血が つきました。転倒した豚の瞳にこのちパッとあかくはなやかにうつ るのでせう。忽然として死がいたり、豚は暗い、しびれのする様な 軽さを感じやがてあらたなるかなしいけだものの生を得ました。こ れらを食べる人とても何とて幸福でありませうや。

母とその子とが宿屋を営みました。立派な人があるとききて泊りま した。母はびっくりして自分らの見たことのないものをも町からも とめさせ、一生懸命に之を料理し、自分では罰もあたる程の思ひの 御馳走をつくりました。御客様は物足りなさうに膳を終へ、「この 辺で鶏があるなら煮て出して呉れ。」と申しました。また次の日は 「こんなに虐待されて茶代が置けるものか。」などとつれの人とは なしたとします。宿屋の子はそれを聞いて泣きたいのでせう。この 感を大きくすると食はれる魚鳥の心持が感ぜられます。

一寸したはづみから変にしめりこんだことを書きました。

けれども保坂さんのする様に一切の生あるもの生なきものの始終を 審に諦かに観察したら何か涙がでないものがありませうや。あゝな みだよなみだよ。めゝしくはなくな。おまへの恋人が奪はれ、おま への名誉が無茶無茶にふみにぢられても男はなくな。おらは泣かな い。おらは悲しい一切の生あるものが只今でもその循環少数の輪廻 をたち切って輝くそらに飛びたつその道の開かれたこと、そのみち を開いた人の為には泣いたとて尽きない。身を粉にしても何でもな い。この人はむかしは私共と同じ力のないかなしい生物であった。 かなしい生物を自ら感じてゐた。あゝこの人はとうとうはてなき空 間のたゞけしの種子ほどのすきまものこさずにその身をもって供養 した。大聖大慈大悲心、思へば泪もとゞまらず 大慈大悲大恩徳い つの刧にか報ずべき。

ねがはくはこの功徳をあまねく一切に及ぼして十界百界もろともに 同じく仏道成就せん。 一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫鳥 禽獣みなともに成仏だ。

私は今度は明るい山山の模様を書きませう。山ではかたくりの花が 忙しく青い葉に変りました。また「せきざくら」の花が一寸銹びか かってきました。くろもじの芽は弱い病気の子のやうに萌え出し丈 夫な木々はパッパッと蓮華の咲く様に葉を出す様な気がします。 「満州から飛んで来る渡り鳥のうちで一番気の早いのはお前か。ま だ早いのがあるか。」「しっかりやり給へ。私と同年輩の山の若者 たち。」

雲の暗い日、円森山といふ深い峯から馬を二頭ひき自分も炭を負ひ 一生懸命私に追ひついた青年がありました。この人は歩きながら馬 の食物の高いこと自分の賃銀の廉いことなどをも云ひました。私は これを慰めることができません。

 こう申しました。「私はもし金はもうけてもうまいものは食はな い。立派な家にすまない。妻をめとらない。」こんなことがこの人 に何かよろこびになるでせうか。私はある谷の上で青い試験紙を一 束この人にやり、私は谷に下りて別れました。まひるの光の底にめ ぐる星群よ、芽を折られて今年はむなしく立つたらの木よ、わが若 きすなほな心の社会主義よ、唯一の実在に帰依せよ、まことの又唯 一のよろこびはたゞこのことだけだもの。

保坂さん、私はこの間誰へもこんな情感的な事の一かけらも云はな い為にこの手紙は無暗にそんな調子になります。山の話しを書かう とすると又こんな事になるしそんならば地質の話しでもしませうか。

私は地質図だけをつくるので五万分の一地形図五枚へまたがって調 査をするのです。仲々こんで居るかはり出来あがると美しくて面白 いやうです。この面白さは色々の感情から組み立てられて居ます。 あなたは鉛筆で紙へこれを分解して書いて御覧なさい。

東京の古本屋を歩くうちにもしか理論科学の新著(原書、英語)な どがあつたら買って下さいませんか。引替郵便にでもして盛岡へ送 つて下さい。けれどもそんな本は一寸古本には面倒でせう。

保坂さん、あなたが東京で一心に道を修して居る中には奇蹟めいた ことが起こることもありませう。けれども一寸油断すると魔に入ら れます。唯摩経にある菩薩の修行して居る所へ帝釈が万二千の天女 を従へて法をきゝに来てその菩薩が法を説いてゐると唯摩が来てこ れは魔王で帝釈でないと教へた事がありました。魔の説く事と仏の 説くこととは私共には一寸分りませんでせう。

世尊が道場に座したとき魔王の波旬が来てこれを妨害し語巧に世尊 の魔と闘ふことの悪いことを説きました。理窟はよく透ってゐます。 その時世尊が「嗚呼波旬は汝は我が為を思ひてこれを説くにあらず。」 と申されました。どうか御気付きになつたことがあつたら私へも知 らせて下さい。           今日はこれで止めます。

大正七年五月十九日
                   岩手県稗貫郡大迫町ニテ
保阪嘉内様                    宮沢賢治拝

前の手紙はまだ明るいうちに書いたのです。下女が今夕飯を持って 来たとき電燈が急に消えました 此処の電気は盛岡から来てゐるの ですがその途中の乙部と云ふ処に火事があるらしいと云ふことです  私は今夕飯を終へうちへの葉書を入れに暗い処を郵便局迄行きま した 途中に高い橋があります 黄昏の水は遠くの峡から流れて来 てこの橋の下に烈しく鳴つてゐました 此処はすぐ山の下で丁度温 泉にでも居る様に感じました(昼は) 私は橋に立つて私の周囲を めぐりぼんやりと空を劃る山のはを見ました。いかにも淋しく感じ ます 空間の唯中をこの小さな峡の町と私とがめぐり行く。はてな くもめぐり行く。この町には私の母が私の嫁にと心組んでゐた女の 子の家があるさうです。どの家がそれかしりません。またしらうと もしません。今これを人に聞きながら町に歩くとしたらそれは恋す る心でせう。私はその心を呪ひません。けれども私には大きな役目 があります。摂受を行ずるときならば私は恋してもよいかも知れな い。又悪いかもしれない。けれども今は私には悪いのです。今の私 は摂受を行ずる事ができません。それな事はけれども何でもない。 何でもない。これらはみな一握の雪で、
南無妙法蓮華経は空間に充満する白光の星雲であります。