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[54] 1918年4月18日 佐々木又治あて 封書

       佐々木又治様
       四月十八日 大日本岩手県稗貫郡湯口村鉛温泉ヨリ

久シク御無沙汰致シマシタ。御変リモナク御着島ノ事ト存ジ御祝ヒ申シ上ゲマス。又本島御出発ノ際ハ度々御葉書ヲ下サレ有難ウ存ジマス。

定メシ突然ノ風土ノ変化デ御心持モマダ落着カナイコトデセウ。ドウカシッカリシテ下サイ。

コチラデハマダ雪ガ消エマセン。私ハ今ソノ消エナイ雪ノ上ヲ毎日毎日歩イテ居ルノデス。コノ辺ハ江刺ノ様二道ガアリマセン。

寒サウナ話ヲスルナラバ私ハ毎日摂氏0度ノ渓流ニ腰迄浸ッテヰルノデス。猿ノ足痕ヤ熊ノ足痕ニモ度々オ目ニカカリマス。実ハ私モピストルガホシイト思ヒマシタ。ケレドモ熊トテモ私ガ創ッタノデスカラソンナニ意地悪ク骨マデ喰フ様ナコトハシマスマイ。

アナタノ方ナラマダマダコノ十倍バカリ大キナピストルガホシイデセウ。ケレドモ熊ト蛇ヤ鰐(コンナモノガ居マスカ?居ナイデセウ。)モモトハ親類デヨク往来シタノダサウデス。今トテモ私ガアナタニ手紙ヲ書ク様ニ便リヲシテヰルノデセウ。コノ辺ノ山ヤ川ノエ合ナンカハモウアナタニハ夢ノ様ニ思ハレルデセウ。本統ニコノ山ヤ川ハ夢カラウマレ、寧ロ夢トイフモノガ山ヤ川ナノデセウ。

私ハ一昨日崖ノ雪ヲ滑ッテ膝ノ工合ガ変ナノデ、今日ハ天気ノヨイノニコンナ所ニ居マス。少シバカリコノ間ノ山ノ模様ナドヲ書キマス。

江刺ノ山ハ実ニ明ルクユックリシテヰタデハアリマセンカ。私ハ正法寺ノ明方、伊手ノ薄月夜ノ赤垂衣、岩谷堂ノ青イ仮面、又阿原山ヤ人首ノ御医者サンナドヲ思ヒマス。コチラデハサッパリイケマセン。山ハ無暗ニコセツイテ意地悪ク、仲々十町位ノ所デモ道ガナカッタラ二時間モカカリマス。ソレダカラ私ノ方モ無茶ニ石ヲ叩イタリ、歩キナガラ山ノ悪口ヲ言ッタリシマス。或ハ私ノ方ガ先カモ知レマセン。ソレハアナタノ明確ナ御判断二任セマス。

ソレデモ先日案内者ヲ頼ンダラソノ人ハ昼ニナッテアノヒッコ(或ハワッパ)ヲ開ケテサアオ取リヤンセト言ッテ私ノ前二出シマシタ。コレコソハ私ノ為ニ今朝作ッテ来タキナ粉餅デアリマシタ。ソシテコノゴロハ砂糖ガ高クテ黒イノモ仲々食ヘナイト申シワケナドヲシマシタ。

私モ又ニギリ飯ヲ出サウト背嚢ニ手ヲ入レタラノ様ナモノガ入ッテヰマシタ。コンナモノハ変ダト思ッテ中ヲ見タラ薬ハ入ッテヰナイデ薄荷糖ガ一杯ニツマッテヰマシタ。コレハ私ノ父ガ入レテオイタノデス。私ハ後ニ兵隊ニデモ行ッテ戦ニデモ出タラコンナ事ヲ思ヒ出スダラウト思ヒマス。

アア人ハミンナヨクヨク聞イテミルト気ノ毒ニナルモノデハアリマセンカ。

マダ書クツモリデシタガ、成瀬サンヘ書キマスカラコレデ失礼シマス。