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[49](1918年3月14日前後)保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

今聞いたらあなたは学校を除名になつたさうです。その訳はさつぱり判りませんが多分アザリヤ会で目立つた事、例の西洋紙問題、それからあなたの公然あちこち歩いた事などでせう。どれにしても大した事ではありませんが学校では多分これから後のあなたの運動を困つた事として考へた為でせう。私などはとうとうおめおめと卒業してしまひました。実は私はたとへあたりが誤つてゐるとは云へ足らぬ力でともすれば不純になり易い動機で周囲と常に争ふことは最早やめやうと思ひこれから二十年ばかり一生懸命にだまって勉強しやうと覚悟してゐました。そんな事もあなたと話したいと思ってゐる中にあなたはこれで除名となり最早系統ある勉強はこの辺では出来なくなりました。けれども私はあまり御気の毒にも思へません。あながち私が他人だと思つてばかりでもない様です。実はそれが曾て私の願つた道であつたからです。勿論あなたの事ですからこれからの立つ道はきまった事です。たゞ私は呉々も御願致します。これから二十年間一緒にだまって音なく一生懸命に勉強しやうではありませんか。それ前に兵隊や、病気や色々の事で死ぬ事もありませうが役に立つて死ぬにせよさうでないにせよいつか御約束した願はこの度一生で終る訳ではありませんから今度も又神通力によつて日本に生れやがて地をば輝く七つの道で劃り一天四海、等しく限りなきの遊楽を共にしやうではありませんか。尤もあなたは当分又尚後までも東京にお出になる事でせうが酒を飲み寂しさや悲しみを歌ふ事は最早太平洋新文明の曙光に近づいた今日人を導くの道ではありませんからきちっと御止めになつたらいかゞですか。

私共は若い為に悪くすると人を相手にして人の噂でばかり動き出す事があります 暫らく人をはなれませう。静に自らの心をみつめませう。この中には下阿鼻より下有頂に至る一切の諸象を含み現在の世界とても又之に外ありません。

あなたのお父様は定めし御立腹でせうがどうか私の様な悪い友達に御怒を移しあまりに色々と御心配をかけぬ様、何と申しても私共は之から真実に深く深く求めねばなりません。悟ると云ふ事はそれを悟るのでせう。どうかどうか私の様なものをも御捨て下さらず諸共に一心に他念なく如来一義を解し奉る為に修業して参りませう。学校はあまり御恨みにならんで下さい。只私共自身がやがて学校を造るときまでどんな処置をも非難致しますまい。

近い中にこゝでもう一返御会ひできますか。或は今年の夏東京か御宅の近くで御目にかゝれませうか。どうか力を落さず専ら道を求められる様に。

尚次便に。 匆々

 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満
 園林諸堂閣 種々宝荘厳
 諸天撃天鼓 常作諸技楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆

  大正七年三月十三日         宮沢賢治拝

保阪嘉内大兄

前の手紙を書いた後余り変な処ばかり多くて出すまいと思つてゐましたがあれを又繰り返して書くのは最早できませんからあれも同封にします。関さんの所であなたの今度の事を聞いたらみな大した原因ではありませんでしたがアザリヤ会に関することは私への遠慮からかとうとう一つも云はれませんでした。木村さんにも聞きました。湯屋であったときに丁度誰も居ませんでしたから。あなたの二年間の心持をも話しました。まあこんな事は兎も角として実はあなたは幾分虚無的なものと誤解された事が第一の原因な様です。事実あなたはそうらしい。けれども誰とて一度虚無思想に洗礼されなくて本統に一切を肯定する事ができませうか。まあそんな事もよくは知りません。またどうでもかまひません。

ともかく私共は若くて絶ず変じ絶ず新に層より層変てこな偶像を自分で壊しては進み創つて誤つたことに気が付いたときは立派に焼き棄て勇ましく愉快に進みませう。けれどもこんな出鱈目な様な事は云ひたくもありません。あなたは一辺只自己のみを尊く宇宙の大を超へ三世十万に亘つて唯一の支配者であると云ふ事を無理に感じ込みましたがそんな不細工な建物は風化作用によつても三四ヶ月中には壊れます。あたりへ御目にかける様な心持が少しでも自分の心に閃いたときは古の聖者は愕然として林の中へ逃げ込み一人で静に天人恭敬すれども以て喜びと為さずと云ふ様な態度に入つたものなさうです。誠に私共は逃れて静に自己内界の摩訶不思議な作用、又同じく内界の月や林や星や水やを楽しむ事ができたらこんな好い事はありません。これはけれども唯今は行ふべき道ではありません。今は摂受を行ずるときではなく拆伏を行ずるときだそうです。けれども慈悲心のない拆伏は単に功利心に過ぎません。功利よきさまはどこまでも私をも私の愛する保坂君をもふみにぢりふみにぢり追ひかけてくるのか。私は功利の形を明瞭にやがて見る。功利は魔です。あゝ私は今年は正月から泣いてばかりいます。父や母やあなたや。

春が来たら私は兵隊靴をはいて歩ける位歩きまわり稼げるだけ稼いでこのかなしみをかくさうと思つてゐました。春は来ましたがあなたは今ごろやぶれかぶれで怒つてゐるでせう。私はあなたが静に笑ふとも考へる。私ならばさうした。退学も戦死もなんだ みな自分の中の現象ではないか 保坂嘉内もシベリヤもみんな自分ではないか あゝ至心に帰命し奉る妙法蓮華経。世間皆是虚仮仏只真。

  妙法蓮華経 方便品第二
  妙法蓮華経 如来寿量品第十六
  妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十四

    願はくは此の功徳を 普く一切に及ぼし
    我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん