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[484] 1933年8月23日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様
(裏)花巻町 宮沢賢治拝(封印)〆

先日は失礼いたしました。折角遠いところをお出で下すっても例によってたゞもう陰気なばかり、殊に度々横になったりしまして何とも済みませんでした。それにお土産までいたゞいたものですからうちでもひどく済まながって居ります。どうかこれにこりないでまたこの辺お通りのときはお立ち寄りねがひます。

湯本温泉並に車中からのお手紙、ありがたくいたゞきました。中に石川さんの出版へお金お言伝ですが、どうも私の手から向ふへお送りいたしていゝか甚疑問です。けれどもまたあなたにお返して更に仙台へといふのもあんまりややっこしいですから、むしろあっさりと、今日お手紙の一部を同封して錫木碧氏へお送りしやうかと思ひます。それがどういふやうに向ふにとられるにしても、結局こちらだけの事ですし、向ふとしては初めから損を覚悟の出版でせうから、かういふご好意をどんなに悦ぶかわかりません。石川さんのことについて何もできないことは私こそ更に甚しく、何ともお恥しい次第です。

次に八重樫さんのご帰郷なかったといふのは全く意外です。ご兄弟そろってきてゐると二三日前にきいたばかりでしたのであゝおすゝめしてご案内いたさせたのですが、或はその予定だけをきいてそれが変ったのを知らずにさう云ったのかも知れません。いづれにせよ家までお訪ねになったのですし、その辺の事情お書き送りになって、原稿お見せなすったらいかゞでせう。姉さんの方も「岩手女性」は毎月見て居られますし度々書いてもゐますからお名前は知ってゐる筈です。どうか早く大広場で華々しくやってみせて下さい。たゞおからだだけは生意気な申し分ですがあくまでお大切にねがひます。何でも、何か書いてしまったあと胸につかえたものが残ってゐるやうならそれを消してからでないとあと書いてはいけないやうです。それははじめはたゞの感じだけのやうでもだんだん溜って重くなってくるときっと胸へ何か悪いものがやってくるらしいです。昔の漢詩人たちなど、この溜ったものを原動力にして更に仕事し、慷慨の歌悲傷の詩を生々と作りだしたりしたやうですが、たしかにこれはある点を超えてはとりかへしのつかないものになるやうです。蓋ろ時々に白雲中に薬をとったり、夕陽に些少の薪を負ひ、日中にキャベヂの虫を拾ふといふ風にしながら読書述作を重ねられたらどこまでも疲労といふことなしに進まれるだらうと思ったり、人のことですからいろいろ勝手に考へてゐる次第、私のかういふつまづきに面じて悪しからずご了解ください。     まづは。

    八月廿三日

宮沢賢治

  母木 光様