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[48](1918年3月10日) 宮澤政次郎あて 封書

   (表)稗貫郡花巻川口町 宮澤政次郎様 親展
   (裏)盛岡市内丸二九 玉井方 宮澤賢治 〔封印〕〆

謹啓 御手紙拝見仕り候 宿の変更の話は就れなりとも承知仕り候 報恩寺ならば最願ふ所に御座候へども却て寺への迷惑とも存じ候間先は玉井様に御願して毎月何程か宛は間代として出す様に致すべく候 尚夜具その他の品々に就ては更に御心配無之御座候

扨て実は既に手紙認めて御送り申すばかりと致し候とき御手紙拝見又改めて書き直し候事は例の徴兵一件に御座候

昨日一度就れなりとも御任せ致し候へども実はあれより帰盛の途中又只今に到るまで誠に誠に心苦しく到底之の様子にては自由に研究も郡への奉公も致し兼ね候 昨夜以来未だ何人にも研究科の事も話さず学校へも未だ聞ゆる筈無之候間何卒今の中に御許可下され矢張就れにせよ一年足らずの間のみ学校に残る事と致し下され度く候 

私の只今の信仰妄信にや御座候はん 私の只今の願分際を知らぬ事にや御座候はん 免に角私にとりては絶対なるものに御座候 聖道門の修業千中無一と召思され候はゞ誠に及び難き事を悟らせ下さる事こそ御慈悲に御座候 斯て仏を得べしと信じ喜び勇みて懈怠上慢の身を起し誠の道に入らんと願ひ候ものを只一途に御止め下され候事は止むなき御慈悲とは申せ実は悲しき事に御座候 仮令名もなき戦に果て候様見え候とも私は輝く道に至り、願ひのごとくもなるべく候

「我れは一人の為に死を避くるにあらず」とは申し候へ実は昨日一度二年延期と定め候以来実に従来に思ひもつかざる放縦なる心のみ起り斯ては一向に随落仕るのみに御座候 この放縦なる心は実に「我れはよき口実を得たり」と云ふ懈怠の心の発達に御座候 父上には如何様に思はれ候とも私の心の中にては「動機は安穏なる時を選ぶ為、研究はこの方便」と叫ぶ厳正なる批判を断へず候。

実にこれ最大の不幸を作るもの自暴自棄の源となるものに御座候 斯ては遂に父上母上初め皆々様にも報じ奉る日の無き次第と相成るべく誠に誠に戦慄仕り候 若し之が反対に御座候はゞ仮令シベリヤに倒れても瞑すべく若し入営の義務無之節は更に明るく愉快に吾れ人の為に勉励仕るべく候 私の申す事は過激にては更に無之日本国の皆の人は私の立場に於てみな斯く至すべく候 この前にも申し上げ候通り私一人は一天四海の帰する所妙法蓮華経の御前に御供養下さるべく然らば供養する人も供養の物も等しく光を放ちてそれ自らの最大幸福と一切群生の福祉とを齎すべく候

既に母上は然く御決心下され父上も昨日は就れかと御考へなされ候程に御座候へば何卒何卒御聞き届け下され度候 返す返すも色々とあらぬ事まで御推察下され道理自ら定まる所を無理に御ため下さらぬ様奉願候

尚研究科の事は如何様にも御取りきめ下され家に帰りて働けとならぱそれにても宜しく御座候 但し後に勾束を作りて一生を空しく過し候はゞ末法二千五百年の終も最早間近き所誠に吾れ又人の為に残念と存じ候間これのみは御許し下されたく候

子孫を断じ祖先の祭祀を停め候事は我国人として最大の不孝に御座候へども只今は何とも仕方なき時代に御座候 戦争は人口過剰の結果その調節として常に起るものに御座候 真実の幸福は家富み子孫賢く物に不自由なきときに欠け候事多く誠の報恩は只速に仏道を成じて吾と衆生と共に法楽を受くるより他には無之御座候

何辺何辺も不謹慎の事のみ申し上げ候へども只今私を許し下され候は只父上と母上とのみに御座候間何卒速に御決意下され明後日晩方迄には確然と御返事下され度く候

 操り返し繰り返しながら又々御願申し上げ候 尚虚栄の為に斯る事を云ふと思召され候はゞやがて御判り候まで御命令に従ひ奉るべく候

賢治