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[46] 1918年2月23日 宮澤政次郎あて 封書

   (表)稗貫郡花巻川口町 宮澤政治郎様 親展
   (裏)二月廿三日 盛岡市内丸二九 玉井方 宮澤賢治拝 〔封印〕〆

拝啓 その後皆々様御変りも御座なく候や。 当地にては御陰にて一同無事、清六、風邪を避けて一晩早く眠り候位に御座候間先は御安心願上候。

私は二十七日より来月七日迄試験にて最早準備も終り卒業論文の草稿も教官の許に差し出し置き候間大低はこれにて忙がしき所も終と相成旁々御安心下され度候。

次に先日御願上候様何卒御手続下され度く尤も多分は御承知下され候事とは存じ候へども尚宜しく御願申し上げ候。

今晩等も日露国交危胎等と折角評判有之定めし御心痛の御事と奉察候へども総ては誠に我等と衆生との幸福となる如く吾をも進ませ給へと深く祈り奉り候間何卒色々と御思案下されず如何になるとも知れぬ事に御劬労下さらぬ様斯て体をも傷め候はゞ誠に皆々の嘆きに御座候間万事は十界百界の依て起る根源妙法蓮華経に御任せ下され度候。誠に幾分なりとも皆人の役にも立ち候身ならば空しく病痾にも侵されず義理なき戦に弾丸に当る事も有之間敷と奉存候。

若し又前生の業今生の業に依り、来年昨来年弾丸に死すべき身に候はゞ只に今に至りて嘆くとも何の甲斐か候べき。

義ある戦ならば勿論の事にて御座候。

何卒折角の御心配には御座候へども私一人は妙法蓮華経の前に御供養願上候。勿論私の身体の劣れる故に或は別段の戦とても無く或は戦にも死せず候はゞ決して空しくは過ぎ終る積にては無之殖産の業にせよ、科学にせよ或は願の如くに法を弘むるにせよ就れによるも何卒皆々様の幾分の御恩を報じ奉る積りに御座候

仮令自カにせよ雑行にせよ誠に一日に一度三日に一度に御座候へども喜びを以て充され候事有難く存じ居り候(一躍十万八千里とか梵天の位とか様々の不思議にも幻気ながら近づき申し候

戦争とか病気とか学校も家も山も雪もみな均しき一心の現象に御座候その戦争に行きて人を殺すと云ふ事も殺す者も殺さるゝ者も皆等しく法性に御座候 起是法性起滅是法性滅といふ様の事たとへ(先日も屠殺場に参りて見申し候)、牛が頭を割られ咽喉を切られて苦しみ候へどもこの牛は元来少しも悩みなく喜びなく又輝き又消え全く不可思議なる様の事感じ申し候 それが別段に何の役にたつかは存じ申さず候へども只然くのみ思はれ候)若し今年十一月以後も自由なる様に候はゞ愉快に又働き得る事と存じ候へども又仮令兵営に入り候とも私としては少しも難義は無之、色々兵営内の模様等も御調べ下され候はゞ自づと明なる事と存じ候 様々変てこなる小説等御覧下され私などもその様になるか等御心配下され間敷候。生活としては単純に有之、殊に人と人との関係等は只服従せしむる器械のみにて万事解決つく事に有之私の身体とて多くの同級生(兵役を終へたる人もあり)と異る所なく衣服とて食物とて決して御心配下さる様の事無き様に御座候 殊に一年志願兵は半年は学課のみに有之候

一年志願を終へたる友人教官等の話しにても極めて呑気なる為に鈍くなると申し候

殊に軍隊に入りて受くる利益も決して転地療養等の比には無之と存じ様上この上は先づ五月に兵役に採らるゝ事仕事の少しく遅るゝ事殊によれば戦争に出づる事を御覚悟下され何卒御安心下され度く操り返し御願申し上げ候。

 尚卒業式は来月十六七日頃にてその後転宿致し後帰省仕るべく候。清六と太郎さんとは専ら寄宿に入る積りにて御座候間私は学校の近くにて室のみを借り盛岡に来り候際は寄宿舎の飯を食ふ事(一日二十銭−二十五銭)とすれぱ最経済なる様に御座候。或は報恩寺に入るべしとも存じ候へども何分寺へ迷惑を掛くる事と相成るべく右は差し控へ申し候。間借するとして一円にて充分借す所ある様に御座候。先は

匆々

    大正七年二月廿三日             賢治拝