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[421] 1932年6月21日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様 書留
(裏)六月廿一日 花巻町 宮沢賢治(封印)緘

   六月十九日

  母木 光様

宮沢賢治

先日のご来花の節は産ぱりお構ひもいたしませず、いろいろ失礼いたしました。その后小鳥谷並びにご郷里からのお便りいたゞきすぐにもご返事いたすべきの処、為替といっしょにと思ひ今日まで遅れまして済みません。同封為替やっとお約束の三冊分です。本はまだどこにも頒けないでありますから足りなくなったら仰ってください。童話批評しろとのお詞ですがあの時私の申したのは本ができたとき批評の形で何かへ紹介を書くといふ積りでした。けれどもまた何も申しあげなかったりたゞ結構ですとか云ってお返しして、いつでも鰻みたいに遁げてばかりゐると思はれるのもいやですから、強ひて私だけの只今の感じや好尚で申しあげませう。

読后の感は明るく、大きさも手頃、藁細工の藁の美しなど新らしいいゝ匂がします。且つ岩手詩集のあなたの作もさうですが全編に特種な色彩といふよりはむしろやはりちがった香気があって小品や短編小説ならもっとこれが出るかと思ふものがあります。

たゞ、作の構造としてははじめの父の行衛不明が、それが全く不明になったと断はってあるにも係はらず、どうも童話としては何かの期待を終りまで持ち越し、それがたうたう解決されないといふ気分を齎さないかと思ひます。この点こどもらに読んで聞かせてあとでそっと質問して試してごらんになれば、答ははたぶんまちまちだらうと思ひます。それから、物語がはじめも中頃も現実に近い人物を扱って、終り頃風魔といふ神秘的なものが一つだけでてくること、これは神秘を強調するためには有効で、作を一つの図案或ひは建築として見ると不満があるでないかと存じます。たとへばこの作をガラス製のパンテオン(希臘神話ですか)の模型であるとしてその一本の隅の柱だけが色ガラスであるといふやうな感じです。前の父の行衛不明をこの模型にはめれば、向ふの柱とこっちの柱とが互に対応しないといふやうになりませう。けれどもかういふことは却って意図してやる事もありませうし、あんまり対称的な完成した図案こそむしろ却くべきでもありませう。最后にはリルラといふ名前が滑らかすぎて性の悪いこどもの性格容貌が出ないと一応考へられます。どの字かをマ行、サ行、ハ行などの一音とかへてはいかがでせうか。あんまりあなたが私を謙譲だなどと云ふものですからこんな下らぬことまで書きました。特に日報へ先週お書き下すって、弟も読み親類でも読み、全体どの人が書いたとか云ってゐました。ご好意は充分どこでないいたゞきますが、何分にも私はこの郷里では財ばつと云はれるもの、社会的被告のつながりにはいってゐるので、目立ったことがあるといつまでも反感の方が多く、じつにいやなのです。じつにいやな目にたくさんあって来てゐるのです。財ばつに属してさっぱり財でないくらゐたまらないことは今日ありません。どうかもう私の名前などは土をかけて、きれいに風を吹かせて、せいせいした場処で、お互ひ考へたり書いたりしやうではありませんか。こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いてゐる次第でありません。全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から「あれはさうですね。」といふやうなことを、ぽつんと云はれる位がまづのぞみといふところです。

こんどはそのうち私のものもあげてご意見伺ひます。  まづは。