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[4]1912年(5月)30日 宮澤政次郎あて 封書


  (表)花巻川口町 宮澤政次郎様
  (裏)卅日 盛岡中学校寄宿舎 宮澤賢治

謹啓 昨日夜十一時帰盛仕り候 今日は一日睡り只今この手紙を認め居るにて候 小遣は二円にて甚だ余り申し候 石の巻を出発仕りしは午前十時頃にて候へき 船は海に出で巨濤は幾度か甲板を洗ひ申し候 白く塗られし小き船はその度ごとに傾きて約三十分の後にはあちこちに嘔げる音聞こえ来り小生の胃も又健全ならず且つ初めての海にて候へしかばその一人に入り申し候約一時間半にて松島に着浅黄色の曇れる日の海をはしけにて渡り瑞巌寺を見物致し小蒸気に乗りて塩釜に致り申し候 松島は小生の脳中に何等の印象も与へ申さずわづかに残れるは雄島の赤き橋と瑞巌寺の古美術位の物にて候 塩釜にて無理に先生の許可を得てその夜の八時半迄に仙台に行くことを約して只一人黄き道を急ぎ申し候 曇れる空、夕暮、確かなる宛も無き一漁村に至る道、小生は淋しさに堪へ兼ね申し候 無意識に小生の口に称名の起り申し候 肥れる漁夫鋭き目せる車夫等に出合ふ度に小生の顔を見つゝ冷笑する如き感を与へられ不快なる心もて塩釜より約一時間両び海を見黒き屋根の漁夫町を望み申し候 波の音は高く候へき。「この町に宿屋何軒ありや。」と聞けば六軒ありと答へられ一軒一軒を尋ねても伯母上を見んと思ひまづ渚より岩にかけられし木の階を登り大東館と書かれたる玄関の閉まれる戸幾度か叩き申し候へど答無ければ宿は他の方かと思ひて家を東の方にまはればこゝは戸無くランプの灯赤きに人二人居るが硝子越しに見え申し候 宿主の居る方を聞かんと存じ中のぞき候ところ思ひきや伯母さまにて候へき 今一人は下女にて候へき 不思議さうなる顔して小生を見居りしが甚だ喜ばれし面もちにてしきりに迎へられ遂にその夜の九時の塩釜発の汽車にて仙台に行く事とし夕食をごちそうに相成りあちこちよりの手紙を見せられ申し候、伯母さまは幾度も幾度もおぢいさんや父上母上のお心に泣きたりと申され候、海は次第に暗くなり潮の音は烈しく漁村の夕にたゞよひ濤の音風の音は一語一語の話の間にも入り来りて夜となりその夜は遂に泊められ申し候

伯母さまはずいぶんやせ申し候 血色はよろしきやうに見え候へども一日の食物は土鍋一つの粥のみと聞き申し甚だ驚き申し候 仙台の大内といふ人及清助さんはずいぶん親切にする由にて候

菖蒲田には客たゞ一人、伯母さまあるのみにて今はずいぶん淋しく私にても只一人かの地にあらばずいぶん心細く思ふべく候 すべてに不自由なしとは云はれ候へどもあまり永くかの地に止りたしとは思はれぬ様は言葉のはしはしに見え候へき

九時半頃小生は先に睡り申し候 この夜咳の声に二度ばかり目覚め申し候 翌朝朝食を少しおそく食ひ八時二十分の汽車に間に合ふ為大急ぎにて来路を歩みとても間に合はざるやうなれば半分路より俥に乗り申し候 九時仙台着 助役に小生の宿を聞き巡査に幾度か尋ねて堺屋といふ宿屋に着し十二時一行と合し申し候

先づは以上伯母さまのことを御報知迄

敬具