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[301]  1931年2月25日 関豊太郎あて 封書

   東京府下西ヶ原農林省農事試験場 關豐太郎先生
   岩手県花巻町

永々ご無沙汰いたし居りました処、本年は寒さ殊の外厳しく悪性の感冒などもしきりでございましたが先生並びに皆々様にはお障りもございませんでせうか。虔んでお伺ひ申しあげます。扨紙面を以てまことに恐れ入りますが年来のご海容に甘えお指図を仰ぎたい一事は本県松川村東北砕石工場より私に同工場の仕事を嘱託したいと申して参りました儀でございます。同工場は大船渡松川駅の直前にありまして、すぐうしろの丘より石灰岩(酸化石灰五四%)を採取し職工十二人ばかりで搗粉石灰岩抹及壁材料等を一日十噸位づつ作って居りまして、小岩井へは六七年前から年三百噸(三十車)づつ出し、昨年は宮城県農会の推奨によって俄かに稲作等へも需要されるやうになったとのことでございます。

就てこの際私に嘱託として製品の改善と調査、広告文の起草、照会の回答を仕事とし、場所はどこに居てもいいし、給年六百円を岩抹で払ふとのことでございます。それで右に応じてよろしうございませうか。農芸技術監査の立場よりご意見お漏し下さらば何とも幸甚に存じます。尚石灰岩抹の効果は専ら粒子の大小にあると存じますが稲作などには幾ミリ或はセンチ位の篩を用ひてよろしうございませうか、いづれにせよ夏までには参上拝眉いたしたく紙面を以て失礼の段は重々お赦しねがひ上げます。

ご多用の場合かとも存じ同封葉書封入致し置きました。単に一方ご抹消下さる迄でもねがひあげます。まづは。

  昭和六年二月廿五日

宮沢賢治

關豐太郎先生