目次へ  縦書き

[221] 1926年12月12日 宮沢政次郎あて 封書

(表)岩手県花巻川口町 宮沢政次郎様
(裏)東京市神田錦町三ノ十九 上州屋内 宮沢賢治拝(封印)〆

今日は午後からタイピスト学校で友達になったシーナといふ印度人の紹介で東京国際倶楽部の集会に出て見ました。あらゆる人種やその混血児が集まって話したり音楽をやったり汎太平洋会のフォード氏が幻燈で講演したり実にわだかまりない愉快な会でした。殊に私は少し倶楽部の性質を見くびってこちらで買った木綿の仕事着を着て行ったのでしたが行って見ると室もみな上等の敷物がありみんな礼装をしてゐましたので初めは少々面くらひましたが退くにも退かれず仕方なく臆面もなくやってゐましたら、そのうちフィンランド公使が日本語で講演しました。それが尽く物質文明を排して新しい農民の文化を建てるといふ風の話で耳の痛くないのは私一人、講演が済んでしまふと公使はひとりあきらめたやうに椅子に掛けてしまひみんなはしばらく水をさされたといふ風でしたが、この人は名高い博言博士で十箇国の言語を自由に話す人なので私は実に天の助けを得たつもり、早速出掛けて行って農村の問題特にも方言を如何にするかの問題を尋ねましたら、向かふも椅子から立っていろいろ話して呉れました。やっぱり著述はエスペラントによるのが一番だとも云ひました。私はこの日本語をわかる外人に本を贈りもう一度公使館に訪ねて行かうと思ひます。どうか土蔵から童話と詩の本を四冊ずつ小包でお送りを願ひます。

いままで申しあげませんでしたが私は詩作の必要上桜で一人でオルガンを毎目少しづつ練習して居りました。今度こっちへ来て先生を見附けて悪い処を直して貰ふつもりだったのです。新交響楽協会へ私はそれらのことを習ひに行きました。先生はわたくしに弾けと云ひわたくしは恐る恐る弾きました。十六頁たうたう弾きました。先生は全部それでいゝといってひどくほめてくれました。もうこれで詩作は、著作は、全部わたくしの手のものです。どうか遊び仕事だと思はないでください。遊び仕事に終るかどうかはこれからの正しい動機の固執と、あらゆる慾情の転向と、倦まない努力とが伴ふかどうかによって決まります。生意気だと思はないでどうかこの向いた方へ向かせて進ませてください。実にこの十日はそちらで一ヶ年の努力に相当した効果を与へました。エスペラントとタイプライターとオルガンと図書館と言語の記録と築地小劇場も二度見ましたし歌舞技座の立見もしました。これらから得た材料を私は決して無効にはいたしません、みんな新しく構造し建築して小さいながらみんなといっしょに無上菩提に至る橋梁を架し、みなさまの御恩に報ひやうと思ひます。どうかご了解をねがひます。

   十二月十二日