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[200] 1925年2月9日 森佐一あて 封書

(表)盛岡市新穀町十四番地 森佐一様
(裏)二月九日 花巻農学校 宮沢賢治(封印)〆

お手紙拝誦いたしました。

詩の雑誌御発行に就て、私などまで問題にして下すったのは、寔に辱けなく存じますが、前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とか完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の支度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。私はあの無謀な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し、それを基骨としたさまざまの生活を発表して、誰かに見てもらひたいと、愚かにも考へたのです。あの篇々かいゝも悪いもあったものでないのです。私はあれを宗教家やいろいろの人たちに贈りました。その人たちはどこも見てくれませんでした。「春と修養」をありがたうといふ葉書も来てゐます。出版者はその体裁からバックに詩集と書きました。私はびくびくものでした。亦恥かしかったためにブロンヅの粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります。辻潤氏、尾山氏、佐藤惣之助氏が批評して呉れましたが、私はまだ挨拶も礼状も書けないほど、恐れ入ってゐます。私はとても文芸だなんといふことはできません。そして決して私はこんなことを皮肉で云ってゐるのではないことは、お会ひ下されば、またよく調べて下されば判ります。そのスケッチの二三編、どうせ碌でもないものですが、差し上げやうかと思ひました。そしたらこんどはどれを出さうかと云ふことが、大へんわたくしの頭を痛くしました。これならひとがどう思ふか、ほかの人たちのと比較してどうだらうかなどといふ厭な考がわたくしを苦しめます。わたくしは本統にそんなに弱いのですから、笑ってもようございます。どうかしばらく私などは構はないでこゝらにそっと置いて下さい。どうせ家を飛び出したからだですから、どこへ行ってもいゝ訳ですがいろいろの事情がもうしばらく、或は永久に、私をこゝに縛りつけます。梅野さんにもお会ひして申し上げて置きます。又あなたのお手紙からあなたにお会ひしたいと思ひます。

  大正十四年二月九日