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[102a](日付不明) 保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)(旧196)

あなたはむかし、私の持つてゐた、人に対してのかなしい、やるせない心を知つて居られ、またじっと見つめて居られました。
今また、私の高い声に覚び出され、力ない身にはとてもと思はれるやうな、四つの願を起した事をもあなた一人のみ知って居られます。

 

まことにむかしのあなたがふるさとを出づるの歌の心持また夏に岩手山に行く途中誓はれた心が今荒び給ふならば私は一人の友もなく自らと人とにかよわな戦を続けなければなリません。

今あなたはどの道を進むとも人のあわれさを見つめこの人たちと共にかならずかの山の頂に至らんと誓ひ給ふならぱ何とて私とあなたとは行く道を異にして居りませうや。
仮令しぱらく互に言ひ事が解らない様な事があつてもやがて誠の輝きの日が来るでせう。

どうか一所に参らして下さい。わが一人の友よ。しぱらくは境遇の為にはなれる日があっても、人の言の不完全故に互に誤る時があつてもやがてこの大地このまゝ寂光土と化するとき何のかなしみがありませうか。

或はこれが語での御別れかも知れません。既に先日言へぱ言ふ程間違って御互に考へました。然し私はそうでない事を祈りまする。この願は正しくないかもしれません。それで最後に只一言致します。それは次の二頁です。

次の二頁を心から御読み下さらば最早今無限の空間に互に離れても私は惜しいとは思ひますまい。
若し今までの間でも覚束ないと思はれるならぱ次の二頁は開かんで置て下さい。

あなたは今この次に、輝きの身を得数多の通力をも得力強く人も吾も菩提に進ませる事が出来る様になるか、又は涯無い暗黒の中の大火の中に堕ち百千万劫自らの為に(誰もその為に益はなく)封ぜられ去るかの二つの堺に立つてゐます。間違つてはいけません。この二つは唯、経(この経)を信ずるか又は一度この経の御名をも聞きこの経をも読みながら今之を棄て去るかのみに依つて定まります。かの巨なる火をやうやく逃れて二度人に生れても恐らくこの経の御名さへも今度は聞き得ません。この故に又何処に流転するか定めないことです。保阪さん。私は今泣きながら書いてゐます。あなた自身のことです。偽ではありません。あなたの神は力及びません。この事のみは力及びません。私とても勿論力及びません。

信じたまへ。求め給へ。あゝ「時だ」と教へられました「機だ。」と教へられました。今あなたがこの時に適ひ、この機ならば一道坦直、この一つが適はなかったら未来永劫の火に焼けます。 私は愚かなものです。何も知りません たゞこの事を伝へるときは如来の使と心得ます。保阪さん。この経に帰依して下さい。総ての覚者(仏)はみなこの経に依て悟つたのです。総ての道徳、哲学宗教はみなこの前に来つて礼拝讃嘆いたします。この経の御名丈をも崇めて下さい。
そうでなかつたら私はあなたと一諾に最早、一足も行けないのです。そうであつたら仮令あなたが罪を得て死刑に処せらるゝときもあなたを礼拝し讃嘆いたします。信じて下さい。