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[193] 1921年6月29日 宮澤イチあて 封書

(表)岩手県花巻川口町 宮澤政次郎様方 宮澤いち様 御直披
(裏)六月廿九日 東京ニテ 宮澤賢治拝(封印)〆

 お手紙ありがたく拝誦いたしました。

ことさんは、医師の話によりますと、もう、病気は殆んど快いさうで、衰弱さへ無かったら、すぐに退院しても好いさうです。おぱあさんは、退院迄はおいでになる様に、きまりました。退院は、多分来月の十日頃と存じますす。食事もよく進み、起居も大低自由な様です。

 但し、退院後は、一遍に宅へは帰られないだらうと、医師が云ひます。途中、どこかで、休まなければならないだらうと思ひます。今度は、思ひ切って、大事を取らないと、又、元に戻ります。お父さまとも御相談の上で、又十日ぱかり花巻の方へ戻るやうな、姑息な手段はとらないで、情実なしに、医師の意見通りにしないと、ことさんも、あんまりお気の毒です。今度は、充分ご相談の上、もう二度と、病気を起すことの無いやうに、お勧め下さい。その御相談に、今日恒さんをお呼びになりました。ことさんは、もうどうしても松屋へは帰れないと、云ってゐられます。内のお父様に、宜しくお願ひして呉れと、申されました。

 いくら松屋でも、十日毎に、二百五十円づゝ送ったり、容易の事ではないでせうから、後々の所まで、充分御相談の上、見掛け丈けの道徳を、おやめになるやう、御決断を願ひます。

 もっとも、これは、母上にだけ、そっと申し上げる琴さんのお考へで、私の無責任な意見ではございません。

 私は変りございません。こちらは、大変物価が廉くなりました。魚や青物なんかは、おどろく程です。食事も十二三銭出せば、実に立派なものです。図書館の中は、どうも高くて困ります。

 私は、折角、からだを気を付けて居ります。

 お父さんと、太郎さんと、よく御相談の上、やはり私が、数年間、帰る事が必要ならば、すぐにも戻ります。

 お疲れでございませう。どうか、お許しねがひます。とし子にも、よろくしおねがひいたします。

  六月廿九日

賢治

 母上様

尚重ねて申しあげますがことさんも今年の春のやうな苦しみをもう一ぺんも二へんも操り返すのはあんまりお気の毒ですから、又人のからだは一人一人ちがふのですから、たとへ医学では、もうなほったから家に戻っても大丈夫といってもそれが誰にもあてはまるかどうかと私は思ひます。ことさんは殊に弱いやうです。よく御相談ねがひます。今の通りでは松屋でもみなさんお困りでせう。みんな周藏さんが悪いとは決して云はれません。こちらの弱いことも向ふと同じ程悪いのです。そこをよく御諒解なさらないとならないと存じます。