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[19](1916年8月17日) 保阪嘉内あて 封緘葉書

  (表)甲斐国北巨摩郡駒井村 保阪嘉内様
  (裏)Tokio 麹町三丁目 栄屋旅館 宮沢賢治

多分は宅に御出でのことと思ひます。

この間殊によつたら帰省の途中で訪ねて御出でになるかと待つて居りました。私は毎日神田の仲猿楽町迄歩いて行つて居ります。ワス イスト ダスなどははるかに丁度岩手さんの七合目から二合辺を見下した様に威張つて居ります。例すれば丁度一週間に次のやうな課をやりました。

 意訳。一人の農夫がありました。一番大事な馬を夜の間に厩から盗まれました。農夫はあるとき遠い町の馬市に行きました。そこに一人の知らない人が自分の盗まれた馬を持つてゐました。農夫はそれをたづなをつかまへて ダス、ゲヘールト、ミーヤと云ひました。知らない人は静に答へました。「この馬は私にゲヘールトする。恐らくは甚汝の馬に似て居るのであらう。」農夫は両手で馬の両方の目を覆って云ひました。「若しこれが汝のものならば速に云へ。この馬の就れの目が盲であるか。」知らない人は直ちに答へました。「左。」農夫は云ひました。「さて汝は盗人である そして悪い人である。見よ。この馬の就れの目もめくらであらぬ。」人々は「うまくやつた。」とほめました。盗人は捕まりました。めでたしめでたし。

今度は浅草へ木馬に乗りにも行きませんしさて又電車の火花ばかりを眺めても居りません。又都会のランブラアと一緒になつて町を歩いたこともないではありません。

講習会は高等学校の生徒も三人ばかり居ます。友達も二三人できました。高橋君(学校の)が出て来ました。一緒に居ります。

細山田君が直き近くに居るだらうと思ひますが勉強して居ると思つて来ません。

裏の方へTokioの唱歌を少し書きつけます。

 

神保町少しばかりのかけひきにやゝ湿りある朝日は降れり。

するが台雨に銹びたるブロンズの円屋根に立つ朝のよろこび。

霧雨のニコライ堂の屋根ばかりなつかしきものはまたとあらざり。

青銅の穹屋根は今日いと低き雲をうれひてうちもだすかな。

かくてわれ東京の底に澱めりとつくづく思へば空のゆかしさ。

おとなしく白びかりせる屋根ありてすこしほころしく坂を下りぬ。

はるかなる淀みの中のある屋根は蛋白光をあらはしにけり。

東京の朝をみせたる偏光に霧降りてこの家のあはれさ。

ぎこちなる独文典もきり降ればなつかしさあり八月のそら。

独乙語の講習会に四日来て又見えざりし支那の学生。

うすびかる月長石のおもひでよりかたくなに眠る兵隊の靴。

大使館低き煉瓦の塀に降る並木桜の朝のわくらば。

うすれ日の三井銀行その中の弱きひとみのふっとなつかし。

日本橋この雲のいろ雲のいろ家々の上にかゝるさびしさ。

甲斐に行く万世橋の停車場をふっとあわれにおもひけるかな。

密林のひまより碧きそらや見し明きこゝろのトルコ玉かな。

「版画のうた」

「高輪の二十六夜」の海のいろ果てほの白くいづち行くらん

歌まろの乗合船の絵の前になんだあふれぬ富士くらければ

ほそぼそと波なす線はうすれ日の富士のさびしさうたひあるかな

ひろ重の木曽路のやまの雪のそら水の色水の色人はとられん。