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[181](1921年1月中旬)保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

お便り拝見致しました お語一一ご尤です 軍隊からお帰になったぱかりで定めしお疲れの処にあれ程の大事を申し上げそれを色々お考へ下さったとは実にあり難うございます。けれどもこればかりは打ち棄てゝ置けないことです どうかどうか御熟考を願ひます。昨日私の職業に就いてなど書きましたがあんな事何でもありません。何をしやうがどうならうがそれが一番お思召に叶ふのならぱそれこそ誠の幸福です。私の進む道です。

立ち入って失礼ですが以下どうか怒らないで下さい。若しも万一道を求める人がそれを求め得てどうにか自分の為にせうと思ふなれぱその人は求めやうと努める程頭が破れる様に痛みます。全体私共に今そんな見懸けや、お芽出たい喜びやを求める暇がないのです。すぐもう私共一同の前に、鋭い感覚を持った生物が、数万度の高熱の中に封ぜられ一日に八万四千回悶きながら叫び乍ら生れ、死に、生れ死にしなければならないといふはっきりした事があるのです。「何だ地獄か。」といふ人は先づ静にお前さんの頭がどんなに痛みどんなに忙しく灼けた鉄板の上をはねまはってゐるかを観察するがいゝのです。

保阪さん。もし、あなたに「信じたい」といふ心があるならそれは実に実に
大聖人の御威神力があなたに下ってゐるのです。それに烈しく烈しく逆らふ心、仮令ば「証明があやふやだ」「それより仕方はあるまいが何とか何とか外に仕方はないか」「とにかく厭だな、逃げたいな」など、これらは第六天の大魔王、曾って釈迦如来迦耶成道を現じ給ふた前に美はしい幾人の女を遣はし恐るべく悲しむべき黒夜の中の虚空に充てる怪性の兵衆を送り自ら菩薩の前に立って剣を抜き悪気を吐いたあの魔王があなたに現はれてゐるのです。この時あなたの為すべき様は

   まづは心は兎にもあれ
   甲斐の国駒井村のある路に立ち
   数人或は数十人の群の中に
   正しく掌を合せ十度高声に
  南無妙法蓮華経
   と唱へる事です。

決して決して私はあなたにばかりは申しあげません。実にこの様にして私は正信に入りました。龍ノロ御法難六百五十年の夜(旧暦)私は恐ろしさや恥づかしさに願えながら燃える計りの悦びの息をしながら、(その夜月の沈む迄座って唱題しやうとした田圃から立って)花巻町を叫んで歩いたのです。知らない人もない訳ではなく大低の人は行き遭ふ時は顔をそむけ行き過ぎては立ちどまってふりかへって見てゐました。盛岡の農林学校では化学の一年が見学に来てゐてその一群にもあひました。向ふは校歌を唱ってゐたのです。その夜それから讃ふべき弦月が中天から西の黒い横雲を幾度か潜って山脉に沈む迄それから町の鶏がなく迄唱題を続けました。それはとにかく

保阪さんどうか早く
  大聖人御門下になって下さい。

一諸に一諸にこの聖業に従ふ事を許され様ではありませんか。憐れな衆生を救はうではありませんか 何かお考がありましたらばりばり私へ云って下さい。済んだら一束にしてお返しします。この手紙も焼いて下さい。

南無妙法蓮華経

合掌

私共の心としては「真理」よりも「真理を得了った地位」を求め
      「正義よりも「正義らしく万人に見えるもの」を索ねている事が度々あります。見掛けは似て居ますがこれこそ大変な相違です。