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[17](1916年8月はじめ)高橋秀松あて 封緘葉書

  (表)盛岡高等農林学校寄宿舎内 高橋秀松様

以下長いことを書くに耐へません。で極めてちらちらと続けます。

昨夜出郷致しました。御存知の通り祖父は病気で母も病気で(心配と身体の疲れを加へた、)一昨朝等は曾て毎晩植物園で見出でた丈高い玄参科の花の薬りを医師から与へられましたので私はもうほんとに何とも仕方なくなりました。詳しい事は後に御話し致します。私は母と一諸に温泉へでも行けば母も心丈夫に思ふし、暑い所に出て行つてどうかとの心配もないしそれに加ふるに祖父の機嫌が好いし非常に明るくなるのです。

これ丈けでは何のことやら、それでもまあ好いでせう。

私はどんな束縄をも冷静な科学に対する義務と云ふやうな事を口実として断ち切りました。あゝ然し偽善者は単に一時の客気と見るその父や遂に親不孝ものと解訳するその叔母やらに対して、自分の今度の振りもぎる様な出京の動機を省みて或は之等の解訳は余りに善意的であるか悪魔的であるかを定め得ませぬ。

私は何辺も私の弟妹に云ひました。「今に私のこの心持がわかる。」と。わかるでせうか。

わかる筈はない。私自身にさへ何の心か知らない。

     ※

この手紙を前に書きかけてやめました。これが貴方をわづらわす事を恐れたからでもあります。

とにかく続けませう。私は一遍もう貴方には済まないけれども家に休み一杯居やうと決心しました。

けれどもさう決めても心持は一向落ちつきません。

私の父は最初に徒の客気の為に後に悔やむ様な事をするなと折角云ひましたが終には私の出京したいといふのはあなたの知らない或る他の親戚に関する一つの私にとつて非常にこの町に居るに堪へ得ないと云ふ事柄の為と思つたらしく誰よりも一番熱心に殆ど何でも私の云ふのをすぐ賛成して呉れる母や妹やらよりも熱心に、あたり(祖父、母方の祖母、叔母)に説いてゐました。三十日の朝母の病気は心臓ではなくて神経痛が一時的に心臓に近くに起つたのだと医者が断言しました。そして母はよくなつて床の上に座れるやうになりました。とにかく出て来たのです。汽車の中で恐らくは他の土方の監督やら踏切を過ぎる音等をまどろみの中で母や妹の声に聞いたでせう。