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[164](1920年5月)保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

五六日前はお葉書を戴きましてありがたうございました

あなたの生活はますます私の想像とはちがってゐます よくちがってゐるのです 悦ぱざるを得ません しかしまた志願兵と普通の兵卒とはそれ程ちがふのですか 外見の相違よりも心内のちがひがもっと大きいのでせうな

あなたは華かな曲馬ぱかりやってゐる様にも思はれてきました とてもそんな筈のないのはよく承知してゐますが

春になりました 陸中の国もやはり花が過ぎて知らないうちにまわりはまっ青になりました

葱に華さきくるみに黄金のあかごがぶらさがり雲は険しい光を懐いて山を越えて往きます

夜はSanjiro-a no, Sugi no Adari de,
     Inu Midaya-ni
     Nagi-jyakute-rana Fuguro
               da-de-ga-na?

   三次郎の邸の杉のあたりで犬のやうに泣きじゃくってゐるのはふくろかな?といふことです

盛岡と岩手山とを想ひ出します 岩手さんよかゞやく霧山岳の柏原、いたゞきの白い空に湧き散った火花よ。

前にも書いたやうですがあの柏原の夜の中でたいまつが消えてしまひあなたとかはるがはる一生懸命そのおきを吹いた。銀河が南の雲のきれまから一寸見え沼森は微光の底に睡ってゐる。たいまつのおきはちいさな赤児のてのひらか夜の赤い華のやうに光り遠くから提灯がやって来た。

「あなたがたは紀念館などを観に行くではありませんよ」なんて出鱈目なことを云ひながら谷へはいって往った。

夜があけて黄色な真空のつめたい空にはおほとかげの雲中世代の灰色の動物が沢山うかび、
                やあもうやめます。
                      さよなら