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[159](1920年2月頃)保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

久しぶりでお便りいたします 今日はおはがきをありがたうございました あなたはお互に遠くはなれたと感じてお出でゞすか。私にはさう思はれません。はなれてゐたと云へばはじめからです。私の近状などはことさらお知らせするほどのことがないのです。もしその時々の感情をお便りするのでしたらこれもちかごろはすっかり鼠色の石の凾の中へ蔵ひ込んでありますので、尤もこれをしまってでも置かなかったら本を一頁も読めないやうな環境のなかに私が居るのですから葉書さへ書く材料がないのです。その環境とはどう云ふ風のものか少しばかりおしらせしませうか。

古い布団綿、あかがついてひやりとする子供の着物、うすぐろい質物、凍ったのれん、青色のねたみ、乾燥な計算 その他。

これからさきのことは予定はしてありますがどう変るやら。とにかく私にはとても私の家を支へ行くカがありませんので多分これは許して貰へるでせう。三十余年を私のために柄にもない商売の塵のなかに閉ぢこもりなほ私を開放しやうとする私の父に感謝いたします。

いつになったら私共がえらくなるでせうかとあなたは二様にも三様にもとれるやうな皮肉を云ってゐられますが比較的にえらくなるやうなことは考へません。外のひととくらべてといふことは私は好みません。勿論比較的劣ってゐる為でせう。