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[153](1919年8月上旬)保阪嘉内あて 封書(封筒ナシ)

御葉書ありがたう存じます。私はとてもあなたの居る中に東京へは出て行けません。けれども東京の御宿は知らせて置いて下さい。何がどうなるやら一寸さきは判りません。私共は一諸に明るい街を歩くには適しません。あなたも思ひ出された様に裾野の柏原の星あかり、銀河の砂礫のはなつひかりのなかに居て火の消えたたいまつ、夢の赤児の掌、夜の幻の華の様なたいまつを見詰めてゐるのにはいゝのですが。私は東京の明るい賑かな柳並木明滅の膠質光のなかではさびしいとしか思ひません。

博物館にはいゝ加減に褪色した哥麿の三枚続旧ニコライ堂の錆びた屋根青白い電車の火花神田の濠には霧の親類の荷船きれいななりをした支那の学生 東京は飛んで行きたい様です。飛んで行きたいのは東京ばかりではありません 岩手山などは今年の春から何返飛んで行ったことでせう 山を考へ殺してしまふのです。

石丸さんが死にました。あの人は先生のうちでは一番すきな人でした。ある日の午后私は椅子によりました。ふと心が高い方へ行きました。錫色の虚空のなかに巨きな巨きな人が横はってゐます。その人のからだは親切と静な愛とでできてゐました。私は非常にきもちがよく眼をひらいて考へて見ましたが寝てゐた人は誰かどうもわかりませんでした。次の日の新聞に石丸さんが死んだと書いてありました。私は母にその日「今日は不思議な人に遭った。」と話してゐましたので母は気味悪がり父はそんな怪しい話をするな、と云ってゐました。

石丸博士も保阪さんもみな私のなかに明滅する。みんなみんな私の中に事件が起る。

御きげん宜しく折角みんなの為にお尽し下さい。

私は今はみんなの為なんといふことはちっとも考へる様な形式を見ません。心のなかにその形式をとってあらはれて来ないといふことです。

 けれどもけれども半人がかしこくなってよろこぶならば私共は死にませう。死んでもよいではありませんか。