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[1](1910年10月1日)宮沢政次郎あて 封書


 本日御葉書拝見仕候。皆々様御無事との事誠に喜び申候。私は無事に候。九月中の決算を御報知申し候。

 入 九円 学費 宅ヨリ
 入 八十六銭 汽車賃の余。帰省汽車賃分、くつ修繕料の余。宅ヨリ
 出 一円七拾弐銭 今月中の小使。
   予算外 内、┌四拾銭 帰省汽車賃。
         └三拾銭 先学期洗濯代、)
   予算内 ピクニク(全部に非ず)と室張替と遠足代十九銭(発火演習代除き)の外は大体予算と同じ。
 出 一円拾銭 岩手山登山、網張一泊、旅行費
 出 六円八十銭 食費授業料校友会費
 計 九円六拾弐銭
 残金 二十四銭也。

  但舎を五日欠食したればその分は後に払ふべしとの事、舎の則にて欠食は二日、一日分になるとのことにつき三十銭位はこの他にもあまるべく候。

    ┌ 帰省汽車賃、洗濯代、−予算外−七拾銭
 小使 │ 岩手登山旅行費   −予算外−一円十銭
    └ 真の小使      −予算外−一円弐銭

依って岩手山登山は植物採集にも行きたく休暇の二日續きたる為網張の宿料は三十銭ばかりなりけれどその他のじゅんびの為につい一円十銭かゝり候。

同行者は嘉助さん、阿部孝さん、私とも一人、外に青柳教諭五年の人々六名にて候へき。合計十一人にて登り私共嘉助さん共四人麓の小屋に宿り三合目迄たいまつにて登りこゝにて他の柳沢にとまれる人々は追付き日の出を四合目に見頂上に上り、御鉢参りをしてそれより網張口へ下り大地ごくの噴烟の所御釜噴火口御苗代等を経て網張に至り翌日小岩井をかゝりて帰舎仕り候。

明日は発火演習にて石鳥谷迄行くによりもし都合よくば家にも帰るべく候。

又くつは九十銭かゝらず七十八銭にてラッパに頼みて修繕し貰ひ候。冬は一所に作るやう昨日五年の人と行きて頼み参り候。四日か五日には出来上るべしと云ひ候。

紫波郡不動村の先学期の同室者たる藤原健次郎君はチフスにかゝり遂に一昨日死に申し悔みを今日致し候。勿論ハガキにて。

まづは。

賢治