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毒蛾 資料

  毒蛾の発生

岩手県師範学校 鳥羽源蔵(寄)

此頃黄色の一種の蛾が皓々たる電燈の下に、集い寄って来る。朝に は室内や屋外電燈のある軒裏などに数十頭静止して居る。この蛾は 俗にドクテフといふが毒蛾と称するもので体長4、5分翅の開長1 寸2分乃至1寸5分の蛾である。雌は全体は黄色で前翅の翅端に近 く2小褐点がある。燈火に来るは多くはこの雌である。雄は前翅の 中央に弓状の白帯があつて其の内側には小点からなる太い一帯があ る。一体毒蛾の種類は多いが、今いふドクガの体には、他の蛾と異 つて普通の鱗毛の外に特殊な恐ろしい刺毛がある。顕微鏡でこの微 細な刺毛を見ると上端は三列して光下端は細針の如くなり。更にこ の毛の周囲には小さい棘が生へてある。そればかりでなくこの刺毛 は中空で内に極小の粒体を満たして居るから随分念の入つた毒毛と いはねばならぬ。毒蛾は燈火に来り乱飛すると、この特殊な刺毛が 剥脱して空中に散るから附近にゐる人々のしかも汗ばんだ皮膚に着 いては痒みと痛みとを覚え、掻けば掻く程かゆみを増し遂に腫瘍を 起すものである。毒蛾の名を得たのもそれが為めである。皮膚のよ わい婦人方や子供は大いに注意を要する。毒蛾は今突然に発生した ものでないのは無論で、これは毛虫の一種が羽化したまでゞある。 今発生したドクガは桜や苹樹や梨や薔薇その他の木に塊状に産卵し それに体毛を附して置くと、やがて孵化して小毛虫となり二三齢の 頃樹皮間に巣を営んで越冬し翌春活動して種々の植物の葉を食害す る。充分成長すると1寸許りとなり黒色に黄色を交へた顆粒列があ つて、毛束や長毛を有する毛虫となる。しかもこの虫の特形は体節 の第四、第五が隆起して曲れる様に見えるのである。この毛虫にも 蛾体と同じく微細な刺毛を備へてゐて人の皮膚に触れると、欣炎を 発せしめるものである。僕は嘗て腕上に於てこの種の毛虫を揉み潰 して塗付け実験した事があつた。付けてみるとみるみる中に皮膚に 堪えきれぬ痒さを感じ、掻けば掻くほど皮膚に沢山のボロボロが生 じこのボロボロが次第に大きくなり他のボロボロと合一して遂に一 面に腫れ上つて、非常に痒くなつた。それを鉛糖水で洗つたら痒み が去つたが、腫れた部分は翌日になつて癒えたのであつた。さてド クガの毛虫は老熟すると6月下旬から繭を造り蛹化してそれが7月 になつて羽化して蛾となる訳である。刺毛に触れて皮膚に腫瘍を生 じた時はアンモニアの希薄水を塗るか又は重炭酸曹達水の2パーセ ント液で洗ひイチオール軟膏を塗れば有効であるといはれる。

(「岩手日報」大正11年(1922年)7月17日付 掲載)

  来襲する毒蛾の群に
   全市民悩まされる
     焚火をしたり電気を消したり
     市中は引ツくり返る如な騒ぎ
       螺堂市長誘蛾燈を発明

毒蛾の襲来!数日前からこの怖るべき毒蛾の群が市内に発生して市 民を恐怖せしめてゐる、一体この毒蛾がどんな所に発生するかは未 だ詳かではないが樹木の枝や幹に卵を生みつけてゐる事は事実でそ れが大変な勢で増へて来る。ところがこの毒蛾は青森方面から輸入 せられて来たといふ説が有力な様である。それは先年秋田市を襲ひ 青森を襲つたこの毒蛾が突如今度当市を襲つて来た。然も上り列車 の車に無数に潜伏附着して来て、それが郡部の各駅にも散布されて 来た形跡がある、でこの毒蛾の黄色い毒粉が身体に附着した際又は 刺された時の治療法としては目下の処確実に奏効する薬品としも発 見されてゐないらしいが毒粉は酸性を帯たものであるからアルカリ 性の薬品を塗附すると漸次発疹が薄らいで来るといふ、で市内では この毒蛾撲滅法として門火を焚いたり電燈を消したりしてゐるが、 これとても一部分の予防法で到底徹底的に撲滅する事が不可能らし い。これには警察も市役所もいさゝか閉口してゐたが、臨機応変専 売の北田螺堂市長が一考案あり「誘蛾燈」なるものを発明した、こ れはトタン張の洗面器様のものにアルカリ性の薬品を混入しその中 に角燈を入れランプの様に点火するそれを軒端に吊して置くといふ 名案である。で昨日市長は夫々市内各総代へのこの誘蛾燈使用方を 通牒した。

  一家惣倒れ
    開業早々の
    料理店休業

毒蛾発生と共に市民の恐怖は甚だしいものであるがその為悲喜劇等 しい挿話がポツポツ発生する。市内の某料理店は新館に市の有力者 を招待し愈開業てな事になつたがまばゆいばかりの電飾を慕つた毒 蛾の大楽園の為めコツク、ボーイを始め出入の人達が皆発疹してし まひ床を並べてウンウン苦がつてゐる有様しかも開業早々なのだか ら同情に価する其他総て華やかな電燈の点ぜられる興行物などの被 害も同様らしい。

  白粉と一緒に
  塗りこめた
   本街の紅裙連

本町の銭湯にウダツて居た本街芸妓二三人、これから御座敷といふ ので精々涼しさうに御化粧をしやうといふので牡丹刷毛でポタポタ やつてゐると、来た!来た!例の黄色い毒蛾が。漂々風の流るゝ如 く飛び乍らヒヨイと白粉の中に落ちてバダバダ藻掻いた…とも知ら ぬ芸妓等が夢中で化粧して知らず知らずの内に牡丹刷毛へ毒粉をく つゝけて顔や首に塗りこめた…その儘家へ帰つていざ御座敷となる と無暗矢鱈にムツ痒く怱の内に顔から頚一面がプクプク赤くはれあ がつてしまつたので泣いたりわめいたり大騒ぎを演じたといふ実話 がある。

(「岩手日報」大正11年(1922年)7月19日付 掲載)

  昨冬の気候と寄生蜂の死が
   発生の二原因
     これから増加することなく
      死滅一方の毒蛾
         門前高農教授談

全市を襲ふた毒蛾について盛岡高等農林学校の門前教授は語る「密 集してゐる所と比較的少ない所とあるが本校の学生も随分悩まされ 繃帯までやつてゐるものがある。発生地については甲論乙駁区々の 様であるが私も所詮見当がつかぬ。先年秋田に発生したからその方 面からとも唱へられ又青森方面から汽車に潜伏して来たものとも言 はれるが秋田から直接中央山脈を越えたとは思へない。尤も千六百 何年かにはモンシロ蝶が仏国からドーバ海峡を越えて英国に無数に 渡つた事実もあるから何とも言はれないが私は考へるには、この毒 蛾は毎年ゐるのであるから去年の冬の気候が急変しないこめに幼虫 が凍死せずその結果今夏成虫が多いのではないかとも思はれる。急 に寒くなつたり又は雨が降つたり暖かくなつたりするとこの二三分 の幼虫が死んでしまふ。も一つの原因は昨年の冬昆虫につく所謂 「寄生蜂」が非常に死んだ為にすべての昆虫が多くなつたのかも知 れない。寄生蜂は一匹の毛虫つまり幼虫に二十匹から三十匹位寄生 して遂にその幼虫を殺してしまふのである。昨年の冬にこの寄生蜂 が夥しく死んだ様であるから反対にこれ等の昆虫が多く生存したの ではないかと私は思ふ。要するにこの二者か或は孰れかに起因する のではなからうかと思つてゐる。この幼虫は普通トラフケムシと呼 んでゐる。強ひて漢字に当ると虎斑毛虫となる虎の様な斑紋がある ために来た名である事は勿論である。その幼虫が林檎とか梨とかに 好んで寄り集まり葉を喰つてしまふ。バラ科の植物に限られてゐる 様である。6月末頃になると蛹になり7月の10日頃には大概蛾即 ち成虫となる。一対から数百個の卵を産卵するが既に産卵したと思 ふ。産卵すれば死ぬからこれから多くなる事は勿論なく日増跡を絶 つ事と思ふ。二十三年に黒沢尻町にこれに類した毒蛾がこれ以上に 襲ふたといふがその時は色が今度の様に黄ではなく白かつたといふ。 勿論同じ毒蛾である。却説この毒蛾がつくか又は粉が附着したと思 つたら狼狽せず強く吹くとよい。そしてその粉を吹き飛ばし然る後 水でも掛て毒粉を洗ひ落とすのが肝心だ。羽についてゐる粉は顕微 鏡に照らして見ると針のやうになつてゐるがこれが皮膚に刺さつて 痛むのである。であるから手でこすつたり又はいろいろのものを塗 附してもあまり効果はないものである」と

  毒蛾襲来で
  随所に悲喜劇
    卅年前にも同様の騒ぎ
    組惣代各町一致の陳情
       山口部長連夜退治に出陣のこと

市中は当時毒蛾の話で持切つてゐる、其筋の調査報告によれば矢幅 日詰訪問並に小岩井附近等既に数カ所の汽車沿道へも溺曼してゐる らしい。当市に毒蛾が襲来したのは三十年来の出来事であるが某老 総代の談に依れば「左様、今から三十余年前にも斯うした騒ぎがあ りました。その巣窟は盛岡城址であつたやうです。種類は今回と同 様の黄色の奴と白色の蛾であつて昼の内は城址の叢に隠れてゐて夜 分になると群を為し主として内丸の一帯を襲ふたものです。時の県 令石井省一郎さんは之が駆除策として被害地に焚き火を命じ夜々篝 火は天を焦がす物々しサでした。が時候は今回よりも少し遅れて居 つたやうです。毒蛾の恐怖に脅える市中の人達は軈ては疫病でも流 行する前兆ではあるまいたとの不安さえ抱いてゐる模様ですが前回 の例では左様の事は経験致しませぬ。毒蛾の襲来は気候の関係も無 論の事大いに影響があるでせうけれど什うやら渡り鳥らしく長い事 は無いでせう。之が駆除法としてはその昔経験した結果に見るも最 も有効なのは焚火であるらしい。但し同じ焚火でも現在盛岡でやつ てるやうな各町区々の遣り方では効果が薄く仲には此の誘蛾法に依 つて却つて蛾群の襲来を受大迷惑を蒙る箇所すらあるやうです。」 と語つてゐたが五六名の同意見を持つ総代と共に昨朝市街を訪ふて 各町の協同一致に就いて配慮を乞ふ旨陳情して罷り退つて……名物 男で通つてゐる奥田柔道師範役は最初新馬町がイの一番に襲はれた 当時から撲滅宣伝に大童で昨今は板コに蝋燭を四本立てた誘蛾燈を 拵へて例の奇声を発し乍ら持ち廻はる努力や嘉すべしである、何ご とにも挙町一致といふ仙北町三町は街燈を一斉に滅して焚き火をや り稗貫郡花巻町でも一昨夜から昨晩に掛全町を挙げて同様の一大駆 除法を敢行した、何しろその毒粉の怖るべき事には団扇の風で送ら れる肉眼で見えぬ奴でも優に発疹し折角ご御亭主を煽いで呉れて最 愛の良人の御面相を台無しにした例や又煽風機を珍重する一坐の会 社員が識らず知らず毒粉浴をして居つたなどの悲喜劇が随所に繰返 され湯治に行く者、病院へ駆け込む者ロマンスは枚挙に遑無く態々 花巻から赤十字病院へやつて来た婦人もあつたが衛生展覧会ソツク リの症状であつたから戦慄したもの無理は無い、警察部から各署に 向け該被害の調査を命じ学務課からは児童へ注意を促すやうにとの 通牒が発せられる、イヤハヤ流感以上の騒ぎだ……警察部長山口織 之進氏は毒蛾の退治にも天晴れ山口式を発揮して呉れんとて一昨夜 は本街に初陣の「消燈!」の号令一下街燈のスヰッチをひねらせ親 しく篝火の監視をして廻はり猶ドコまでも献身的な部長は自らを毒 粉の試験動物に供し頚のまはりを腫らして見て始めてその怖るべき 毒素を体験され昨夜は肴町に出勤して訓練ある駆除法を実施して成 績を挙げたが警察部長の威容も奥田流の気合も猛悪なる毒蛾に対し ては効果が無く前述の直接行動で以て徐々に帰服せしめてゐる

  各学校に注意
   毒蛾に関し

毒蛾襲来について学務課にては県下各学校に対しこれが注意時候を 発したり

(「岩手日報」大正11年(1922年)7月20日付 掲載)

  毒蛾研究に
   防疫官
    近く来盛

全市民を悩ました毒蛾も昨夜の濛々たる焚火に余程死滅したやうだ が未だ街によつては沢山ゐる所もあり害毒を被つた者も可成ある。 駆除に付て県警察部では極力督励を加へ各署状況報告を取つてゐる。 又県の報告に接した内務省でも捨置く訳にもゆかず。是非研究して 見なければならないと内野防疫官を派遣することに決した由で昨日 其旨山口警察部長に入電があつた。

(「岩手日報」大正11年(1922年)7月21日付 掲載)

  帝大から宮村医学士が
   毒蛾研究に来た
    山口部長の懇請を容れ
     一週間滞在して無料診察

数日間当市並に近在の住民を悩ました例の毒蛾も余程死滅らしいが 処に依つては未だ可成りゐる処もあり町では今も焚き火をやつてゐ る、此の毒蛾研究に内務省では特に防疫官を本県に派遣する筈であ つたが帝大に以来し潮衛生局長の紹介で東京帝国大学医学部皮膚科 の医学士宮村利一氏が昨日来県し県庁に山口警察部長を訪問して発 生当時から今日迄の状況並に被害状況を聴き取り夫から毒蛾を十数 匹採集して一旦宿(三島屋)に引上直ちに帰京する予定であつた所 山口部長の切なる願ひにより試験の結果を当市に於て発表すること ゝし午後から県の衛生試験所に於て動物試験に着手した。右に就い て山口部長は語る「折角来て貰つたのだから試験の結果は是非共当 市に於て公表して貰す広く県人に知らせたいと思つて願いんつた訳 で特に一週間だけ滞在して貰ふことゝした、そして滞盛中は毎日午 前九時から午後四時頃まで試験場仮事務所内(内丸工業試験場構内) で一般患者に対して無料診察することにして貰つたから害を被つて ゐる人は何人でもいゝ自由に行つて診察して貰ひたい」

(「岩手日報」大正11年(1922年)7月23日付 掲載)