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三六八

種山ヶ原(下書稿一)

一九二五、七、一九、

     パート一

〔三字不明〕に朝日が融けて
〔五、六字不明〕ぎらぎらひかり
靴もずぼんも露でいっぱい
〔数文字不明〕ながれる
   ……旋る気海のタスカロラ
     第九カルバの朝の風……
谷の底にはまだ融けのこるパラフィンの霧
〔三字不明〕萱の斜面には
こっちの影が巨きく落ちてうごいてゐる
   ……後光も白く映らば映れ
     修羅のかたちであるかばあるけ……
じつにわたくしはせさコロラドの高原の
白羽を装ふ原始の射手のやうに
検土杖や図板をもって
ひとり朝早く発って来たので
この尾根みちの日の出にかけて
幾へん鳥を飛び立たせたかわからない
   ……羊歯とアイリス
     谷いっぱいに虫がガラスを軋らせる
     谷にゐるのは虫ではなくてみんな鳥だ……
さうさう
わたくしはあのしろい麺麭を
あざみの花の露にぬらしてたべながら行かう
あざみの花はここではみんな桃いろだ
花青素アントケアンは一つ立派な指示薬だから
その赤いのは細胞液の酸性により
ここらがもしもきまった〔約六字不明〕ば
こゝらの尾根もやっぱり塩〔三字不明〕てゐるのだ
   ……露にぬらしてたべながら行かう……
どこからか葡萄のかほりがながれてくる
それは土耳古玉の天椀のへり
谷の向ふの草地の上だ
月光いろに盛りあがる
幾群の年経た栗の梢から
風にとかされきれいなかげらふになって
   ……匂ある風は
     匂ない風より光るのだから……
幾すじも幾すじも
こゝらの尾根を通ってゐるのだ
   ……ぼそぼそ燃えるアイリスの花……

     パート二

わたくしはこのうつくしい山上の野原を通りながら
日光のなかに濃艶な紫いろに燃えてゐる
かきつばたの花をなんぼんとなく折ってきた
じつにわたくしはひそまる土耳古の天の下の
ひとりの貪婪なカリフであらう
それはなるべく〔数文字不明〕
華麗な花を奪ひあつめて来たのだから、
且つはいくたびこのなだらかな高原を刺し
その黒褐の腐植の量や表土の深さを記録して
勝利に酔ったひとりのカリフでわたくしはある
いまわたくしは胸にもあまる花をいだいて
このせい低いはんの木立のなかに来た
ここはつめたい亜鉛の陰影と
くちなしいろの若羊歯の氈
苔もゆたかにしめってゐるし
恐らく瓣の燃え尽きるまでは
花の品位は保たれやう
   ……かくこうがいきなり上を叫んで通る……
いまわたくしはこれらの青い蝋や絹からつくられた
靱ふ花軸をいちいちにとり
あの噴泉を中心にして やがてはこゝに
数箇の円い放射部落を形成して
そのうつくしい双の花蓋を
きららかな南の風にそよがせるなら
   ……かくこうよ何を恐れてさうけたたましく啼き過ぎるの
      か……
   はんのきは黒い実をつけ
   その実は青いランプをつるし
   草には淡い百合を咲かせる
    ……蜂は梢を出没し……
   向ふではせんの木の〔一字不明〕が
   踊りのやうにゆれてゐて
   せはしく苔や草をわたる
   朝の熊蜂の群もある
あゝわたくしはいつか小さな童話の城を築いてゐた
何たる貪婪なカリフでわたくしはあらう
   ……寂かな黄金のその蕋と
     聖らかな異教徒たちの安息日……
わたくしはこの数片の罪を記録して
風や青ぞらに懺悔しなければならない

     パート三

この高原の残丘モナドノックス
こここそその種山の尖端だ
炭酸や雨あらゆる試薬に溶け残り
苔から白く装はれた
アルペン農の夏のウィーゼのいちばん終りの露岩である
わたくしはこの巨大な地殻の冷え堅まった動脈に
槌を加へて検べやう
おゝ角閃岩斜長石 暗い石基と班晶と
まさしく閃緑はん岩である
じつにわたくしはこの高地の
頑強に浸食に抵抗したその形跡から
古い地質図の古生界に疑をもってゐた
そして前江刺の方から登ったときは
雲が深くて草穂は高く
牧路は風の通った痕と
あるかないかにもつれてゐて
あの傾斜儀の青い磁針は
幾度もぐらぐら方位を変へた
今日こそはこのよく拭はれた朝ぞらの下
そのはん岩の大きな突起の上に立ち
なだらかな準平原や河谷に澱む暗い霧
北はけはしいあの死火山の浅葱まで
天に接する陸の波
イーハトヴ県を展望する
いま姥石の放牧場が
緑青いろの雲の影から生れ出る
そこにおゝ幾百の褐や白
馬があつまりうごいてゐる
かげらふにきらきらゆれてうこいてゐる
食塩をやらうと集めたところにちがひない
しっぽをふったり胸をぶるっとひきつらせたり
それであんなにひかるのだ
起伏をはしる緑のどてのうつくしさ
ヴァンダイク褐にふちどられ
あちこちくっきりまがるのは
この高原が
十数枚のトランプのあおいカードだからだ
   ……蜂がぶんぶん飛びめぐる……
海の縞のやうに幾層ながれる山稜と
しづかにしづかにふくらみ沈む天末線
あゝ何もかももうみんな透明だ
雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに
風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ
   ……蜂はどいつもみんな小さなオルガンだ……

     パート四

たくさんの藍燈で照明された
掬やいたやの巨きな青い緑廊パーゴラ
水はつめたく渉ってくる
照明の下ではレンズになってほのほをあげ
またプリズムが虹や反射の光を射たり
陰影では石油に変ったり
たのしくたのしくこの谷水はながれてくる
わたくしはこの恐ろしく明るい幾層楼を
月長石の天に掲げる樹の下で
その白い折帯皺をふみ
清冽な液体を口にふくみ
熱いまなこをひやして行かう
   ……青い花青い花まぶたに燃える
     あのすげなくも奪ひあつめた
     イリスの花の像である……
   水には魚のひれのかたちの皺もあって
   底の砂にもうつってゐる
   ……イリスの花が
     みんなまっ赤〔数文字不明〕る……
ひぐらしもなき
冠毛もとび
にぎやかな七月のひるまになった
〔一行不明〕
〔一行不明〕
〔一行不明〕
〔数文字不明〕おれはいまゝで
〔数文字不明〕房の付かない着物など着たことはない
まっ青に〔以下不明〕
そらは〔以下不明〕
雲もひかってかけちがひ〔以下不明〕
   ……アイリスアイリス
     いまアイリスの赤い火は
     みんな熟した苹果にかはる……
苹果青の草地に
あちこちならぶこんな巨きな栗の木を
設計された果樹園だと
たゞいましがたどこかで誰かゞしらべてゐた