-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第952号--2017.05.20------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「春と修羅第二集(5)」「〔甘藍の球は弾けて〕」

-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
-〔話題〕---------------------------------------------------
「晴天恣意」
------------------------------------------------------------

 3月25日の水沢行きでの最後の作品が「晴天恣意」です。

 水沢には当時、「臨時緯度観測所」が置かれていて、国際的な協
定に基づく天体観測をしていました。この施設は今も存続し、国立
天文台の一部になっています。

 ここには以前、宮沢賢治学会から連れて行ってもらいました。見
学に行くと、巨大なパラボラアンテナがあり、広域の電波望遠鏡を
構成しているのだそうです。

 緯度観測所の草創期の所長である木村栄博士は自ら天体の緯度計
測に取り組み、有名なZ項を発見したことで知られています。

 今も構内に「木村記念館」があり、往時の「天頂儀」も展示され
ています。

 賢治は専門的に天体を研究・観測していたわけではないので、本
来はここには用がないはずですが、当時この観測所で、気象観測も
行い、天気予報も出していたので、気象のことを知りたくて訪問し
たようです。

 もちろん天体観測にも興味を持っていて、天頂儀を覗かせてもら
ったりもしたのでしょう。

 この作品が書かれた1924年は全国的に旱魃の年になりました。ま
だ3月ですから早すぎるような気もしますが、賢治は気候の中に旱
魃の兆候を見付けていたのでしょうか。

 冒頭に「冬の積雲」の描写が出てきますが、後の「毘沙門天の宝
庫」に出てくる積乱雲に通じるものがありそうです。

 ただし、この時期の作品全体を見ると、賢治の農業への関心はま
だそれほど高くないので、ちょっと考えすぎかもしれません。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

「晴天恣意」の創作
1924(大正13)年3月25日
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/h4/19240325.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 『春と修羅』第二集の中に「晴天恣意」と題された詩があります。
賢治は3月23日に農学校の卒業生を送りだしたあと、翌24日より鱒
沢、五輪峠、人首、水沢と歩き、人首では林業指導を、また水沢で
は緯度観測所に立ち寄っています。

 下書き稿(一)には「(水沢臨時緯度観測所にて)」、下書稿(二)
には「(水沢緯度観測所にて)」と傍題がつけられていた経緯があ
るとおり、当時賢治の最も身近にあった天体観測所として水沢緯度
観測所が登場しています。

 童話「銀河鉄道の夜」を読んだあとに、この詩のほぼ最初の部分
を読むと、何か 気にかかる部分があるはずです。「銀河鉄道の夜」
に登場する『天気輪の柱』との共通性です。このことは従来から研
究者により指摘されていた部分ですが、「五輪」と「天気輪」、ま
た「白く巨きな仏頂体が立ちますと」と、柱が立ちががるような記
述、そして「ひとたびそれを異の空間の 高貴な塔とも愕ろきます
が」と別な世界への入り口とも思える表現....、賢治はこの時『天
気輪の柱』のイメージをすでに思い描いていたかのようです。

 「雲量計の横線を ひるの十四の星も截り」と書かれていますが、
下書稿(一)では「天頂儀の蜘蛛線を」と書かれていました。これは、
水沢緯度観測所に立ち寄った際に、天頂儀を見学し、その時の印象
を詠んだ部分です。文章の流れから星を測定するのであれば、雲量
計ではなく、下書稿(一)に書かれているとおり、「天頂儀」が正し
いことになります。

 天頂儀とは、子午儀、子午環などと共に星の正確な位置を測定す
ることを目的とした、主に天頂付近の恒星の位置を測定する望遠鏡
です。

 では、「雲量計」とは何か....? 草下英明著「宮澤賢治と星」
の中で「『晴天恣意』への疑問」補註として、須川力(前緯度観測
所長)著「星の世界 宮沢賢治とともに」を引用し、解説されてい
ます。それによると、緯度観測所構内に「櫛形測雲計」という設備
があり、実際には雲量を眼視する際の範囲や方向の目安にする器具
で、雲量計ではないが、それを「雲量計」として速断したらしいと
の説明があります。

 「星の世界 宮沢賢治とともに」の中では、次の「ひるの十四の
星も截り」について、当時の観測所で一晩に観察する恒星の数は原
則として24星であり、それを賢治が誤って14と思い込んでいたので
はないか、と説明しています。

 天頂儀による実際の観測方法は、望遠鏡の視野にある十字線(十
字線は賢治が書いたとおり蜘蛛の糸でできている)を、星が横切る
時間を正確に測定するという簡単なものです。

 従って「アンドロメダの連星も しづかに過ぎるとおもはれる」
というのは、望遠鏡の視野の十字線の上を「アンドロメダの連星も
静かに通りすぎていると思われる」という賢治の推測によるものと
考えられます。(但し、ただ単に星が通過するという立場からする
と、別に天頂儀である必要性はなく、賢治のいう「雲量計」であっ
ても なんら問題はないと須川氏も述べています。)

 下の写真は、賢治が観測所を訪問した当時の天頂儀です。1899年
に眼視天頂儀室に おさめられたものです。

 「アンドロメダの連星」とは、アンドロメダ座の有名な二重星の
「アルマク」(アンドロメダ座γ星)のことでしょう。この星は吉
田源治郎著「肉眼に見える星の研究」にも「アルマクは、距離十秒
を隔てた三等星の黄星と、五等星の青星から成る、周期五十年の美
しい連星であります。」と紹介されています。また、下書稿(一)で
は、この星を「わたくしの夏の恋人、あの連星も」と書いているの
も興味深いです。賢治はこの星をどこかできっと覗かせてもらって
いたことでしょう。

 「ふたゝび陰気な扉を排して あのくしゃくしゃな数字の前にか
ゞみ込まうとしますのです」、これも一見意味不明と思われるしぐ
さですが、「星の世界 宮沢賢治とともに」のなかの考証によると、

「ふたゝび陰気な扉を排して」眼視天頂儀室に入り込み、        

「あのくしゃくしゃな数字」の書かれた観測帳の置いてある、回転
椅子に 

「かゞみ込まうとしますのです」                   

と説明がつくといいます。これは驚きですね。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

月光天文台
https://goo.gl/JJCBuj
(http://www.gekkou.or.jp/)

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 これは眼視天頂儀と呼ばれる光学観測器具(左写真)で、天頂を通
過する星を記録し、その星の座標から、最終的には何日も続けて観
測して、地球の自転軸の傾きを高精度を求めていきます。それが、
緯度観測所の設置の意義であり、目的でもある訳です。右写真は、
所長室を奥の通路側出入り口の位置より見た画像です。

 緯度観測所の設置に至るまで、また木村博士がどの様に観測して
結果を出していったのか、簡単に歴史を振り返ってみます。

 1898年にドイツ・シュトゥットガルトにて、万国測地学協会が開
催され、地球の自転軸の傾きを精密に測ることが提唱され、経度を
6等分した位置に観測所を設置することとなり、日本国内では、水
沢が指定されます。

 当時弱冠29歳の木村栄博士が緯度観測所室長の任を与えられ、当
時は野原だった水沢に観測所を設置、地球の自転軸の揺らぎを恒星
の位置観測から測る事業に取り組むこととなりました。

 日本は、それまでに度量衡に関わるような国際共同観測を行なっ
たことがなく、ドイツ製の天頂儀を導入するにあたっては観測もド
イツ人技師に任せるべき、との意見があったもののそれは退けられ、
日本人が自ら観測することになりました。

 こうした、天頂儀を使った恒星の位置測定には根気が必要です。
ましてや、水沢の緯度観測所の周囲は原野であり、とても寂しい場
所でした。冬場は、非常に冷える環境での観測だったはず。

 そうして観測した結果をドイツ・ポツダムにある万国測地学協会
中央局に送ったものの、他の観測所(米国・欧州・ロシアなど)の
データとのずれが大きく、「日本の観測だけが誤差が大きく、理論
値から外れる」との非難を浴びるに至ります。

 緯度計測値は、以下の式から求められるとされています。

Δφ = X cosλ + Y sinλ

(ただし、XとYは時間の関数、λ(ラムダ)は観測所の経度、Δφが
緯度)

 この数式で、木村博士の計測結果が合わず、日本のデータの質の
悪さからデータ整理時にその重みを半分とする、との通達がありま
した。

 この決定には、当時の日本政府のみならず、観測結果に対する責
任を持つ立場の木村博士も相当に苦悩したようです。なぜこのよう
なデータとなるのか?観測装置や観測施設の入念な再点検を行ない、
誤差の原因を突き止めようとするも、なかなか究明には至りません。

 木村博士は観測機器だけでなく、大気の状態も入念に確かめて観
測を行ない、万全を期した観測を積み重ねていくうちに得られたデ
ータに間違いはない、との確信を深めていくことになります。

 転機は、意外なところから訪れます。

 木村博士はテニスが得意で、レクリエーションとして観測所の職
員たちとテニスをし、コートから自室に戻って机の引き出しを開こ
うとした時にひらめきを得ました。それまでに知られていた等式に、
観測施設の経度に依らないz項を加えれば、観測のずれを説明でき
ることに気がついたのです。

 新しい等式は以下の通りです。

Δφ = X cosλ + Y sinλ + z

 データの緯度変化に対応するずれを説明するz項(木村項とも)の
発見は1901年、木村博士はそれを論文にまとめ、1902年に発表され
ます。z項による観測値のずれは水沢のみならず、他の観測所での
ずれも見事に説明することが証明され、共同観測の期間延長とポツ
ダム中央局のz項採用が決定されます(1903年)。

 水沢観測所のデータの重みも、0.5と世界最低だったものが1905
年以降には世界最高の1.3にまで引き上げられ、1922年には水沢緯
度観測所が国際共同緯度観測所の中央局に認定されるという、最高
の栄誉を与えられることになりました。

 水沢には、このz項発見の功績を称えるべく、zを付けた名称の施
設や団体が存在します。奥州市文化会館は「zホール」ですし、YAC
の水沢分団は「z分団」という名称です。

 では、z項の正体とは何か?

 木村博士自身はz項の機構を解明できませんでしたが、1970年に
若生康二郎先生が流体核共鳴の影響としてz項の説明をしています。
つまり、地球内部が熔けており、長い時間スケールでは地球内部が
流体として振舞うため、それによるふらつきで自転軸が揺らぐ、と
いうものです。

 こうした、地球内部の状態を推定するのはプレートテクトニクス
運動の元となる地球深奥部のマントル対流や、地球の重力場異常の
研究にも繋がります。水沢観測所にVERA(銀河系内の星の位置を精
密決定し、銀河の星の地図を作る)観測施設が作られたこと、或い
は月・惑星探査で天体の地形や重力場異常を測定するRISEといった
研究機関が存在するのも、木村 栄先生や若生 康二郎先生の研究活
動にルーツを求めることができる、ということになります。

 RISEが開発した観測機器は、主として月・惑星の重力場測定や地
形形状の精密決定するための装置が主で、『はやぶさ』(2003-2010)
『かぐや』(2007-2009)『はやぶさ2』(2015-)といった、小惑星探
査機や月探査機に搭載されています。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

-〔春と修羅第二集(005)〕----------------------------------

「晴天恣意」

------------------------------------------------------------
(本文=下書稿2推敲後)
------------------------------------------------------------
一九
     晴天恣意
                    一九二四、三、二五、

つめたくうららかな蒼穹のはて
五輪峠の上のあたりに
白く巨きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
ひとたびそれを異の空間の
高貴な塔とも愕ろきますが
畢竟あれは水と空気の散乱系
冬には稀な高くまばゆい積雲です
とは云へそれは再考すれば
やはり同じい大塔婆
いたゞき八千尺にも充ちる
光厳浄の構成です
あの天末の青らむま下
きらゝに氷と雪とを鎧ひ
樹や石塚の数をもち
石灰、粘板、砂岩の層と、
花崗班糲、蛇紋の諸岩、
堅く結んだ準平原は、
まこと地輪の外ならず、
水風輪は云はずもあれ、
白くまばゆい光と熱、
電、磁、その他の勢力は
アレニウスをば俟たずして
たれか火輪をうたがはん
もし空輪を云ふべくば
これら総じて真空の
その顕現を越えませぬ
斯くてひとたびこの構成は
五輪の塔と称すべく
秘奥は更に二義あって
いまはその名もはゞかるべき
高貴の塔でもありますので
もしも誰かゞその樹を伐り
あるひは塚をはたけにひらき
乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと
かういふ青く無風の日なか
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人は連れ行かれ
見えない数個の手によって
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
槍でづぶづぶ刺されたり
頭や胸をし潰されて
醒めてははげしい病気になると
さうひとびとはいまも信じて恐れます
さてそのことはとにかくに
雲量計の横線を
ひるの十四の星も截り
アンドロメダの連星も
しづかに過ぎるとおもはれる
そんなにもうるほひかゞやく
碧瑠璃の天でもありますので
いまやわたくしのまなこも冴え
ふたゝび陰気なドアを排して
あのくしゃくしゃの数字の前に
かゞみ込まうとしますのです

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------
一九
     晴天恣意
       (水沢緯度観測所にて)
                    一九二四、三、二五、

つめたくうららかな蒼穹のはて
種山ヶ原の右肩あたりに
白く巨きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
ひとたびそれを異の空間の
秘密な塔とも愕ろきますが
畢竟あれは水と空気の散乱系
まばゆい冬の積雲です
とは云へそれは誰にとってもそれだけだとも云へませぬ
あの天末の青らむま下
きらゝに氷と雪とを鎧ふ
古生山地の谷々は
おのおのにみな由緒ある樹や石塚をもち
もしもみだりにその樹を伐り
あるひは塚をはたけにひらき
乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと
かういふ青く無風の日なか
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人は連れ行かれ
見えない数個の手によって
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
槍でづぶづぶ刺されたり
頭や胸をし潰されて
醒めてははげしい病気になると
さうひとびとはいまも信じて恐れます
さてわたくしに見えないながら
雲量計の横線を
ひるの十四の星も截り
アンドロメダの連星も
しづかに過ぎるとおもはれる
そんなにもうるほひかゞやく
碧瑠璃の天でもありますので
いまやわたくしのまなこも冴え
ふたゝび陰気なドアを排して
あのくしゃくしゃの数字の前に
かゞみ込まうとするのです

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------
一九
     晴天恣意
       (水沢臨時緯度観測所にて)
                    一九二四、三、二五、

つめたくうららかな蒼穹のはて、
種山ヶ原の右肩あたりに、
白く巨きな仏頂状の、
円錐体が立ちますと、
数字につかれたわたくしの眼は、
ひとたびそれを異の空間の、
秘密な塔とも愕ろきますが、
畢竟あれは
まばゆい霧の散乱体
希なる冬の積雲です
とは云へそれは
誰にとってもそれだけだとも云へませぬ
あの天末の青らむま下
きららに氷と雪とを鎧ふ
古生山地の峯や尾根
盆地やすべての谷々には
おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり
めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ
もしもみだりにその樹を伐り
あるひは塚を畑にひらき
乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと
さてもかういふ無風の日中
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人はつれ行かれ
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
見えない数個の手によって
槍でづぶづぶ刺されたり
おしひしがれたりするのだと
さうあすこでは云ふのです。
さて天頂儀の蜘蛛線を
ひるの十四の星も截り、
わたくしの夏の恋人、あの連星もしづかに過ぎると思はれる
そんなにうるほひかゞやく
碧瑠璃の天でありますので
いまやわたくしのまなこも冴え
熱した額もさめまして
ふたゝび暗いドアを排して
数字の前にまた身を屈するつもりです

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------
一九
     晴天恣意
                    一九二四、三、二五、

つめたくうららかな蒼穹のはて、
原体山の右肩あたりに、
巨きな白い円錐ができて
数字につかれたわたくしの眼は
ひとたびそれを気層の外にかくされてゐた
秘密な死火山かともおどろきますが
畢竟あれは
葡萄状した界面をもつ、
空気と水の二相系、
つめたい冬の積雲です、
そこにはしかしかういふことも起ります
あの天末の青らむあたり
きららに氷と雪とを鎧ふ
古生山地の峯や尾根
盆地とあらゆる谷々には
由緒ある塚や巨きな樹があって
めいめいにみな鬼神が棲むと伝へられ
もしも誰かゞその樹を伐り
あるひは塚を畑にひらき
乃至はあんまりイリスの花をとりますと
かういふ無風の青ぞらの下
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人はつれ行かれ
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
見えない多くの手によって
づぶづぶはりつけにされるのです
いま天頂儀の蜘蛛線を
ひるの十四の星が截り
そんなにうるほひかゞやく
碧瑠璃の天であります

------------------------------------------------------------
-〔文語詩稿未定稿(032)〕----------------------------------
------------------------------------------------------------
(本文=下書稿推敲後2)
------------------------------------------------------------

     〔甘藍の球は弾けて〕

甘藍の球は弾けて
青ぞらに白雲の房

呑屋より二人の馬丁
よろめきてあらはれ出づる

------------------------------------------------------------
(下書稿推敲後1)
------------------------------------------------------------

監獄の機場にをさの音しげく
風は雄杉のしんをまげたり

甘藍の球は弾けて
青ぞらに白雲の房

副官は塀うちよぎり
首かしげ 馬を緩むる

そのときに二人の馬丁
呑屋よりうち出でにけり

------------------------------------------------------------
(下書稿推敲前)
------------------------------------------------------------

監獄の機場の上のガラス屋根
うるほひながら青びかり
風は雄杉のしんをまげたり

ときに青ぞらのぞき出て
騎兵聨隊のラリックスより
二人の馬丁立ち出でにけり

--〔後記〕--------------------------------------------------

 水沢の天文台の話で思い出しましたが、宮沢賢治学会からずいぶ
んたくさんの場所に連れて行ってもらいました。初めて行ったのは
種山ヶ原で、小岩井農場、岩手公園、成島毘沙門天なども行きまし
た。これでも企画された半分も行っていないのですが。

 今年は9月に何とか行きたいと思っていますが、このところ調子
がよくないので、ちょっと微妙です。抗ガン剤治療もなかなか大変
だと感じている今日このごろです。

------------------------------------------------------------
-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--通巻--952号---------- e-mail why@kenji.ne.jp--------------
--発行--渡辺--宏------- URL http://why.kenji.ne.jp/
------------------------------------------------------------
 購読者数970名です。ご購読ありがとうございます。
------------------------------------------------------------
私あてのメールのあて先は、
why@kenji.ne.jp
私のホームページ(宮沢賢治童話館、全詩篇など)は
http://why.kenji.ne.jp/ です。
バックナンバーもすべて、このページで読めます。
【まぐまぐ】
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
マガジンIDは10987です。
このメールマガジンの登録や解除は
http://why.kenji.ne.jp/ です。
=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/