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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第951号--2017.05.13------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「春と修羅第二集(4)」「〔鷺はひかりのそらに餓ゑ〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「丘陵地を過ぎる」「人首町」
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 今回掲載している二篇は、前回の五輪峠から水沢までの道中の作
です。前者は「丘陵地」という題で『銅鑼』に発表されています。

 五輪峠を下りてくると、種山ヶ原からの道と合流しますが、その
あたりが「人首(ひとかべ)町」で、今は奥州市江刺区米里という
地名だそうです。

 坂上田村麻呂の伝説で有名な悪路王の息子が人首丸といい、その
人首丸が隠れていたという伝説があるのだそうです。

 最近は悪路王=エミシの英雄アテルイとして、坂上田村麻呂を侵
略者とする考えが幅をきかせていますが、賢治の詩「原体剣舞連」
などでもあるとおり、現地の伝説では悪路王はあくまで悪者で、そ
れを坂上田村麻呂が成敗したことになっています。

 以下は以前に紹介した「達谷窟毘沙門堂縁起」です。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

■達谷窟毘沙門堂縁起

 およそ1200年の昔、惡路王・赤頭・高丸等の蝦夷がこの窟に
塞を構え、良民を苦しめ女子供を掠める等乱暴な振舞いが多く、国
府もこれを抑える事が出来なくなった。そこで桓武天皇は坂上田村
麻呂公を征夷大將軍に命じ、蝦夷征伐の勅を下された。

 対する惡路王等は達谷窟より3000余りの賊徒を率い駿河国清
見関まで進んだが、大將軍が京を発するの報せを聞くと、武威を恐
れ窟に引き返し守りを固めた。延暦20年(801年)大將軍は窟
に篭る蝦夷を激戦の末打ち破り、惡路王・赤頭・高丸の首を刎ね、
遂に蝦夷を平定した。大將軍は、戦勝は毘沙門天の御加護と感じ、
その御礼に京の清水の舞台造りを真似て九間四面の精舎を建て、1
08躰の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として窟毘沙門堂と名
付けた。そして延暦21年(802年)には別當寺として達谷西光
寺を創建し、奥眞上人を開基として東西三十余里、南北二重余里の
広大な寺領を定めた。

 降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願の
為寺領を寄進し、奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公が七堂伽藍を
建立したと伝えられる。文治5年(1189年)源頼朝公が奥州合
戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されて
いる。大火・兵火により過去何度か焼失するが、その度直ちに再建
される。その際岩に守られた毘沙門堂は焼失を免れていたが、昭和
21年隣家の出火により毘沙門堂が全焼。ご本尊以下二十数躰のみ
救い出すことが出来た。昭和36年に再建された現堂は創建以来5
代目となる。

■征夷大將軍坂上田村麻呂公を顕彰する

 この頃達谷窟毘沙門堂の縁起が中央寄りであるとか、甚だしきは
書き換えるべきであると言う人が来る。

 彼等は征夷大將軍坂上田村麻呂公は中央からの侵略者、惡路王こ
そそれに抗した英雄(何時から英雄になったか知らぬが)と看てお
る。そこでは当時のみちのくこそがこの世の楽土で蝦夷こそが我祖
先との考えがあり、惡路王は奪われる側で善、大將軍は奪うもので
悪という単純な区分がなされているがこれは可笑しい。達谷に伝わ
る「籠姫」や「姫待瀧」「髢石」等の伝説では奪うものこそ惡路王
であり、奪われる側を救う者が大將軍なのである。昔から奪われる
側であった民草は救う者に心を寄せていたのだ。

 東北には慈覺大師の伝説が多いが、これは天台の僧によるものだ
ろう。しかし大將軍の伝説には特定の宗教の気配は薄い。蝦夷を征
伐し佛教を拡め、みちのくを鎮めた恩人に対する思慕が多くの英雄
伝説を残し、文学や芸能として花開いたと考えるべきである。当に
大將軍こそが東北古代史の英雄であろう。然もなくば大將軍創建を
伝える社寺(多くは小さな祠)がこれほど多い理由を何と説明する
のか。もし知らぬ間にこれらの社寺で大將軍創建の縁起が書き換え
られているとしたならば、これこそ我々の先祖の信仰を侮辱し、歴
史と文化を否定することに他ならないではないか。

 達谷窟毘沙門堂は大將軍と惡路王伝説の発祥地であり、大將軍創
建の精舎であることを何よりの誇りとし、日夜心をこめ「南無田村
大將軍」と唱えている。如何なる非難を受けようとも縁起を書き改
めるつもりはない。社寺にとって縁起とは思想ではなく信仰なので
ある。来たる平成13年こそ征夷1200年。そして創建1200
年の記念すべき年となる。心から蝦夷征伐と毘沙門堂創建を祝い、
重ねて大將軍の事跡を多いに顕彰したいと考える。

「南無田村大將軍」

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 成島の毘沙門天も田村麻呂の創建だそうですが、奥州は伝説の積
み重なりが深い地方だと改めて思います。

 そして宮沢賢治作品もまた、そこに伝統として残っていくことに
なるのでしょう。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

宮沢賢治と人首
http://www.kenji-kaido.jp/hitokabe/index.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 人首(現奥州市江刺区米里)は歴史深い土地柄です。北の明神山
から、東の大森山、物見山、烏堂山は、それぞれ坂上田村麻呂と関
連ある史跡や、言い伝えのある山々です。その中で大森山は、田村
麻呂軍と蝦夷軍の最後の攻防地で、地名の由来ともなった人首丸
(悪路王の弟の大武丸の子)の墓があり、言わばこの一帯は古代史
エリアになります。

 またそれらに五輪峠が加われば、広大な蛇紋岩及び班糲岩層地帯
となり、特に種山高原の麓の古歌葉周辺から伊手の口沢にかけての
山間部は、金・銀・銅・鉄鉱等の有用鉱物の埋蔵が豊富で、平泉藤
原氏時代から採掘され、その後の江刺の鉱山業発展の源ともなって
おります。

 その中心部を、東西に走り抜けるのが盛(さかり)街道ですが、
それは一方の五輪街道と共に、古くから内陸と三陸を結ぶ重要な交
通路として発達してきました。人首町はちょうどその分岐点に当り
ます。

 慶長11年(1606)、沼辺氏が現宮城県から地頭職として移封され、
人首川沿いの地形を活かしての町づくりが始まり、現在の町並みの
原形が完成したのは明和3年(1766)と伝えられます。伊達と南部
の藩境として要所に位置し、また盛や五輪街道との関係から、常に
旅人の往来が激しく、その頃に宿場町としての基盤が形成されまし
た。

 その後、人首町が最も繁栄したのは、大正から昭和初期にかけて
のことです。明治30年に岩手の八県道のひとつとして盛街道が認定
され、そこに一時的ながらも栗木鉄山の隆盛や、またカトリック教
会とハリストス正教会(ロシア正教)の二つの教会の出現などが影
響し、その繁栄ぶりは昭和初年に作成された「米里名所絵葉書」等
に、良く表れています。

 明治39年には、河東碧梧桐が、遠野に行く途中に足を休め「人首
(ひとくび)と書いて何と讀む寒さかな」と詠んでいます。また大
正9年には、柳田国男が三陸海岸北上の旅行の際、佐々木喜善の配
慮で人首に立ち寄り、村役場を訪ねていますが、喜善の『江刺郡昔
話』(大正11年発行)は、人首出身の浅倉利蔵から聞いた話が主と
なっているのです。

 宮沢賢治が人首に足を踏み入れたのは、そんな状況の中でした。
賢治は二度、人首を訪れていますが、一度目は大正6年9月3日の江
刺郡の地質調査の途で、二度目は大正13年3月24日(〜25日)のこ
とです。

■詩「人首町」と「下書稿」

 詩「人首町」には、「下書稿」の(一)と(二)があります。そ
れには実際に現地を訪れ、その時間帯を体験しなければ表せない事
柄が、幾つも記されています。

 例えば「けさうつくしく凍っていて」「遠い馬橇の鈴」ですが、
三月末の人首町は未だ冬の寒さが残り、また材木を積んだ馬橇の鈴
の音の響きは、山村ならではの冬の風物詩です。

 賢治の視線は、町の下手から五輪峠方向に注がれております。
「丘には杉の杜もあれば/赤い小さな鳥居もある」は、その右方向
にある久須師神社の建つ「壇ケ岡」です。

 さらに「林務官・行商人・税務署の濁密係」が登場しますが、つ
まり彼らは、菊慶旅館前の「バス停留所」に向かうため、家々の間
から道路に飛び出すように現れたのでしょう。大正13年は乗合バス
が運行していますので、賢治もそれを待っていて、それらの光景に
出会ったのだと思います。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

人首村
http://kankyo47.yu-yake.com/index.html/news3.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 岩手手県奥州市江刺区米里は、かつては人首村と呼ばれた。名称
が代わった今でも町並みは人首町、町の横を流れる川は人首川と呼
ばれ人首の名が残っている。 

 人首村と聞いて横溝正史の世界を想像した人も織られるだろう。
名付けの理由におどろおどろしい過去を期待されても困るが、人の
首と大いに関係あるのは事実である。

 その昔桓武天皇は、蝦夷の国であるこの地域(奥六郡)を制圧し
ようとした。坂上田村麻呂が征夷大将軍としてやって来たとき、抵
抗したのが蝦夷の族長「悪路王」(アテルイ)であった。悪路王は
勇敢に戦い朝廷軍に多大な損害を与えた。しかし、延暦20年(801)
に平泉の達谷の巌谷で捕らえられ処刑された。その子人首丸はこの
地(人首村)に逃れ大森山に隠れた。やがては朝廷軍の知るところ
となり、激しく抵抗したが大同2年(807)に捕らえられ斬首され
た。御年15歳。美少年であったという。

 田村麻呂は大森山に小さな神社を造って彼を祀った。口伝では切
られた首が空を飛び、山の下を流れる川に落ちて水を真っ赤に染め
たという。それ以来この地は人首村、その川は人首川と呼ばれるよ
うになった。今から千二百年前の話である。ただし人首と書いて
「ひとかべ」と読む。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

-〔春と修羅第二集(004)〕----------------------------------

「丘陵地を過ぎる」「人首町」

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(本文=定稿)
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一七
     丘陵地を過ぎる
                    一九二四、三、二四、

きみのところはこの前山のつゞきだらう
やっぱりこんなごつごつ黝い岩なんだらう
松や何かの生え方なぞもこの式で
田などもやっぱり段になったりしてゐるんだな
いつころ行けばいゝかなあ
ぼくの都合はまあ来月の十日ころ
仕事の方が済んでから
木を植える場所や何かも決めるから
ドイツ唐檜にパンクス松にやまならし
やまならしにもすてきにひかるやつがある
白樺は林のへりと憩みの草地に植ゑるとして
あとは杏の蒼白い花を咲かせたり
きれいにこさえとかないと
お嫁さんにも済まないからな
雪が降り出したもんだから
きみはストゥブのやうに赤くなってるねえ
  水がごろごろ鳴ってゐる
さあ犬が吠えだしたぞ
さう云っちゃ失敬だが
まづ犬の中のカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
  ひばがきのなかの
  あっちのうちからもこっちのうちからも
  こどもらが叫びだしたのは
  けしかけてゐるつもりだらうか
  それともおれたちを気の毒がって
  とめやうとしてゐるのだらうか
ははあきみは日本犬ですね
  生藁の上にねそべってゐる
  顔には茶いろな縞もある
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やっぱりしゃうが合はないのだな
  どうだ雲が地平線にすれすれで
  そこに一すじ白金環さへつくってゐる

------------------------------------------------------------
(下書稿2)
------------------------------------------------------------

一七
     丘陵地を過ぎる
                    一九二四、三、二四、

きみのところはこの前山のつづきだらう
やっぱりこんなごつごつ黝い岩なんだらう
松や何かの生え方なぞもこの式で
田などもやっぱり段になったりしてゐるんだな
いつころ行けばいゝかなあ
ぼくの都合は
まあ来月の十日ころ
仕事の方が済んでから
木を植える場所や何かも決めるから
ドイツ唐檜にパンクス松にやまならし
やまならしにもすてきにひかるやつがある
白樺は林のへりと憩みの草地に植ゑるとして
あとは杏の蒼白い花を咲かせたり
きれいにこさえとかないと
お嫁さんにも済まないからな
雪が降り出したもんだから
きみはストゥヴのやうに赤くなってるねえ
  水がごろごろ鳴ってゐる
さあ犬が吠えだしたぞ
さう云っちゃ失敬だが
まづ犬の中のカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
  ひばがきのなかの
  あっちのうちからもこっちのうちからも
  こどもらが叫びだしたのは
  けしかけてゐるつもりだらうか
  それともおれたちを気の毒がって
  とめやうとしてゐるのだらうか
ははあ きみは日本犬ですね
  生藁の上にねそべってゐる
  顔には茶いろな縞もある
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やっぱりしやうが合はないのだな
  どうだ雲が地平線にすれすれで
  そこに一すじ白金環さへつくってゐる

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

一七
     丘陵地を過ぎる
                    一九二四、三、二四、

きみのところはこの丘群のつづきだらう
やっぱりこんなごつごつ黝い岩なんだらう
松や何かの生えかたなぞもこの式で
田などもやっぱりかういふ段になったりしてゐるんだな
いつころ行けばいゝかなあ
ぼくの都合はまあ来月の十日ころ
仕事がすっかり済んでから
木を植える場所や何かも決めるから
ドイツ唐檜にパンクス松にやまならし
やまならしにもすてきにひかるやつがある
白樺は林のへりと憩みの草地に植えるとして
あとは杏の蒼白い花を咲かせたり
さう云ふにしてきれいにこさえとかないと
せっかく待ってやってくる
お嫁さんにも済まないからな
雪が降り出したもんだから
きみはストゥブのやうに赤くなってるねえ
  水がごろごろ鳴ってゐる
さあ犬が吠えだしたぞ
さう云っちゃ失敬だが
まづ犬の中のカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
  ひばがきのなかの
  あっちのうちからもこっちのうちからも
  こどもらが叫びだしたのは
  犬をけしかけてゐるのだらうか
  それともこっちを気の毒がって
  とめやうとしてゐるのだらうか
ははあ きみは日本犬ですね
  黄いろな耳がちょきんと立って
  生藁の上にねそべってゐる
  顔には茶いろな縞もある
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やっぱりしやうが合はないのだな
  どうだ雲が地平線にすれすれで
  そこに一すじ白い環さへできてゐる

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------

一七
     丘陵地
                    一九二四、三、二四、

きみのところはこの前山のつづきだらう
やっぱりこんな安山集塊岩だらう
そすると松やこならの生えかたなぞもこの式で
田などもやっぱり段になったりしてるんだなあ
いつころ行けばいゝかなあ
ぼくの都合は、まあ、四月の十日ころまでだ
木を植える場所や何かも決めるから
ドイツ唐檜とパンクス松とやまならし
やまならしにもすてきにひかるやつがある
白樺は林のへりと憩みの草地に植えるとして
あとは杏の蒼白い花を咲かせたり
さう云ふにしてきれいにこさえとかないと
お嫁さんなど行かないよ
雪が降り出したもんだから
きみはストゥブのやうに赤くなってるねえ
  水がごろごろ鳴ってゐる
おや犬が吠えだしたぞ
さう云っちゃすまないが
まづ犬の中のカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
  ひのきのなかの
  あっちのうちからもこっちのうちからも
  こどもらが叫びだしたのは
  犬をけしかけてゐるのだらうか
  それともおれたちを気の毒がって
  とめやうとしてゐるのだらうか
ははあ きみは日本犬ですね
  黄いろな耳がちょきんと立って
  積藁の上にねそべってゐる
  顔には茶いろな縞もある
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やっぱりしやうが合はないのだな
  どうだ雲が地平線にすれすれで
  そこに一条の白金環さへできてゐる

------------------------------------------------------------
(『銅鑼』発表形 1925.10.27)
------------------------------------------------------------

     丘陵地

きみのところはこの丘陵地のつゞきだろう
やつぱりこんな安山集塊岩だらう
そすると松やこならの生えかたなぞもこの式で
田などもやつぱり段になつたりしてるだらう
いつころ行けばいゝかなあ
ぼくの都合は
まあ
来月の十日ころまでだ
木を植える場処やなにかも決めるから
ドイツ唐檜とパンクス松とやまならし
 やまならしにもすてきにひかるやつがある
白樺は林のへりと憩みの草地に植えるとして
あとは杏の蒼白い花を咲かせたり
さう云ふにしてきれいにこさえとかないと
なかなかいいお嫁さんなど行かないよ
雪が降りだしたもんだから
きみはストウブのやうに赤くなつてるねえ
   ……水がごろごろ鳴つてゐる……
おや 犬が吠えだしたぞ
さう云つちや失敬だが
まづ犬のなかのカルゾーだな
喇叭のやうないゝ声だ
   ……ひのきのなかの
     あつちのうちからもこつちのうちからも
     こどもらが叫びだしたのは
     犬をけしかけてゐるのだらうか
     それともおれたちを気の毒がつて
     とめやうとしてゐるのだらうか……
ははあ きみは日本につぽん犬ですね
  黄いろな耳がちょきんと立つて
  積藁の上にねそべつてゐる
  顔には茶いろな縞もある
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やつぱりしやうが合はないのだな
   ……どうだ雲が地平線にすれすれで
     そこに一条 白金環さへできててゐる ……

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(本文=下書稿2推敲後)
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一八
     人首町
                     一九二四、三、二五、

雪や雑木にあさひがふり
丘のはざまのいっぽん町は
あさましいまで光ってゐる
そのうしろにはのっそり白い五輪峠
五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
南につゞく種山ヶ原のなだらは
渦巻くひかりの霧でいっぱい
つめたい風の合間から
ひばりの声も聞えてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------
一八
     人首町
                     一九二四、三、二五、

丘のはざまのいっぽん町にあさひがふり
雪や雑木があさましいまで光ってゐる
  ……丘には杉の林もあれば
    黝い小さな鳥居もある……
広田湾から十八里
水沢へ七里の道が
けさうつくしく凍ってゐて
藻類の行商人や
税務署の濁密係り
みな藍酊の影を引いて
つぎつぎ町を出てくれば
遠い馬橇の鈴もふるえる
まっ白な五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
南につゞく種山ヶ原のなだらは
渦巻くひかりの霧でいっぱい
  ……あゝ朝の紺外套のかなしさ……
つめたい風の合間から
ひばりの声も聞えてくるし
やどり木のまりには艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------
一八
     人首〔カベ〕町
                     一九二四、三、二五、

丘のはざまのいっぽん町にあさひがふり
雪や雑木があさましいまで光ってゐる
  ……丘には杉の林もあれば
    黝い小さな鳥居もある……
広田湾から十八里
水沢へ七里の道が
けさうつくしく凍ってゐて
海苔や松藻の藻類の行商人や
るた税務署の直税員が
みな藍酊の影を引いて
つぎつぎ町を出てくれば
西は幾重の山なみを
遠い馬橇の鈴もふるえる
まっしろな五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
南の種山ヶ原のなだらは
白いひかりの霧がいっぱい
  ……あゝ朝の紺外套のかなしさ……
こんなつめたい風の合間から
ひばりの声もきこえてくるし
やどり木の毬には艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------
一八
     人首〔カベ〕町
                     一九二四、三、二五、

丘のはざまのいっぽん町にあさひがふり
雪や(3字不明)があさましいほど光ってゐる
  ……丘には杉の林もあれば
    赤い小さな鳥居もある……
まっしろに埋むな五輪峠のいたゞきで
鉛の雲が湧きまた翔け
また南の種山ヶ原のなだらには
怖畏やひかりの霧でいっぱいだ
  ……嗚呼朝の紺外套のかなしさ……
こんなつめたい風の合間から
ひばりのうつくしい声もきこえてくるし
やどり木の毬には艸いろのもあって
その梢から落ちるやうに飛ぶ鳥もある

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-〔文語詩稿未定稿(031)〕----------------------------------
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(本文=下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

     〔鷺はひかりのそらに餓ゑ〕

鷺はひかりのそらに餓ゑ
羊歯にはそゝぐきりさめを
あしきテノールうちなして
二人の紳士 森を来る

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(下書稿1推敲前)
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餓えたればそらしろびかり
羊歯にはそゝげるきりさめと
テノール
はかなきかなや

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(下書稿2(断片))
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鷺はひかりのそらに餓ゑ
羊歯にはそゝぐきりのあめ

--〔後記〕--------------------------------------------------

 金曜日に天王寺で時間があったので、大阪市立美術館に入ってみ
ました。そこで室町時代の絵巻があったのですが、可愛い絵にフキ
ダシでセリフが入っていて、まるでマンガです。

 面白そうなので解説の本を見付けて注文してしまいました。

『室町時代の少女革命 『新蔵人』絵巻の世界』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2014/09/post_3023.html

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