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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第947号--2017.04.15------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(83)1933年-7」「〔まひるつとめにまぎらひて〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(83)1933年-7」
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 83回続いた「年譜」も今回でおしまいです。前回の臨終の後の
記事を掲載しています。

 岩手日報に死亡を報せる記事が出ているあたり、「生前は無名」
というのとはちょっと違うようです。

 追悼集会も開かれ、高村光太郎などの追悼書簡も新聞に掲載され
ています。

 これらのことから、晩年の賢治は地元ではすでに有名な詩人とい
う扱いを受けていたと考えられます。

 草野心平もようやく花巻に来て、追悼集会に参加し、この流れか
ら全集発行が企画されていきます。

 以下はこのメールマガジンの初期のころの記事です。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 今回は「死後の賢治」ということで、賢治の作品がどのようにし
て世に知られるようになったのかを見てみます。

1933年 9月、賢治没。
     10月、宮澤清六編「宮沢賢治全集抜粋鏡を吊るし」発
         行(謄写印刷で、詩四編、歌曲七編、「農民芸
         術概論」抄録を収めたもの。)
     11月、同上増補改定版(活版、歌曲二編と童話「やま
         なし」を追加。
1934年 1月、「宮沢賢治追悼」(編集発行人草野心平、次郎
         社発行、「竜と詩人」「賢治略歴」など)
         執筆者は宮澤清六、菊地信一、関徳弥、母木光、
         金野英三、藤原嘉藤治、菊地武雄、松田奎介、
         森惣一、高村光太郎、高橋成直、吉田一穂、
         永瀬清子、小森盛、尾形亀之助、萩原恭次郎、
         黄瀛、岡本弥太、宍戸儀一、小野一三郎、
         横地正次郎、辻潤、神谷暢、尾崎喜八、菱山修三、
         土方定一、佐藤惣之助、手塚武、高橋新吉、
         竹内てるよ、逸見猶吉、草野心平。
     10月、文圃堂版「宮沢賢治全集」全三巻発行。
1935年 4月、「宮沢賢治研究」(草野心平編輯)創刊。
1936年    羅須地人協会跡に「雨ニモマケズ」詩碑建立
         (高村光太郎揮毫)。
1938年    劇団東童「ポランの広場」「風の又三郎」上演。
1939年    十字屋書店版「宮沢賢治全集」刊行開始。
1940年    映画「風の又三郎」(島耕二監督)。

(「<宮沢賢治>注」天沢退二郎著 より。)
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 このあと、本格的な戦争の時代になるのですが、最初の全集が死
の翌年であったことは注目に値します。生きている間は不遇だった
賢治の作品ですが、死後すぐに注目をあつめていたのです。最初の
全集を発行した、文圃堂の店主、野々上慶一氏の「文圃堂こぼれ話」
という本から、そのへんの事情を回想した部分を引用します。

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 いつからだったか、詩人の草野心平氏と知り合いになった。その
イキサツは省略するが、心平さんは新進気鋭の詩人兼論客だった。
しかし売文で食うのはたいへんな時代。当時銀座通りに、「羅甸区
(らてんく)」という、店内に豪華なオルゴールを置いた喫茶店が
あり、心平氏は蝶ネクタイを結んでアルバイトにバーテンかなにか
やっていた。彼は私が駆け出しの出版屋と知って、宮沢賢治のこと
を話し出し、私はその熱気に当てられた格好で、無名の賢治の、そ
れも全集を出版することになった。編輯者は草野心平、高村光太郎、
横光利一等。出版してみると童話の巻は千部をちょっと出てよろこ
んだが、詩の方は八百部くらい。そんな時代だったのである。

(「文圃堂こぼれ話」 より)
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 この後、この全集の紙型は十字屋書店に売り渡され、十字屋版全
集に引き継がれます。この間に賢治全集の推進役になった、草野心
平は、宮沢賢治についてこういっています。

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 現在の日本詩壇に天才がゐるとしたなら、私はその名誉ある「天
才」は宮沢賢治だと言ひたい。世界の一流詩人に伍しても彼は断然
異常な光りを放ってゐる。

(「<宮沢賢治>注」天沢退二郎著 より。)
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 草野心平らの情熱によって、死後ようやく注目を浴びるようにな
るわけですが、天沢さんはこういっています。

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 文圃堂版全集は「索めがあれば発表するように」と賢治が清六に
原稿を託した遺志によるものであり、「国訳法華経」「全集」とい
う二種の刊行物によって、「宮沢賢治」からの発信は世界にむけて
放たれたのである。

(「<宮沢賢治>注」天沢退二郎著 より。)
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 実際、国柱会関係の書物には「文中の法華経の引用は宮沢賢治の
「国訳法華経」による。」などとあり、関係者の間では流布、参照
されていたことをうかがわせます。

 全集の方は、このあと、

1946年    組合版「宮沢賢治文庫」
1956年    筑摩書房版「宮沢賢治全集」
1967年    〃  
(昭和42年だったので、「42年版全集」と呼ばれる。この年、
私は高校1年生でした。この全集は欲しかったのですが、小遣いの
範囲では買えず、私がはじめて手に入れたのはこのあとの校本全集
でした。)
1973年    筑摩書房版「校本宮沢賢治全集」
1979年    〃    「新修宮沢賢治全集」
1985年    ちくま文庫版「宮沢賢治全集」
1995年    筑摩書房版「新校本宮沢賢治全集」

というふうに継続して出版されています。一見して明らかなように、
戦後の賢治全集は筑摩書房が一貫して担当しています。筑摩書房と
原稿を管理している宮澤清六さん(賢治の弟)とのつながりが想像
されます。

http://why.kenji.ne.jp/review/review13.html
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 亡くなった翌年に最初の全集、3年後には詩碑ができていて、7
年後には映画まで作られています。

 こうして、今私たちが知っている宮沢賢治の作品が世に出ていき
ました。

 また、9月末には岩手日報に「疑獄元兇」という作品が全文掲載
されています。これについての、メールマガジンの過去記事です。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

「疑獄元兇」は、賢治が死去した1933年9月21日から、幾日もた
っていない同年9月29日付「岩手日報」4面の「学藝第37輯・宮沢
賢治氏追悼號」に「遺稿」として全文(写真入り・文責宮沢清六氏)
が掲載されたものです。その「附記」として、賢治の親友だった藤
原嘉藤治氏が「藤原草郎」の筆名で、この一編が「9月の上旬に一
気呵成に書かれたもの」であることや、「宮沢さんの作品は周りの
人々に容易に理解されないのを情けなくも、うすらおかしくも、淋
しくも感ぜられて特に「大衆的」との意趣で書かれたもの」である
ことなどを紹介しています。

 また、賢治研究の草分けの学者である小倉豊文氏が、「疑獄元兇」
について「臨終に近い頃の病中作、恐らく作品としては絶筆」であ
るとした上で、その筆を起した動機にいては、「父に大衆的なもの
を書いて見ろと言はれて率然筆を呵した」とし、さらにその内容に
ついては「政客小川平吉の疑獄を題材にした含蓄深い短編」と評さ
れています。

http://why.kenji.ne.jp/review/review140.html
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 これが「作品としては絶筆」なんですね。上記過去記事にはこの
後も興味深い話が出てきますので、ぜひごらんください。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

376 文圃堂版『宮澤賢治全集一』
http://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/e/840ec5c2517ad10ba030934d2a213c2d

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 宮澤賢治没後約1年の昭和9年10月に早々と文圃堂から『宮澤賢治
全集第三巻』(童話編)が刊行されたということだが、そのシリーズ
の第一巻がこのブログの先頭のようなものである。

(全集表紙の写真あり)

 森荘已池の「ふれあいの人々宮澤賢治」によれば、この表紙の字
は高村光太郎の手によるものなそうで、

《2 『宮澤賢治全集一巻』奥付き》
には発行は
  昭和十年七月二五日
とあり、編輯者としては
   高村光太郎
   宮澤清六
   藤原嘉藤治
   草野心平
   横道利一
の五氏が名を連ねている。

 ところが森荘已池の前著によれば、この出版元文圃堂は残念なこ
とにほどなく破産し、そのときの破産世話人だった十字屋書店に文
圃堂は『宮澤賢治全集三巻本』の紙型を寄贈したのだそうだ。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1933年-7〕----------------------------------------------
37歳(昭和八年)
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9月
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22日、藤原嘉藤治、関徳弥、森佐一、母木光、梅野健三の連名に
よる賢治死亡告知(和紙・黒色活版印刷)が配布される。

 本日付「岩手日報」三面に「父宮沢政次郎 外親戚一同」による
「長男賢治」の死亡広告が掲載された。

 同じく夕刊二面に次の記事が出る。

「詩人宮沢賢治氏/きのふ永眠す/日本詩壇の輝しい巨星墜つ/葬


花巻町豊沢町宮沢政次郎氏長男宮沢賢治氏はかねて病気療養中のと
ころ最近小康状態にあったが廿一日午後一時半病あらたまり遂に永
眠したが享年二十八、氏は先に盛岡高農を卒業、花巻農学校に職を
執られ、また田中智学氏のもとにあって深く仏教をきわめ大正十三
年心象スケッチ詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を発
表して日本詩壇に嘗てない特異の存在を示し新しい巨星として全日
本詩壇注目のうちに詩作を発表していたもので詩、童話その他数十
巻の未刊の作品を所蔵され、その非ジャーナリスチックの故に高名
であり『春と修羅』の如きは刊行当時発行所の不誠意から夜店で売
られたりしたが現在は所持者は卅円でも手放さない古典的な名詩集
となっている、尚葬儀は廿三日午後三時から花巻町安浄寺で執行さ
れる。」

23日、2時より宮沢家菩提寺安浄寺(真宗大谷派)で葬儀。この
次第は「岩手日報」25日の報道に見る如くであるが、森佐一、藤
原嘉藤治、母木光連名(母木光執筆)による弔辞は次のようにいう。

「私どもはあなたをあなたの芸術を世界第一流のものとして、大き
いほこりを持つのに御本人のあなたは、この世のものでないような
謙虚さでひたすらかくして居られました。この町の人々は、そして
この国の人々は、そして日本の人々は五十年或いは百年の後に、あ
なたがどのように偉かったかということがわかるでしょう。」

25日、本日付「岩手日報」三面に次の記事が出る。

「故宮沢賢治氏葬儀

故宮沢賢治氏葬儀は二十三日午後二時花巻町豊沢町自宅出棺同町安
浄寺に於て執行されたが生前故人の徳を偲び会葬者二千を数え盛儀
を極めた弔辞は

 盛岡高農上村勝爾氏、岩手県歯科医師会長金野英三氏、詩人藤原
 草郎、母木光、森惣一、梅野健三、花巻秋香会、花巻農学校同窓
 会代表小田中光三氏

で弔電二十八通に及び同三時葬儀を終った。尚故人の遺言によって
法華経一千部を刊行生前の知己に贈る筈である」

27日、草野心平が弔問に訪れる。

29日、本日付「岩手日報」四面「学芸」欄「宮沢賢治氏追悼号」
に、遺稿「疑獄元兇」全文、原稿写真、「『寒峡』巻初の数首に就
て」掲載。(他に森佐一「追悼記」)

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10月
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1日、本日付発行の「北方詩人」10編に「産業組合青年会」を発
表。9月5日に送付した原稿である。

5日、本日付「岩手日報」夕刊四面「学芸」欄「宮沢賢治氏追悼号」
に「春谷暁臥」を掲載(他に森佐一「追悼記」、藤原草郎「或る日
の『宮沢賢治』」、梅野健三「宮沢さんの事」、佐藤惣之助、中西
悟堂、高村光太郎の追悼書簡)。

19日、本日付「岩手日報」夕刊四面に「宮沢賢治氏追悼会/花巻
町公会堂で21日」の記事が出る。(ただし、宮沢清六編『宮沢賢
治全集抜粹 鏡をつるし』(A)の後記部分に「11月23日に延
期になった旨の記載があるので、延期されたものと見られる。

21日、宮沢清六編『宮沢賢治全集抜粹 鏡をつるし』(A)菊地
武雄装幀、四六判仮装、孔版16枚半、編集発行(詩4篇、歌曲8
篇、「農民芸術概論」抜粹。30部限定。非売品)。

26日、本日付「岩手日報」夕刊四面に吉田一穂の追悼文「虫韻草
譜」、尾形亀之助「明滅」掲載。

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11月
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16日、本日付「岩手日報」夕刊四面に掲載された「屋根裏」で2
3日に開かれる賢治の追悼会に言及。

23日、宮沢清六編『宮沢賢治全集抜粹 鏡をつるし』(B)発行。
(A)の改訂増補版(活版印刷、100部限定、歌曲2篇と童話
「やまなし」みよび編者の「後記」を加える。非売品)。

 花巻町役場二階講堂で「宮沢賢治追悼講演会」開催。草野心平、
吉田一穂、尾形亀之助講演。

25日、本日付「岩手日報」三面に「逝いて知る/宮沢氏の偉大/
徳を慕ふて県内外から集り/花巻で追悼会開く」の記事が出る。

30日、本日付「岩手日報」夕刊四面「学芸」欄に掲載された「屋
根裏」で23日に行われた賢治の追悼会に言及。

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12月
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1日、本日付発行の「日本詩壇」12月号に「山火」を発表。生前
原稿を送付したものであるが、「故宮沢賢治」となり「山火(遺稿)」
として掲載される。

7日、本日付「岩手日報」夕刊四面「学芸」欄に母木光の評論「ラ
ンボオ/マラルメと宮沢さん」掲載。

21日、本日付「岩手日報」夕刊四面「学芸」欄に掲載された志良
以東一「雑誌『女性岩手』と/多田女史に就いて」で賢治の寄稿に
言及。

25日、本日付発行の盛岡高等農林学校「同窓会報」36号に、河
本義行、宮沢賢治ふたりの死に対し、弔慰金募集広告を掲載。賢治
については堀籠文之進の「宮沢さんを憶ふ」の一文がある。発起人
は次の如くである。

飯島市郎、出村要三郎、池野次郎、畠山栄一郎、原勝成、新渡戸豊、
新妻国義、堀越健、堀籠文之進、小野寺伊勢之助、大谷良之、及川
四郎、小原忠、片倉恵、樫村広史、川村悟郎、吉田伊兵衛、高橋秀
松、田辺忠一、高崎巻、辻盛一郎、中村新左久、中丸広之助、長沢
誠一、成瀬金太郎、工藤文太郎、工藤又治、蔦精一、工藤藤一、古
沢清介、小泉慶三、畊野重政、小林賁夫、江刺家憲条、安部二、佐
々木六郎、佐久間善喜、菊地軍治、神野幾馬、広瀬退蔵、菅原俊男、
末永延寿

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1月、ドイツでヒトラー内閣成立
2月、小林多喜二死亡
2月、国際連盟脱退
3月、三陸大地震、大津波
5月、京大滝川事件
この年、県下豊作

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谷崎潤一郎「春琴抄」
川端康成「禽獣」
西脇順三郎「Ambarvalia」
「文学界」「文芸」創刊
9月29日、佐々木喜善没

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政次郎 59歳
イチ 56歳 
シゲ 32歳
清六 29歳 1月5日、長女コウ出生(25日死亡)
アイ 22歳
主計 30歳
クニ 26歳
フヂ 4歳
ヒロ 2歳

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     山火

風がきれぎれ、暮れる列車のどよみを載せて
樹々にさびしく復誦する
 …その青黒い混かう林のてつぺんで
  鳥が"Zwar"と叫んでゐる…
こんどは風のけじろいれを
蛙があちこちぼそぼそ咽び
舎生が潰れた喇叭を吹く
蒼く古びた黄昏である
 …こんやも山が焼けてゐる…
野面ははげしいかげらふの波
茫と緑な麦ばたや
しまひは黝いかた田のはてに
濁って青い信号燈シグナル浮標ヴイ
 …焼けてゐるのは猫山あたり…
またあたらしい南の風が
はやしのへりで砕ければ
馬をなだめる遥かな最低音バス
つめたく顫ふ野薔薇の芬香かをり
 …山火がにわかに二つになる…
信号燈シグナルは赤くかはつてすきとほり
いちれつ浮ぶ防雪林を
淡い客車の光廓が
音なく北へかけぬける
 …火は南でも燃えてゐる
  ドルメンのある緩いみかげの高原が
  あつちもこつちも燃えてるらしい
   古代神楽を伝へたり
   古風に公事くじをしたりする
   大つぐなひ八木巻やぎまき
   小さな森林消防隊…
蛙は遠くでかすかにさやぎ
もいちどねぐらにはばたく鳥と
星のまはりの青いかさ
 …山火はけぶり、山火はけぶり…
せふくらい稲光りから
わづかに風が洗はれる。

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     疑獄元兇

とにかく向ふは検事の立場、
今の会釈は悪くない。勲績のある上長として、盛名のある君子とし
て、礼を尽した態度であった。

わたしの方も声音から、動作一般自然であった。或ひはかういふ調
子でもって、政治の実といふものを、容易に了解するかも知れん。
それならわたしは、畢竟党から撰ばれて、若手検事の腕利きといふ、
この青年を対ごうに、社会一般教育のため、こゝに来たとも
云ひ得やう。

 いかなる明文制裁と雖ど、それが布かるゝ社会に於て、遵守し得
ざるに至ったときは、その法既に悪法である、それが判らん筈もな
い。だが何のため、向ふは壇をのぼるのだ。整然として椅子を引い
て、眼平らにこっちを見る。

卓に両手を副へてゐる。正に上司の儀容であるが、勿論職権止むを
得まい。たゞもう明るく話して来ればいゝのである。しかし…物言
ふけはひでない。厳しく口を結んでゐる。頬は烈しい決意を示す。
わしは冷然無視したものか、気を盛り眼を明にして、これに備へを
したものか。あゝ失策だ!出発点で!何たるこのまづいこの
狼狽!すっかりわなまったのだ。向ふは平然この
動揺を看取する。早く自然を取り戻さう。一秒遅れゝば一秒の敗、
山を想はう。建仁寺、いや徳玄寺、いけない、さうだ、清源寺!清
源寺裏山の栗林りつりん!以て木突ぼくとつとなすこと勿
れ、汝喚んで何とかなす!にい!!もう平心だ。よろしいとも、や
って来い。生きた世間といふものは゛たゞもう濁った大きな川だ。
わたしはそれを阻せんのだ。悠揚としてこれに準じて流れるのだ。
時には清波も来つて涵す。それを歓び楽しむことで、わしは人后に
落ちはせん。しかし畢竟大江である。徒して渡れる小渓でない。そ
の実際に立脚せんで、人の裁きはできんのだ。咄! 何たる非礼の
その直視!

断じてわしも譲歩せん。森々と青いこの対立、
   森々と…森々と…森森と青い……
………
……いつか向ふが人の分子を喪してゐる。皮を一枚脱いだのだ。小
さな天狗のやうでもある。それから豺のトーテムだ。頬が黄いろに
光ってゐる。白い後光も出して来た。こゝで折れては何にもならん。
断じてその眼を克服せよ、たかゞ二つの節穴だ。もっともたゞ節穴
よりは、むしろ二つの覗き窓だ。何だかわたしが、たった一人、居
ずまゐ正してこゝに座り、やつらの仲間がかはるがはる、その二っ
つの小窓から、わたしを覗いてゐるやうだ。……あゝ何のことだ縁
起でもない。人の眼などといふものは、それを剔出して見れば、
たかゞ小さな暗函だ。奥行二寸もあるんでない。さうかと云ってあ
ゝいふ眼付き、厭な眼付は打ち消し得ない。こんな眼を遺伝した、
父祖はいったい何者だらう。かういふ意志や眼といふものが、一代
二代でできはしない。代々糺罪の吏ででもあるか。或は逆に苛政の
下、喘いだ民の末でもあるか。今は対等、正しく今は対等だ。まだ
見るか。まだ見るか。まだ見るか。尚且つ見るか。対等だ。瞬だけ
は仕方ない。

尤も向ふはそれをしない。年齢としの相違が争はれん。あゝ今
朝いつもの肉汁を、呑むひまもなく来てしまった。前総裁は必ず飲
んだ。出て来るときにわしも何かを忘れた感じ、妻もいろいろある
べきことを、思ひ出せない風だったのは、かういふ種類の何かにだ
った。新らしい袴を出し、新らしい足袋と白扇を進めて、それが威
容の料とはならず、罪問ふ敵への礼儀とあらば、何たる切ないこと
であらう。うなじが熱って来た様だ。万一わしが卒倒したら、天下
は何と視るだらう。わしは単なる破廉恥のみか卑懦の称さへ受けね
ばならぬ。新聞雑誌はどう書くだらう。浅内或は長沼輩、党の内部
の敵でさへ、眉をひそめて煙を吐き、わしの修養を嗤ふだらう。わ
しはまなこを外らさうか。下方したへか。それは伏罪だ。
側方よこへか。罪を覆ふと看やう。上方うへへか。自ら欺
く相だ。たゞもうこのまゝ、ぼうと視力を休めやう。年齢の相違気
力の差、たゞもうこのまゝ……窓の向ふは内庭らしい。梅が青々繁
ってゐる。

 こゝで一詩を賦し得るならば、たしかにわしに得点がある。それ
ができないことでもない。題はやっぱり述懐だ。仮に想だけ立てゝ
見る。中原遂鹿三十年、恩怨無別星花転、転ときて転句だ……おゝ
何といふ向ふの眼、燃え立つやうな憎悪である。わしがこれをも外
らしたら、結局恐れてゐることだ。断じて、断じて戦ふべし。大恩
ある簡先生の名誉のため、名望高い一門のため、郷党のため児孫の
ため、わしは断じて折れてはいかん。勝つものは正、敗者は悪だ。
けれども 気力!気力でなしに境地で勝たう。

わしは不識ふしきを観じやう。梁の武帝因みに僧に問ふ、あゝ
いかん、
梁の武帝達磨に問ふ 磨の曰く無功徳 帝の曰く
朕に対する者は誰ぞ 磨の曰く無功徳 いかん
朕に対する者は誰ぞ 磨の曰く不識! あゝ乱れた
洞源和尚にことばもない。
 (東京府平民 高田小助!!)
嗟夫!

-〔文語詩稿未定稿(027)〕----------------------------------
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(本文=下書稿2推敲後)
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     〔まひるつとめにまぎらひて〕

まひるつとめにまぎらひて
きみがおもかげ来ぬひまは
こころやすらひはたらきし
そのことなにかねたましき

新月きみがおももちを
つきの梢にかゝぐれば
凍れる泥をうちふみて
さびしく恋ふるこゝろかな

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------

わが空間そらの燐光盤に
きみがおもかげ来ぬひまは
かへってこころやすらへり
そのこといとゞくちおしき

天河石心象のそら
うるはしきそのときのみの
きみがおもかげ見えくれば
せつなくわれは燃えたり

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

  ※ おもかげ
 
わが空間そらの燐光盤に
きみがおもかげ来ぬひまは
かへってやすけしとおもへり
そのことのかなしさ。

天河石てんがせき心象しんしゃうのそら
うるはしきときの
きみがかげのみ見えれば
せつなくてわれ泣けり。

------------------------------------------------------------
(下書稿1「冬のスケッチ」第6葉 推敲前)
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  ※ おもかげ
 
心象しんしゃうの燐光盤に
きみがおもかげ来ぬひまは
たまゆらをほのにやすらふ
そのことのかなしさ。

天河石てんがせき心象しんしゃうのそら
うるはしきときの
きみがかげのみ見えれば
せつなくてわれ泣けり。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 「年譜」も終り、次回からは「新校本全集版 宮沢賢治詩集」を
掲載していく予定です。新校本全集になって、少し変更されている
ところがありますので、それを追っていきます。

 文語詩と同じように、推敲の過程もわかるようにしようかと考え
ています。

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