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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第942号--2017.03.11------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(78)1933年-2」「〔弓のごとく〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(78)1933年-2」
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 1933年の2回目です。今回は4月から6月まで。もう後半年も残
っていません。

 今回の掲載分では、

「日本詩壇」創刊号に「移化する雲」、

「現代日本詩集(1933年版)」に「十一月」として「校外」「県道」

 というのが目立ちます。「現代日本詩集」の方は国会図書館のデ
ジタルアーカイブが公開されていて、読むことができます。

 この344頁(画像で177番目)に出てきますが、「十一月」
という題の次に、上記の二つの詩が掲載されています。

 最初に作者名「宮沢賢治」があり、以下のように記述されていま
す。

明治二十九年八月一日岩手県花巻川口町に生る。著書に『春と修羅』
『注文の多い料理店』あり 現住所、岩手県花巻町豊沢町

 このアーカイブはなかなかの優れもので、ほほ完全に画像データ
として収録してあります。

『春と修羅』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979415

はありましたが、『注文の多い料理店』の方は公開されていないよ
うです。

 さて、年譜の方は鈴木東藏関係は減ってきて、どちらかというと
詩人関係の諸方面への書簡が断続的に続いています。

 その中で、松田幸夫と関徳弥が来訪したときの記事として、関徳
弥の記述が残されています。病床で、余命いくばくもない賢治の姿
が描写されているのが痛ましいですね。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

国立国会図書館デジタルコレクション - 現代日本詩集. 1933年版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232912

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

永続的識別子
info:ndljp/pid/1232912
タイトル
現代日本詩集. 1933年版
著者
詩人時代社 編
出版者
詩人時代社
出版年月日
昭和8

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------


--〔1933年-2〕----------------------------------------------
37歳(昭和八年)
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4月
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1日、本日付発行の「日本詩壇」創刊号に「移化する雲」を発表。

 本日付発行の「現代日本詩集(1933年版)」(詩人時代社)に
「十一月」として「校外」「県道」を発表。

 本日付発行の「教育論叢」4月号所載の「『童話』雑記−断片六
つ−」で水野葉舟が「創作童話の中にも『注文の多い料理店』(宮
沢賢治氏)のようないいものがある」と言及する。

25日、浅沼政規が出身地の大田村小学校へ転任とのしらせをうけ
てはげます(書簡470)。

 同じくこの日、御所村の母木光へ返書(書簡471)。母木が詩誌
「血線」を発行したことを祝い、家業の農業労働をいたわる。母木
は「岩手詩集」刊行の経費補填などのための仕事で苦労していたの
である。

28日、東磐井郡藤沢町高橋宣聿の訪問をうけていたが,高橋から
手紙と日蓮聖人の影像を送られた。その礼状を書く(書簡472)。

 27日は花巻町町会議員選挙で病中の自分まで一時は連れ出され
そうな情勢であったこと、来訪時話のあった稲荷神社の件は関係者
の意見を聞いて返事すること、をいう。高橋とは信仰上の交際があ
った。

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5月
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1日、鈴木東藏へ返書(書簡473)。岩崎開墾地よりの照会、盛岡
高等農林学校の実験結果についての工場よりの問い合わせに答える。

 岩崎開墾地(和賀郡岩崎村、現 岩崎町岩崎新田)は花巻農学校
に開設された国民高等学校主事、高野一司が六原道場と共に経営に
当たっている所で、高野は既に宮城県広淵沼開墾(2年前石灰で交
渉あり)を完成している。先般来花して訪問を受けており、石灰使
用に関して十分理解のある人である。岩崎500町歩、六原300
町歩あり、高野には特に宣伝・広告は却って不可であることを注意
する。

 また盛岡高等農林学校農芸化学科小野寺伊勢之助博士には前々年
1俵を贈って生徒卒論用実験資料に供してあるが(書簡352)、こ
の成績を求るならば学校へ出向き、その労を謝し、工場の説明をし、
その上で結果発表を得られるか丁重に求められたい、と注意する。

14日、「天才人」発行者松田幸夫と関徳弥来訪。原稿依頼の件で
ある。関からこの頃のものを出すように言われるが、病中の作は文
語詩ばかりなので困ってしまう(書簡474)。

 このときの印象を関徳弥は次のようにいう。

「賢治は書道の全集のようなものをだして見ておられました。私た
ちにもその手を見せて、書は必ずしも上手でなくとも、こんな字も
たいへん親しめるといって、だれの書だか稚拙な書風のページをめ
くってくれたりしました。牛乳屋の八木さんから菊花展覧会の菊に
つける短冊を頼まれたが、あなたもお書きなさいといわれたりした
と思います。その日の賢治は少し痩せて顔は骨ばっていたと思いま
すが、肌は白く艶を帯びていました。髪はぼうぼうと生えていまし
たが、髪の毛の薄い人でしたから、頭の地肌が見えるような感じで
した。終始微笑されていても声は凛々としていました。しかしずい
ぶん慈愛のこもった声で、聞いていても感にたえませんでした。」

18日、森佐一より「天才人」寄稿の件、古いものでよいといわれ
「春谷暁臥」を清書する。これには森が登場するので、筆名「幻」
がいいか、本名「佐一」がよいかを問う。ただしこの詩は「天才人」
が続刊できなくなったため発表されなかった。

 また、石川善助一周忌も近いので詩集刊行の遅れを憂う(書簡474)。

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6月
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1日、本日付発行の「詩人時代」6月号掲載角田竹夫「『現代日本
詩集』全評」で、宮沢賢治作品を評し、また槻田竹恩「岩手詩壇に
就いて」も賢治に言及。

17日、母木光へ返書(書簡475)。母木からの手紙で小説集「二
十人集」の発刊企画(小松原剛ら企画。未刊に終わる)を知ったが、
原稿依頼がなかったことを「私の方は無事です。」と書く。

23日、盛岡市木伏、建設官舎、高橋忠弥あて返書(書簡476)。
高橋はのちに画家となるがこのとき「木曜文学暦」という雑誌を発
行していた。童話理論の原稿依頼を受けたが、理論にしばられるの
も困るし体力もないということで、ことわりをのべる。

下旬、仙台、錫木碧あてとみられる書簡下書(書簡477)。石川善
助一周忌追悼会の案内をうけとり、出仙したいと思いながら病躯思
うにまかせぬことを詫び、随筆集刊行の骨折りに敬意を表す。

27日、仙台の石川善助追悼会は27日の命日に催され、遺稿集の
「鴉射亭随筆」も当日付で刊行された。「鴉射亭随筆」中の「友人
感想」中に「石川さんを失ってすでに百日を経た。」にはじまる追
悼文が掲載されている。

6月(推定)、竹中久七あての書簡下書(書簡477a)に竹中から詩
集・論集及び詩誌「リアン」の寄贈を受けたことへの礼が述べられ
ている。

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1月、ドイツでヒトラー内閣成立
2月、小林多喜二死亡
2月、国際連盟脱退
3月、三陸大地震、大津波
5月、京大滝川事件
この年、県下豊作

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谷崎潤一郎「春琴抄」
川端康成「禽獣」
西脇順三郎「Ambarvalia」
「文学界」「文芸」創刊
9月29日、佐々木喜善没

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政次郎 59歳
イチ 56歳 
シゲ 32歳
清六 29歳 1月5日、長女コウ出生(25日死亡)
アイ 22歳
主計 30歳
クニ 26歳
フヂ 4歳
ヒロ 2歳

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[473](1933年5月1日)鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 四月三十日附貴簡拝誦仕候

右岩崎開墾地に就ての照会は新任高野技師の考によるものに有之氏
は曾ては本県にて国民高等学校を開設し、后宮城県広淵沼の開墾を
完成し、今回再び本県にて六原道場と岩崎開墾地を経営せらるゝ次
第、先年来の本石灰事業同情者に有之今回も来花の際面談致置候間、
何卒充分の御誠意を以て御回答方願上候。岩崎開墾地は五百町歩に
有之候へ共外に六原の三百町歩、この成績の良好なる限り県内各地
数万町歩に同様の施設起るべくとの事に候。右様の事業は孰れも酸
きも甘きも分り切ったる高野技師の管括なれば宣伝様或は広告様の
事は却って不可と存ぜられ候。

次に高農の方は一昨年農芸化学科小野寺伊勢之助博士に一俵を寄贈
して生徒卒業論文の資料として実験を乞ひたるものに有之候間若し
右成績を求めらるゝならば可成は御出校の上実験の労を謝せられ工
場の模様など細かにお話し下され更に若し結果発表を得べきやを叮
重に求められ度御座候 小生も右成績は甚鶴首して待ち居り候へ共
何分にも手紙にては先輩へ色々手数を掛けし上余りに失礼と存じ切
に病癒ゆるを待ち居たるに御座候

先は右取急ぎ御返事迄如斯御座候

敬具
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[474] 1933年5月18日 森佐一あて 封書

(表)盛岡市惣門 森 惣一様
(裏)五月十八日 花巻町 宮沢賢治拝(封印)〆

お手紙拝誦いたしました。

十四日にその社の松田さんが徳弥さんといっしにおいでゞ原稿のお
はなしがありました。それであなたの作品と隣り合せに出す条件で
さしあげる事にいたしたのでしたからどうかその辺ご承知ねがひ上
げます。

徳弥さんはこの頃のを出せとのことでしたが病気からこっちは殆ど
短い文語の定型のものばかりで自信もなく困ってゐましたがあなた
の方で古いのでいゝとなれば実に気楽です。

何の詩らしきもの心象スケッチ、あなたといっしょだったあの岩手
山の下の朝を清書しました。どうか何べんもお読み下すってこんな
調子に書いたあなたがこれでいゝかどうか ことに「幻」がいゝか
佐一がいゝか 佐一の方が詩としてはいゝやうですが事実を離れる
所がありその辺適宜ご決定下さい。もし原稿別のがよければ葉書一
つ下さい。すぐ送ります。

暖かになりました。お気の向いた節にはお出でを待ちます。

石川さんの一週忌も近くなりました。詩集校正中との事ですがやっ
ぱり出版の費用が纏まらないのでせうか。

  尚又。

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[477a](1933年7月)(竹中久七あて)下書【旧271】

ご高著詩集並びに論集いただきました。就てはいつか接受の「リア
ン」同じく貴下よりと存じ併せて厚く御礼申しあげます。

私事大正十五年頃より柄にもなく村で百姓のやうなことしてみたり、
その為烈しく疾んだりしまして、殆んど時世と絶縁の形でした。い
まごろ何か好意で詩文など徴されれば、ただもう病前の状態をやっ
と取り戻して、短いもの書いたりする、気がひける事無類でありま
す。

ご高著の如きに接すること、はなはだ

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     移化する雲

  ……はつれて軋る手袋と
    凍つてひた月の鉛……
県道みちのよごれた凍雪しみ
西につゞいて氷河に見え
畳んでくらい丘丘を
春のキメラがしづかに翔ける
  ……眼に象つて
   かなしいその眼に象つて……
北で一つの松山が
重く澱んだ夜なかの雲に
肩から上をどんより消され
黒い地平の遠くでは
何か玻璃器を軋らすやうに
鳥があちこち啼いてゐる
  ……眼に象つて
   泪をたたえた眼にかたどつて……
丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる。
ところがここは黄いろな芝がぼんやり敷いて
笹がすこうしさやぐきり
たとへばねむたい空気の沼だ
かういふひそかな空気の沼を
板やわづかの漆喰しつくひから
正方体にこしらへあげて
ふたりだまつて座つたり
うすい緑茶をのんだりする
どうして さういふ優しいことを
卑しむこともなかつたのだ
  ……眼に象つて
   かなしいあの眼に象つて……
あらゆる好意や戒めを
それが安易であるばかりに
ことさらあざけり払つたあと
ここに蒼々うまれるものは
不信な群への憤りと
病ひに移化する疲ればかり
  ……鳥が林の裾のはうでも啼いてゐる……
  霰が氷雨を含むらしい
  黒く珂質かしつの雲の下
  三郎沼の岸からかけて
  夜更けの巨きな林檎の樹に
  しきりに鳴きかふ磁製の鳥だ……
   (わたくしのつくつた蝗を見てください)
   (なるほど それは
    ロツキー蝗といふ風ですね
    白墨チョークでへりを隈どった
    黒の模様がおもしろい
    それは一匹だけ見本ですね)
おゝ月の座の雲の銀
巨きな喪服のやうにも見える

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     郊外

卑しくひかる乱雲が
ときどき凍つた雨をおとし
野原は寒くあかるくて
水路もゆらぎ
穂のない粟の塔も消される
 鷹はうろこを片映えさせて
 まひるの雲の下底かていぎり
 ひとはちぎれた海藻を着て
 煮られた塩のさかなをおもふ
西はうづまく風の底
紅くたゞれた錦の皺を
つぎつぎ伸びたりつまづいたり
乱積雲のわびしい影が
まなこのかぎり南へ移り
山の向ふの秋田のそらは
かすかに白い雲の髪
 毬をかゞげた二本杉
 七庚申の石の塚
たちまち山の襞いちめんを
霧がむらに燃えたてば
江釣子森の松むらばかり
黒々として融け残り
人はむなしい幽霊写真
たゞぼんやりと風を見送る

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     県道

つめたい雨も木の葉も降り
町へでかけた用タシたちも
半蓑ケラをぬらして帰つてくる
  ……凍らす風によみがへり
    かなしい雲にわらふもの……
牆林ヤグネは黝く
上根子かみねこせきの水もせせらぎ
風のあかりやおぼろな雲に洗はれながら
きやらの木が塔のかたちに刈りつまれたり
崖いつぱいの萱の根株が
あやしいべにをくゆらしたり
  ……さゝやく風に目をつむり
    みぞれの雲に喘ぐもの……
北は鍋倉なべくら円満寺
南は太田飯豊いひとよ
小さな百の組合を
凍つてめぐる白の天涯

-〔文語詩稿未定稿(022)〕----------------------------------
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(本文=下書稿2)
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     〔弓のごとく〕

弓のごとく
鳥のごとく
昧爽まだきの風の中より
家に帰り来れり

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(下書稿1=「冬のスケッチ」第15葉)
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弓のごとく
鳥のごとく
昧爽まだきの風の中より
家に帰り来れり。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 前回書いた私の「病気」が大腸ガンだったことがわかりました。
近く手術することになるので、長年休まず続けてきたこのメールマ
ガジンも、継続できるかどうかわからなくなりました。来週、配信
がなかったら、入院中だろうとご理解ください。

 3年前にもネフローゼで入院しましたが、あのときはステロイド
剤服用のみでしたので、入院中も元気でした。今回は手術の後とい
うことで、ちょっと難しいと思います。私自身の「余命」も今のと
ころ定かではありません。引続きネット上のデータの引取先を募集
していますので、よろしくお願いします。

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