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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第940号--2017.02.25------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(76)1932年-3」「春章作中判」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(76)1932年-3」
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 今回で1932年もおしまいです。9月から12月までですが、記事
の数は少ないですね。

 その中でも、9月に前月の雑誌「女性岩手」創刊号で発表した文
語詩の評が同じ雑誌の2号で発表されています。

 書いたのは同じ花巻町に住む女性のようですが、詳細は不明です。
まず一般の読者と思って間違いないでしょう。

 でもこの人は『春と修羅』もちゃんと読んでいて、その上で今回
の文語詩の方が優れていると言っています。賢治にとってはとても
うれしい批評だったと思います。おそらく、後にも先にも、こんな
うれしいことはなかったのではないでしょうか。

 ということで、新校本全集16巻に掲載されているテキストから
この批評「創刊号を読む  花巻町 I子」を紹介しておきます。
全文はもっと長かったようですが、賢治に関する部分だけが全集に
載っています。

 これに気をよくしてか、賢治は引続き文語詩を「女性岩手」に発
表しています。「祭日」「母」「保線工手」です。

 私も賢治の文語詩はもっと評価されてよいと思っていますので、
うれしいエピソードです。

 それからもう一つ、この年6月に突然死んだ、詩人仲間の石川善
助のことを気遣い、詩集を出すことに協力を申し出ています。追悼
詩集は結局、賢治の死後になってやっと出版されましたが、いろい
ろと気を使う人であった賢治の人柄が忍ばれます。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

石川善助『亜寒帯』を読む
http://www.designroomrune.com/magome/a-o/ishikawa/ishikawa.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 石川善助はなんだか悲しげだ。 子どもの頃、家は没落した。 片
足が不自由でよく転んだともいう。仕事もはかばかしくなく、彼の
書簡を読むと、理想と現実の間でうめく声が聞こえてくる。

 彼は詩集を一冊だけ残した。でもそれも死んでからだった。その
『亜寒帯』を読んでみようと思う。

 冒頭に、28編の北太平洋の詩が並んでいる。北太平洋は、善助の
故郷(仙台)の海だ。二度ほど仕事で海に出たこともあった。北太
平洋は身近な海だった。

 彼は眼前の北太平洋からいつしか想いは、遥か北方のギリヤーク
や白夜の地を馳せるのだった。

 善助にはつらいことが多かったかもしれない。そんな時、彼は、
遥かなる北方を想い、そこで安らいだのではないだろうか。北の自
然は厳しい。でも、だからこそ神々しく、そこで自らも浄められ、
生き力も湧いてきたのではないだろうか。

 善助は実際には白夜の地には行ってないだろう。あくまでもイメ
ージだろう。しかし、イメージであるがゆえの不変性もある。

 遥かなる北の大地は、善助の“サンクチュアリ(聖なる場所)”
だったのだろう。

『亜寒帯』 について

 死後4年した昭和11年に発行された石川善助の唯一の詩集。彼の
詩の愛好者の安部宙之助と久幸勝信の全面的資金援助によって、島
根県大社町原尚進堂から出版された。 草野心平らが編纂。 序は高
村光太郎。

片足不具にめげず

 明治34(1901)年5月16日、宮城県仙台市国分町で生まれる。 母
親の奥ゆかしさと父親の文学趣味を受け継ぐ。家は仙台屈指の小間
物屋だったが、善助が少年の頃、倒産。以後、経済的苦労があった。
小児麻痺のため(異説あり)片足が悪く、晩年まで片足を引き摺り、
よく転んだ。

原始世界に思いを馳せる独自のロマン的傾向

 仙台商業高校に学ぶ。仙台定禅寺通りの教会に赴任してきた山村
暮鳥、室生犀星、ロシア文学から影響を受け、詩作を始める。卒業
後、内ヶ崎酒店、呉服店(現在の藤崎百貨店)、仙台の明治製菓で
働きながら詩作に励む。この頃、叔母の婚家の捕鯨船で乗り出した
北太平洋のイメージが詩作の重要なモチーフとなる。

 大正11年(21歳)、中田信子らと「感触」を発行。 その第7号に
発表した 「亜細亜の祭壇外十三篇」 が百田宗治・山村暮鳥らから
絶賛される。大正13年(22歳)、郡山弘史らと「北日本詩人」、
「L.S.M」を出す。個人誌「航海」も作る。 地元仙台の民話研究に
も興味を示し、童謡や童話もよく書いた。北方の原始世界を夢想す
るロマン的傾向を強める。

上京。そして、突然の死

 昭和3年(27歳)、新天地を求めて上京。かなわぬ恋から逃れる
ためでもあった。最初、詩友の栗木幸次郎の元(豊島区長崎)に身
を寄せる。サトウハチローの紹介で史誌出版社(港区麻布)に勤め、
主に東北文化史の研究誌「東北文化研究」の編纂に携わった。小森
盛と詩誌「冬至夏至」を出し、高村光太郎、草野心平、尾崎喜八、
宍戸儀一、尾形亀之助、佐藤惣之助らと交際。印刷所に転職するが
長くは続かず困窮。昭和7年(31歳)、西新宿の淀橋角筈の草野心
平(29歳)宅に転がり込む。心平も貧しかったが、家族のように迎
えた。善助は心平の焼き鳥屋 「いわき」を手伝った。

 昭和7年6月27日、馬込文学圏の大森駅近くの踏切で溝に墜落して
死去。満31歳。仙台市荒町の皎林寺に埋葬された

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1932年-3〕----------------------------------------------
36歳(昭和七年)
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9月
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1日、本日付発行の「詩人時代」9月号に発表された黄瀛「岡崎清
一郎」の中で賢治に言及。

15日、本日付発行の「女性岩手」2号に「花巻町 I子」署名の
読者の感想「創刊号を読む」が掲載され、「民間薬」「選挙」への
感銘を示す。この一文に対する賢治の反応は藤原嘉藤治あて書簡下
書き(書簡434)参照。なお、「編集後記」でも賢治の「病気全快」
が祈られている。

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     創刊号を読む
                  花巻町 I子

 宮沢賢治先生が多分病床からの御寄稿と思ひますが、「民間薬」
「選挙」の二編、まことに先生の長詩の大成を思はせるものがあり
ます。はじめて発表された「春と修羅」時代には、私共いかにその
一々を繰りかへしても、先生の作意と情緒をつかむことが出来ない
で、たゞその中の「無声慟哭」や「獅子踊」に琴線の響を感じ得た
にすぎませんでしたが、その後十年、すっかり洗練され切ったこの
二編を口誦して見るとき、この田園詩の物語る世界が、空間に再現
されるばかりでなく、其の発声さへもがはっきりときゝ取れる感じ
がいたします。一二誤植と思はれるふしも見えますが、若しあのま
ゝでいゝのなれば、また百回の吟誦をくりかへして見ませう。

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20日、新潟市旭町、詩人時代社、吉野信夫の依頼をうけ、スケッ
チ「客を停める」を送る(書簡428)。なお、吉野の桑原貞子との
養子縁組を祝い、別便で広重の版画8葉を送る。

23日、この日午後6時仙台放送局放送「子供の時間」に藤原嘉藤
治出演。子供たちの歌のピアノ伴奏をした。それに対して祝辞(書
簡429)を送る。

9月、草野心平あてと推定される下書(書簡430)。石川善助の詩
集刊行会の知らせに応え、基金に10円(遅くとも10月中旬に送
る)申込むこと、詩集は一冊予約することを「あなたから」会へ伝
えてくれるよう依頼。

 石川善助の詩集『亜寒帯』は結局五周忌を過ぎた1936年10月、
島根県の詩人安部宙之助・久幸勝信の二人の手で出版された。

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10月
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5日、森佐一へ見舞と雑誌をうけた礼状(書簡431)。

「たゞ昨今次第に呼吸も楽になり、熱なく、目方ふえ、(十一貫位)
一町ぐらゐは歩き、一時間ぐらゐづつは座るやうになった所を見れ
ば、この十月十一月さへ、ぶり返さなければ生きるのでせうと思は
れます。お医者にも昨冬からかゝりません。かかっても同じです。
薬も広告にあるビール酵母だけ、あとは竹を煎じてのんでゐます。
何でも結核性のも来は持久戦さへやる覚悟でゐればどうにかなると
いふよりは他に仕方ないやうです。」

19日、詩人時代社へ返書(書簡432)。9月につづき今月も原稿
を求められたが「肺尖尚痛み遂にペンを握り兼ね」この度はことわ
る。

10月、草野心平あて書簡下書(書簡433)。藤原嘉藤治あて下書
(書簡434)。雑誌「女性岩手」2、3号をうけとり、詩3編(
文語詩「祭日」「母」「保線工手」を送る。口語の方をと思ってい
たのを考え治して定形のにしたのは、雑誌の批評を見て考えたため
だという。振り仮名を落さぬこと、あまりはじめの方には載せない
ことを編集者に伝えるよう依頼。

 なお、菊の俳句を作り美濃紙や障子紙を短冊形に切り筆書する。
恒例の「秋香会」主催菊花品評会逸品の花に短冊を下げ、それを賞
としたいとのことであった。が短冊には書かれなかった。

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11月
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1日、 本日付発行の「詩人時代」11月号に「客を停める」を発
表。

15日、本日付発行の「女性岩手」4号に「祭日」「母」「保線工
手」を発表。

「寄稿家紹介」に次の如くいう。

「宮沢賢治 花巻町の人、盛中卒業後、盛岡高農農芸化学科卒業。
本邦土壌学の権威、幻想派の詩人として中央に知られ著書に詩集
『春と修羅』その他童話集がある、目下病気療養中」

 また、「編集後記」でも「病詩人宮沢賢治氏」と触れる。

11月、あて先不明の下書(書簡435)。菊花の寄贈を受けたこと
などにふれる。なお、花巻温泉での県下菊花品評会、町の同好会で
ある秋香会品評会に関係したのは1930年秋である。

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12月
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10日、宣伝広告に関し鈴木東藏へ返書(書簡436)。前年本年ま
での文案では明年度の主張とは成りがたいので廃止とし、小麦作に
も力を注ぐよう県に対し起稿を手配されたい旨をいう。

28日、鈴木東藏へ返書(書簡437)。桑園への石灰使用実験者を
問われたが心当たりなく、日詰の養蚕・養鶏家橋本善太へ問い合わ
せることにすること、秋田県山内村農会より8トン1車分の価格の
照会のなったこと、など。

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1月、上海事変
3月、満洲国建国
5月、五・一五事件、犬飼首相暗殺
7月,ドイツ総選挙でナチス党第一党となる
9月、インドでガンジーが無期限ハンスト
10月、初の満洲武装移民団
11月、ルーズベルト アメリカ大統領に選出
12月、花巻に朝日橋完成
12月、白木屋百貨店火災

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新美南吉「ごん狐」
「天才人」創刊
「新詩論」創刊
「大言海」刊行開始

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政次郎 58歳 9月暁烏敏来花。10月、金銭債務臨時調停委員
に選任される。
イチ 55歳 
シゲ 31歳 10月、二男祐吾出生。
清六 28歳 4月、橋本アイと結婚。
主計 29歳
クニ 25歳
フヂ 3歳
ヒロ 1歳

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[429](1932年9月23日)藤原嘉藤治あて 封書

(表)花巻高等女学校内 藤原嘉藤治様 祝詞
(裏)二十三日 一町民

今夕の放送之を聴けり。

始めたゞ遇障なきを希ふのみ。而も奏進むや、泪茫乎たり。その清
純近日に比なきなり。

身額ひ病胸熱してその全きを祷る。事恍として更に進めり。最后の
曲後半に至りて伴奏殆んど神に会す。奏了りて声を挙げよろこび泣
く。弟妹亦枕頭に来って祝せり。凡そ今夕意を迎へて聴けるにあら
ず。たゞ鍛へたるものは鍛へたるもの、よきものはよきものなり。

更に盛岡の演あらん。翼くは餐を重んじ煙を節して身を興奮より護
られんことを。

   二十三日夜

  藤原嘉菟治様

宮沢賢治

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[433](1932年10月) 草野心平あて 下書

お手紙が今日も会から参って居りそちらも予定や何かお急ぎと思ひ
あなたまで申しあげる次第です。

石川さんも本統にこれから明るい目も見やうといふ所でした。あな
たはご一諸にも居られ、亡くなられたあとの何かに、いろいろお骨
折りなすったらうと思ひます。当時わたくしは血を出したりして気
も弱って居りうちでは葉書も見せなかったのです。

あなたへも数回手紙を書きかけましたが主義のちがひですか、何を
書いても結局空虚なやうな気がして、みんな途中でやめました。ち
がった考は許すならやっぱりにせものです。何としても闘はなけれ
ばならないといふと、それはおれの方だとあなたは笑ふかもしれま
せん。さうでもないです。わたくしの今迄はたゞもう闘ふための仕
度です。

ご翻訳拝見いたしました。続けてお仕事の間からもっとどうか見せ
てください。ちゃんと読者になりますから。

 まづはおねがひまで。

宮沢拝

  草野様
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     祭日

谷権現のまつりとて、
麓に白きのぼりたち
むらがり続く丘丘に
鼓の音の数のしどろなる

穎花青じろき稲むしろ
水路の縁にたゞずみて
朝の曇りのこんにやくを
さくさくさくと切りにけり

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     母

ゆきばかま黒くうがちし
うなゐの子瓜食み来れば
風澄めるよもの山はに
うづまくや秋のしらくも

その身こそ瓜も欲りせん
齢弱き母にしあれば
手すさびに紅き萱穂を
つみ集へ野を過ぎるなれ

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     保線工手

狸の毛皮を耳にはめ
シャブロの束に指組みて
うつろふ車窓の雪のさま
黄なる瞳に泛べたり

雪をおとして立つ鳥に
妻がけはひの著るければ
ほのかに笑まふその頬を
松は畳めり風のそら

-〔文語詩稿未定稿(020)〕----------------------------------
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(本文=下書稿4推敲後)
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     春章作中判

   春章作中判 一、

ましろき蘆の花噴けば
青き死相を眼にたゝへ
大太刀舞はす乱れ髪

   春章作中判 二、

白紙を結ぶすはだしや
死を嘲ける青の隈
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をかゝげたり

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(下書稿4推敲前)
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   春章作 一、

迷ひの国の渚べに
はてなく蘆の花噴けば
青き死相を眼にたゝへ
十束とつかの太刀と乱れ髪
怪しく所作するエンの舞

   同 二、

銀の大袖風に萎え
白紙を結ぶすはだしや
死を嘲ける青の隈
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をかゝげたり

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(下書稿3推敲後)
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蘆にましろの花噴きて
雪脚ひくく舞ひくれば
寒き刃と乱れ髪
死をあざける青の隈

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(下書稿3推敲前)
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蘆にましろき花噴きて
波は風ともまがりひけり
雪脚ひくく舞ひくれば
寒き刃と乱れ髪
死をあざける青の隈

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(下書稿2推敲後)
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     勝川春章作役者絵

   一、

迷ひの国の渚辺に
はてなく蘆の花さけば
青きうれひを眼に湛へ
寒き刃と乱れ髪
怪しく所作するしにの舞

   二

銀の大袖風に萎え
白紙を結ぶすはだしや
雪の反射のなかにして
死を嘲ける青のくま
鉄の鏡をかゝげたり

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(下書稿2推敲前)
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     勝川春章

迷ひの国の渚にて
ましろく蘆の花さけば
寒き刃と乱れ髪
怪しく所作する死の舞

羽(約5字不明)風に萎え
風に萎えたる水いろの袖
瞳(約3字不明)うつろに伏せて
(約8字不明)出

白衣に黒の髪みだれ
死をくまどれる青の面
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をさゝげたり

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(下書稿1)
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     勝川春章

黒き素袍を風邪に萎え
青くくまどるひたひもゆがみ
瞳うつろにあやしく伏せて
修弥の上より舌を出す。

青き死相を眼に湛え
ましろき蘆の花さけば
迷ひの国の渚にて
寒き刃と乱れ髪
怪しく所作する死の舞

白衣に黒の髪みだれ
死をくまどれる青の面
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をさゝげる人や

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(先駆形口語詩「浮世絵展覧会印象」)
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     浮世絵展覧会印象
                     一九二八、六、一五、

膠とわづかの明礬が
  ……おゝ その超絶顕微鏡的に
    微細精巧の億兆の網……
まっ白な楮の繊維を連結して
湿気によってごく敏感に増減し
気温によっていみじくいみじく呼吸する
長方形のごくたよりない一つの薄い層をつくる
  いまそこに
  あやしく刻みいだされる
  雪肉乃至象牙のいろの半肉彫像
  愛染される
  一乃至九の単色調
  それは光波のたびごとに
  もろくも崩れて色あせる
見たまへこれら古い時代の数十の頬は
あるひは解き得ぬわらひを湛え
あるひは解き得てあまりに熱い情熱を
その細やかな眼にも移して
褐色タイルの方室のなか
茶色なラッグの壁上に
巨きな四次の軌跡をのぞく
窓でもあるかとかかってゐる
高雅優美な信教と
風韻性の遺伝をもった
王国日本の洗練された紳士女が
つゝましくいとつゝましくその一一の
十二平方デシにも充たぬ
小さな紙片をへめぐって
或はその愛欲のあまりにもやさしい模型から
胸のなかに燃え出でやうとする焔を
はるかに遠い時空のかなたに浄化して
足音軽く眉も気高く行きつくし
あるひはこれらの遠い時空の隔りを
たゞちに紙片の中に移って
その古い慾情の香を呼吸して
こゝろもそらに足もうつろに行き過ぎる

そこには苹果青のゆたかな草地や
曇りのうすいそらをうつしてたゝえる水や
はるかに光る小さな赤い鳥居から
幾列飾る硅孔雀石の杉の木や

    永久的な神仙国の創建者
    形によれる最偉大な童話の作家

どんよりとよどんだ大気のなかでは
風も大へんものうくて
あまりにもなやましいその人は
丘阜に立ってその陶製の盃の
一つを二つを三つを投げれば
わづかに波立つその膠質の黄いろの波
  その一一の波こそは
  こゝでは巨きな事蹟である
それに答へてあらはれるのは
はじめてまばゆい白の雲
それは小松を点々のせた
黄いろな丘をめぐってこっちへうごいてくる

    一つのちがったatmosphereと
    無邪気な地物の設計者
人はやっぱり秋には
夭穂を叩いたり
鳴子を引いたりするけれども
氷点は摂氏十度であって
雪はあたかも風の積った綿であり
柳の波に積むときも
まったくちがった重力法によらねばならぬ
夏には雨が
黒いそらから降るけれども
笹ぶねをうごかすものは
風よりはむしろ好奇の意志であり
蓮はすべて lotus  といふ種類で
開くときには鼓のやうに
暮の空気をふるはせる
しかもこれらの童期はやがて
熱くまばゆい青春になり
ゆたかな愛燐の瞳もおどり
またそのしづかな筋骨も軋る
赤い花火とはるかにひかる水のいろ
たとへばまぐろのさしみのやうに
妖治な赤い唇や
その眼のまはりに
あゝ風の影とも見え
また紙がにじみ出したとも見える
このはじらひのうすい空色
青々としてそり落された淫蕩な眉
鋭い二日の月もかゝれば
つかれてうるむ瞳にうつる
町並の屋根の灰いろをした正反射
黒いそらから風が通れば
やなぎもゆれて
風のあとから過ぎる情炎
やがては ultra younthfulness の
その数々の風景と影
赤くくまどる奇怪な頬や
逞ましく人を恐れぬ咆哮や
魔神はひとにのりうつり
青くくまどるひたひもゆがみ
うつろの瞳もあやしく伏せて
修弥頂上から舌を出すひと
青い死相を眼に湛え
蘆の花咲く迷の国の渚に立って
髪もみだれて刃も寒く
怪しく所作する死の舞
白衣に黒の髪みだれ
死をくまどれる青の面
雪の反射のなかにして
鉄の鏡をさゝげる人や
あゝ浮世絵の命は刹那
あらゆる刹那のなやみも夢も
にかはと楮のごく敏感なシートの上に
化石のやうに固定され
しかもそれらは空気に息づき
光に色のすがたをも変へ
湿気にその身を増減して
幾片幾片
不敵な微笑をつゞけてゐる

高雅の     ヽヽヽ
        ヽヽヽをもった
日本
          ヽヽヽ
つゝましく いとつゝましく


おそらくこれらの     ヽヽヽたちは
その    をばことさら     より    し
その    は              ヽヽヽ

やがて来るべき新らしい時代のために
わらっておのおの十字架を負ふ
そのやさしく勇気ある日本の紳士女の群は
すべての苦痛をもまた快楽と感じ得る

褐色タイルのこのビルデングのしづかな空気
天の窓張る乳いろガラスの薄やみのなかから
青い桜の下暗のなかに
いとつゝましく漂ひ出でる

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回掲載した「祭日」の詩の舞台となっている「谷権現」は花巻
市東和町にある谷内(たんない)神社のことです。ここには以前、
賢治学会のツアーで行ったことがあります。12月なのに大雪が降
った後で、大変な雪の中での見学でした。その後「祭日〔二〕」の
舞台となった成島の毘沙門堂にも回りました。

 法華経の行者であった賢治ですが、土着の民間信仰に対する見方
はとても暖かく、決して排除しようとしていないことがよくわかり
ます。

 ということで、いよいよ次回からは賢治最後の年、1933年分のは
じまりです。

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