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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第939号--2017.02.18------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(75)1932年-2」「〔われ聴衆に会釈して〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(75)1932年-2」
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 1932年を2回で終えようかと思っていたのですが、途中であきら
めました。今回は6月から8月までです。

 ここで注目は「女性岩手」という雑誌に、文語詩を掲載している
ことです。

 「女性岩手」は賢治の妹トシの友人であった、多田保子が編集発
行した雑誌で、いわゆる詩誌ではありません。今までの詩人仲間の
雑誌とは全く異なる作風のものをここに掲載したのです。

 『春と修羅』の詩人賢治を知る人に、いきなり文語詩を読ませた
ら驚くでしょうし、前年にはこんなこともありました。「賢治は文
語詩を送ったが草野の意に添わず、別稿を求められたがそれには応
じなかった。」

 ということで発表の場がなかった文語詩を、ようやく掲載するこ
とができたわけです。

 賢治の文語詩が、「女性岩手」の読者には歓迎されたことは次回
に出てきます。とにかく、賢治としてはようやくたどりついた、し
かしあまりに作風が違うため、詩人仲間には受け入れられなかった
文語詩の好評に大いに気をよくしたことでしょう。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

賢治 日めくり 〜8月15日〜
http://www.ihatov.cc/today/8_15.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 1932年8月15日(月)(賢治35歳)、本日付発行の「女性岩手」創
刊号に、文語詩「民間薬」「選挙」が掲載された。

 編集発行人の多田保子は、花巻高等女学校において妹トシと同級
で、トシが級長を、多田が副級長を務めていた。

 創刊にあたって、題名を「女性公論」とする予定であったところ
を、賢治の勧めで「女性岩手」としたという。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

ネプウメリ→ギョウジャニンニク
http://nenemu8921.exblog.jp/5643541/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

ネプウメリ→ギョウジャニンニク(ユリ科ネギ属)行者大蒜

 「民間薬」のネプウメリはこれまで、定説がなかったが、最近ギ
ョウジャニンニク説が発表されている。

 羆熊の毛皮をまとった農夫が夢で啓示を得る民間薬は、アイヌ民
族がご馳走として、冬の保存食として、魔よけとして肺病をはじめ
多くの病気に効能あらたかな食品としてのギョウジャニンニク、ヌ
ペ草であろうというのである。

 最近ではこのギョウジャニンニクは山菜として、自然食品として
も大変な人気だそうで、栽培しているところもあると聞いていた。

 その折、2006年、6月、沢内村で、本当に栽培している情景に出
会ったので撮影させていただいた。花はきれいだが、食品としては
若い茎や葉を食するという。

 また、つい最近、ギョウジャニンニクの漬物を知人からお送りい
ただいた。

 これは栃木県産である。

 味噌漬けで、白いご飯でいただくとたいそうな美味であった。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1932年-2〕----------------------------------------------
36歳(昭和七年)
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6月
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1日、森佐一あて下書(書簡419)。食餌療法に関する注意に感謝
して状況を述べる。

3日、森佐一へ礼状(書簡420)。下書きをしたが結局葉書にかん
たんな礼状を認める。

13日、本日付「岩手日報」四面の「学芸」欄に母木光の「病める
修羅/宮沢賢治氏を訪ねて」が出る。この訪問記ののった「学芸」
欄下欄「消息」欄に「△宮沢賢治氏 病気もよほどよくなられて今
度も生きさうだとのお便り」とある。

 また、同じ紙面に掲載された岡崎澄衛「『天才人』発刊の挨拶」
でも賢治の名前に言及。

19日〜21日、母木光あて返書(書簡421)。19日に書きはじ
められ、封筒うらには21日の日付。「岩手詩集」の本代を為替で
同封。母木作「ワラスと風魔」の批評感想を述べる。童話論、こと
ばの感覚などの一班を窺える珍しい書簡である。

 同じく別便(書簡422)。封筒に原稿在中とあり、中身なし。恐
らく母木の原稿「ワラスと風魔」を送り返したのであろう。

22日、中館武左衛門をし返書(書簡422a)。中館よりの、既成宗
教お垢を抜きて一丸としたる大宗教啓発の趣意、また賢治の病気に
ついての忠告や噂の聞き込みに対して答える。宗教運動については
昨年以来ふえた迷信的な新興宗教と混同されないように希み、病気
については,先祖の意志に反し父母に弓を引いた為とのことは尤も
と思うが、再び健康を得れば父母の許しのもとに家を離れたいこと、
身辺聞き込みのことは高瀬女史の風聞かもしれぬが、神明に誓って
終始普通の訪客として遇したのみであること、聞き込みなどと岡っ
引きの使うような言葉を新宗教の開祖が使うべきでなかろうという。

27日、夜、石川善助不慮死。

6月(推定)あて先不明の書簡下書(書簡423)。

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7月
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 草野心平あて書簡下書(書簡424)がある。それには、7日付消
印の知らせとあるので7月6日通夜のあと投函されて石川善助の死
を報せたもの、花巻着8日と推定される。ただ驚き、喪主弟善二郎
または母堂の住所を至急しらせてほしい旨が認められている。

 なお、草野心平は5月に実業之世界社に入社している。

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8月
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6日、東京の「新詩論」仮編集所(吉田一穂方)へ、依頼された詩
二編を送る(書簡425)。詩は「半蔭地選定」と「林学生」である。

9日、森佐一より雑誌「天才人」2輯を送られ、礼を述べると共に
石川善助の死を悼み、その母の住所を問う(書簡426)。

15日、本日付発行の多田保子編集発行「女性岩手」創刊号に文語
詩「民間薬」「選挙」を発表。なお同誌広告欄「祝創刊」の中に名
を連ねる。編集後記に次の一文がある。「炎熱たぎる今日此の頃、
岩手が持つ病める唯一人の詩人宮沢賢治氏の玉稿を戴くことが出来
たのは本誌の持つ一つの誇りであると共に氏に対して諸兄姉と共に
厚く感謝し氏の平癒を一日も早く祈って止まない。」

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1月、上海事変
3月、満洲国建国
5月、五・一五事件、犬飼首相暗殺
7月,ドイツ総選挙でナチス党第一党となる
9月、インドでガンジーが無期限ハンスト
10月、初の満洲武装移民団
11月、ルーズベルト アメリカ大統領に選出
12月、花巻に朝日橋完成
12月、白木屋百貨店火災

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新美南吉「ごん狐」
「天才人」創刊
「新詩論」創刊
「大言海」刊行開始

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政次郎 58歳 9月暁烏敏来花。10月、金銭債務臨時調停委員
に選任される。
イチ 55歳 
シゲ 31歳 10月、二男祐吾出生。
清六 28歳 4月、橋本アイと結婚。
主計 29歳
クニ 25歳
フヂ 3歳
ヒロ 1歳

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[419] 1932年6月1日(森佐一あて) 下書

  六月一日

お手紙拝誦いたしました。療病に関するいろいろのお心付厚くお礼
申し上げます。なかで大分やってゐることもあり心強く思ひました。
按腹は三年以来苦しまぎれに続けて居り、水を呑むのは曾て教を得
たる西式の一部こゝのみ残存し、海藻はつとめて摂って居り、間食
もほとんどしません。たゞできないのはよく噛むこと、いくらさう
努めても性分でちょっとよくなるともう上のそらで物を食べはじめ
るのです。それでも動物性のものの粕をたべるときっと工合がわる
いのでそれを噛むときはご飯も噛んでゐるやうな訳です。ご注意も
ありもっと努力しませう。営養品といふやうなものみんないけませ
ん。十二月から四月までは卵もいけませんでした。牛乳は一口呑ん
でも一日むっとしてゐます。起きてどんどん歩くやうになればいゝ
のですが。味噌汁のつくり方はあなたのお考じつに卓見です。早速
うちへお手紙を見せてこれで三度さういふ作り方をして貰ひました。
生味噌をいままでわざとたべたり味噌湯をのんだりあるひは病気の
時だけ落し味噌にしたりしながら大きなところではやってゐなかっ
たわけです。じっさい酵素やビタミンなど摂氏何度でこわれるかと
云っても何分間でどれだけこわれるまでは定量ができませんから実
験にまつより仕方次第です。いままで三年玄米食(七分搗)をうち
ぢゅうやりました。母のさとから宣伝されたので、私はそれがじつ
につらく何べんも下痢しましたが去年の秋までそれがいゝ加減の玄
米食によることに気付きませんでした。気付いてももう寝てゐて食
物のことなどかれこれ云へない仕儀です。最近盲腸炎(あらのため)
を義弟がやったのでやっとやめて貰ひました。学者なんどが半分の
研究でほうたうの生活へ物を云ふことじつに生意気です。

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[421] 1932年6月21日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様 書留
(裏)六月廿一日 花巻町 宮沢賢治(封印)緘

   六月十九日

  母木 光様

宮沢賢治

先日のご来花の節は産ぱりお構ひもいたしませず、いろいろ失礼い
たしました。その后小鳥谷並びにご郷里からのお便りいたゞきすぐ
にもご返事いたすべきの処、為替といっしょにと思ひ今日まで遅れ
まして済みません。同封為替やっとお約束の三冊分です。本はまだ
どこにも頒けないでありますから足りなくなったら仰ってください。
童話批評しろとのお詞ですがあの時私の申したのは本ができたとき
批評の形で何かへ紹介を書くといふ積りでした。けれどもまた何も
申しあげなかったりたゞ結構ですとか云ってお返しして、いつでも
鰻みたいに遁げてばかりゐると思はれるのもいやですから、強ひて
私だけの只今の感じや好尚で申しあげませう。

読后の感は明るく、大きさも手頃、藁細工の藁の美しなど新らしい
いゝ匂がします。且つ岩手詩集のあなたの作もさうですが全編に特
種な色彩といふよりはむしろやはりちがった香気があって小品や短
編小説ならもっとこれが出るかと思ふものがあります。

たゞ、作の構造としてははじめの父の行衛不明が、それが全く不明
になったと断はってあるにも係はらず、どうも童話としては何かの
期待を終りまで持ち越し、それがたうたう解決されないといふ気分
を齎さないかと思ひます。この点こどもらに読んで聞かせてあとで
そっと質問して試してごらんになれば、答ははたぶんまちまちだら
うと思ひます。それから、物語がはじめも中頃も現実に近い人物を
扱って、終り頃風魔といふ神秘的なものが一つだけでてくること、
これは神秘を強調するためには有効で、作を一つの図案或ひは建築
として見ると不満があるでないかと存じます。たとへばこの作をガ
ラス製のパンテオン(希臘神話ですか)の模型であるとしてその一
本の隅の柱だけが色ガラスであるといふやうな感じです。前の父の
行衛不明をこの模型にはめれば、向ふの柱とこっちの柱とが互に対
応しないといふやうになりませう。けれどもかういふことは却って
意図してやる事もありませうし、あんまり対称的な完成した図案こ
そむしろ却くべきでもありませう。最后にはリルラといふ名前が滑
らかすぎて性の悪いこどもの性格容貌が出ないと一応考へられます。
どの字かをマ行、サ行、ハ行などの一音とかへてはいかがでせうか。
あんまりあなたが私を謙譲だなどと云ふものですからこんな下らぬ
ことまで書きました。特に日報へ先週お書き下すって、弟も読み親
類でも読み、全体どの人が書いたとか云ってゐました。ご好意は充
分どこでないいたゞきますが、何分にも私はこの郷里では財ばつと
云はれるもの、社会的被告のつながりにはいってゐるので、目立っ
たことがあるといつまでも反感の方が多く、じつにいやなのです。
じつにいやな目にたくさんあって来てゐるのです。財ばつに属して
さっぱり財でないくらゐたまらないことは今日ありません。どうか
もう私の名前などは土をかけて、きれいに風を吹かせて、せいせい
した場処で、お互ひ考へたり書いたりしやうではありませんか。こ
んな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して
書いてゐる次第でありません。全くさびしくてたまらず、美しいも
のがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から「あれはさ
うですね。」といふやうなことを、ぽつんと云はれる位がまづのぞ
みといふところです。

こんどはそのうち私のものもあげてご意見伺ひます。  まづは。

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[422a] 1932年6月22日 仲館武左衛門あて 下書

  六月廿二日      仲館武左衛門様      
宮沢賢治拝      風邪臥床中鉛筆書き被下御免度候

拜復 御親切なる御手紙を賜はり難有御礼申上候 承れば尊台此の
度既成宗教の垢を抜きて一丸としたる大宗教御啓発の趣御本懐斯事
と存じ候 但し昨年満州事変以来東北地方殊に青森県より宮城県に
亘りて馮霊現象に属すると思はるゝ新迷信宗教の名を以て旗を挙げ
たるもの枚挙に暇なき由佐々木喜善氏より承はり此等と混同せらる
ゝ様の事有之ては甚御不本意と存候儘何分の慎重なる御用意を切に
奉仰候。

 次に小生儀前年御目にかゝりし夏、気管支炎より肺炎肋膜炎を患
ひ花巻の実家に運ばれ、九死に一生を得て一昨年より昨年は漸く恢
復、一肥料工場の嘱託として病后を働きおり候処昨秋再び病み今春
癒え尚加療中に御座候。諸方の神託等によれば先祖の意志と正反対
のことをなし、父母に弓を引きたる為との事尤もと存じ候。然れど
も再び健康を得ば父母の許しのもとに家を離れたくと存じおり候。

 尚御心配の何か小生身辺の事別に心当りも無之、若しや旧名高瀬
女史の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇し
たるのみに有之、御安神願奉度、却って新宗教の開祖たる尊台をし
て聞き込みたることありなどの俗語を為さしめたるをうらむ次第に
御座候。この語は岡っ引きの用ふる言葉に御座候。呵々。妄言多謝。

敬具

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[423] 1932年6月 あて先不明 下書

お歌によればご子息様もおからだおすぐれにならぬご様子、何とも
お傷はしく存じます。何卒一日も早くご快癒、ご両親様のご心配も
除かるやう、衷心祈りたてまつります。

からだが丈夫になって親どもの云ふ通りも一度何でも働けるなら、
下らない詩も世間への見栄も、何もかもみんな捨てゝもいゝと存じ
居ります。病気はこんども結核の徴候は現はさず、気管支炎だけが
いつまでも頑固に残って、咳と息切れが動作を阻げます。

   火雲 むらがり翔べば
   わがまなこはばみてうつろ。
 

   火雲 むらがり去れば
   のんどこそしづにたゆたへ。

当地方旱魃の心配がちょっとございましたが一昨日昨日相当降り、
稲も麦もまづよく、ご想像の通り盛んにかくこうが啼いて居ります。
けれども只今の県下の惨状が今年麦や稲がとれる位の処でどうかな
るとは思はれません。まあかうなっては村も町も丈夫な人も病人も
一日生きれば一日の幸と思ふより仕方ないやうに存じます。殊によ
れば順境の三十年五十年より身にしみた一日が思いやうにも存じま
す。それにしてもどうしてもこのまゝではいけないと思ひながら、
敗残の私にはもう物を云ふ資格もありません。

   鉛筆書きの乱筆切にお容しをねがひあげます。まづは。

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     民間薬

たけしき耕の具を帯びて
ひぐまの皮は着たれども 
夜に日をつげるひと月の
卑泥のわざに身をわびて
しばしましろの露おける
すぎなの畔にまどろめば 
はじめはぬかの雪ぬるみ
啼きかひめぐるむらひばり 
やがては古き巨人の
石の匙もていできたり 
ネプウメリてふ草の葉を
薬に喰めとをしへける

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     選挙

(もつて二十をかち得んや)
    はじめの駑馬をやらふもの

(さらに五票も難からず)
    雪うちかめる次の騎者

(太兵衛の一族はいかならん)
    その馬弱くまだらなる

(いなうべがはじうべがはじ)
    懼るゝ声はそらにあり

-〔文語詩稿未定稿(019)〕----------------------------------
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(本文=下書稿推敲後)
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     〔われ聴衆に会釈して〕

われ聴衆に会釈して
歌ひ出でんとしたるとき
突如下手の幕かげに
まづおぼろなる銅鑼鳴りて
やがてジロフォンみだれうつ

わが立ち惑ふそのひまに
琴はいよよに烈しくて
そはかの支那の小娘と
われとが潔き愛恋を
あらぬかたちに歪めなし
描きあざけり罵りて
衆意を迎ふるさまなりき

このこともとしわが敵の
かの腹円きセロ弾きが
わざとはわれも知りしかど、

そを一すじのたわむれと
なすべき才もあらざれば
たゞ胸あつく頬つりて
呆けたるごとくわが立てば
もろびとどつと声あげて
いよよにわれをあざみけり

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(下書稿推敲前)
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われ聴衆に会釈して
舞台を去らんとしたるとき
突如右手の───にて
誰か烈しくジロフォンうてり
そはかの小き(約3字空白)小娘と
われとが浅き交情を
描きあざけり……して
(約5字空白)せしかば──
われはもやゝにうろたへぬ
もとよりそれはわれが敵
かの腹円きセロ弾きが
なせしはわれも知りしかど

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(先駆形口語詩「恋敵ジロフォンを撃つ」)
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     恋敵ジロフォンを撃つ

わたくしが聴衆に会釈して
舞台を去らうとしたときに
上手の方でほとんど豫想もしなかった
ジロフォンの音が鳴り出しました

それはわたくしとその娘との交情を
まったくみんなに暴露させ
またわたくしをいかにも烈しくいらだたすやう
ずゐぶんしばらく鳴りました

もちろんわたしは
それがまさしくわたくしの敵
ゴムのからだにはでなぶりきの制服を着た
バッスうたひのこっそり忍んだ仕事なことは
よく承知して居ましたのです

--〔後記〕--------------------------------------------------

 佐藤さとるさんが亡くなられたそうです。「だれも知らない小さ
な国」を出版したのが1959年だそうですので、私は初期のころから
の読者ということになります。小学生のころは宮沢賢治より佐藤さ
とるの童話の方が好きだったのです。ご冥福をお祈りします。

 先日、有川浩さんが書いたコロボックル物語の続編「だれもが知
ってる小さな国」も読みましたが、面白かったです。これからも書
き継がれていくことを期待したいですね。

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