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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第938号--2017.02.11------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(74)1932年-1」「幻想」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(74)1932年-1」
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 今回から1932年、死の前年です。病気の方は小康状態で、手紙を
書く元気も出てきたようです。

 しかし東北砕石工場の仕事は今となれば重荷としか言いようがな
く、やがて関係はなくなっていくことになります。

 5月までの記事を掲載しましたが、ここで目立つのは佐々木喜善
が何度も花巻を訪れていることです。

 「遠野物語」であまりにも有名な人ですが、この頃は遠野を出て、
仙台に住んでいました。

 当時、仙台から花巻はそれほど近くはなかったと思いますが、今
回掲載分だけで、以下のとおりの日程で来ています。

4月13日、16日、18日

5月22日、25日、27日

 4月の末には歯茎からの出血で苦しんだとありますので、賢治の
状態がよい時期に集中的に訪れているようです。

 家人としては佐々木喜善の来訪のせいで、賢治の病状が悪くなり
はしないか、心配したことでしょうね。

 でも、これだけ頻繁に訪問し、話すことがあったというのは間違
いないです。お互い、当時の東北では得難い知己を得たということ
なのでしょう。

 時代は上海事変、満洲国建国から五・一五事件と戦時色を濃くし
ていきますが、病床の賢治にはほとんど影響はなく、年譜には出て
きませんが、晩年の作品群は病床でも手を加え続けられていたはず
です。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

いわてゆかりの人々
http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/yukari/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

■明治から昭和にかけて活躍した、岩手県にゆかりの人を紹介しま
す。

芸術・文学

石川啄木  盛岡市 詩人・文学者
鳥取春陽  宮古市 音楽家
長沼守敬  一関市 彫刻家
野村胡堂  紫波町 作家・音楽評論家
松本竣介  盛岡市 画家
宮沢賢治  花巻市 詩人・童話作家
山口青邨  盛岡市 俳人
山田美妙  東京都 詩人・小説家・辞典編さん家
萬鉄五郎  花巻市 画家

経済

上田常隆  大阪市 実業家
大島高任  盛岡市 鉱業技術先覚者
鹿島精一  盛岡市 実業家
三鬼隆   花巻市 実業家

学者・医者

大槻文彦  一関市 国語学者
小野清一郎 盛岡市 刑法学者
木村泰賢  八幡平市 インド仏教哲学者
木村栄   金沢市 天文学者
金田一京助 盛岡市 言語学者
佐々木喜善 遠野市 民話研究家
佐藤昌介  花巻市 農政学者
須川長之助 紫波町 植物採集家
田鎖鋼紀  盛岡市 日本速記術創始者
田中館愛橘 二戸市 物理学者
那珂通世  盛岡市 東洋史学先覚者
新渡戸稲造 盛岡市 思想家
三田俊次郎 盛岡市 医師・教育者

教育

淵沢能恵  花巻市 教育者

政治家

後藤新平  奥州市 政治家
斎藤實   奥州市 首相・海軍大臣
高平小五郎 一関市 外交官
原敬    盛岡市 政治家
米内光政  盛岡市 首相・海軍大臣

スポーツ

久慈次郎  盛岡市 野球選手
三船久蔵  久慈市 柔道家

宗教

島地黙雷  山口県 宗教家

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1932年-1〕----------------------------------------------
36歳(昭和七年)
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1月
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1日、本日付発行の「詩人時代」1月号所収の「現代詩作家住所録
総覧」に住所氏名が掲出される。

19日、東北砕石工場より、本月より各方面へ宣伝の必要があるた
め,賢治の病状如何を問うてくる。なお工場は電力料金・工賃・採
石費など月300円くらいの資金を要するということである。

29日、湯本村狼沢高橋久之丞の肥料設計依頼に答え(書簡402)、
面談したいが「何分にも咽喉気管支の疾患にて少しく強く物言へば、
数日の間病状逆行し尚茲一ヶ月は病室を離れ兼ね」るので書簡で送
る旨をいう。

31日、東北砕石工場より、源氏の手元に広告残部あく由ゆえ、2
00乃至300枚至急送られたい旨、いってくる。同時に金融の依
頼あり、80円を融通。

1月、石川善助来訪。

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2月
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2月はじめ、高橋久之丞へ肥料設計の返書(書簡403)

5日、右に対する高橋の意見を参照し再び設計を行う。また、炭酸
石灰の価格について工場へ数回打合せを行ったところ、本年は値上
げということであるが、昨冬来3車のストックがあり、その分昨年
通りわけることをいい、「実は工場との関係甚うるさく私も今春き
りにて経済関係は断つ積りに有之、当地にて多く売れたりとも少し
も私の得にならず候」(書簡404)という。

19日、樺太、王子製紙の杉山芳松あてと推定される書簡下書があ
る(書簡404a)。それによると昨秋病臥中、杉山の友人が依託され
て手紙とみやげ物を届けており、それはフレップ酒1箱、燻製の鮭
2本であった。杉山は年賀状をおこしているが「早速のお礼状さへ
儘ならず毎日毎日思ひ出しながらやっと今日やはり横臥のまゝで鉛
筆書きのお礼を申しあげる次第です。」云々と書いたが、清書して
投函されたかどうかは不明。

29日、鈴木東藏あて返書(書簡408)。工場より広告分の加除訂
正、さらに堆肥についての原稿を求められ送付したが、桑園の施肥
の項中、炭酸石灰の蚕に及ぼす効果について書き足しを頼まれ、了
承する。印刷は鈴木より山口活版へ1万部依頼してあり、電話で問
合せたところ校正刷は3月1日夕刻に出るということである。また、
「次ニ小生儀起床歩行ニ勉メ候ヘ共、息切レ甚シク辛ク十数歩ニ達
スルノミニ有之丈夫ノ方ヨリ見テハ情ナキモノナレドモ如何トモ仕
方無之候」と書く。

2月、光原社の及川四郎あて葉書で投函されなかったものに「昨牛
末から疾みやっと起きて居ります。」とある(書簡408a)。

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3月
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10日、本日付発行の「児童文学」第2冊に「グスコープドリの伝
記」を発表。挿絵棟方志功。なおこの「児童文学」は本号で廃刊と
なり、翌年3月20日、紙型を利用し「現代名作集」上下巻として
文教書院より発行される。

13日、鈴木東藏へ連絡(書簡409)。

一、根白石村農会より価格照会あり

二、広告刷り上がれば百枚わけられたい

三、村松博士日報へ三度に亘りて石灰石粉の効果談話を発表された

四、小野寺博士肥料学教科書ヘエ場の写真一頁入りしもの完成

五、荷為替中煙山分入金

18日、工場へ連絡(書簡410)宮城県根白石村農会よりの再度の
照会につい、回答の発便、とくに出荷期日の見込みをしらせるよう
工場へ依頼。昨年歴訪した宮城県各農会の予期せざる誠意に応えて
くれるよう願う。

20日、工場あて連絡(書簡411)。3月16日付で高農の村松教
授が京都高等蚕糸学校校長に栄転となる。そのため祝賀状と記念品
代5円を送ったが、できるならば工場から謝状を出してほしい旨を
伝える。

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4月
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1日、本日付発行の「詩人時代」4月号に発表された母木光「岩手
詩壇ノート」で賢治の存在と『春と修羅』の価値について言及。

13日、仙台市成田町、佐々木喜善の訪問を受ける。「佐々木喜善
日記」に「午前中中館へ行く、午後宮沢賢治氏の病室に行って三、
四時間話す。」とある。

 佐々木喜善は1929年2月より岩手県土淵村から仙台へ移住してい
た。この時47歳、賢治に対して1928年8月「ざしき童子のはなし」
の転載を希望したのが、そもそも関係のはじまりである。エスペラ
ント、民話、宗教(喜善は大本教)について語り案たが、喜善は賢
治のことを「大した人物だ」と繰り返し家人に語ったという。喜善
によるエスペラント講習会が関徳弥家で4月12日から18日まで
一週間にわたって行われたが、この斡旋は賢治ではないかといわれる。

15日、本日付発行の「岩手詩集」1輯に「早春独白」を発表。岩
手県出身の詩人81名のアンソロジー。母木光偏、発行北岩手出版。

16日、佐々木喜善来訪、夕方まで話す。

17日、福島市獣医千葉喜一郎、村松舜祐博士の紹介により来訪。
農林省依託として砕石工場搗粉と房州砂、三春産のものを家畜に与
える飼養実験を行い、その結果工場産のものは薬用炭酸石灰に劣ら
ぬ良成績をあげ、他産のものとうてい及ばざるを確認したという。

 これにより千葉は農林省佐藤繁雄博士と共名で報告に工場名を明
記する一方、福島・栃木・新潟方面の一手販売を引き受けたいとの
ことである。

18日、佐々木喜善来訪、佐々木に詩集を与える。

19日、三本木、一ノ関よりの鈴木東藏書簡に答える(書簡412)。
三本木の軍馬補充部の件、宮城県庁関口三郎技師との談合について、
千葉喜一郎の来訪に関する件、荷為替取立の件など。

21日、「佐々木喜善日記」に賢治あて発信の記事がある。

25日、弟清六、花巻町里川口の橋本伝吉・トク五女、橋本アイと
結婚。

晩春、下顎第一臼歯歯根の潰瘍のため出血する。歯科医金野英三医
師の手当てを受けたが止まらず、花巻共立病院佐藤隆房院長から止
血剤の注射を受け、局部に薬をつけてもらう。しかしその効果もな
く出血し、翌日再び手当てを受ける。烙白金で潰瘍を焼いて止血す
ることができた。この状況は佐藤隆房「宮沢賢治と死へのあきらめ」
に描かれている。

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5月
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1日、本日付発行の「詩人時代」5月号に母木光が「宮沢賢治序論」
を発表。『春と修羅』および『注文の多い料理店』に言及。「早春
独白」を引用し、また伊福部隆輝が『注文の多い料理店』を「激称」
したことにも触れる。

10日、佐々木喜善より「民間伝承」2号(5月10日付刊行)の
寄贈をうけ、礼を述べる(書簡414)。

 岩手県御所村、母木光あて返書(書簡415)。「岩手詩集」が出
たので届けたい、この機会に会いたいという母木の希望である。
母木光は1930年9月から「岩手詩集」の編集のため詩稿を依頼して
おり、『春と修羅』も送られていたが面識はなかった。

14日、午後『岩手詩集』を持参した母木光の訪問をうける。30
分という約束であったが、母木が出たときは夕方近かった。このと
き『美学原論』『芸術哲学』『仏語初歩独修』ょ三冊を進呈。母木
はそのあと連絡をうけた藤原嘉藤治の案内により下根子桜の家から
北上川畔へ行く。この日の模様は儀府成一(母木光)著「人間宮沢
賢治」にくわしく述べられている。

16日、本日付「岩手日報」四面に掲載された九手青飢「岩手詩集
の感想」および瞳田鐘一郎「岩手詩壇の収穫」の中で『岩手詩集』
をとりあげ、賢治の「早春独白」に言及。

18日、森佐一へ、写真を送られたり、たびたび電話で見舞いをう
けた礼をいう(書簡416)。

22日、午前中、佐々木喜善来訪。「昼食をごちそう」する。

25日、午後、佐々木喜善来訪。佐々木に「仏教の最奥」を話す。

27日、佐々木喜善来訪。夕方まで「6時間ばかり」滞在。

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1月、上海事変
3月、満洲国建国
5月、五・一五事件、犬飼首相暗殺
7月,ドイツ総選挙でナチス党第一党となる
9月、インドでガンジーが無期限ハンスト
10月、初の満洲武装移民団
11月、ルーズベルト アメリカ大統領に選出
12月、花巻に朝日橋完成
12月、白木屋百貨店火災

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新美南吉「ごん狐」
「天才人」創刊
「新詩論」創刊
「大言海」刊行開始

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政次郎 58歳 9月暁烏敏来花。10月、金銭債務臨時調停委員
に選任される。
イチ 55歳 
シゲ 31歳 10月、二男祐吾出生。
清六 28歳 4月、橋本アイと結婚。
主計 29歳
クニ 25歳
フヂ 3歳
ヒロ 1歳

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     早春独白

黒髪もぬれ荷縄になはもぬれて
やうやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはわんやり湯気に曇ります
 ……青じろい磐のあかりと
   暗んで過ぎるひばのむら……
根もとの紅い萱でつくつた木炭すみすごを
もう百枚もせなに負ひ
山の襞もけぶつて並び
堰堤だむもごうごう激してゐる
岩岨道のみぞれのなかを
凍えて赤い両手を頬で暖めながら
この町行きの貨物列車にかけて来て
あなたはわづかに乗つたのでした
 ……雨はすきとほつてまつすぐに降り
   雪はしづかに舞ひおりる
   
あやしい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこつちで
あなたは赤い捺染なつせんネルの一きれを
エヂプト風にかつぎにします
 ……氷期ひやうきの巨きな吹雪のすゑ
   ときどき町の瓦斯燈を侵して
   その住民を沈静にした……
わたくしの黒いしやつぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいつさんにはしります

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[404] 1932年2月5日 高橋久之丞あて 封書

   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   二月五日 花巻町

再啓 貴意を参照、左の如く産出仕候

厩肥       弐百貫
硫安       弐貫
魚粕       参貫五百
大豆粕      拾貫
強過燐酸     四貫五百
骨粉(蒸)    弐貫
炭酸石灰(二粍) 七貫五百(半俵)

赤渋の処は硫安の代りにアムモホス弐貫とし過燐酸を参貫とす。

次に昨年の燐酸アルミナは明に効果あり候 それはあの天候にて三
石、四等米七分といふことは緩効の燐酸の作用甚大と看做さざるべ
からず候。

但し右は連用を忌み候間本年は骨粉と致し候、硫酸加里は石灰を厩
肥に働かせる事と致し御希望通り除き候。

赤渋地にて燐酸を全廃、石灰代用は不可と存候。赤渋地にはアムモ
ホス最もよく候へ共、単用も又気候に仍ては危険有之候間前記の如
く致し置候。

本年の天候略々昨年の型にて、あれよりは暖くと仮想致し置候。

藤助様等厩肥量及米質不明にて一寸設計に困り候へ共一応送り申上
べく候。

二伸 御照会の炭酸石灰価格の件、工場と数回打合せ候為、御返事
も遅れ候処工場の申し分にては、米価も上り工賃も値上を要し(今
まで一人一日五十銭)他肥料も一般に三割高なれば、工場製品も十
貫に付五銭(叺も三銭高)の高価に非れば本年は間に合はずとの事
に候。即ち右にては当地は十五貫一俵に付七銭五厘高の六拾銭内外
と相成る次第に御座候。(一車以上の値段)

然れども当地には作冬の製品三車ばかり有之候間右ある間昨年通り

花巻倉庫渡し十五貫一俵(一車値段) 五拾弐銭五厘

に願ひ上候。小売は盛岡、花巻、水沢、一ノ関みな七十五銭乃至八
十銭に御座候

貴下御口添の分何俵にても右一車価格にて差上申すべく候。何分ぎ
りぎりの価格に候間折角御奔走御取纏め被下候も更に割引といふ事
は六ヶ敷く何卒御用の分丈け御無理なきやう御世話下さらば幸甚に
御座候。

実は工場との関係甚うるさく私も今春きりにて経済関係は断つ積り
に有之、当地にて多く売れたりとも少しも私の得にならず候間決し
て御無理無之様重ねて願上候。

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[404a](1932年2月19日 杉山芳松あて)封書(封筒ナシ)

昨秋はご懇なお手紙と数々の貴重な御地産品を態々お友達に托して
お送りいたゞき今春またご叮寧なご年賀で重ね重ね何とも恐縮に存
じます。あのお方ご来訪の節も肺炎后の気管支炎で何ともお目にか
ゝり兼ね早速のお礼状さへ儘ならず毎日毎日思ひ出しながらやっと
今日やはり横臥のまゝで鉛筆書きのお礼を申しあげる次第です。然
しもう茲十日以内には起きて歩ける見込もつきましたし今度も幸に
肺結核にはならずに済みましたからこの夏はきっとまた去年のやう
に仕事ができるだらうとそれのみ楽しみにして居ります。いたゞい
たフレップ酒(それも一箱)はさすが下戸の私も嘗めるやうにしては
度々呑みました。そしてそちらの吹雪の中で働かれるあなたに実に
済まないと思ひました。燻製の鮭は勿論私もたべ家中でもたべ残り
の大きな一本は切身にしてあちこちのハイカラさんたちへ贈りまし
た。まことにあなたの辛苦の結晶をこの様にいたゞくこと心苦しい
ですからどうか決してこれからはかういふことはなさらず、気が向
いたらやなぎらんの花をつまんで手紙に入れて下すったり、またお
便りがなくともあなたがさういふ場所で大きな会杜の信用を得られ
しっかり働いてゐられることは花巻の農学校のまた私の自慢ですか
らどうかどこまでもまっすぐに、からだを大切にお進み下さるなら
ほんたうにありがたい次第です。

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[414] 1932年5月10日 佐々木喜善あて 封書

   仙台市成田町一一六 佐々木喜善様 崇安
   五月十日 岩手県花巻町

民間伝承第二号ただいま辱けなく拝受いたしました。

編輯 版行のご苦心一字一字にもしのばれ勿体ないやうに存ぜられ
ます。まだ一ぺんひらいて見たばかりでございますが、方言の民話
面白く心を惹かれました。

今日はもはや十日ですから或は両三日中再びご来花の運びになるか
と思ったり、或はこの頃ブルガリヤの人とかも来てゐたさうだしお
やめになるのかとも危んだりして居ります。もし幸にお出ましあれ
ば、何卒重ねて拝眉を得たく存じ居ります。

何分前回は起きあがりもできずにお目にかかって居り、病中居は同
様のきうくつな立場なので、いろいろ失礼ばかり重ね、すっかりお
こりになったかとも恐れる次第です。ただ今やっと座って居れるや
うになり五六ぺん休めば店あたりまでも歩けるやうになりました。
童話、盛岡からまだ来ませんでお送りいたさず済みません。父や母
からもよろしく。

まづはお出ましにならない前と思ひ大急ぎのご挨拶まで申しあげま
す。

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[415] 1932年5月10日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村上南畑 母木光様
(裏)十日 花巻町豊沢町 宮沢金物店内 宮沢賢治

  五月十日

お葉書拝誦いたしました。当地ご来遊の趣、お待ちいたして居りま
す。たゞ昨冬肺炎を再び患ひましていまだに起居談話自由ならず、
まことに失礼な形でお目にかゝる次第ですから何卒その辺お容し置
きねがひます。私の方は何と申しても自称の心象スケッチ屋で詩と
は局外のつもりで今まで殆んど詩人たちとのおつき合ひもしてゐな
いのですから、もしそこをご諒察の上、あたかも画家が幻燈屋を訪
問するやうな態度でお出かけ下さるなれぱ、私も息がつまりません
し大いに肝胆をひらけると思ふ次第です。どうも気管支などが悪い
と少しの感情でも生理的にもてあましてしまふので困ります。では
またその節。

  母木光様

  駅の玄関の横に青いバスが出てゐますから、それをご奮発にな
って「豊沢町金物屋のうち」と仰ってください。

-〔文語詩稿未定稿(018)〕----------------------------------
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(本文=下書稿推敲後)
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     幻想

濁みし声下より叫ぶ
炉はいまし何度にありや
八百とえらいをすれば
声なくてたんを掻く音

声ありて更に叫べり
づくはいまし何度にありや
八百とえらひをすれば
またもちえと舌打つひゞき

灼熱のるつぼをつゝみ
むらさきの暗き火は燃え
そがなかに水うち汲める
母の像恍とうかべり

声ありて下より叫ぶ
針はいま何度にありや
八百といらひて云へば
たちまちに楷を来る音

八百は何のたはごと
汝はこゝに睡れるならん
見よ鉄はいま千二百
なれが眼は何を読めるや

あなあやし紫の火を
みつめたる眼はうつろにて
熱計の計も見わかず
奇しき汗せなにうるほふ

あゝなれは何を泣けるぞ
涙もて金はとくるや
千二百いざ下り行かん
それいまぞ鉄は熟しぬ

融鉄はうちとゞろきて
火花あげけむりあぐれば
紫の焔は消えて
室のうちにはかにくらし

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(下書稿推敲前)
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     幻想

灼熱のるつぼをつゝみ
むらさきの暗き火は燃え
熱計のその針を守り
少年はひとり座りぬ

濁みし声下より叫ぶ
鉄はいまし何度にありや
八百とえらいをすれば
ちえとばかり呟ふ声

声ありてふたゝび叫ぶ
鉄はいま何度にありや
八百とえらいをすれば
声なくて炭を掻く音

声ありて更に叫べり
鉄はいま何度にありや
八百とえらひをすれば
またもちえと舌打つひゞき

紫のほのほのなかに
かの町の寄宿舎のくれ
水汲みてやゝやすらへる
母の面恍とうかべり

声ありて下より叫ぶ
針はいま何度にありや
八百といらちて云へば
たちまちに楷を下る音

八百は何のたはごと
汝はこゝに睡れるならん
見よ鉄はいま千二百
なれが眼は何を読めるや

見つむれどげにもいぶかし
紫の火をみつめたる
みつめたる眼はうつろにて
熱計の計も見わかず
奇しき汗せなにうるほふ

あゝなれは何を泣けるや
かゝる火に鉄を燃すなる
おのこには涙はあらじ
千二百いざ下り行かん
それいまぞ鉄は熟しぬ

たちまちに人ははせ下り
熱鋼は滝の音して
火花あげけむりあぐれば
紫の焔は消えぬ

--〔後記〕--------------------------------------------------

 1月に続いてまた寒波襲来です。今年は寒い時と暖かい時が両方
極端ですね。

 風邪もようやく快方に向っていますが、今回は本当に参りました。
あまり病気などしたことがない方なので、長期に渡って体調不良が
続くというのは初めての経験でした。一カ月入院したときは、薬の
せいで入院させられましたが、体調はごく普通でしたので。

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