-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第935号--2017.01.21------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(71)1931年-7」「〔霧降る萱の細みちに〕」

-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(71)1931年-7」
------------------------------------------------------------

 今回は1931年の8月と9月の東京に出るまでです。

 この期間では、盛岡で「肥料展覧会」が行われ、東北砕石工場は
そこに出品しています。

 賢治の奮闘ぶりは県の技師などもよく知るところで、いろいろと
便宜をはかってもらったりしています。賢治の様子を見ていた技師
から「それほどまでしなくてもよいでしょうに」と言われたとあり
ますが、傍目から見てもいつ倒れてもおかしくない状態だったよう
です。

 また、8月には遠野の上郷小学校に勤めていた沢里武治を訪問し
ています。このとき、「主題歌」の作曲を沢里に依頼したそうです
が、結局できずに終っています。

 忙しい中、このときの訪問が後の「風の又三郎」の物語に大きな
収穫となったことでしょう。

 肥料展覧会も終り、いよいよ東京へ出発しますが、その前日、母
が心配して東京行きをやめるように言ったそうです。もちろん言う
ことを聞く賢治ではありませんが、母の心配が本当のことになって
しまったことはご存じのとおりです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

六 東北砕石工場技師賢治誕生
http://www.jplime.com/bunkaisan/003/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 車社会の現今からでは、およそ想像も出来ないほどきびしい交通
条件下にありながら、病みあがりの賢治が資料各種を手に歩き回っ
た軌跡がこうだったのです。これで倒れなければ不思議というほか
ありません。

 黒丸印で示したところが疲労のあまり床に臥した日なのですが、
これでは家族がハラハラするのも当然なことでした。走っては倒れ、
また立ち上がっては走り、その繰り返しが終に再起不能の状態を招
く結末に至らせてしまう。重いサンプルや宣伝広告類を携え、ハー
ハー苦しそうな息づかいをしながら歩き回るセールス中の賢治のス
ガタに直接出会った知人が「全く気の毒で仕方なかった」と回想を
述べておられたとのこと。

 「か弱なる我が身」を鞭打ち、「海千山千」の商人相手に「なめ
とこ山」の小十郎を思わせる屈撓経験にさいなまれ、疲れ果てた身
体を引きずるように帰ってくる賢治を迎える家族の身にすれば、心
配の重みにつぶされそうだったことでしょう。

 九月十九日、東京出張で家を発つとき、母イチさんが賢治の体を
心配してやめるよう説得したが「大丈夫だから」ときかないで出かけ
たのだったが、賢治の「兄妹印手帳」には、その日の体温を「37
.2」とのメモがありました。微熱をもったまま出かける賢治の体
調を母イチさんが心配して引き止めようとするのも当然であり、母
イチさんの胸騒ぎといえましょう。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-7〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
------------------------------------------------------------
8月
------------------------------------------------------------

1日、本日付発行の「詩神」8月号に草野心平「銅鑼」発表。この
中で「春と修羅」を読んだ経緯、「銅鑼」同人へき勧誘の様子を回
想。

5日、本日付で工場より、中林商店の取りまとめ交渉と東京行き旅
費を自弁で願いたい旨をいってくる。工場よりの言及は石灰販売の
時期は石灰の現物給付を約束していたが、旅費、宿泊費、宣伝費な
どは別に支払うことになっている。ただ工場に現金がなく、計算の
上宮沢商店よりの支払いの中から差し引く形になるが、実際その通
りになったわけではない。これについて鈴木は、諸経費、給料など、
いまの壁材料の時点では販売を得た上でないと払えない、それでは
甚だ申し訳なく、もし販路なければどうすると問われれば一言もな
い。しかし上京の結果がよければ東磐井地方の蚕業の振興、また生
業に安んずる者も五人、十人ではない、自分は利を得る心意はない
ことを告げ、援助を訴えた。つまりゲタを預けられたわけである。

 ついで、再度中林商店へ赴く。

7日、工場側の値引き案をもって三度中林商店行き。

9日、高村光太郎、時事新報社の委嘱で三陸旅行に出発。(9月1
0日まで)光太郎の「年譜」によれば、「宮沢賢治は光太郎の来花
を心待ちにしていたという。」

12日、建築用人造石、壁材料のサンプル全部できあがる。これを
持って上京し、宣伝の上販路を開拓する予定である(書簡378)。

13日、上郷小学校勤務の沢里武治へ連絡(書簡377)。

 仙台へ合資の件で出かけていた鈴木東藏から不調のしらせあり、
旅費算段つき次第出京して打開の道を得たいことをいう。なお高農
農芸化学教室小野寺伊勢之助博士の来書申入れにより石灰岩抹製作
の母岩を送るよう依頼。自分の方からは養鶏用石灰、搗粉を送る。
(書簡378)

18日、沢里武治から連絡があり、20日に花巻に来るとのことで
ある。その日に待つこと、午前中ならば町役場二階の朝顔会に出席
していること、「風野又三郎」という100枚暗いのものを「童話
文学」のために書いているので8月末から9月上旬にかけての学校
や子供らの空気にふれたいことなどを連絡(書簡379)。

20日、沢里武治の訪問を受けたと推定。

22日石鳥谷町菊地信一へ「例の水稲成長曲線」7月20日ごろか
らの分2、3箇所分を報告してくれるように依頼(書簡380)。
23、24日から9月5日ごろまで南の方へ仕事に出ることを伝え
る。

26日、盛岡市豊川商会へ壁材料6俵発送。また北海道への見本も
発送(書簡381)。

27日、宮城県玉造郡川渡村から85円30銭入金、しかし65円
3口は見込みなしとのことで引換証の返送があった。これにつき工
場の善処を求める。また東京へ持参する見本も明日あたり完成する
ので、旧盆(新暦8月29日)以後出京の予定である旨、工場へ通
知(書簡381)

29日、工場よりのレンゲに対する炭酸石灰の効果問合わせに応え
る。高農小野寺博士、宮城県技術官たちの意見ではさほど効果はな
いとのことで、宣伝用印刷物にはどうかと思われること、むしろこ
こ一カ月半は麦作用への宣伝が有効であること、東京より戻り次第
そのために各村を巡歴するつもりだという(書簡382)。

31日、麦作用石灰の注文を得るため、湯本・湯口・八幡・石鳥谷
と巡訪する(書簡384)。

8月末〜9月、「兄妹像手帳」7〜15頁に「小作調停官」21〜
25頁に「〔丘々はいまし鋳型を出でしさまして〕」31〜37頁
に「〔topazのそらはうごかず〕」39〜40頁に「〔白く倒れし
萱の間を〕」などの詩

------------------------------------------------------------
9月
------------------------------------------------------------

2日、朝、石鳥谷を訪ねる。午後工場へ連絡(書簡384)。宮城県
利府村農会より照会あり、新カマス25銭として見本を送ったこと、
近日中に南方へ発足することを報じる。しかし、県主催肥料展覧会
の件がおこり、南方発足は行われなかったと思われる。

9月初め頃、上郷村の沢里武治を訪ね、人造石の原料調査を行い、
かつ「風の又三郎」の空気にふれる。このとき遠野まで迎えに出た
沢里に「どっどどどどうど」の歌の作曲を依頼したという。沢里家
では一家をあげて歓待し、雨中を駅まで見送った。

 以下は沢里の記述より。

------------------------------------------------------------

「その日、わたしは宙を翔ける心地で、軽鉄遠野駅に先生を出迎え、
そのまま車中ならぬデッキにならんで立ったのだが、やおら先生は、
首につるした例の銀製シャープペンシルで書いたと思われる主題歌
「どつどど」の紙片をわたしにつきつけ、今でもはっきり耳の残っ
ているあの朗々たる歌声で「どつ」と詠み出されたときには全くド
キッとした。「どどどう」……。

 余りにも強烈な、余りにも鋭い気魄に度肝を抜かれてしまったの
である。何といったらよいか、全く無我夢中といってはあたらない
し、呆然という表現も彷彿とはしないし……。

「ガッタン ゴットン」だったかどうか記憶にないが、何せ軽鉄線
仙人峠駅へ向う上り勾配を喘ぎ走るその車輪の騒音をも打ち消して、
はっきり耳朶にしみる韻律を以て一気に朗読されるのだった。

 あアまい花梨も吹きとばせエー。

 さて、本論に入るのだが、これに曲をつけろという御託宣である。
つまり作曲を仰せつかったのである。わたしは夢中でおしいただい
た。さてそれからが、わたしの無遊彷徨がはじまるのである。

(略)

 だが、所詮わたくしにして成し得る業ではなかったのである。

 やがてわたしは花巻は豊沢町のお店に先生を訪ねて、もぞもぞと
詫びごとを言上に及んだ。

 先生は黙って居られたが、大変がっかりされた様子で、しばらく
の後静かに稿本風の又三郎開巻第一頁に楽譜風の又三郎を掲載する
つもりだったことを語られ、この上は誰にも作曲は頼まないとつぶ
やかれた。

 あの時の青白い先生のお顔と、その前に、かしこまってふるえて
いるわたし自身のあわれな姿は、今もはっきり思い出すことができ
る。」

------------------------------------------------------------

8日、岩手県立農事試験場及び創立三十周年記念会が記念行事とし
て盛岡市内丸の商工館で「全国優良農具実演展覧会」と「肥料展覧
会」「農業薬剤展覧会」を開催(9月11日より5日間)するにつ
き工藤藤一技師の好意で幅一間のスペースを与えられ、出品陳列す
ることになる。そのため盛岡へ出て様々手伝いをする。高農と試験
場での水稲への効果も顕著で前途は明るいと盛岡駅より夕方工場へ
報じる(書簡385)。

9日、上郷村の沢里武治、別に父沢里連八へ礼状(書簡386、387)1

「一二日天気が続いてよろこんでいたら今日また曇りだして稲作は
実に心配です。」

10日、肥料展の飾りつけを夕方に終る。工場へ提供された区画は
一間で、他社の方に二か所不足が出たため、いろいろ交渉があった
が、工藤技師の好意によって頑張り通す(書簡388)。

 このときの出費控に「9円40銭 展覧会中出席費用」として9
月10日、13日、15日、16日」とある。

11日、本日から展覧会がはじまったが疲労のため出かけられなか
ったと推測。工場に展覧会の模様を報告する(書簡388)。

 飾りつけの状態(のちに写真をとり、工場宣伝パンフレットに使
用)を図示、寄付金は他社30円のところ本社は15円にしたこと、
会期中はなるべく毎日出席して宣伝書を配布する心構えのこと、な
お川渡の件の配慮を頼み、「明春は必ず社運を開拓致し度と存居候」
という。

12日、花巻町末広町藤原嘉藤治あて葉書(書簡389)に、開経偈
(諸宗で唱えるもの)と法華経如来神力品第二一中、国柱会で道場
観と名づける経文を書写。投函せずに直接渡す。藤原から宗派を超
え、共通に歌える合唱曲の歌詞選定を依頼されていたのである。

13日、出盛し、肥料展覧会場で宣伝活動を行う。

「兄妹像手帳」127頁に「九月なかばとなりて/やうやくに苹果
青のいろなせる稲の間を/農業試験場三十年の祭見に行くといふ人
々に伴ひて」のメモがある。また「試験の稲の十のポットや/エナ
メルにて描ける/グラスの板の前に/物説くさまに腰かけて」や
「楚々として/試験の稲の説明を読み/楚々として過ぎたる乙女」
のメモもある。

15日、出盛し、肥料展覧会場で宣伝活動を行う。本日をもって展
覧会は終了したが、宣伝パンフレット、チラシ類を人々に配り、熱
心に説明をし、疲れ果てた様子を見て、工藤藤一技師が同情、それ
ほどまでしなくてもよいでしょうにと慰める。

16日、出品展示物の片付けを行う。鈴木東藏が来たときには既に
片付け中であった。なお、鈴木豊の記述によれば、この日、東北砕
石工場に賢治が来場、賢治に「東京出張の為壁材料用旅費65円渡
す」としている。

17日、この日出京の準備にかかる予定のところ、昨日の盛岡の荷
物(見本)がまだ到着せずいろいろ手間どるが、明日正午には出発
する心組である。この日は水沢、黒沢尻などへ電話をかけ、中林商
店から搗粉20俵の注文を受けた。

 今回の出張では充分の成績を得たいと願い、壁砂の見本も本日四、
五種製作する(書簡390)。

18日、この日は出京予定のところ準備に手間どり翌日にのばす
(書簡391)。各種見本を大トランクに収めると40キロあまりに
もなり、母イチは体を心配してやめるように説得するがきかない。

------------------------------------------------------------

田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

------------------------------------------------------------

金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

------------------------------------------------------------

政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

------------------------------------------------------------
[377]1931年8月13日 澤里武治あて 封書

(表)上閉伊郡上郷村 澤里武治様
(裏)昭和六年八月十三日 岩手県花巻町豊沢町 東北砕石工
場花巻出張所 (封印)〆

   八月十三日

宮沢賢治

やっと暑くありました。お変りはありませんか。この休みにはいっ
しょに音楽でもやる筈の処をまるで忙がしく歩いてばかりゐて最早
残りも少なくなりましたしこのあとも東京、名古屋仙台と出て行か
なければなりません。たゞ一ぺん例の軽鉄沿線の人造石原料の調査
に出る訳ですがあなたはいまそちらにお出でてすか。また細越近辺
乃至沓掛あたり半日ぐらゐご一諸できるでせうか。ご都合お知らせ
下されば幸甚です。

「童話文学」といふものへ毎月三十枚から六十枚書く約束しました。
あなたの辺にも二三編取材をしたいと思ひます。もしご都合よけれ
ば私の方は明日にも出掛けたいと思ひます。  まづは。

 高橋武治様

------------------------------------------------------------

     小作調停官

西暦千九百三十一年の秋の
このすさましき風景を
恐らく私は忘れることができないであらう
見給へ黒緑の鱗松や杉の森の間に
ぎっしりと気味の悪いほど
穂を出し粒をそろへた稲が
まだ油緑や橄欖緑や
あるひはむしろ藻のやうないろして
ぎらぎら白いそらのしたに
そよともうごかず湛えてゐる
このうち潜むすさまじさ
すでに土用の七月には
南方の都市に行ってゐた画家たちや
ableなる楽師たち
次々郷里に帰ってきて
いつもの郷里の八月と
まるで違った緑の種類の
豊富なことに愕いた
それはおとなしいひわいろから
豆いろ乃至うすいピンクをさへ含んだ
あらゆる緑のステージで
画家は曾って感じたこともない
ふしぎな緑に眼を愕かした
けれどもこれらの緑のいろが
青いまんまで立ってゐる田や
その藁は家畜もよろこんで喰べるではあらうが
人の飢をみたすとは思はれぬ
その年の憂愁を感ずるのである

------------------------------------------------------------

     〔丘々はいまし鋳型を出でしさまして〕

丘々はいまし鋳型を出でしさまして
いくむらの湯気ぞ漂ひ
蛇籠のさませし雲のひまより
白きひかりは射そゝげり
さてはまた赤き穂なせるすゝきのむらや
Black Swanの胸衣ひとひら
雲の原のこなたを過ぎたれ
ことし緑の段階のいと多ければと
風景画家ら悦べども
みのらぬ青き稲の穂の
まくろき森と森とを埋め
蛇籠のさまの雲の下に
うちそよがぬぞうたてけん
あゝ野をはるかに高霧して
イーハトヴ河
ましろき波をながすとや

------------------------------------------------------------

     〔topazのそらはうごかず〕

topazのそらはうごかず
峡はいま秋風なくて
互の目なる小き苗代
ましろなる水を湛えて
をちこちに稲はうち伏し
その穂並あるひはしろき
またブリキのいろなせる
蓮華には白き花さき
はるばると電柱は並み
はてにしてうちひらめける
温石の青き鋸
いと小き軽便の汽車
ほぐろなるけむりをはきて
ことことと峡をのぼれる
丘々のすゝきも倒れ
蘆の葉ぞひとり鋭き
このときぞろぞろと軽鉄過ぎ
卵を日にすかし見る
鉄道役員とも見ゆる人や
さては四人の運送屋
同じき鋭きカラつけて
何かはしらずほくそえみ
わらひて行けるものもあり

------------------------------------------------------------

     〔白く倒れし萱の間を〕

白く倒れし萱の間を
一つらの溌溂たる鮎と
トマトの籠よき静物をたづさえて
みづからの需要によるといふに非ずして
たゞもて銭にかへんとて
秋の風を行くめる

------------------------------------------------------------

     〔九月なかばとなりて〕

九月なかばとなりて
やうやくに苹果青のいろなせる稲の間を
農業試験場三十年の祭見に行くといふ人々に伴ひて
あしたはやく急ぎ行きしに
蜂の羽の音しげく
地平のはてに汽車の黒きけむりして
エーテルまたはクロゝフォルムとも見ゆる
高霧あえかに山にかゝりき

------------------------------------------------------------

     〔苹果青に熟し〕

苹果青に熟し
またはなほに青い
試験の稲の十のポットや
エナメルにて描ける
グラスの板の前に
物説くさまに腰かけて
空気は夜を淡くにごり
燈やゝにうみしころ
楚々として試験の稲の説明を読み
楚々として過ぎたる乙女

-〔文語詩稿未定稿(015)〕----------------------------------
------------------------------------------------------------
(本文=下書稿推敲後2)
------------------------------------------------------------

     〔霧降る萱の細みちに〕

霧降る萱の細みちに
われをいぶかり腕組める
なはたくましき漢子かな
白き上着はよそへども
ひそに醸せるなが酒を
うち索めたるわれならず
はがねの槌は手にあれど
ながしづかなる山畑に
銅を探らんわれならず
検土の杖はになへども
四方にすだけるむらどりの
一羽もために落ちざらん
土をけみしてつちかひ
企画をなさんつとめのみ
さあればなれよ高萱の
群うち縫えるこのみちを
わがためにこそひらけかし
権現山のいたゞきの
黒き巌は何やらん
霧の中より光り出づるを

------------------------------------------------------------
(下書稿推敲後1)
------------------------------------------------------------

霧のなかなる細みちに
われをいぶかり腕組める
なはたくましき漢子かな
古き上着はよそはへど
ひそに醸せるなが酒を
うち索めたるわれならず
はがねの槌は手にあれど
ながしづかなる山畑に
銅を探らんわれならず
検土の杖はになへども
もょて何かを射得べしや
さもあらばあれわれはこれ
われはこの野と山山の
土をけみして培の
企画をなさんつとめのみ
さあればきみよこのみちを
わがためにこそひらけかし
権現山のいたゞきの
黒き巌は何やらん
霧の中より光り出づるを

------------------------------------------------------------
(下書稿推敲前)
------------------------------------------------------------

霧のなかなる細みちに
われをいぶかり腕組める
そのたくましき漢子は何ぞ
黒き上着は濁り酒
索めてあるく税務署の
属などとかも思ひけん
黒く大なるかなづちは
探鉱者とか思ひけん
ひかる検土の杖をもて
密猟者とかあやまりし
さもあらばあれわれはこれ
この野と山をうちわたり
岩と土とを調べして
あしたのこの野の幸を
なさんとねがひせるものを
されば漢子よこのみちを
わがためにこそひらけかし
権現山のいたゞきの
黒き巌は何ならん
霧の中より光り出づるを

--〔後記〕--------------------------------------------------

 このところ「年譜」の記事が多くて大変です。来週で1931年の最
後までお届けするつもりですが、一回に収まるかどうかわからない
です。

 体調がなかなか回復しない中、土曜日は昨年生れた孫の誕生日で
す。男の子なので、一升の餅をついて、背負わせるという儀式をす
るのだとか。結構古い習慣だと思いますが、まだ生き残っているも
のも多いようです。

------------------------------------------------------------
-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/
--通巻--935号---------- e-mail why@kenji.ne.jp--------------
--発行--渡辺--宏------- URL http://why.kenji.ne.jp/
------------------------------------------------------------
 購読者数970名です。ご購読ありがとうございます。
------------------------------------------------------------
私あてのメールのあて先は、
why@kenji.ne.jp
私のホームページ(宮沢賢治童話館、全詩篇など)は
http://why.kenji.ne.jp/ です。
バックナンバーもすべて、このページで読めます。
【まぐまぐ】
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ )
マガジンIDは10987です。
このメールマガジンの登録や解除は
http://why.kenji.ne.jp/ です。
=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=-=/=--=/=-=/=-=/