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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第934号--2017.01.14------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(70)1931年-6」「〔痩せて青めるなが頬は〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(70)1931年-6」
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 今回は1931年の6回目ですが、7月の記事のみです。東北砕石工
場の方はいよいよ「壁材料・人造石」の売込みをしようということ
になっていきます。

 私などから見れば、一年間を何とか凌いで、翌年以降に肥料の出
荷で稼ぐのが得策と思いますが、その一年間が持たないということ
なのでしょう。

 さて7月には森佐一に会った記録もあります。「親子丼」を食べ
たとか、春本を持っていたとか、いろいろと興味深い話が出てきま
す。

 賢治は浮世絵の蒐集家で、春画もたくさん集めていたということ
はよく知られています。森佐一の話では「春本」になっていますの
で、一枚物ではなく、冊子になっているものを持っていたようです。

 そして「禁欲」について語るのですが、このあたりの話は今から
80年ほど前にはリアリティがあったのでしょうが、今の私達から
見ると、何だかわけのわからない話に聞こえます。「禁欲」自体が
死語のようなものですから…。

 それから、7月の記事の最後に、草野心平に「電気ブドウ酒」の
製法を教えた、という話があります。

 化学方面の知識が豊かで、ニセモノ作りが好きそうな賢治の考え
そうなものではありますが、下に引用した記事によると、「アルコ
ール入りのお汁粉」のようなものと言いますので、まことに奇妙な
ものです。

 7月の記事で目につくのはもう一つ、「凶作」の話です。昭和初
年は凶作続きではあったのですが、この年もいよいよダメそうだ、
という見通しが出ています。岩手日報に賢治自身がネタ元らしき記
事が出ているのが紹介されています。

 この年の記事はあと2回、夏から東京に出て行くまでと、東京で
倒れて何とか帰って来ることができたところでおしまいになります。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

宮沢賢治が作った「電気ブドウ酒」という謎の酒
http://yaziup.com/gourmet/liquor/16411

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

■創作カクテルなど酒の研究に熱中した賢治先生

 「銀河鉄道の夜」の作家・宮沢賢治が花巻の農学校の教員でもあ
ったことは、たいていの人が知っているでしょう。当時の教員一般
とはまるで違う個性的な授業は生徒たちに強い印象を与えたらしく、
老人になっても忘れられないという声が、教え子たちからたくさん
聞かれました。

 しかし、化学を受け持っていた彼が、授業のかたわら、創作カク
テルなど酒の研究に打ちこんでいたというのは、あまり広くは知ら
れていません。

■黒豆の煮汁をベースにした摩訶不思議な酒

 賢治先生が「創作」したものの1つに、「電気ブドウ酒」なるも
のがあります。

 どういうものかというと、資料によれば、こんな摩訶不思議な製
法でつくられたことが記録として残っています。――黒豆の煮汁を
ベースに、酒石酸、クエン酸、砂糖、ハチミツを混ぜたもの。

 これだけではいくら想像をたくましくしたところで何も思い浮か
びませんが、一説によると、アルコール入りのお汁粉のようなもの
だと言われます。

■「電気」とは、「最先端」の意味なり

 注目したいのは、「電気ブドウ酒」という名前です。

 「電気」と付いていますが、賢治先生は化学の専門家であって、
電流を何かの目的で使用したということはありません。

 では、なぜ「電気」なのでしょうか。

 「電気」は、明治〜大正時代の最先端の技術でした。つまりは、
電気=最先端の意味。賢治先生は「最先端のブドウ酒」だという意
味で「電気ブドウ酒」と名づけたのです。

■賢治先生が目標としたのは「電気ブラン」

 日本の酒の歴史に詳しい人なら、ここで察しがつくでしょう。賢
治先生と頭の中には、はっきりと目標でありライバルとなるものが
ありました。「電気ブラン」です。

 いまでは東京の下町以外ではあまり飲まれなくなりましたが、電
気ブランは東京浅草にいまもある「神谷バー」の経営元、神谷酒造
が明治の世に作った新種のカクテルです。「ブラン」はブランデー
のことで、ブランデーをベースに、ワインやキュラソー、ハーブな
どをブレンドして作られているといわれます。ただし、本当のとこ
ろは、いまも企業秘密。

■「電気ブラン」なら、いまだって飲めます

 電気ブランは、いまも神谷バーへ行けば飲めますし、ボトル詰め
したものも売られています。昔、あがた森魚はこの酒を「3杯飲ん
だらあの世行き」と歌いましたが、そんなことはありません。口当
たりのいい、優しい酒です。

 浅草まで出かける機会があったら、ぜひお試しを。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-6〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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7月
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1日、本日付発行の詩雑誌「詩神」7月号に草野心平が「宮沢賢治
論を発表、まこ「この人この本」欄のアンケートで「2求めたい絶
版本「3どんな本を、どんな人は是非出して貰ひたい」の項の回答
に小森盛、石川善助が賢治の名、作品をあげている。

2日、本日も盛岡に出、搗粉の注文取りに歩く。光原社及川四郎の
話によれば、この搗粉注文取りのとき立ち寄ったそうで、やや異様
な(普通のセールスマンにはない)格好をし、頬紅潮し、自分が行
けば必ず注文がとれると豪語した、という。

1日または2日、いずれかに盛岡に出、県庁に行ったと推定。あわ
せて両日市内米穀店を歴訪。

 「孔雀印手帳」49〜64頁に当日の詩のメモがある。(〔朝は
北海道の拓殖博覧会へ送るとて〕)

3日、盛岡の詳細な報告を工場へ送る(書簡36)。

4日、前日便にいう如く盛岡、日詰に出たか。

5日、水沢および黒沢尻行き、水沢中林商店と交渉。赤間石・壁材
料一式、同店で引き受けたい趣、有利ならば出資の意思あることを
見うける。同店の注文を駅より工場に報じ(書簡366)、正午黒沢
尻駅到着、夕方まで片方米店・菅原米店・小野寺喜蔵・柴田慶助・
斉藤久之丞・渡辺徳之助・佐藤薬店・金子壁材料店を訪問。以上を
工場へ報じ(書簡367)、最後に「策戦私見后二詳シク申上候」と
いう。策戦と帰花後書かれたと思われるが未発見である。

7日、盛岡へ出、岩手日報社へ森佐一を訪問。白い麻の服を着て元
気である。

 森の記述によると「ずっと前に私と話があってから、どこにもい
かないで居る」という女性とまた結婚問題が起きたといい、「自分
のところにくるなら、心中のかくごでこなければなりませんからね」
「いつ亡びるか解らない私ですし、その女の人にしてからが、いつ
病気が出るかしれたも着ではないでしょう」という。飯屋で親子ど
んぶりを注文し、きれいに食べ、東北砕石工場から給料代りに五車
分とかの炭酸石灰をよこされたと笑い、「織田秀雄君の家に何俵か
肥料を送る」といい、東北砕石工場の仕事については「マッチを買
ってくれませんかといって歩くのと、ちっともかわりませんよ。」
という。また二、三冊の春本を出して見せ、K町K社へ届けるよう
に依頼したほか、「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ、
その大きな反動がきて病気になったのです。」「何か大きないいこ
とがあるという、功利的な考えからやったのですが、まるっきりム
ダでした。」など、性の問題についても話した。なお、石川善助が
雑誌のようなものを出すということで童話の注文をよこしたので、
それに応えて童話を書き送ったことなどを森に語る。(石川に送っ
た童話については不明。)

8日、工場へ50円支払い。

9日、本日付「岩手日報」夕刊三面に花巻地方の稲作予想発表。

 なお、この頃、花巻駅で小原弥一にあい「冷害が心配で視察に行
くところです」といい、「いま岩手県を救う道はモラトリアムをや
ることです」と大声をあげる。小原が問い返すと「岩手県は借金だ
らけです。この借金を返さないことなんです」と説明をはじめ、そ
の声があまりに大きいので駅派出所の白鳥巡査がとびたして傍らに
きたがなおも大声を発し借金不払説をとなえ、白鳥巡査は危険思想
かと緊張したが、改札開始時刻になったために事は終る。

 本年は東北地方の冷害、凶作などにより農家不況が深刻化し、全
国的に物価は前年より15.5%下落。農産物価格と農家購入品価
格とのシェーレ拡大、農家は困窮する。

11日、工場へ注文書を送る(書簡368)。水沢中林商店、花巻出
張所、盛岡鉈屋町吉万壁材料店分で、中林の養鶏用石灰10俵以外
は壁材料用の砕石・砂類・搗粉である。なお養鶏用石灰も篩別けを
完全にし、細粉を抜かないと商品としては難しい点を指摘された旨
を報じる。

 また花巻銀行より高橋清吾向け手形(102円80銭)が返送さ
れたので事情を問う(書簡369)。

12日、稗貫郡内八幡村・石鳥谷町へ搗粉宣伝に行く。小口の注文
を受けたので、今後は一車売りより村々へこまかく入ってトラック
売りを行う方が得策かと考える(書簡370)。

13日、東西磐井郡、気仙郡をふくむ県内各組合に搗粉の宣伝広告
を100枚発送(書簡370)。

14日、工場より壁材料の青石が送られてきたので早速左官やコン
クリート職の人たちに照会する。壁砂・人造石材料としては見込み
はあるが、価格は紫砂・紫砕石に及ばないとのことである(書簡37
0)。ついては「前便8屯中」(この記述に該当する書簡は未発見)
へこの「青石及黄黒」を10貫あて加えて一緒に送ってほしい。着
きしだい標本作成にかかり思い切って東京・関西の需要者へ宣伝し
てみたん旨をいう。

17日、工場からの15日付手紙(17日夕刻小岩井農場の帰途立
ち寄ること、不況打開の方途など相談のこと、搗粉その他発送品販
売依頼など)に対する返書(書簡371)で、更に中林商店へ8トン
分の発送を依頼。

 午後四時または六時ころ鈴木東藏来花し、壁材料を東京方面に宣
伝販売し工場の命運を開きたい旨を懇談、10円借用して帰る。

18日、湯本村方面の稲作状況を視察。ここには高橋久之丞のよう
に年来肥料設計お行い、石灰を施用している人たちが多い。鈴木東
藏にあてて、石灰の施用区不施用区を比較梳くと分蘖で約三本から
五本位の相違を示している。しかし本年の冷気と苗不足など、いろ
いろの原因による不良状態で、これを石灰の害に帰する人もあり、
説明に骨を折る、と報知する(書簡372)。

 この7月中「低温、寡照、多雨稲作不順」と「岩手県郷土史年表」
にいい、また県立農事試験場の小沢藤作技師の記述によると、春か
ら冷気去らず5月半ばすぎても苗はやっと5センチくらい、水冷た
く四、五の品種は成苗の見込みも立たず、「幾ら考えても起死回生
の好手がない。情けないと思うと独りで涙が出る。」ありさまであ
ったという。

 この年は凶作になったが、冷害ということばは1934年の冷害年か
ら用いられ、このころは一般に不作または凶作といった。

19日、工場より壁材のサンプル到着。この日の品は「赭」または
「岱赭」色であった。これによって、赤間石による赤、赭、黄、青、
紫、大理石の灰色、計6色を得たことになる。ついては一貫位送ら
れれば早速サンプルを調整の上確実な注文を得たい、と工場へいう
(書簡372)。

20日、本日発行季刊「児童文学」第一冊に「北守将軍と三人兄弟
の医者」を発表。装画は棟方寅雄である。「児童文学」は東京教書
院発行、編集佐藤一英で、掲載は石川善助の推薦による。

 工場より蛇紋岩砕石サンプルがくる。それに対し「あれならば何
とも申分無之」旨をいい、昨日連絡の見本と一緒に送られたいこと、
また青森市大里新吉から照会のあったことを伝え、その回答文を同
封して工場へ送る(書簡373)。

 本日付「岩手日報」夕刊三面に「花巻地方稲作状況(七、一五現
在)」の記事が出る。内容及び下書きと見られる記述、メモの存在
から賢治の資料提供と推定。

「花巻付近の水田六十ヶ所に於ける陸羽三十二号作況を7月15日
に於て昭和三年のそれに比すると次の如くである。三年の草丈一尺
七寸に対して本年は一尺四寸であり本年の最大なるものも三年の最
大なるものに比し二寸余低い。分蘖は三年の十五本に対して本年十
一本であるが最大は昭和三年も本年も大差がない。石鳥谷町菊地信
一氏の成長曲線記録を検するに7月15日に於て三年は一尺八寸弱
四年一尺九寸六分、五年は一尺七寸四分、本年一尺六寸五分である。
但三年四年五年共に最急激な伸長が7月12日頃から始まっている
のに対し本年は田植も約四日遅く気温も低かった結果漸く17日に
至ってその途に就いたと思われるので草丈はどこまでもこの割合で
前三年に劣るものとも思われない。一般に稗貫郡下を通じて実際家
達の直感では、今の所平年作以上は容易に望み得ず同時に半作以下
とも思われぬという程度のところであって結局そのどの辺に止まる
かは今後の天候次第であり且つ圃地にあっての豊凶の差は大正13
年或いは昨年の旱害時にも劣らず甚だしいであろうといわれている。」

24日、工場より緑青色の壁材料・人造石用サンプルくる。見事な
色彩で第三紀のプロピライト(粒状安山岩)系のものと見られた。
(書簡374)

25日、朝、24日付2通の工場書簡をうけとり、直ちに水沢の中
林商店へ集金に行く。工場より送った壁材料代を集金し、大至急7、
8円だけ送れとのことである。しかし中林商店ではまだ荷物の調査
もせず、少しの売込みもしていないので本日は無理とのことである。
やむなくすぐ帰花し、右品代引当てに父へ50円出すよう話したが
結論を得られない。午後になって銀行もしまり、本日送金はできな
いくなったが明後27日午前までにはいかようにしても必ず送る旨
をいう。

27日、金20円を工場へ送る。

29日、石鳥谷町菊地信一へ手紙(書簡375)。彼の結婚を祝う。

30日、鈴木東藏より水沢および一ノ関発連絡あり、水沢の中林商
店へ寄ったところ、壁材料などの売れ行きがなく、よそを廻してく
れといわれたとのことである。商行為の場合、注文以外に見込み、
委託のあるのは当然だが、今回は工場側のやや押しつけもあった。
これに対し、今一応掛け合うのでしばらく待つようにいい、製作中
の壁材料・人造石見本の進行状態をつたえる(書簡376)。

7月、草野心平はこの月より東京麻布十番で屋台の焼鳥屋「いわき」
を開業。10月には移転したがこの間に賢治より電気ブドウ酒製法
のくわしい手紙を受けとる。

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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[365] 1931年7月3日 鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

  七月三日

拝啓 昨日及一昨日盛岡市内に於る各店搗粉需要状態調査の成績左
の如くに御座候

町名  店名   月使用量 仕入先   適要

油 町 丸善商店 三十貫  三ッ家小原 ・次回仕入レノ際当工
場ノモノヲ注文

 〃  小林商店 四十五貫  〃    店主不在、取次ノ約、

 〃  川越千次郎 不詳  不詳    商勢甚不振

大工町 小原精米場 二百貫 三ッ家小原 丸久氏二土沢ヘノ米代
数百円貸シアリ

    (三ツ家小原ノ分家)      当初甚険悪、后三ッ家
へ敢次ノ約、

四ツ谷 加藤清次郎 三十貫 三ッ家小原 ・配給所ヲ設ケテ廉価
供給ヲ望ム

材木町 中亀商店  六十貫 不詳    ・次回仕入レノ約、希
望同前、

茅 町 石川本店 使用セズト称す ー  搗粉に理解ナキモノ、
再訪ヲ要ス

 〃  大矢権二郎 五十貫 不詳    同業数名二図リテヨリ
回答ノ約、

 〃  角喜商店  百貫  不詳(房州砂使用)充分諒解アリ同
前ノ約、

新田町 向井田米店 四十貫 三ッ家小原 店主不在

梨ノ木町 大失勇藏 不詳  不詳    〃

三ッ谷 小原喜太郎 年一二車 福島、三春、三春産ノモノ最白色
ナルヲ以テ断ジテ他品ヲ用ヒズトイフ。十五貫盛岡駅渡シ六十銭ナ
リト。当工場製品ハ白色ノ方モ三春産ノモノニハ著シク色彩劣ルト
イフ。然レドモ成分ノ点二於テ如何トイフニ成分ノ如キ購買者誰カ
之ヲ知ラントイフ。コノオヤジ米相場ナドヲナシ頭ニヌレ手拭ヲノ
セ甚頑固ナリ。昨年丸久氏ノ妻女数回訪ヒテ注文ヲ求メタリトイフ。
折衝二時間遂二当工場製品二対シ何等ノ同情ヲ得ズシテ去ル。

三ッ谷 井上富造 六七十貫 不詳、  不在ナリシモ知人ノ仲介
アリ。次回必ズ注文ヲ得ベシ。

茅 町 加藤米店 三十貫  不詳、  同前不在、取次ヲ約ス。

穀 町 阿部喜兵衛 七十貫(助川産品)何処ヨリカ小買スルラシ。
次回。

鉈屋町 ・吉田末吉 五十貫(助川産品)次回仕入ヲ約ス。配給所
希望。

 〃  村井源三、(酒造用、使用期、秋ヨリ、精米責任者不在)

 〃  細川重右エ門 三十貫 不詳 誰カ主人ナルヤ要領ヲ得ズ

河原町、(吉万二配給ヲ依頼セシモ矢張米屋二非レバ販売不可能ナ
リトノ説、且ツロ銭甚低キヲ以テ一車買取ハ採算二合ハズトイフ。)

 〃  ・小笠原酒造店 使用期二至ラバ必ズ照会スベキヲ以テ充
分勉強セラレタシト。半車位。有望。

仙北町 木下春治  三十貫  助川、 店主不在、

仙北町 太田熊吉、 年五六車 助川、 当店ニテ盛岡市東部ニハ
卸シヲ行フゴトシ。主人及家族交々他産品ノ標品ヲ出シテ審二当工
場製品ト比較ス。助川産ノモノハ時二甚黒ク時二白シ。下孫産ノモ
ノハ当工場産ノモノヨリモ黒シ。助川産ノヨキモノニハ当工場産品
到底及バズ。但シ米糠ヲ日立タザル様ニスル意味ニテハ黒キモノ充
分有望ナラントイフ。タゞソノ価格ノ間題ナリト。就テ今日ハ一車
ヲトレルモノ大部分残レリ。次回ノコトニ関シテハ未ダ約ヲナスヲ
得ズ。

仙北組町 木下春治 三十貫、 助川、 太田店ヨリ小買、

 〃  佐々木与右エ門  使用セズ、 但シ砂搗可ト定マラバ今
后使用スベシ。ソノ際ハ廉ケレバ注文スベシ。

 〃  平野命助  不詳   不詳  主人不在

 〃  吉田勇次郎 使用セズ、    佐々木商店ト類ス

 〃  岡田商店  玄米卸店ニシテ精白ヲ行ハズ

大沢河原 村八米穀店 年数車、 助川 主人不在、再訪ヲ要ス。

馬 町 関口藤左エ門(浜藤酒造店支配人 小生ノ友人)今秋ノ使
用ヲ略々約ス。

太田村産業組合、 秋期ノ石灰岩抹二関シテ宣伝、有望ナリ。
         精白ハスグ隣リノ個人経営ノエ場ニテ行フ。ソ
ノエ場主人不在、組合員二取次ヲ乞フ。

以上の如き次第にて遂に注文としては一車をも得ざりし訳に御座候
へ共今后の下地は作りたる積りに有之候。尚右不成績の理由左の如
きかと存ぜられ候。

一、只今移出米の時期に非ること。

二、本年は玄米にて移出せらるゝもの多きこと。

三、他地方にて生産過剰の結果必死の売込をなし居ること。

四、盛岡は当工場の運賃による長処を充分発捧し難きこと。

五、化粧粉として使用するもの多く、或は無砂を標ぼうするもの多
きこと。

之に対し当工場策戦としては、

一、敢迄成分の点と色白からざるもの揚粉を日立たしめずと主張し、
石灰入の米糠を高価ならしむるやう宣伝すること。

二、何等かの工夫にて一車値段にて小売すること。大精米場には更
に廉価に供給すること。

三、屈せずして絶えず外交すること。

の外はなきかと存ぜられ候。既に三春産の純白なるもの十五貫盛岡
六十銭とすれば当工場右の点にては到底及ばざる訳に有之候。次に
三春助川共割合農村及小都市へは未だ入込み居らず候間その方面へ
宣伝すること、並びに特に工場に近き地方、一ノ関附近水沢附近乃
至宮城県北部に大にカを加ふること必要かと存晋られ候。

今日は当地にて残部の発送、(見本到着候儀)を了へ明日は今一度
盛岡及日詰等手を入れて見度と存居候

敬具

  鈴木場長殿

宮沢拝

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[374] 1931年7月25日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

  七月廿五日正午

拝啓 今朝お手紙を持参して中林氏を訪ひ支払方願候処未だに荷物
調査もせず従って少しも売り込みも致し居らず計算の処は何とも本
日は出来兼ぬるとの事に就き止むなく直ちに帰花中林氏の品物引当
にて五十円出す様父へ談し候へ共尚仲々にはかどらず殊に土曜の午
后と成り銀行の方も出来ざる為遂に本日は御送金の運びに至り兼ね
候。但し明后廿七日午前迄には如何様にしても必ず御送申上べく何
卒それ迄お待ち願上候。次に昨日御送附の緑青色標品見事なる色彩
に有之一見は第三紀頃のプロピライト系統のものと存ぜられ候へ共
産地は西方に有之候や。いづれにせよ充分見込有之と存候。先は何
ともお気の毒乍ら右御報迄申上候

敬具

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[376] 1931年7月30日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

  七月卅日

拝復 水沢及一ノ関よりの貴簡拝誦 中林氏今更売行なきを以て廻
送を乞ふなど云はれても誠に困る次第今一応掛合申すべく候間暫時
お待ちを願上候 洗ひ出し等の見本着々製作致し居候処只今迄の所
にては青鼠の混合、紫鼠の混合の洗ひ出し仲々面々く殊に鼠(石灰
岩)に黄が原石より点々に入れるも亦宜しき様に有之次には仰せの
如く壁標本及セメントヘ粉を加へたる標本にて即ち総計三十六種
(洗ひ出し十二種研ぎ出し十二種セメント加用六種壁六種)を製作
し各十通り宛と思ひ居候間何卒右成績亦今少しくお待ち願上候

敬具

-〔文語詩稿未定稿(014)〕----------------------------------
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(本文=下書稿2推敲後)
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     〔痩せて青めるなが頬は〕

痩せて青めるなが頬は
九月の雨に聖くして
一すじ遠きこのみちを
草穂のけぶりはてもなし

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(下書稿2推敲前)
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痩せて青めるなが頬は
九月の雨に聖くして
一すぢ遠きこのみちは
草穂のけぶりはてもなし

羊も群れず玉蜀黍つけし
車を行かず この原に
みちは一すじ遠くして
草穂のけぶりはてもなし

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(下書稿1推敲後)
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     青柳教諭を送る

秋雨にしとゞにぬれて
きよらかに頬痩せ青み
おもはざる軍に行かん
師はひとりおくれ来ませり

羊さへけふは群れゐず
玉蜀黍つけし車も来ねば
このみちの一すじ遠く
雨はたゞ草をあらへり

ともよ昨日きそかの秘め沼に
石撃ちしなれはつみびと、
わびませる師にさきだちて
そのわらひいとなめげなり

南なる雨のけぶりに
うす赤きシレージの塔
かすかにもうかび出づるは
この原もはやなかばなれ

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------

     青柳教諭を送る

秋雨にしとゞうちぬれ
きよらかに頬痩せて青み
師はいましこの草原の
たゞひとりおくり来ませり

羊さへけふは群れゐず
玉蜀黍つけし車も来ねば
このみちの一すじ遠く
ひたすらに雨は草うつ

友よさは師をな呼び給ひそ
愛しませるかのひとを捨て
おもはずる軍に行かん
師のきみの頬のうれふるを

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回紹介の文語詩は校本全集までは「青柳教諭を送る」という題
でしたが、最終稿には題名がないので、新校本全集では題名がなく
なっています。目次だけを先に新校本全集に揃えたので、今まで目
次と本文の題名が違っていました。順次訂正していきますので、ご
了承ください。

 先週から引続きカゼが治らず、あちこち傷みも出て体調最悪です。
このところ一度調子が悪くなると、なかなか戻らないです…。

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