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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第933号--2017.01.07------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(69)1931年-5」「雹雲砲手」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(69)1931年-5」
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 今回は1931年の5回目、6月の記事のみです。この後はたぶん7
月、8月〜9月、9〜12月の3回になりそうです。9月の後半に
は東京へ出て倒れるという事件があり、そのあたりが年譜のクライ
マックスです。

 ということで、賢治のとって残された最後の活躍時期です。今回
の話題では、肥料の時期が終わったこともあり、「北海道の博覧会」
が中心になります。

 東北砕石工場が自力で出品するのではなく、岩手県が出品すると
ころに出してもらうということですが、サンプルの準備など、忙し
くしています。

 サンプルには、肥料用炭酸石灰、搗粉の他に、人造石をいくつか
展示しようとしています。

 人造石といってもピンとこなかったのですが、調べて見ると思い
出しました。

 昔、学校や公園で、ツルツルしているのでコンクリートの類では
ないが、形がきれいな曲線を描いたりしているので天然石でもない、
という建築素材がありました。

 大きなものはスベリ台とか、流しやちょっとした腰掛けなど、い
ろいろあったと思います。あれが「人造石」なんですね。

 種石をモルタルで塗り固め、研磨してピカピカにするのだそうで
す。きっとその種石を販売しようとしていたのでしょう。もしくは
研磨まで自社でやって、人造石タイルやレンガのようなものを考え
ていたのかもしれません。

 記事の中に「赤間石」と出てきますが、赤間石というのは本来、
下関あたりでとれる天然石で、硯の材料なんかにするそうです。

 賢治の場合は「人造石」とはっきりと書いているので、この赤間
石風の人造石という意味だったのでしょう。

 賢治にとっては、以前から人造石や人造宝石は興味の的でしたか
ら、趣味と実益を兼ねた課題だったのだと思います。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

特別付録−北海道・博覧会の時代
http://www.onitoge.org/ryokou/2005banpaku/13hakurankai.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

1931年(昭和6)国産振興北海道拓殖博覧会

会場 第1会場:札幌市中島公園
第2会場:北海道物産館
会期 7月12日〜8月20日

 中島公園には中央府県館などパビリオン6棟,特設館14,演芸館
などあわせて160棟が建ち並び,大盛況を呈した。第2会場の北海道
物産館は出品物の即売場として設けられ,各県の物産が一堂に会し
た。この年はその後冷害・凶作に見舞われ農村部では深刻な事態と
なった。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

古い絵葉書をまた性懲りも無く手に入れました:
北海道拓殖博覧会の時代
http://blog.livedoor.jp/asano_hisao/archives/51884348.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 古い写真を集めようと思っていたのですが、なかなか写真は高く
て(他の絵とか彫刻とかに比べれば安いけど。。)手が出ないとい
うこともあって、版画と古い絵葉書を時々思い出したように手に入
れています。

 今回手に入れたのは1931年(昭和6)国産振興北海道拓殖博覧会の
ときの狸小路を写した絵葉書。国産進行北海道拓殖博覧会協賛会発
行と書いてあります。

「北海道開拓60有余年、開拓地の殖産興業の進展が著しく、殊に昭
和2年度より第2期殖産計画の実行以来、各資源の開発に伴い産業の
振興が顕著となった。更に産業文化の発展と、資源の開発を期そう
と開催。

 第1会場は22万7.000平方メートルの広大な土地で、爽やかな天然
美の楽園。そこに東西両府県と中央府県館、機械館と特殊建物とし
て演芸館があり、第1会場と札幌停車場通りの第2会場の両会場にあ
った北海道館は、2階建ての堂々とした建物であった。

 モダンな建築で話題の東京館、金閣寺様式の京都館、また、樺太、
静岡、大阪、新潟、宮城、香川、岐阜の各特設館と、金鯱の輝く名
古屋城そっくりの名古屋館、春日神社を模した奈良館など異彩を放
つ建物が並ぶ。

 ほかにも札幌館、石狩館、空知館、北見館などの特設館と休憩所、
食堂など数100種の施設建物があった。演芸館もあったが呼び物の
人間大砲は大賑わいであった。第2会場は既設の北海道物産館を充
て、各郷土自慢の宣伝販売と余興場を設けた。不況時にも関わらず
入場者は650.081人の観客が集まった。後援・商工省、場内呼物(人
間大砲、百三貫の世界一の大女、明石潮、石井瀑、ジャズ、ナンセ
ンスレビュー、札幌芸妓の踊、お伽の天国夢の城・子供の国)」

[会期]  [昭和6年] 1931年07月12日〜1931年08月20日
[開催地] 北海道
[会場]  札幌市中島公園
[主催]  北海道庁・札幌市役所・札幌市商工会議所
[入場者] 650,081人

博覧会資料から

 何かわくわくしますね!

 「呼び物の人間大砲」ってどんなのでしょう?!!!

 この絵葉書の左側に写っている、学生服を着ているおにいちゃん
と、二人の小学生くらいの兄弟。右側の小学生、まるで、うちの 
ほげ2 のように盛り上がっていますね!何が見えたのかわかりま
せんが大喜びしているのがわかります。

 2018年にはいわゆる「北海道150年」を迎えます。

 50年ごとに「北海道博覧会」が開かれてきたのですが2018
年、あと5年後の北海道はどういう事になっているのでしょうか?

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

人造石研ぎ出し仕上げのテクスチュア
http://www.nissaren.or.jp/461

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 しっとり落ち着いたたたずまい。天然の品格を備えた仕上げ

 自然石の風合いを再現した仕上げであり、種石の選定によって存
在感や格のある独特のテクスチュアが得られる。工程が多く手間と
工期がかかるため、近年では施工される例も決して多くはないが、
しっとりと落ち着いたそのたたずまいは、品格を備えた仕上げ工法
として、再び見直される価値が十分にある。

 人造石研ぎ出し仕上げ

 耐久性が高く、自然な素材感と味わい深い品格を備える

■特色

 表面仕上げ層に種石を混入したモルタルを上塗りし、それを研ぎ
出して自然な素材感を出す工法。工場生産の均質な塗り材にはない
質感が魅力で、経年変化により味わい深い表情を見せる。塗り材に
混入する種石の大きさは3〜10mm程度。住宅の玄関床や社寺の階段、
水槽などに多く施工されてきたもので、高級建築にも適した工法と
言える。

■適した部位

 外壁部のほか、柱、床、幅木などの施工用途に適用される。この
ほかにも天井や軒、階段などでも、主に蛇腹引きされた、繰り型の
研ぎ出し工法を施すこともある。

■性能評価

 セメントモルタルは乾燥収縮でひび割れしやすい性質を持つが、
研ぎ出しの場合、混入する種石が高品質な骨材としての機能を持つ
ため、セメント以上に耐久性が高く、特に摩耗に強い。防火性にも
優れている。

■施工工程

 下地の清掃と処理を十分に行った後、下塗りと中塗りをセメント
モルタルで行う(コンクリート下地/ラス下地の場合)。上塗り材
料は付着性が低いため、セメントペーストやモルタルのアマ擦りを
行い、追い掛けで上塗りを施していく。前もって目地を適当な大き
さに切っておき、真ちゅうあるいは木製の目地棒をセメントペース
トやモルタルで固定しておく。上塗りの際には、塗り厚の取り過ぎ
が剥落の原因にもなるので、十分留意する。

■下地

 コンクリート、コンクリートブロック下地のほか、各種ラス下地
(菱形ラス・メタルラス・ラスシート・リブラス・特殊ラス)が用
いられる。それぞれの下地処理については「セメントモルタル塗」
の項に準ずる。

■材料と調合
 
 研ぎ出し用の種石には、カナリヤ石をはじめ、寒水石などが使わ
れる。着色剤を使用する場合は、種石の色より淡くなるように調合
するのが良い。

■仕上げ

 種石と種石との間に隙間がないように人造鏝で上塗り材をよく伏
せ込み、ブラシでセメントノロを取り除いたうえでよく押さえ込ん
でおく。種石を均一に密着させることがポイント。その後、乾燥期
を経て研ぎ出しにかかるが、寒水石のように比較的軟質の種石は約
1日、硬質の種石は約2日間の乾燥期間をおく。冬場はそれ以上の
日数をかける必要がある。研ぎ出しは研磨機やグラインダーを使っ
て、60番砥石で荒研ぎする。荒研ぎ後の表面には無数の空気泡が出
るため、上塗りと同じ調合のセメントノロでこれらを目つぶしする。
次に中研ぎとして、120番砥石を使って表面をより平坦に研ぎ出し
た後、300番砥石で研ぎ、最後に浄源寺砥石で仕上げる。艶出しに
は、しゅう酸でアク止めを行い、ワツクス仕上げなどの処理を施す。

■メンテナンス

 乾燥収縮によるひび割れは、正しく目地割り・目地入れを行うこ
とで、その大半を防ぐことができる。目地割りは、その範囲をでき
るだけ狭くとどめておくと目地周辺から浮きが生じることがない。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-5〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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6月
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1日、水沢の中林商店行き(推定)。

 本日付発行の詩雑誌「詩神」6月号「エスカレータ」欄のアンケ
ート「一、はじめて読んだ詩、ぇたは詩集」の項の回答で、草野心
平が村山槐多の「槐多の歌へる」とともに賢治の「春と修羅」をあ
げる。

2日、連絡通り鈴木東藏来花し、融資のについて相談。石灰石山の
採掘契約金は25円だがカマスの未払い金だけで220円あり、そ
の他クラッシャー購入費、搗粉製造装置用、人夫工賃、電気料など
を含め540円余りの運転費が必要であった。政次郎と相談、42
0円を融通する。これをもって事業は一層発展すると期待された。

3日、工場へ連絡(書簡355)。昨日のあいさつをいい、先日送ら
れた工場から平泉への送付分35円の荷為替証書が見当たらなくて
困っていることをいう。代金回収に差し支えるので善処を依頼。ま
た宮城県根白石村への回答を同封。

4日、鈴木の3日発手紙に返書(書簡356)。工場側では賢治の努
力に対して発送品の値引きをした。それに対し恐縮し、その分はあ
く迄も宣伝費、旅費として使うことをいう。

 この日、朝盛岡の山口活版所に行き、搗粉広告印刷の大きさ、枚
数、値段などを掛け合う。銅板写真入り5千枚15円ということで
ある。ついで滝沢駅に出、岩手県種畜場を訪ねる。本年はまったく
予算がないとの話を聞く(書簡357)。

 このときの情景は「孔雀印手帳22〜19頁に書かれている。そ
れによれば種畜場の事務員は黒いはんかちを頭に播き、その妻はエ
プロンをつけ、自分は赤い鞄をもち赤靴をはき、炭酸紙に記した価
格表をたずさえていた。心はずかしく思い「げにわがいかなるこゝ
ろにて/訪はゞ心も明るかりけん」と書いている。帰り道の松林の
中でメモしたものか。

 この後厨川駅に12時15分下車、岩手県種馬所、種馬育成所を
訪ねたが、両所も予算なく肥料は買わないとのことであった。ただ
し育成所の方は少量八戸から買った由、また種馬所は消石灰を用い
ているとのことである。なお、鈴木東藏が訪ねたことを両方とも言
っていたこと、種馬所の方は今年中に注文の脈がありそうであるこ
と、明日から搗粉宣伝の封筒書きをはじめること等を葉書に書く。
(書簡358)

5日、朝、工場へ連絡(書簡359)。水沢中林商店出荷品について
の問題と搗粉宣伝封筒宛名書きは工場名義で発送したいので印刷す
るかゴム印を作るか、あるいは手持ちの封筒加数あるやを問う。

 午後、工場事務員鈴木軍之助が来て三田商店荷為替取立ての件な
ど、事情の説明があった。

6日、三田商店より入金、計算の上工場へ送金。

8日、鈴木東藏来花。

14日、この日付の鈴木東藏よりの賢治あて受領証によって松川工
場へ出向いたと推定。また、工場ではこの折に「猊鼻渓−高金赤石
採掘場」を案内した。

17日、工場へ連絡(書簡360)。過日工場へ出たとき、搗粉の荷
為替の換金方法と再び事業費の出資を頼まれたことに対し前者はほ
ぼ父の諒解を得たこと、後者は在庫品その他整理の上父に話すので
少々待ってほしいことをいう。

 また工場から北海道博覧会について報せがあり、宣伝の絶好の機
として明日盛岡へ出、県庁で規模を調べた上準備することをいう。
なお搗粉の宣伝につき「帝国信用録」によって封筒書きをしている
ことを伝える。

 右通信のあと、工場来信をうけとる。工場では東京ふプーレーを
注文したがまだ到着せず20日の試運転に差し支えそうである。明
日一ノ関で中古を探してみるが希望のものがなければ宮沢商会へ注
文するとプーレーの長さ、口径など、寸法をいってくる。

 右に対して町内の商店や盛岡にも問い合わせたがあり合わせのも
のはないので特別に注文しないと揃わない、すでに発注済の東京へ
電報督促した方がよい旨を伝える(書簡361)。

18日、盛岡へ出、県商工課を訪ねて北海道博覧会の内容を知る。
正確には「国産振興北海道拓殖博覧会」で7月12日から8月20
日まで三会場(札幌市中島公園、同市北海道物産館、小樽市入船町)
で催される。出品受付で定められたスペースは至って狭隘で、出品
物は二尺×一尺三寸の建築材料の現品、製品の額面一枚、標本瓶高
さ一尺位のものへ肥料及び搗粉三乃至五種位に限られるが、広告は
何枚でも制限はなく、30日迄に県庁へ持参すれば、あとは県で運
送をするとのことである。ついては「 一、白き石にて製したる搗
粉一ポンド/二、仝 肥料二粍以下一ポンド/三、仝 仝 一粍以
下一ポンド/(四、赤間は花巻に有之)/五、紫石にて製したるも
の粗細二種位 各三ポンドづつ/六、青石にて仝上 各三ポンドづ
つ」を至急調整するよう、仙北町駅発で工場へいい送る(書簡362
の1、2)。

 なお、県庁を出てから豊川商会、鉈屋町吉万商会を訪ね、吉万か
ら赤間石の注文予定を得る。

20日〜23日、山口活版所へ依頼の搗粉宣伝用印刷物「精白に搗
粉を用ふることの可否に就て」が刷り上り、その印刷代を支払い、
発送を行う。印刷関係の一切をわずらわし、特に印刷費も負担して
くれたことにつき鈴木は恐縮する。

 また北海道博覧会展示用パネル、人造石見本などの準備を行う。

26日、鈴木東藏来花。北海道博覧会出品物の白色搗粉・紫石など、
賢治指図の製品を持参する。

28日、搗粉広告、盛岡市内の商店へ40通発送(書簡363)。

29日、工場から搗粉価格の連絡があった。まだ杵で搗く製粉工程
で、生産率を半月ほど調査してみないとわからないが、米用10貫
入34銭、麦用同32銭ということである。この価格により注文を
とるよう明日盛岡に出ることにする。例の北海道博覧会出品用の人
造石見本10種を研ぎ出しにやったものも夕方までに出来上がるは
ずである(書簡363)。

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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[360](1931年6月17日)鈴木東藏・鈴木軍之助あて 封書(封筒
ナシ)

拝啓 過日参上の際は色々御厚遇を賜はり寔に難有御礼申上候 そ
の后搗粉荷為替扱方の件父へ談し略々承知を得置候間御安心被成下
度尚在品整理の上再び事業費支出候様可申出その方は少々御待ち願
上候

次に只今御来書の北海道博覧会の件絶好の機会に有之候間明日出盛
当工場にて引受べき面積及出品様式等詳しく相談の上当地にて専門
家に頼み題額、説明等製作致すべく孰れにせよ改めて明日御調製願
ふべき標品目等可申上候 尚青森北海道への広告宛名は帝国信用録
によって調査の上封筒書致し居り候間之又御安心願上候

敬具

  鈴木場長殿
  鈴木軍之助様

宮択賢治

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     〔朝は北海道の拓殖博覧会へ送るとて〕

朝は北海道の拓殖博覧会へ送るとて
標本あまたたづさえ来り
それが硬度のセメントに均しく
色彩宇内に冠たりなど
或はこれがひろがりは
大連蠣殻の移入を防遏すべき点
殊に審査を乞ふなど
やゝ心にもなきこと書きて
県庁を立ち出でたりけるに
ときに小都を囲みたる
山山に雲低くして
木々泣かまほしき藍なりけるを
出でて次々米搗ける
門低き家また門広く乱れたる
家々を
次より次とわたり来り
おのもにまことのことばもて
或はことばやゝ低く
或は闘ふさまなして
二十二軒を経めぐりて
夕暮小都のはづれなる
小き駅にたどり来れば
駅前の井戸に人あまた集り
黒き煙わづかに吐けるポムプあり
余りに大なる屈たう性は
むしろ脆弱といふべきこと
禾本の数に異らずなど
こゝろあまりに傷みたれば
口うちすゝぎいこはんと
外の面にいづればいつしか
ポムプことこととうごきゐて
児らいぶかしさまに眉をひそめみる
「この水よく呑むべしや」と戯るゝに
○通の半纏着たる
肩はゞ広きをのこ立ちありて
「何か苦しからんいざ召たまへ」とて
蛇管の口をとりてこれを揚げるに
水いと烈しく噴きて児ら逃げ去る
すなはち笑みて掬はんとするに
時に水すなはちやめり
をのこ
「こは惜しきことかな
いま少し早く来り給はゞ」
といと之を惜むさまなり
われすなはち
とみに疲れ癒え
全身洗へるこゝちして立ち
雲たち迷ふ青黒き山をば望み見たり
そは諸仏菩薩といはれしもの
つねにあらたなるかたちして
うごきはたらけばなり

-〔文語詩稿未定稿(013)〕----------------------------------
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(本文=下書稿推敲後)
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     雹雲砲手

なべて葡萄に花さきて
蜂のふるひのせわしきに
をちこち青き銅液の
噴霧にひるは来りけり
にはかに風のうち死して
あたりはいよよにまばゆきを
見ずやかしこの青きそら
友よいざ射て雹の雲

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(下書稿推敲前)
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なべて葡萄に花さきて
蜂のふるひのせわしきに
見ずやかしこの青きそら
友よいざ射て雹の雲

--〔後記〕--------------------------------------------------

 遅くなりましたが、新年おめでとうございます。今年もよろしく
お願いします。

 正月は天気が良かったです。どうも風邪気味でおまけにあちこち
痛くて、体調はあまりよくありませんでした。どうも歳のせいか体
調不良をぼやくことが多くなりました。ここらで一度、すっきりし
たいものです。

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