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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第932号--2016.12.31------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(68)1931年-4」「講後」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(68)1931年-4」
------------------------------------------------------------

 1931年の4回目ですが、今回は5月の後半のみです。このあたり、
記事の量が多くてなかなか進みません。

 賢治の活躍によって活況を呈した東北砕石工場ですが、この時期
になると肥料の注文は減り、相変わらずの資金難です。

 そこで賢治の考えた次の一手が、「搗粉」です。当時、精米に米
以外のものを混ぜて搗くという方法があったのです。

 今では精米というと、米粒どうしの摩擦によって糠を落すのです
が、他の硬い粉を入れると、効率よく糠を落せるということだった
のでしょう。

 石灰石抹以外にも、珪砂を使用する方法もあり、賢治は自作のパ
ンフレットで詳しくその違いを論じています。

 しかしこのパンフレットは、盛岡高農の村松博士のお墨付きを得、
論文からの引用などを含めた長文ですが、広告の出来ばえとしては
最低です。

 いったい誰がこんなものを読むと思ったのか…。しばらく商売人
賢治の活躍を見てきましたが、ここにきて研究者の地が出てしまっ
たようです。

 だいたい予想がつくように、搗粉の商売はうまく行きませんでし
た。今回の最後は金策について、鈴木東藏と花巻で会う約束をする
ところで終わっています。

 商品は悪くないし、需要はこれから増えてくるのだから、工場に
もう少し資金があれば、立派な商売ができたと思いますが、日々の
金策が問題のようでは、なかなか先が見えないことです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

搗粉の宣伝
http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/610ebbb723d69ca772b475ea9c29ddab

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 さて、前回最後に引用したように、伊藤良治氏は

 五月下旬には、もう需要期は終わりをつげる注文激減現象の到来
となる。

と述べていたが、このことを受けて同氏は前掲書において「六 搗
粉製造販売に力点を移す」という項を立てて、次のように論考して
いる。

 さて五月半ばまでの農繁期が過ぎてパッタリ受注が途切れてしま
う。どうしても次のステップを切り拓いていかなければならない。

・「六月以降の注文を得る様捲土重来いたすべく……いづれ陰陽は
交代し晴雨は循環致すべく次便を御待ち奉願候」(五月一九日)

・「栗原の注文未だに着せずしきりに心配致し候」(五月二五日)

 前述のように、岩手県内各地のセールスに引き続き、宮城県内で
の猛烈な活動を展開した賢治が、疲労の極みに達し十日ほど床に伏
していたその頃である。賢治が倒れるのと受注が途絶えるのが重な
ってしまったため、病の床にありながらも工場のことを案じ、何と
かして経営をつないでいこうとしている。

   …(略)…

 搗粉とは、精米・精麦を容易にするために混ぜる粉を言うのだが、
当時何も混ぜないで搗く方法(無砂搗)と、珪砂や石灰石粉を混ぜて
搗く方法があった。ところが搗粉(砂や石灰石分)を混ぜて搗いた米
は胃癌の有力な原因になるので、搗粉使用を禁止する法律をつくれ
とさえ言われていた時期だった。…(略:投稿者)…石灰石分で搗粉
を製造してその販売で閑散期をしのごうとしていた。

<『宮澤賢治 東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)160p〜より>

 今まで私は「搗粉」なるものが如何なるものかわからなかったが
これで少しわかった。

 そこで賢治は、この宣伝のための広告「精白に搗粉を用ふること
の可否に就いて」もつくっている。伊藤氏によれば

 「孔雀印手帳」に賢治は、六月と七月を搗粉販売の月としている。
そのため東蔵と一緒に搗粉製造器更新のために金策に努めたり、搗
粉広告の作成に工夫をこらしたり、肥料用炭酸石灰の需要期が過ぎ
た六月、七月の工場経営の主力にこの搗粉販売を据えていた。

<『宮澤賢治 東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)163pより>

ということである。そこで実際にその広告内容を見てみると、それ
はかなりの長文なのでポイントも絞りきれなく、かつ専門的である
から、この広告文をちょっと見たぐらいでは搗粉の良さはわからな
いと私は感じた。せいぜいこの広告で私が目を引いたのは最後の

石灰搗きの米が胃癌の原因ならば、豆腐も胃癌の原因でせう。
石灰搗きの米糠が馬に有害ならば、それは骨なし馬でせう。

という、唯一のユーモア部分だけだった。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-4〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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5月(つづき)
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16日、鈴木よりの毎日30トン生産、販路工夫願いの葉書に対し
て答える(書簡345)。

 まず昨日送金、15日中つくようとの工場側の希望に対し、電報
為替でなく小切手で送った点を詫びる。政次郎のそれまでには及ぶ
まいという意見に従ったのである。しかし結果的には待ちかねた工
場からの電報問い合わせがあり、こちらも返電することになった。
ついで注文取りの件については、稲作への石灰追肥に関する資料を
集め、今日、明日中にそのパンフレット現行を作り高農の小野寺伊
勢之助博士の意見をきき、県農務課を訪ねて諒解を得て、再び組合
に宣伝するつもりである。ただ宮城県栗原郡方面については相当の
手を打ってあり、18日の講演会の工藤技師の推奨如何で幾分の注
文があると思われる。いずれ3、4日中に工場へ赴くはずである、
という。工場からもこの日、対策相談のため来てほしいといってく
る。しかし、この後発熱病臥した。

17日、工場より相談にくるよう電報があったが、病臥中でことわ
る。

18日、病臥中であるため、工場の方から事務員鈴木軍之助をさし
むけてくる。用件は、賢治案の広告(追肥用)を今一度配布したい
こと、岩手商会取引のこと、岩手軽便鉄道沿線売込み依頼のこと、
青森方面、山形方面へき販売方法如何のこと、借金申し込みのこと
で、これについては金100円融通。

 この日付の母木光あて封筒(書簡346)があるが、中身は未発見。

19日、午後鈴木あたの手紙(書簡347)で、本日熱も退き諸方へ
の照会もしている旨をのべ、おそらく明日は出盛、広告文の件を片
づけ、そのあとは6月以後の注文が得られるよう捲土重来を期すこ
とをいう。その他、小牛田斎藤報恩農業館工藤技師へ電報したこと、
岩手商会は本年は見本だけで注文のないこと、前沢の福地商店は数
度電話してもまたいずれというぐらいなので、夜業は当分やめて栗
原郡の注文を待ってほしいこと、いずれ陰陽は交代し晴雨は循環す
るはずだという。

20日、盛岡へ行ったと推定。5月23日の手紙(書簡349)で広
告原稿を書き送っていることから、その前に小野寺博士、県農務課
を訪ねたと思われる。なの濃きあと発熱病臥したと推定(書簡349)。

23日、上郷小学校沢里武治へ手紙(書簡348)。義弟主計(末妹
クニの夫)が保険の用で出張したので托便とした。5月10日に会
うことはお互いに用で崩れたので、6月中旬1、2時間訪ねたいこ
と、大理石の標本を集めておいてほしいことなどをいう。

 工場より来信。石灰はもはや需要期もおわりになろうとし、引き
つづき搗粉の生産に移り北海道方面まで販売したい、気候不順で容
態不快のようであるが大切な時期なので健康をいのる、ということ
である。

 夕方、返信(書簡349)。見舞を感謝し、本日はほぼ平常に復し、
広告原稿も書いたので検討の上訂正補筆して送り返してほしい旨を
いう。

 この日付で再度工場から連絡あり。盛岡の吉田万太郎商店を8ト
ン送付したこと,家禽飼料一車分有り、販売方法をたのむこと、な
どをいう。

24日、工場依頼の家禽用飼料(養鶏用石灰)の売込みについて、
先日清六を前沢福地商店へやったとき話があったので照会をする
(書簡350)。

25日、工場へ連絡(書簡350)。工場から送られてきた石灰8ト
ン、並に15トン今日迄に丸久運送店へついたこと、前沢の福地商
店へ飼料見本を送れば話が早いであろうこと、売込先がなければ花
巻で引きうけてよいこと、搗粉の広告は高農村松舜祐博士の校閲を
得るため浄書まで3、4日待ってほしいこと、広告の印刷に関する
こと、宮城県栗原郡の注文がまだ着かないので心配していること、
稲作・レンゲ・桑園用パンフレットの起草をすること、もはや明日
あたりよりはどしどし出歩きできると思うこと、をのべる。

 そのあと鈴木東藏来花、種々打合せ。石灰石山採の契約を行いた
いこと、その融資について相談があり、250円を融通。

 3月25日より5月25日まで2カ月間の「炭酸石灰発送先控」
は次のとおり。

岩手県湯口村神明組合     10屯
同 湯本村狼沢及椚ノ目組合  15屯
同 黒沢尻町 郡司商店     8屯
同 水沢町 中林商店     46屯
同 前沢町 福地商店     10屯
同 一ノ関町 加賀商店    28屯
同 飯豊三番組合        8屯
同 石鳥谷町 板垣商店    20屯
同 花巻町南城組合       8屯

岩手県佐倉河村 高橋清吾   86屯
同 花巻町 渡辺商店      8屯
同 笠間組合         20屯
同 盛岡市外 三田牧場     8屯
同 煙山村農会        10屯
同 新堀組合         13屯
同 湯本村金矢組合      10屯
同 湯口村上根子組合     20屯
同 盛岡 吉万商店      16屯
同 金ヶ崎村 坂本勝治    10屯
同 高橋吉次 松川三郎    18屯
同 小口合計        約20屯

27日、工場へ連絡(書簡351)。本日盛岡吉田万太郎商店へ出荷
8トンの荷為替が送られてきたので5月23日発送(この荷為替も
先に到着)のものか、再注文かを問う。再注文であったことを28
日知る。

 前に販売区域問題の起った胆沢郡佐倉河村高橋清吾より再び抗議
の手紙があり、その善処方を依頼。3、4日中に要務とりまとめて
工場へ行く、と伝える。

30日、搗粉についての原稿を持ち盛岡へ出、高農に村松舜祐博士
を訪ねる。論文転載の快諾を得、原稿の一閲を乞い、大いに有望の
事業であると励まされる。ついで小野寺伊勢之助教授を訪ね、石灰
肥効の充分な研究がないことのことで資料を送り、学生の卒業論文
に「炭酸石灰の肥効」として試験をするよう依頼。この後搗粉の販
売をひかえ、市内の米穀店数軒を挨拶周りする。右の旨を盛岡駅か
ら工場へ連絡(書簡352)。

 盛岡よりの車中、はからずも小牛田斎藤報恩農業館の工藤技師と
あい、栗原郡農会講演会の模様をきく。講演会は20日に行われ、
工藤・浦壁・関口の三技師から炭酸石灰の推奨を行ったこと、送付
した広告には郡農会指定の肥料店名を入れ、見本と共に配布したこ
と、本春の注文は少なくとも来年またはこの夏以後必ず注文の増加
に相当の効果のあろうこと、6月中の注文はいくらか期待できるで
あろう、とのことである。右のことを合わせて代金自分持ちで石灰
10俵を不良土壌改良試験用に農業館へ送るよう、車中で認め工場
へ通知する(書簡353)。

31日、工場からの手紙配達され、25日石灰石山採掘契約(その
他機械類購入)のため融資した250円が、人夫陳・鉄道運賃に支
払われ、なお資金調達の必要があり、花巻の旅館柏屋で合って、十
分相談の上父政次郎に頼みたいとのことである。

 直ちに午後電報で「二ヒオイデマツ」と鈴木あて連絡。明日搗粉
の意匠登録、広告印刷の相談のため工場へ行くつもりであったが、
それでは金策に困るので水沢の中林商店二車分の取立てに行き2日
の金策を容易にしたい。2日には一応帳簿・書類など持ってきてほ
しい。本日は高農行きの試料調整と搗粉についての原稿の添削をす
る、など知らせる(書簡354)。

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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精白に搗粉を用ふることの可否に就て

 精白に搗粉を使用するとしないでは、その工程と費用に非常な差
がありますので、経済的立場からは、これを用ひること当然得策で
ありますが、衛生上の見地からは一般に搗粉を用ひて精白した飯米
は有害であるとされ、殊に近年栄養研究所で混砂米が胃癌の有力な
原因であらうといふやうなことを主張しましてから、搗粉の使用を
法律で禁ぜよとの議論さへ処々より起り近頃では需要家は白米の購
入に際して、一々その無砂搗であるや否やを問ひ訊すやうにさへな
りましたので、搗粉を使用せられる精穀家の方々は、何か四面楚歌
の声といふやうな感じもせられ、結局は不経済で困難な無砂搗を標
榜しなければならないやうな状態に立ち至りました。

 然るに上来の議論に於て搗粉の害と称したものは三四年前迄殆ん
どその全部でさへあった房州砂のそれに該当するものであります。
房州砂といふのは浮岩質凝灰岩乃至火山灰等を乾かして砕いたもの
で、大部分珪酸から成り、中には針状の玻璃質物や石英の斑晶など
も入って居りますから、これを用ひて精白した米は、もしその水洗
が不充分でありましたら、丁度ガラスの粉を食ったと同じ害をなす
場合なしとも全く云へないのであります。ところが同じく搗粉とい
っても、只今まで房州砂の原料のない処や、或は単に化粧粉として
用ひられてゐた石灰石粉(大理石粉)でありましたら、事情は全く
之と異るものであります。

 最近の実験によれば原料たる石灰岩が良質なる場合には、これを
用ひて精白した米は、水洗すればその鉱物質の量に於て無砂搗に異
ならざるは勿論、寧ろその微量に残存する石灰は、白米中に含有さ
れる苦土の毒を消す作用さへあって、却って無砂搗米よりも衛生的
であるといふのであります。蓋し、栄養資料中の苦土が石灰に比し
ある程度以上多くなりますと、人畜乃至植物の成育をさへ害し、こ
の程度をば石灰率と称し、その価は各生物によって異なるために、
人畜の栄養乃至植物の肥培に於てこの点常に注意を要することは既
にご了知のことと存じます。にも係はらず、若し単に搗粉が一般に
害ありと云はば、実に玉石混同の素人論と申すより外ありません。
之等に関しては左の論文を直接ご参照いただかば事自ら明白と存じ
ます。

「余は此等の搗粉を使用せる白米と、同じ程度に無砂搗にせるもの
とに就き、普通に炊飯する場合に於けるが如く、水洗して幾何の搗
粉が残留するやを知らんと欲し、原白米及び水洗白米に於ける灰分
の含量を比較したるに、次の如き結果を得たのである。

搗粉の種類  原白米    水洗白米
無砂搗    〇.六〇%  〇.三六%
珪砂     〇.七二%  〇.三六%
石灰石粉   〇.八一%  〇.四〇%

更に灰分中に含有せらるる成分塩酸に不溶解の部分を定量せしに次
の如し。

       原白米    水洗白米
無砂搗    〇.〇〇八% 〇.〇〇三%
珪砂     〇.一〇四% 〇.〇〇三%
石灰石粉   〇.〇〇九% 〇.〇〇二%

    ─中略─

 更に之れを石灰石粉に就て見るに水洗後に於て其の一部分が残留
するも何等の有害なる結果を来す虞あるものでは無いのであって、
寧ろ植物の成分として有用なる石灰の増量を来し、白米中に過量に
存在する苦土との割合を改善するに至るのである。今此の関係を珪
砂使用の白米及び無砂搗のものと比較するに次の様である。但し水
洗後の乾物百分中に存在する石灰及び苦土の量と此等両者の割合と
を示すものである。

搗粉の種類  石灰     苦土    石灰に対する苦土
無砂搗    〇.〇一   〇.〇四   四
珪砂     〇.〇一   〇.〇四   四
石灰石粉   〇.〇二   〇.〇四   二

即ち石灰に対する苦土の割合は石灰石粉使用の場合は之れを使用せ
ざる場合に比して半減するを知るのである。

 斯の如く搗粉として石灰石粉を使用すれば白米に何等の有害なる
成分が混入しないのみならず、白米に於ける石灰の含量を増加して
苦土との割合をよりよくする点より見て、其の使用を排すべき何等
の理由をも認むること能はざるのみならず、之れが使用を薦めなけ
ればならないことになるのである。」

飯米の精白法に就て 農学博士 村松舜祐 糧食研究 第六七号一
二及一三頁 同教授の御快諾に仍って転載……

 勿論之を経済的方面から見ますれば、搗粉を用ひる方が無砂搗よ
りも得なことはもとより、更に石灰石粉を用ひた方が珪砂搗よりも
経済的であることは、名古屋衛生試験所の三堀技師も実験発表せら
れ村松博士もご試験せられてあります。 即ち

「余が丸六精米機を用ひて、三斗の玄米を同一程度に精白するに要
する時間と電力とを測定したる結果は次の如くである。

搗粉の種類  所要時間   所要電力
無砂搗     五四分  一.九キロワット時
珪砂使用    三三分  一.一キロワット時
石灰石粉使用  三〇分  一.〇キロワット時」

の如くであります。

 次には搗精によって生ずる米糠の問題でありますが、之亦従来の
見解では、之を家畜に与ふれば有害であるとして、混砂搗による稍
々白色を帯びた米糠は、単に肥料にのみ用ひられたのであります。
然も飼料としての価格は五割乃至七割も高価なので、あらゆる精米
家はみな米糠の白色なることを惟恐れ、飽迄無砂搗を以て貴しとい
たしました。

 実際房州砂の混った米糠を与へて馬が下痢した例はしばしばあり
ました。のみならず肥料としても房州砂では何等有効な成分を含む
ものではありませんから、いづれの点から見てもその低価であった
ことは無理もない次第であります。然るに之も石灰石粉を用ひたも
のならば単に家畜家禽に害がないのみならず必須な石灰を補給して、
一般に之を強健ならしむるは勿論、馬の骨軟症、牛の結核を豫防し、
豚を肥らせ、鶏に産卵数を増さしめるの手段ともなり、肥料として
も一俵に百匁内外入ってゐる炭酸石灰は米糠の分解を助けその分解
によって生ずる有機酸を中和し、且つその石灰を植物に供給するこ
とになるのであります。

参照「搗精に要する石灰石粉の量は一石に対し約百五十匁にてよく、
斯る割合に於て使用する場合に得らるる糠にありては、石灰の含量
を増加して(糠中に炭酸石灰として三.七を含む)苦土に対する石
灰の割合は無砂搗糠の一.一七なるに、石灰石粉を使用せるものに
於ては二.一四となるが故に、之れを家畜の飼料として用ひ得べき
のみならず、石灰の給原としての利益も認めなければならないので
ある。」(前掲論文)

斯て博士の結論によれば次の如くであります。

「之れによりて見れば搗粉として、石灰石粉用ふれば容易であって、
電力及び労力を要すること少なく、白米に残存する胚子の割合に大
差なきのみならず、白米に於ける石灰の含量多きものが得られる事
実等より見て、無砂搗を可とする何等の理由も発見することができ
ないのである。更に此等の食用によりて栄養上に於ける相違を来す
や否やを知る為めに鼠及び鶏に就て其の栄養試験を行ひたるに之れ
亦明かなる相違を認め得るに至らなかったのである。故に『飯米の
精白法は無砂搗にせざるべからざるか』の問題に対する結論は搗粉
として石灰石粉を使用すれば飯米の精白は無砂搗にする必要なきの
みならず、無砂搗を薦むることは栄養上より見るも又経済上よりす
るも決して合理的のことで無いのである。」

 尚此の外に処々の実際家側から戴きましたご批評を併せて以上を
要約しまするに、石灰石粉を用ひて精白すれば

一、搗精に時間及び電力を要すること少く、
二、熱を発することなく、
三、仍って得らるる白米は無害であり、
四、寧ろその苦土の毒性を解消し、
五、醸造用としては糖化一様に速かに行はれ、
六、半搗米としては煮熱に火力を要すること少く、
七、少量の搗粉で足り,(房州砂の半分位)
八、その米糠は家畜家禽に無害であり、
九、却ってその必要の石灰を補給すると共に、
十、その苦土の害を除く

といふことになります。
     弊工場産搗に就て

 就て早速宣伝めきますが弊工場で搗粉の原料に使用する石灰岩の
成分は、岩手県農事試験場と盛岡高等農林学校の分析では炭酸石灰
九二乃至九六%を示し荒川鉱山の分析では、炭酸石灰九七%珪酸〇
.三六%鉄〇.四六%苦土〇.七九%アルカリ〇.二四%でありま
して殊に苦土と珪酸に甚だ乏しく石灰に最も富むこと決定的の特徴
であります。如何に石灰石粉でも苦土や珪酸が多くてはその搗粉と
しての価値甚だ疑はしいものであります。のみならずその原料たる
石灰岩の組織が非晶質稠密なために石粉製造には手数を要しますが
精白の際には実によく搗けるのであります。それで弊工場産の搗粉
をご使用のお方はその白米は最も衛生的な石灰搗きとしてどしどし
お売り下さるは勿論、殊に米糠の方へは只今意匠登録中の荷札(レ
ッテル)がありますからそれを俵に附けて、無砂搗の米糠よりも寧
ろ高価にお捌きをねがひたいのでございます。私共の工場はその発
生の歴史上一種特別な仕組みになって居りまして重役給だの事務費
だの配当だの殆んど要らず唯々天与の富源と絶好の地利とを擁し、
各位御眷願の限り、肥料用炭酸石灰と共に殆んど生産原価を以てご
供給申しあげます。何卒これらの点色々御詮考の上、私共にこの意
欲の存する処を察せられ、永久にご締結を得ますれば、幸甚之に加
ふるものなき次第でございます。

東北砕石工場

石灰搗きの米が胃癌の原因ならば、豆腐も胃癌の原因でせう。
石灰搗きの米糠が馬に有害ならば、それは骨無し馬でせう。

-〔文語詩稿未定稿(012)〕----------------------------------
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(本文=下書稿推敲後)
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     講後

いたやと楢の林つきて、
かの鉛にも続くといへる、
広きみねみち見え初めたれば
われ師にさきだちて走りのぼり、
峯にきたりて悦び叫べり
江釣子森は黒くして脚下にあり、
北上の野をへだてて山はけむり、
そが上に雲の峯かゞやき立てり。
人人にまもられて師もやがて来りたまふに
みけしき蒼白にして
単衣のせなうるほひ給ひき
われなほよろこびやまず
石をもて東の谷になげうちしに
その石遥か下方にして
戞として樹をうち
また茂みを落つるの音せりき
師すでに立ちてあり、
あへぎて云ひたまひけるは、
老鶯をな驚かし給ひそとなり
講の主催者粛として立ち
われまた畏れて立ちつくせるに
人人(一字難読)かずつかれて多くはたゝずめりき
しかはあれかの雲の峯をば
しづかにのぞまんはよけんと
蕗の葉をとりて地に置けるに
講の主催者
その葉を師に参らせよといふ
すなはち更に三葉をとって
重ねて地にしき置けるに
師受用して座しましき

------------------------------------------------------------
(下書稿推敲前)
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林つきていたゞき見え
われ師にさきだちて走りのぼり
峯にきたりて悦び叫べり
江釣子森は黒くして脚下にあり
北上の野をへだてて山はけむり
そが上に雲の峯かゞやき立てり
人人にまもられて師もやがて来りたまへり
みけしき蒼白にして
単衣のせな汗にうるほひ給ひき
われなほよろこびやまず
石をもて東の谷になげうつ
師すでに立ちてあり
あへぎて云ひたまひけるは
老鶯をな驚かし給ひそとなり
人人つかれてたゝずめる
われも蕗の葉をとりて地に置けるに
講の主催者
その葉を師に参らせよといふ
われすなはち更に三葉をとって
重ねて地にしき置けるに
師受用して座しましき

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今年最後の配信が大晦日にあたりました。今年も一年、ご愛読あ
りがとうございます。

 来年の今頃は「千号」も間近になっています。千号を超えても続
けるつもりですので、これからもよろしくお願いします。

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