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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第931号--2016.12.24------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(67)1931年-3」「〔歳は世紀に曾って見ぬ〕」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(67)1931年-3」
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 今回は1931年の三回目、前回の四月に引き続いて五月になりまし
たが、月の半分でもう一杯です。

 相変わらず目まぐるしいくらい動いていますが、日程的にはこん
な感じです。

1日、和賀郡更木村、二子村を経て黒沢尻

3日、黒沢尻・藤根方面へ出かける。

4日、松川の工場、仙台へ出張。

5日、宮城郡農会、石巻(広淵沼開墾地)、小牛田町(斎藤報恩農
業館)

8日、松川の工場

10日、小牛田(斎藤報恩農業館)、仙台

11日、仙台市内、名取郡岩沼町鈴文商店

12日、小牛田肥料会社、築館町(栗原郡農会)

 半月の間に工場に二度、仙台に二度行っています。仙台は4〜5
日、10〜12日と二回で合計三泊しています。

 この頃の動きが主に宮城県方面への売込みだったことがわかりま
す。成果は上々で、おかげで工場は「昼夜ぶっ通しの作業により一
日30トン」を生産するという、フル稼働の状況になっています。

 発送も何とか間に合っているようですが、この間何度も運賃を賢
治かさ送金しています。売り先との交渉は賢治が一手に引き受けて
いるため、代金も賢治のところに入るため、入った分から順次送金
するという自転車操業の様子がよくわかります。

 そんな状態でも、何とか乗り切って一シーズン操業すれば、工場
にも余裕が生れるのですが、果たしてこの先は…というところで今
回はおしまいです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

ホームスパン みちのくあかね会
http://www.michinoku-akanekai.com/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

「HOME」家で  「SPUN」紡いだ

 羊毛を 手染め 手紡ぎ 手織りした、軽く温かい ざっくりとした
風合いの織物

 岩手のホームスパン技法は、明治時代、綿羊飼育が導入された際
に英国人宣教師によって伝えられた

 大正・昭和にかけては農家の副業となり、現在は伝統産業として
生き続けている

 その感触は肌に馴染み、丁寧な作りは長くの使用に応える

みちのくあかね会について

 みちのくあかね会は、戦争未亡人の自立支援のための授産施設と
して始まりました。昭和33年に「盛岡婦人共同作業所」が発足し、
そこで製造されたホームスパンを販売するため昭和37年に「株式
会社みちのくあかね会」が設立されました。創業50年を越える現
在に至るまで、製作のすべての工程はもちろん運営もすべて女性だ
けで行われている由縁です。

 古い木造の建物でみちのくあかね会のホームスパンは作られてい
ます。ここでの日々はよく「時が止まったよう」だと評されます。
暑い日は開け放された窓から響く機の音を便りに、旅の方がお立ち
寄りになります。極寒の日には染め作業中の湯気や手に触れる羊毛
の暖かさが身に沁みます。盛岡市街とさほど離れぬこの場所で、タ
イムスリップしたような風景の中で、五感を通してホームスパンを
味わいながら作っております。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-3〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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5月
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1日、和賀郡更木村、二子村を経て黒沢尻へ出る。二子村では近日
注文を得られそうであるが、黒沢尻郡司恣意雨天はもう一車分を勧
めるがまだ見込みがたたない状況だという(書簡333)。

 本日付発行の詩雑誌「愛誦」5月号に掲載された渋谷栄一「詩壇
人国記(東北の巻)」「二、岩手県」で、賢治に言及。

2日、朝、鈴木あての連絡(書簡334)。陸軍省軍馬補充部入札の
件を問い、次に水沢中林商店10トン分出荷を急ぐこと、岩手軽便
鉄道沿線の小口注文はこちらで送ったこと、盛岡から別紙のとおり
注文があり、宮城の分を送ったあと至急手配してほしいこと、県農
務課・農会・組合連合会へ行ったところ、いずれも非常な声援があ
り、今後需要があるだろうこと、など。

 発便後工場からの手紙が届き、宮城県への出荷がはじまり、運賃
など130円、2日午前中に届くよう、引換証・借用証が送られて
くる。すぐさま電報為替で送金する(書簡335)。

3日、朝、工場よりの葉書を受けとる。宮城県へはここ10日間以
内に発送を完了する見込み、今後の注文300トンは引きうけられ
るので宮城県,または山形県へ出張してもらいたい、機械改造の結
果大幅に能率が増進した、とのことである。それに答え、ご同慶の
至りであること、更に30車の注文を得べく明4日又は5日朝工場
へ参上、直ちに宮城または山形へ出張する旨をいう(書簡335)。

 そのあと、黒沢尻・藤根方面へ出かける。

4日、松川の工場へ出、打合せの上、仙台へ出張。県庁農務課関口
三郎を訪ねる。あいにく出張中で肥料検査官と要談した。要点は、
七郷村から毎日出荷の督促を受けている、明朝同村を訪い直接諒解
を得るようにされたい。その後の注文はまだない。今月中旬中には
発送完了されたい。関口氏にはよろしく伝える、の三点である(書
簡336)。

 この夜は東北帝大前の旅館泉屋に泊まる。

5日、朝宮城郡農会へ行き、出荷遅延と粒形について諒解を求めた
が係の人が強硬で当惑する。結局次のように約束する。

一、工場より直接各注文者へ出荷延引および粒子の大きさに対し諒
解を得ること(これは自分でやる)。

二、微粒分全部をここ4日中に発送のこと(これは到底不可能なこ
とは知っているがとにかく急ぐこと)。とりわけ七郷村・根白石村
農会分を交互に発送のこと。

三、価格は微粒10貫26銭。

四、発送と同時に県と宮城県農会へ通知すること。なお七郷村農会
の書記は今明日中に工場へ直接談判にゆくかもしれない。

 以上のことを午前10時工場へ発信(書簡337)し、それより石
巻へ出、広淵沼開墾地を訪ねる同地は桃生郡広淵村にあり、広淵沼
約700ヘクタールを干拓して水田としたもので、1920年起工、19
28年竣工、ここの事務局長に高野一司が就任していた。高野は賢治
が花巻農学校在勤中の1926年に講師を依頼された岩手国民高等学校
の主事を務め、旧知の間柄である。石灰の件は本年は難しい様子で
あった。それより遠田郡小牛田町へ出、駅北2キロの斎藤報恩農業
館を訪ねる。館長で県技師の工藤文太郎は盛岡高農の卒業生で、19
14年11月26日、稗貫郡蚕業講習所所長をつとめたことのある関係上、
賢治とは親しかった。

 このときと推定される毛藤謹治の記述がある。

「昭和6年5月某日のひるさがり出張で不在のはずの館長室からの
呼び出しのベル、館長室をノックして入ったが、出かける支度をす
ませた館長が、そのままの姿で来客を紹介するのだった。

 その人は「C科大正7年卒の宮沢です」と言葉少なくあいさつさ
れ、そしてこのみすぼらしい見なりでやせほそった風体の宮沢と名
乗られたこの先輩に深々と頭を下げられた。

 館長の机の上に、どこの磧か、あるいはどこの採石場から拾い集
めたものかわからない色とりどりの小石が、口を開いた袋から半ば
あけられて、ちらばっていた。

 きっと、この小石について宮沢さんから説明をうけたと思うが、
今はその記憶はない。

 工藤館長は時間ででかけたあと、しばらくお相手役を承ったが、
フト言の端に、私が主任でホームスパンをやっていることをしゃべ
った。すると、宮沢さんの目は急に底光りしたように感じられてド
キッとした。やがて、ひとりごとをいうような口調で、切々と──
つぎのようなことを説かれた。

 その昔、スコットランド地方の農民達は、庭先に美しく咲いた花
を摘み、広い野辺の細道を横切って先祖の墓を詣で、あるいは、久
々に妻や娘たちと馬車をかって街場の買物に出かけた。こんなとき
着用した服は、いづれも、手染め、手紡ぎ、手織り、手仕立ての自
家製であり、女物の民族的匂いの高く美しい服装の刺繍は、余り絲
がその材料として用いられたものだった。

 当時、都会の織物工場で生産された服地にあきたらなかった人々
は、この野趣豊かな生地に心を奪われた。まず、貴族、富豪、芸術
家などが目をつけ、彼等は、上着、ニッカーポッカー、ハンテング
と揃いの柄を着込んで、狩りし、または散歩着として愛用した。あ
るときは服地とし肩かけとして祖父や祖母の高齢を祝う贈物として
用いた。このようにホームスパンは決して実用着ではなかった。

 またホームスパンに民芸的な美しさが持つ匂いのほかに、彼等に
とっての最大の魅力は別にあった。それは「これ一つしかない織物
だ」という誇りであった。一頭の羊からとった毛はちょうど一着分
の服地を織る分量であることから、これと同じものは他にないとい
う人間の独占欲を十分にみたし得たからである。

 宮沢さんが話された以上のことは、私の心を奥底までえぐり抜い
た。」

 このあと毛藤は農業館の車の助手席に賢治をのせ、小牛田駅まで
送ったが、これがただ一度の出会いであったという。

 なおこの日、各処注文を乞いながら夜10時半帰花(書簡338)。

6日、鈴木あて前日の報告(書簡338)を認め、宮城県お反省と注
意をする。なお二、三日中に再び工場へ行くこと、この日と翌日は
もう一度宮野目・八幡・更木・二子方面に働きかける心意であるこ
とを伝える。

 また上郷村の沢里武治へ手紙を出す(書簡339)。この二カ月歩
いてばかりいたが体も丈夫になり仕事もできつつあることを述べ、
5月10日に岩手軽便鉄道沿線の大理石を調査するので、都合がよ
ければ一緒に歩くことをさそう。結果的には二人とも用ができてこ
の日は実現しなかった。

7日、工場はこの日を以て宮城県七郷村への出荷が終り、根白石村
の分の発送にかかる。その運賃など150円を送る。鈴木から、な
お相談があるので工場まで来てほしい旨の連絡があった。

8日、松川の工場へ行く。宮城県販売方法を相談。

10日、宮城県出張に出発しようとしたとき、工場から回送されて
きた斎藤報恩農業館長工藤文太郎技師の書簡を見、「石灰引取見込
みあり」との言葉で直ちに小牛田へ向い、正午には到着する。

 三回目の訪問である。工藤技師と三時間にわたって懇談。今月1
8日栗原郡へ知事・斎藤氏ら出向、レンゲの開花状況を視察したあ
と郡農会で講演会を催し、その際工藤技師が石灰の使用をすすめる
とのことである。また工藤技師は明日,明後日訪問すべき所の段取
を指示してくれる。20車は注文が得られそうである旨を夕刻小牛
田から工場へ報告(書簡340)。それより仙台へ出る。

11日、朝、宮城県庁農務課に関口三郎技師および「長谷川氏」を
訪ね、仙南一か所、仙北三か所の肥料店に直接売り込む了解を得る。
粒形微細の価格の点もほぼ了解を得たが、なお翌日確答を得ること
となる。

 その後、市内東三番丁斎藤報恩会、同じく原ノ町宮城郡農会へ廻
る。郡農会では、七郷村・根白石村など石灰到着が間に合った礼を
言われる。次に南下して名取郡岩沼町鈴文商店を訪う。仙南取り扱
い指定を県から受けたので,6月末10トンを皮切りに十分引き取
るとのことである。ついては、先刻長町駅あて10トン送るように
電報した分は発送後ならば岩沼へ回送するよう、これらを岩沼駅よ
り工場に連絡(書簡341)し、「駅前○通」へ交渉し、長町より回
送された場合は10トン2円で6月末鈴文商店引取まで蔵入りする
よう依頼し(書簡342)し、仙台へもどる。

 夜、宿へ関口技師来訪、今後の方針について種々懇談する。扱い
店は仙南・仙北各一か所と梳くこと、その代り相当量取るよう県か
ら通達すること、価格は25銭および26銭もよいこと、来年度は
今年の十数倍になるだろうこと、従って価格品質に改善を加えられ
たいこと、などである(書簡343)。

 なお、この日のメモが「孔雀印手帳」にあり、「11日朝、関口
技師、加藤講師、阿部助教授」と書かれている。

12日、朝、県より指定された仙北一か所の小牛田肥料会社を訪ね、
6月末一車を皮切りに年末迄相当量引取る約束ができる。その足で
斎藤報恩農業館の工藤技師を訪ね栗原郡農会への紹介状をもらい、
石越まで汽車、それより自動車で築館町の栗原郡農会へ到る。ここ
で種々説明を行ったが技術員の話では農家はもう肥料は支度ずみで
あるとのことで失望する。しかし奮起して工藤技師へ一筆、レンゲ
用石灰は6月30日二番除草迄は有効なので、6月20日迄に農家
が購入するようにすすめてほしいことを依頼。そのあと運送店を訪
ね運賃値引きを交渉。再び郡農会を訪ね,「兎に角十八日の講演会
には工藤氏推奨の心算なればその支度丈はせられ度就て説明書五百
部丈送附候儘当日集合の人人に手渡し候様依頼致し置」く。それら
の用を果し、時間がなくなったので工場には寄らず帰花する。

 右報告(書簡343)をし、製品見本・説明書を栗原郡農会・斎藤
報恩農業館・鈴文商店・小牛田肥料会社へ送ることを依頼する。

 なおこのときのメモも「孔雀印手帳」にある。

 工場は需要期にはいって出荷督促に追われ、昼夜ぶっ通しで作業
を行い、一日の生産量25トン内外となる。

14日、工場は宮城県の分を全部発送し、明日より県内出荷をする
ことになった。ついては運賃その他で明15日に必ず210円送金
してほしいという。

15日、工場からの要求に応えて210円の小切手を送る(書簡344)。

 右書簡に、工場は日夜生産に励んでいるのはうれしいことである
が、以後夜業によらず尚相当注文のくるよう工夫していること、ま
た小パンフレットを起草する必要があろうかと考え、多分明後日あ
たり相談にいくことを書く。

 工場側はこの日昼夜ぶっ通しの作業により一日30トンの生産に
上ったことを告げ、なおなお販路の工夫を頼むと言ってくる。

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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[339] 1931年5月6日 澤里武治あて 封書

(表)上閉伊郡上郷村 高橋武治様
(裏)昭和六年五月六日 岩手県花巻町豊沢町 東北砕石工場
花巻出張所(封印)〆

   五月六日

しばらく失敬しました。お変りありませんか。この二ヶ月は歩いて
ばかりゐましたがお蔭でからだもいよいよ丈夫になり仕事もどうや
らできかゝりました。

就て五月十日に兼々頼まれてゐた軽鉄沿線の大理石の調査に出ます
があなたの村の細越辺並びに遠野の肥料店へ立ち寄る積りです。当
日は日曜ですがあなたもしご都合つけばご一諸できませんか。もし
あなたの家の山の岩も採って置いて見せて下さるならことに幸です。
例の達曾部の大理石山があまり遠い為に他の石をも併せて出したい
と云ふのです。

   遠野駅へ  九時三〇分に出て下さるか
   上郷駅へ  一〇時一一分に出て下さるか
   または当日都合が悪いか至急お知らせ下さい。大理石のこと
は絶対秘密にねがひます。

                           宮沢

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[343] 1931年5月12日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

昨夜仙台の宿に関口氏御来訪有之、色々今後の方針に関し親切に御
指図有之宮城郡今年の注文期日切迫の件全く当方(関口氏)の落度
なりしなど申され候 就て明年度は今年夏より宣伝を完全に行ひ十
二月頃より発送着手せられ度とのことに有之候 尚その節昼県庁に
て定めたる仙南一仙北五の肥料店扱は監督上面白からず(炭酸石灰
を消石灰価格にて売ること)矢張仙南一仙北一と成し度その代り数
量は県より相当量引取様通達すべしとの事故右は承知致し置候 尚
価格二十五銭及二十六銭も宜敷明年は必らず今年の十数倍を獲さす
べく敢迄価格品質に改善を加へられたしとの儀に有之候

就て今朝右指定の小牛田肥料会杜へ参り六月末一車を皮切りとして
相当量年末迄引取様約成り申候間右御心組置奉願度 次に当地(築
館)の栗原郡農会に工藤技師(今朝再訪)の招介状を携へて来訪種
々説明仕候処郡農会技術員の詞にては効用価格申し分なきも今年は
各農家既に支度せりとの事にて甚悲観の状態に有之既て只今再び工
藤技師に書信して紫雲英用石灰は六月卅日二番除草迄は有効故六月
廿日迄に各農家更に購売候様勧誘せられ度旨申送り並びに当地運送
店等を訪ひて運賃値引交渉の上再度郡農会を訪ひ兎に角十八日の講
演会には工藤氏推奨の心算なればその支度丈はせられ度就て説明書
五百部丈送附候儘当日集合の人人に手渡し候様依頼致し置候。実に
当郡には紫雲英約千町歩有之余程の努カを致しても効あるべしと存
候。

  扨て工藤氏依頼左記御送附願上候

 一、炭酸石灰現在製造の微粉(表装吟味荷札附)弐俵
       宮城県栗原郡築館町栗原郡農会宛

 二、説明書五百枚 仝農会宛

 三、炭酸石灰現在製品 壱俵
     小牛田町斉藤報恩会農業館 工藤文太郎宛

    外に搗粉 約一貫匁

   並びに左記併せて御発送願上候

 一、説明書百枚 岩沼町鈴文商店 炭酸石灰 一貫匁

 二、説明書二百枚 小牛田町小牛田肥料株式会杜 炭酸石灰 一
貫匁

次に私今日工場へ立寄るべきの処一ノ関六時にて時間間に合ず候間
先は右紙面にて申上置二三日中用務敢纏め再び工場へ参上可仕候

敬具

   五月十二日

宮沢

 鈴木場長殿

  尚栗原は五車乃至八十車
  小牛閏は夏迄には五車大丈夫と存候

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     〔卑しくも身をへりくだし〕

卑しくも身をへりくだし
ひとひつかれしてとて
夜汽車のなかにまどろめば
さなまた怪しく熱くして
病ふたゝび来しやと思ひ
たそがれて行く川べりの
柳のむらや消えのこる
野の面の雪をなつかしみ見る
そのとき黒ずめる暮のほこ杉
一列をあして窓をすぎたり

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     〔たまたまに こぞりて人人購うと云へば〕

たまたまに
こぞりて人人購うと云へば
夜もねむらずたかぶれる
わがこゝろこそはかなけれ
さあれば今日は人なべて
情なきさまにうち笑みて
松うちゆする雨ぞらに
さびしくそぼちわが立てば
つかれやぶれし廃駅の、
はかなき春を金巾の、
黄格子縞の外套と
大人のさまに頬かぶれる
児をつれ行ける母もあり

-〔文語詩稿未定稿(011)〕----------------------------------
------------------------------------------------------------
(本文=下書稿2推敲後)
------------------------------------------------------------

     〔歳は世紀に曾って見ぬ〕

歳は世紀に曾って見ぬ
石竹いろと湿潤を
人は三年のひでりゆゑ
食むべき糧もなしといふ

稲かの青き槍の葉は
多く倒れてまた起たず
六条さては四角なる
麦はかじろく空穂しぬ

このとききみは千万の
人の糧もてかの原に
亜鉛のいらか丹を塗りて
いでゆの町をなすといふ

この代あらば野はもって
千年の計をなすべきに
徒衣ぜい食のやかららに
賤舞の園を供すとか

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------

歳は世紀に曾って見ぬ
石竹いろと湿潤と
人は続けるひでりゆゑ
食むべき糧もなしといふ

稲かの青き槍の葉や
六条さては四角なる
麦はかじろく空穂しぬ

このとききみは百万の
人の糧もてかの原に
亜鉛のいらか丹を塗りて
いでゆの町をなすといふ

この代あらば野はもって
千年の計をなすべきに
徒衣ぜい食のやからをば
集めたりとて何かせん

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

     遊園地工作

歳は世紀に曾って見ぬ
石竹いろと湿潤と
稲は倒れてまた起たず
あるはましろく空穂せん
六条さては四角なる
芒うつくしき麦類は
畑地のなかにうちこぼれ
或は穂のまゝ芽ぐめるを
このとき公は百万の
人の糧もてかの赤き
亜塩の屋根をうちならべ
湯あみの館をつくるとか

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
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西暦一千九百二十七年に於る
当イーハトーボ地方の夏は
世紀に入りて曾って見ざりしほどの
恐ろしき石竹いろと湿潤さとを示したり
為に当地方の主作物、稲かの青き槍の葉は
常年に比し既に四割も徒長を示し
そのあるものは疾く倒れてまた起たず
そのあるものは花なく白き空穂を被たり
またかの六条あるひは四角
芒うつくしき麦類は
畑地のなかに早くもこぼれ
或は穂のまゝ芽をいだし
そのとりいれはいそがしく
またたよりなく見えにけり

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(先駆形口語詩「一〇三三 悪意」)
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一〇三三
     悪意
                     一九二七、四、八、

夜のあひだに吹き寄せられた黒雲が、
山地を登る日に焼けて、
凄まじくも暗い朝になった
今日の遊園地の設計には、
あの悪魔ふうした雲のへりの、
鼠と赤をつかってやらう、
口をひらいた魚のかたちのアンテリナムか
いやらしいハーデイフロックス
さういふものを使ってやらう
食ふものもないこの県で
百万からの金も入れ
結局魔窟を拵えあげる、
そこにはふさふ色調である

--〔後記〕--------------------------------------------------

 あっという間に年末ですね。今年もあと一回でおしまいです。

 入院騒ぎから、今度の春で二年になります。現在は仕事をやめた
わけではないのですが、毎日出社しなくてもよいという結構理想的
なことになっていて、65歳を超えた来年も、継続していくことに
なりそうです。

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