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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第930号--2016.12.17------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(66)1931年-2」「八戸」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(66)1931年-2」
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 今回は1931年の2回目なんですが、4月の記事だけでいっぱいで
す。

 東北砕石工場にあてた賢治の手紙が残っているので、とても詳し
く行動がわかり、記事も多くなっています。

 賢治の活躍で工場の出荷は順調に増え、「活況見るべし」という
状況になってきました。売れすぎて包装用の叺(カマス)が足りな
くなるなどということも起こっています。

 合間に発熱病臥などしていますので、決して健康とはいえない状
態だったはずですが、この頃の賢治のがんばりは凄まじいものがあ
ります。

 ざっと立ち回り先をあげると、こんな感じです。

1日、水沢、前沢、東北砕石工場

4日、盛岡、紫波郡

6日、黒沢尻、前沢

8日、盛岡、雫石村、太田村

10日、紫波郡赤石村、志和村、水分村

18日、東北砕石工場、仙台

19日、小牛田、陸前古川

21日、秋田

22日、横手

24日、東北砕石工場

28日、黒沢尻より江釣子・藤根・横川目の三駅付近

29日、前沢

 岩手県下はもちろんのこと、一カ月の間に仙台や秋田まで行って
いるのは驚きです。セールスマン宮沢賢治の活躍は今しばらく続き
ます。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

八木アンテナ発明に貢献 斎藤報恩会が解散
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151210_13008.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 戦前から東北大研究者らを助成してきた財団法人斎藤報恩会(仙
台市)が9月末に解散していたことが9日、分かった。支援先には
「八木・宇田アンテナ」を発明した旧東北帝大(現東北大)の故八
木秀次教授や同大総長で世界的な金属学者だった故本多光太郎氏も
おり、特に昭和初期は学都仙台を支える存在だった。

 報恩会は1923年、石巻市の大地主だった故斎藤善右衛門が私
財300万円を投じて設立。当時画期的だった民間による研究費助
成に取り組んだ。特に東北大とのつながりが深かった。

 青葉区本町の旧ホテル仙台プラザ隣に自然史博物館を構え、貝類
や魚類の化石標本、鳥類のはく製などを収蔵・展示していたが、財
政難から活動を縮小。2009年に自然史博物館を閉館し、同館を
引き継いだ斎藤報恩会博物館もことし3月に閉じた。

 所蔵品は仙台市や東北大に贈った。ことし5月には元東北大総長
の西澤潤一理事らが市を訪れ、市指定文化財「奥州仙台城絵図」や
肉食恐竜アロサウルスの骨格複製標本など約3300点を寄贈した。

 解散は評議員会で9月2日に決めた。浜田直嗣理事(宮城県慶長
使節船ミュージアム館長)は「戦前は研究助成団体として全国有数
だったが、助成に必要な基金が減少した上に理事の高齢化も進んだ。
寄贈した資料が次世代の研究に役立つことを願う」と語った。

 仙台市博物館の内山淳一副館長は「民間が研究助成金を出すとい
うのは先駆的な取り組みで、息の長い活動は学都仙台の誇りだった。
使命を終えたということだろう」と話した。

2015年12月10日

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-2〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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4月
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1日、朝、水沢に行く途中で県濃霧課(肥料督励官)村井光吉技師
と一緒になり、県内の石灰使用はまだ不足の故更に宣伝するようい
われる。また今秋県主催肥料展覧会の開催予定を教えられる。中林
商店で二車分引渡、及び搗粉、家禽用石灰の注文を得る。水沢駅で
その旨を鈴木東藏あてに知らせ(書簡317)、そのあと次の駅前沢
の福地商店を訪ねることにする。鈴木豊の記述によれば、この日、
東北砕石工場に来場。

 帰花後31日付の鈴木の手紙を見る。それにつき返書(書簡318)

3日、鈴木から返書があり、すべて承知したこと、粒形を整えるた
め大阪へ注文した篩の発送通知も来ていること。本日も10トン加賀
長肥料店へ発送済み、明日も一車分送る旨を言ってくる。これに対
して返書(書簡319)。

4日、朝、盛岡へ出、県農事試験場へ工藤藤一を訪ねたが萩荘村へ
出張中、園芸担当の三浦正治によって場長猪狩源三に紹介され、激
励を受けた。そのあと紫波郡煙山、不動、見前の各組合を訪ね注文
取りまとめの約束を得た。荷札の製作は盛岡市の川口荷札へ依頼、
水色へ藍文字で印刷し10日間でできるとのことである。この旨を
鈴木あて発信(書簡321)したが、帰花後発熱病臥する。

 一方鈴木より、炭酸石灰次々に発送、工場内はひとしお気組みも
ちがい、活気場外にあめれ吾ながら愉快であること、次に工場設備
改善のための機具類が駅へ引換証つきで到着しており、5日(日)
の休電日に取り付け作業をするため明日午前中に170円融通して
ほしい旨を言ってくる。機具は次の物であった。

・バルダベット(モートル用)38円40銭
・打抜鉄網 8円
・プーレー 14円
・水平運送器 18円
・カマス 1500枚 75円76銭
・フレットミルより粉掻きだしヘラ調整費 5円
計 159円16銭

 また4日付で加賀長商店、福地商店発送分の荷為替引替証書を送
ったがついたか問い合わせがくる。

5日、鈴木あて返書(書簡322)明日現金を持って行きたいが発熱
病臥中のこと、明後日150円送ること、中林商店注文の分発送の
依頼、今後の注文も相当あるので心配なく生産品をストックしてお
かれたい旨をいう。行き違いに鈴木東藏来花、150円を融通する。

6日、黒沢尻郡司商店、前沢福地商店を歴訪、代金荷為替の引受を
得る。福地商店より84円受領。この日工場の発送状態は、板垣商
店10トン137俵、飯豊組合8トン126俵、花巻出張所3トン
94俵、計357俵の積み出しで汽車も混雑をきわめたという。活
況見るべしである。

7日、工藤藤一が岩手県技手から地方農林技師(高等官待遇)に昇
任し、岩手県農事試験場技師の辞令を受けた。「岩手日報」紙上で
このことを知り、祝いの言葉と、工藤著「稲作肥料設計法ニ就テ」
を読み、了解している所を話したいこと、石灰の試供品が昨日あた
りついたと思われることなどをいう(書簡323)。

 また鈴木東藏へ連絡(書簡324)。

8日、工場よりの要請で電報為替で100円送金。午後盛岡へ出、
岩手郡雫石村・太田村を訪問。どくらも2トンぐらいの注文で一車
とならず困る。盛岡には八戸の品二種が入っているが価格の点で十
分打ち勝つことができると判断する(書簡325)。

9日、鈴木より宮城県出張を懇願してくる。宮城県では石灰の使用
を推奨しており、共同購入の斡旋もしていいるのでこの際販路拡張
を試みたいのが工場側の希望で、出張費は日当2円50銭、宿泊料
2円50銭、車馬費2円ということである。これに対し返書(書簡
325)で、出張はいつでもよく、旅費もそれならば虚弱な自分でも
心配なく旅行できる額で悪といいう、資料として「宮城県庁へ報告
の単価」「宮城県下組合の所在及び名称」「肥料店へ卸売りを行う
や否や」「出張日数合計」の4件についての通知を求める。

 この日、花巻駅前の米穀商八木嘉商店とほぼ注文の約束ができる
(書簡326)。

10日、午前中紫波郡下の赤石村、志和村、水分村の3組合へ注文
取りに出かけたが効あがらず、もっぱら午後の成果を期す旨を鈴木
へ報じる(書簡326)。

11日、発熱病臥。

12日、発熱病臥。父政次郎、松川の砕石工場へ行く。前日資金融
通の申込もあり、工場見学の意図もあったと思われる。このとき賢
治病臥のことも伝えられる。

13日、熱引き、気分改まる。鈴木よりの宮城県出張に関する書簡
要点は、宮城県総務課の積極奨励を得る手段方法及び実体調査、山
形,秋田方面にも手を伸ばしたいたと、肥料商・組合を問わず売り
さばきたいこと、価格は昨年15貫入り45銭であったため今年影
響を受けるやもしれない、とのことである。

 また、別に包装用のカマスが間に合わず、2、3日の繰り合わせ
にも困るので、丸久運送店にある古カマスを4銭で購入したいとの
申入れがあった。それに対して返信(書簡327)。

15日、工場ではカマスがなくなり、注文品の発送もできなくなっ
た。方々へ入手の方法を講じており、5月中旬には7千枚はできそ
うであるが、当座の差し迫った発送があるので、その斡旋をたのま
れる。

18日、松川の工場へ行き、宮城県庁関係の打ち合わせをした上で
仙台へ出張。県庁農務課、関口三郎技師を訪問するが不在(書簡
328、329)。

19日、日曜日であるが出張から帰った関口三郎技師と面談。内容
は(書簡329)。

 会談後、直ちに小牛田乗換、陸前古川駅下車、県農事試験場古川
分場長浦壁国雄を訪ねる。浦壁は盛岡高農の先輩である。誠意を披
瀝して十分の諒解を得る。古川より小牛田に戻り夜9時一ノ関駅か
ら鈴木あて報告(書簡328)を投じ、11時家に帰る。(小牛田で
斎藤報恩農業館を訪ねたと推定)。

 留守中、工場から紹介状をもって事務員鈴木軍之助が実家を訪問、
150円支払い。

20日、昨日の詳しい報告を鈴木あてに送る(書簡329)。

 この日、工場へ県農事試験場長と胆江分場長が来て、機械の設備、
作業、砕石場トンネルなどを視察した。

21日、工場指令により秋田へ出張。黒沢尻−横手−秋田と通り、
秋田県庁、県農会、県購連を訪問し説明につとめたが、本県は農業
技術最も幼稚で、石灰をはじめて用いたのが1929年、本年も自ら進
んでの使用には至らない。しかし技師は必要性を認め、10月の組
合総会では酸性土壌改良を大挙して行う方針であるという。従って
来年の問題で、その準備対策が必要である。以上何の注文もとれず
失敗に終わったので費用は自弁とする。

 以上の旨を鈴木あてに送り、その後角館の高農同級生河原田繁を
訪ねる(書簡330)。

22日、横手より鈴木あてに「本日は大曲よりやけくそに各組合及
農会を歩き」横手の果樹組合主催恩田鉄弥博士講演会があり、それ
に出席したところ山内村村長清水川利一郎の非常な同情を得て、近
日中に一、二車纏めてくれる旨を知らす(書簡331)。この日帰花。

24日、宮城県から多量の注文があり、一方陸軍省軍馬補充部へ納
品の件があり、相談のためぜひ来場を乞う旨、連絡があり、松川工
場へ行く。陸軍省軍馬補充部六原支部への入札打合せ。盛岡市三田
商店の集金依頼、工場機器購入の相談などがあった。

25日、工場事務員鈴木軍之助来花、昨日相談の工場機器(アング
ル・皮車・シャフトその他)購入費をふくめ350円を融通する。

28日、横黒線まわりをする。黒沢尻より江釣子・藤根・横川目の
三駅付近を歩いたと推定。しかし何か以前からのいきがかりがある
らしく一車も得ることなく空しく帰る(書簡332)。

29日、前沢へ出、三車の注文を得る。その旨前沢駅より鈴木へ通
知(書簡332)。

時期不詳、県立黒沢尻高女の新井正市郎校長を訪ねる。新井の記述
は以下のとおり。

「いくぶん衰弱されていたがお元気で銀どろが微風にゆらぎ葉裏の
銀色をきらきらさせる美しさを目なざしに浮かべるかのように、
「苗木を育てたから取りに来てほしい。」と話された。こちらが忘
れかけていた約束を、何年もの間秘かに温めて居られたご厚意を謝
しながら花巻出身の平野行一先生を煩わせて頂くことをお答えした。
数日を経て平野先生は30センチばかりの銀どろの苗木数本を抱え
て校長室に入って来られた。その頃ほんとうの健康体でなかった宮
沢さんが自ら鍬で掘り起こし包装せられた状況を聞いて、目がしら
が熱くなるのを覚えた。私達職員は、その日のうちに校庭の南東部
に植えたのである。」

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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[318] 1931年4月1日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝復

一、水沢より帰りてお手紙拝誦仕候処最早取扱時間外にて電報為替
差取不能に付本日長坂局を経て金壱百円御送金申上候間御査収被成
下度候

二、扱て県南の注文に十貫入甚多く色々迷惑の次第には御座候へ共
何分の大口にて今后の処も有之候間可成は先方の希望をそのまゝ引
受致し度く然らざれぱ荷受集金何かに六ヶ敷相成候 就て右十貫入
に要する費用を一俵に就き二銭と見積りたるたるは全く小生の失策
専断に就き右に要する費用

臥代三銭高 包装料 厘高、扱 厘高

として厳密に御計算被成下右差額は小生持ちと致すべく何卒御一報
被成下ぱ幸甚に御座候

三、次に昨日も御報致置候江刺胆沢売込分担の件菊田、中林両氏の
完全なる御諒解を得候間今后は江刺郡は工場高橋氏間の直接関係と
致され小生は単に必要に仍て説明又は宣伝申上べくその代りと申す
もおかしく候へ共西磐井郡は略々花巻にて御諒解被成下候通り私扱
に願上度此儀如何に御座候や何分の御詮義を仰ぎ奉り候

四、就て今后荷為替の御引受け並びに集金の責任は小生の注文書を
差上たるものに限りたく此段充分御諒承を願上候。

五、次に前沢町福地氏の注文中一車は高橋氏御約束のものに有之候
間右は同氏に於て御集金被成下も宜敷或は同氏宛金七円丈工場を経
て小生方より御渡申上ては如何に御座候や。但しその他の注文に関
しては小生関知仕らず候。

六、粒形尚大に過ぐるの批評は昨日水沢農学校にても有之候間何卒
今一応の御奮発を願上度若し只今の品より十四%の二粍以上のもの
を除きたる分現在の価格にて出来致し候はゞ需要尚大となり六月以
后製作の分も相当引受者有之べく、一方右箭粕二−三粍のものとて
も裸にて十貫十銭位ならぱ必ず小生にて何処へか向け申すべく候。

七、製品の包装を何とか今少し美的に致し度いつかお話の押印又は
一俵毎に色刷荷札を附しては如何に候や

若し前文の条項全部御承知被成候はゞ右荷札並びに取付料は岩手県
は私持ちと致しても宜敷候

八、いろいろ生意気千万の事ばかり申上候 何分大切の場合にて気
も立ち居り候儘不悪御判読被成下度候。

    四月一日

敬具

  鈴木藤三様

宮沢賢治

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[324] 1931年4月7日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

  四月七日

 一昨日御来花の際は甚御粗末申上候処御海容を奉願候

一、昨日郡司商店中林商店福地商店歴訪代金荷為替の引受を得計二
百二十八円十二銭父の方へ入帖致置候間次の荷為替御発行の後は御
遠慮なく御郵送被成下度直ちに六割迄御送金可申上候

二、次に中林氏より別紙注文有之候間南城組合の分御発送后直ちに
御取計奉願候

三、次に前沢福地商店は未だ荷受に早き由申され候へども既に荷物
取運びたるを申し金壱円丈差引きて計算仕候へども右は私持にて宜
敷御座候

四、就て高橋清吾氏に対し注文取旅費金参円御支払可申上貴方吉の
品貸中に繰込むべき由御通達被成下度右は私より次回計算の際工場
へ差上可申候

五、次に黒沢尻及川商店に立寄り候処郡司氏への送荷に関し同様の
異議有之候に就き矢張今回は十噸に付三円の差額御支払致す様申置
候間八噸分二円四十銭之又品代中に操込むべき由貴方より直接御通
如被成下ば幸甚に御座候。但し之等の処置に関し御意見異り候はゞ
何卒可然御下命を得度存候。

六、次に前沢福地商店宛もう二車は先方より通知有る迄御発送御控
置奉願度然らざれば一ノ関同様荷受並びに集金に一寸困難を来すか
と存候

七、次に水沢中林商店宛に御通知相成り候真城組合の注文は管括違
ひに御座候間改めて真城組合の方へ前沢福地扱ひにて御便宜計るべ
き様御通達を仰ぎ奉り候。

八、次に過日参上の際江刺郡稲瀬村より二照会有之し趣右の丁と郡
司商店へ一を及川商店へお廻し被成下間敷候や。若し右様なれば後
々の注文請取に甚好都合に御座候

九、就て小口扱管括表念の為めに御送附致置候間宜敷御敢扱を賜は
り度蓋ろ照会をどしどし私方へ御廻し被成下ても宜敷御座候。

一〇、色々例に依て腹蔵なき申分失礼の段は何卒御容謝奉願候。

先は。

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[327] 1931年4月13日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

  四月十三日

拝復

貴簡難有拝誦仕候 亦昨日は父参上致し色々御世話様に相成候趣父
よりも厚く御礼申上候

本日御照会の○久運送店より申上候由の古叺只今電話にて問合せ候
処一枚五銭王厘との事にて到底価格引合はざるべしとの先方よりの
詞に有之且つ急の間にも合はざる様子に有之候間重ねて御指図を仰
ぎ上候

次に私事本日は気分漸く清快にて熱も退き候間両三日を経て宮城へ
出張致すべくその節は朝工場へ御立寄の上色々御指示を得べく候 
但し宮城県庁よりは可否共に未だに何等の通知無之候哉 今后の私
の小案としては左の如くに御座候

一、岩手県にて約束の十数車を数次交渉して必ず獲得すること。

二、同未注文の分を特に刺戟し、並びに県購聯に単価を低くして
(小生持ち)大量売込の運動

三、宮城県小牛田の県技師工藤文太郎氏を通じて農務課に改めて交
渉のこと。(泣きを入れることを含む。)

四、同氏を通じて斉藤等の大地主に利害を説きて大量使用を勧むる
こと

五、小牛田附近の白兵戦(組合)

六、県の諒解を得て一流肥料商に一二車宛送ること。

七、秋田県購聯に大量を持ち込む。

先は右乱筆乍ら敢急き申上候

敬具

  鈴木藤三様

宮沢賢治

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[329] 1931年4月20日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

   四月二十日

拝啓

一昨日は参上色々と難有御礼申上候

就てあの后仙台に直行関口氏数日間出張中にて漸く昨朝面談昨夜帰
花仕候次第 要件左の如くに御座候

一、関口氏云、当方にては始終出張宣伝し居れども未だ時機早く手
許に三車丈注文あり。近日に廻送すべし。この后は敢て県を経由せ
ざるも直接の注文あるべく、県は終始之が監督をなすべし。

二、粒形はあく迄微細なるを欲す。初め約束の通りの品納入する様
努力せられたし。但し、今年一年の事にあらず注文買も年々増加す
べければ無理なる値段を以てせず、必ず見本通りの品を送られたし。
粒小なることは技術上は兎も角注文者の希望にて外観上の問題なり。

三、肥料店へは渡さゞる様せられたきも、仙南仙北に一所宛大取次
店を設くるは可ならん。但し発送の数量は一一報告せられたし。

四、就て愈々製品及価格決定后は報告せられ度之に仍て当分にては
充分斡旋せん。

五、古川の試験場長浦壁氏の充分なる諒解を得られたし。氏の一言
は宮城県肥料界を直ちに動かすなり。

以上

六、右に仍て私は直ちに辞仙古川に浦壁氏を訪ひ誠意を披瀝して充
分の諒解を得候

七、仍て今后は相当の注文有之べく(二十車は大丈夫)と存候へ共
当方にても決して宣伝を怠り得ざる様の模様に有之候。

八、就て何卒四厘以下位の品製作御工夫奉願度右に対し篩ては到底
無効と存候間

 一分目篩ひにて落し 強く扇風機をかけて 之を二段に分つ様出
来ざるや否や 何卒御試験奉願候。若し数段に篩ふとすれぱ、

 三分−一分  養鶏用

 一分−四厘  果柑、桑、稲作用

 四厘以下   宮城稲作、畑作用、と相成る次第に御座候

九、然るに宮城県へ向ける分にては甚手間に合はざる点も有之候間
お指図を得て秋田へ売込致し度右記至急御指図願上候、

一、秋田県庁、農会、組合聯合会、(秋田市)県試験場、陸羽
支場、諸農学校、組合(各地)へ合計五日位の出張 旅費計三十五
円位

二、宮城県へ更に三日乃至五日の出張 旅費計二十円−三十五
円位

三、県内組合歴訪 旅費私方持

の中孰れを採るべきや及その順序。

十、次に金策の件 軍之助様へ百五十円差上受取頂戴仕候間御安心
被成下度候

先は  敬具

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      〔そゝり立つ江釣子森の岩頚と〕

そゝり立つ江釣子森の岩頚と
枝みだれたる雪の松
枝すぐならぬ雪の松
そらのけぶりにうちみだれ
か黒き針を垂るゝとか

 余りに大なる屈撓性は
 無節操とぞそしられぬ
 県官をとはんとて
 今日わがひとり行けば
 電線あやふく雲に上下し
 保線工夫のひとびとの
 空きし車室のかたすみに
 さびしくもだして腰掛くる

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      〔あしたはいづこの組合へ〕

あしたはいづこの組合へ
一車を向けんなど思ふ
さこそはこゝろのうらぶれたりと
たそがれさびしく汽車にて行けば
あゝいま北上沖積層を
けぶりはほのかに青みてながる
あるひは二列の雲とも見ゆる
山なみ越えたるかしこの下に
なほかもモートルとゞろにめぐり
はがねのもろ歯の石噛むひゞき
ひとびとましろき石粉にまみれ
シャベルを叺をうちもるらんを
あゝげに恥なく生きんはいつぞ
妻なく家なくたゞなるむくろ
生くべくなほかつこの世はけはし
柱は行きすぐたそがるゝ草
野の面はこゝにははや霧なくて
雲のみ平らに山地に垂れぬ

-〔文語詩稿未定稿(010)〕----------------------------------
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(本文=下書稿推敲後)
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     八戸

さやかなる夏の衣して
ひとびとは汽車を待てども
疾みはてしわれはさびしく
琥珀もて客を待つめり

この駅はきりぎしにして
玻璃の窓海景を盛り
幾条の遥けき青や
岬にはあがる白波

南なるかの野の町に
歌ひめとなるならはしの
かゞやける唇や頬
われとても昨日はありにき

かのひとになべてを捧げ
かゞやかに四年を経しに
わが胸はにわかに重く
病葉と髪は散りにき

モートルの爆音高く
窓過ぐる黒き船あり
ひらめきて鴎はとび交い
岩波はまたしもあがる

そのかみもうなゐなりし日
こゝにして琥珀うりしを
あゝいまはうなゐとなりて
かの人に行かんすべなし

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(下書稿推敲前)
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     海光

さやかなる白の服着て
またセルのよき単衣して
ひとびとは汽車を待てども
あゝさびしわれは疾みはて
いさゝかの貝をたづさえ
よき客を待ちわぶるなり

この駅はきりぎしにして
玻璃の窓海景を盛り
幾条の遥けき青や
岬にはあがる白波
しかもあれ疾を出でし
わが眼にはあまりまばゆし

この磯のならはしのまゝ
南なるかの野の町に
歌ひめとわれはなりにき
かゞやけるかの唇や
ばらいろの円かなる頬
われとてもひとひはありき

かのひとになべてを捧げ
かのひとと果てんと誓ひ
かゞやかに四年を経しに
わが胸はにはかに重く
わが髪は病葉と散り
うらぶれて帰り来りぬ

そのかみもうなひなりし日
ときいろのきれをかづぎて
この駅に貝を売りしに
ひとびとの愛でて購ひ

モートルの爆音高く
窓過ぎる黒き船あり
ひらめきて鴎はとび交い
岩波はまた上がれども
いさゝかの貝をたづさへ
たゞづめるわれにはさびし

--〔後記〕--------------------------------------------------

 金曜日に大連から帰ってきました。水曜日に大連に着いた日は猛
烈に寒かったですが、快晴で風があり、空気もきれいで寒さ以外は
よい気候でした。大連の仕事も一段落し、今後はあまり行くことも
なくなると思うと、ちょっと寂しいです。

 来週はクリスマスです。自分の子のときは何もしなかったのです
が、孫のためにケーキを予約してしまいました。サンタさんのプレ
ゼントを楽しみにしているようですが、そちらは私ではなく、両親
の担当です

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