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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第929号--2016.12.10------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(65)1931年-1」「隅田川」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(65)1931年-1」
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 今回から1931年分の開始です。この年は東北砕石工場技師として
活躍した年で、鈴木東藏宛ての書簡がたくさん残っていることもあ
って、記事が大変多く、たぶん今までのように4回では終りません。

 今回は1月から3月までを掲載します。それまで病床にあった人
だとは思えないほど、いきなりから大活躍を開始しています。

 当時の東北砕石工場の経営状態は非常に悪く、賢治の活躍がなけ
ればおそらく行き詰まっていたと思われます。

 賢治は注文をとり、出荷を指示し、代金を回収、送金と活動しな
がら、県の関係者からの支持をとりつけたりとまさに大活躍の様子
です。

 東北砕石工場へも時々訪問していましたが、おそらくその帰りの
汽車の中で手帳に書いたと思われる、こんな言葉があります。

あらたなるよきみちを得しといふことは
たゞあらたなる
なやみのみちを得しといふのみ

(略)

あゝいつの日かか弱なる
わが身恥なく生くるを得んや

 書いたのはこの年の3月ころと推定されているそうですが、何と
も重い言葉です。偉大な詩人宮沢賢治はこのときも健在でした。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

新たなる道
http://blogs.yahoo.co.jp/ito3232/18802377.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 新たなる事を始める際に、必ずといっていいほど宮沢賢治の碑を
思い出す。

「あらたなる よきみちを得しといふことは ただ あらたなる 
なやみの道を得しといふのみ」

続きは、「あゝいつの日か か弱なる わが身恥なく生くるを得ん
や」と続く。

 賢治は貧しい農民の為にと、東北砕石工場の技師として肥料の研
究に明け暮れ、農民にその肥料を普及させようと東奔西走、自ら営
業に回った。

 しかしながら、結局は貧しい農民への負担を負わせることに対し、
自責の念を覚えたのではないかともいわれている。

 そんな事情からか、この詩の一般的な解釈として、悲観的で絶望
的なフレーズとして受け取られている。

 しかしながら私の解釈としては、「良い道をみつけ出す為には、
先ず、悩むことが必要であり、良い道を究めるには、色んな悩みを
必ず乗り越えなければならない」と前向きな解釈をしたい。

 人間誰しも、マイナスイメージを想像することは容易い。しかも、
その方が楽である。

 しかしながら、前向きに生きる事、前向きであることの発想の重
要性を、賢治は十二分に知りながらも、この詩を記したのではない
だろうか。

 私は、そんな風に思えてならない。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1931年-1〕----------------------------------------------
35歳(昭和六年)
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1月
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1日、母木光(岩手県御所村)、菊池武雄(東京)へ年賀状(書簡
290・291)「四月からまた飛び出すつもりです。」

9日、菊地信一(弘前)へ返書(書簡292)、佐藤昌一郎(盛岡中
学の後輩、校枝幸郡稲瀬村、稲瀬小学校訓導)へ礼状(書簡293)

10日、本日付発行「海岸線」一号に三野混沌の評論「描写上の問
題と労働せる作家や詩人」で、「無駄な形容や説明」に対して、一
字二字がなくてはとても全体が成立たないという程の詩」の例とし
て賢治をあげてその特徴を記し、さらに「詩を書いた背景」につい
て「スケールが大きい」と評している。

12日、鈴木東藏へ返書(書簡294)。

15日,沢里武治へ返書(書簡295)。

18日、鈴木東藏、宮沢家訪問。

22日、鈴木東藏あて返書(書簡296)。

 鈴木東藏の回想文のうち「技師として宮沢賢治を迎ふ」の項には
次のように記されている。

「宣伝文の寄稿を得た其の礼を兼ねて昭和六年旧一月元旦年賀状を
兼ねた「東北砕石工場技師を命ず」との辞令を送った。処が間もな
く宮沢家より「スグコイ」の電報が配達になったのです。これは失
礼な辞令を出したのかとも考えました。ともかく宮沢家に行きまし
て敷居を高くまたぎました。然るに用件は予想に反し、夢ではない
かと喜びに堪えざる援助策でありました。賢治さんのお父さんより、
賢治は技師として差し遣わし外経営費も入要だから資金として五百
円を貸してやる、荷物は売れ行き次第荷為替付で発送して其の入要
金も出してやる。工場に就いて5円の都合も出来ぬ私に、五百円
(其の当時人夫賃一円酒一升一円)とは大きかった。」

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2月
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2日、鈴木東藏あて書簡(書簡298)。広告原稿を送ったこと、依
頼されていた花巻駅在荷の石灰販売先あり、運送店から配送の手配
をたのむこと、広告中に「石灰施用に関する一切の照会に応じる旨」
書きそえてくれてもよいことを報じる。

8日、鈴木東藏、宮沢家を訪問。「初めて肥料注文を受ける」

14日、鈴木東藏あて書簡(書簡299)。

17日、鈴木東藏より二、三日中に参上、万事協定したい旨の手紙
と共に17日付「嘱託状」が送られる。

21日、鈴木東藏来花。契約書を交換し、東北砕石工場花巻出張所
開設を正式決定する。

22日、盛岡行き。

23日、湯口行き。

24日、松川行き。なお、この日鈴木東藏あて「金壱百円」の受領
書がある。鈴木豊によれば、この日鈴木側で「契約金五百円受領」
また「採掘場にて写真」撮影を行った。

25日、東京西ヶ原農事試験場関豊太郎あて書簡(書簡301)。

 この書簡に返信用の葉書を同封。「引き受けるべからず/引き受
けてよからん」と書いた。

 二月末、「王冠印手帳」に詩「〔隅にはセキセイインコいろの白
き女〕」。

 森佐一の長女千紗の誕生を祝い、お産見舞いにメリンスのチャン
チャンコとピンクのネル一反を届ける。森は岩手日報社に勤務中、
夫人はまだ床あげをしないときで、母堂が戸口までゆくと、賢治は
品物をていねいに渡して、すぐ待たせてあった人力車に乗って帰っ
たという。

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3月
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2月末〜3月初、盛岡へ出、県庁で県内実行組合名簿約千名を写し
とり、帰宅後、宛名書きを始める。

 鈴木東藏へ昨日県庁で名簿を写したこと、宣伝発送用宛名書きを
始めたが工場発送と重複しないよう指図のほしいこと、宣伝書は4
県下へ5千、自分負担で送ってよいこと、宣伝書の印刷部数に右の
5千を併せてほしいこと、校正もしたいことなどを書き送る。(書
簡302)

4日、盛岡に出、県肥料督励官村井光吉技師・平井重吉技手、県農
事試験場の工藤藤一技手を訪ねた。石灰岩抹の県内の推奨を得るた
めである。夕刻盛岡駅から鈴木東藏へ一応の通信(書簡303)をし、
帰宅後、詳細な報告を行う。(書簡304)

5日、本日付をもって関豊太郎より2月25日付の問合せに対する
返書があった。「引き受けるべからず」を棒線で消し、「小生の宿
年の希望が実現しかゝったのを喜びます。」と書かれていた。この
葉書は鈴木東藏へ送られて喜びを分けたが、現在所在が確認されて
いない。

12日、沢里武治へ返書(書簡305)。

 この日、県内1400通の広告発送を終わる。

14日、鈴木東藏へ返書(書簡306)。

 はじめて花巻での注文一車分あり。その粒形2ミリ以下を厳に守
ること、次々に訪問の約束があり秋田行きのできないこと、名古屋
に見本を送ったことなどを伝える。

18日、県農事試験場の工藤藤一から手紙を受け、それを同封の上
鈴木東藏へ書状を出す(書簡308)。

21日、工藤藤一あて礼状(書簡309)。

22日、「一車」

23日、「一車 神明」

24日、「一車 渡辺」

26日、東北砕石工場行き。工場では土台のコンクリート打ちをし
ていた。工場訪問のときは働く人たちのために必ず菓子や酒を持参
して慰めた。

 この日、工場へ10円支払い、帰途水沢中林商店による。

27日、肥料設計依頼の人多く来る(書簡311)。

 黒沢尻から二子にまわり注文をとる。工場へ電報為替40円送金、
その旨を工場あて通知(書簡310)。

28日、鈴木東藏から来書。コンクリートの固まらぬこと、湯口村
神明実行組合注文品の件、その他問い合わせに答える件などである。
それについての処理を報じ、本日も肥料設計依頼者あり、昨日とも
十数名の盛況という(書簡311)。

29日、午前中一ノ関へ出、萩荘村の肥料店加賀長商店より4月1
0日までに三車引受の約をとる。それにつき製品の発送割り振りに
ついて指示、また肥料店の販売上の競争などについて注意をする。
(書簡312)

 一方、工場側からは28日40円の送金を受領。それにより人夫
25日支払の分を清算、機械油を購入したが、カマスの荷受け金な
どなお100円入用、都合してほしいことをいってくる。

30日、東北砕石工場訪問。

31日、午前、石鳥谷に出かける前に鈴木東藏へ一筆(書簡313)。

 その後石鳥谷の板垣肥料店を訪問、そのあと南下、水沢へ出て中
林商店と菊田農機との江刺郡胆沢郡売込み分担の諒解をとりつけ、
つづいて水沢農学校の校長日向秀雄、教頭須川郁を訪ね激励を受け
る。その旨を夕刻水沢駅で認め鈴木へ送る(書簡314)。

3月(推定)「王冠印手帳」に「〔あらたなる〕」をメモする。

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田河水泡「のらくろ二等卒」連載開始
岩手県立花巻中学校開校
初の国産技術による合成硫安生産
岩手県で低温・多雨、豪雨で洪水被害などがあり、県下凶作
清水トンネル開通
9月、満州事変始まる
宣統帝溥儀天津を脱出、関東州大連へ

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金田一京助「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」
佐々木喜善「聴耳草紙」
草野心平「明日は天気だ」
中野重治「中野重治詩集」
永井荷風「つゆのあとさき」
サン・テクジュベリ「夜間飛行」
チェップリン監督・主演「街の灯」

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政次郎 57歳
イチ 54歳 
シゲ 30歳
清六 27歳
主計 28歳
クニ 24歳 5月、次女ヒロ出生
フヂ 2歳

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[295](1931年1月15日)沢里武治あて 封書

(表)上閉伊郡上郷村 岩手上郷駅 沢里武治様
(裏)花巻町 宮沢賢治(封印)〆

お手紙拝見しました。徴兵検査早く結果がわかればいゝと思ひます。
その節行きでも帰りでも花巻駅前で二時間ぐらゐの時間都合できま
せんか。できるやうでしたら予定をたてゝ知らせてよこして下さい。
実は私は釜石行きはやめて三月から東磐井郡松川の東北砕石工場の
仕事をすることになりました。月の半分は仙台へ出てゐて勉強もで
きるのですが、収入は丁度あなたぐらゐでせう。悪い風邪が流行っ
てゐますからこの前お話した「わかもと」呑むこと、オキシフル
(過酸化水素)の十倍から三十倍ぐらゐのもので一日数回うがひす
ること怠らずなすって下さい。盛岡へ出るときなど尚更です。  

まづは。

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[299] 1931年2月14日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 本日私方発信と行違ひに、貴簡配達あり、早速湯口(湯本な
らん)の方へは右照会致し置候。

次に本日笹間村の一青年同村の福田とかいふ人より購求したる石粉
甚粗粒混じ居りて迷惑なる旨申し参り小生も一寸困り申し候処右品
は径何ミリの箭を通したるものなるや、並びに先日承り候松川渡し
十貫二十五銭の分は何ミリの箭によるや右二点至急御報被成下度

先日農事試験場訪問の際も貫数、バーセント、粒径荷物に書き添へ
られ度旨申し居り候間御経営上の御意見何卒腹蔵なく申し聞け願ひ
上度候 特に只今は新紙にも報ずる通り佐比内産消石灰栃木産漆喰
粕新肥料カルクを正面に廻しての競争にも有之県官の心からなる賛
同を得て種々の便宜を得る為にも尤警戒を要する場合に有之候間何
卒比辺粒径と価格との関係並びに一般卸値段の制定に関し至急御返
事を仰ぎ奉り候尚右充分確定后は秋田県の方へ三四日出向致し販路
取調べ参るべく候

敬具

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[304](1931年3月4日)鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

再啓

先刻盛岡駅より通信申上候本日出県の顛末詳細左の如くに御座候

一、農事試験場工藤技手の御意見

イ.本県未だに石灰岩抹の試験成績なきを以て未だに確言は難
きもその粉末微細にて一ミリ以下(三厘三毛以下)ならば必ず効あ
らん。就て本年ポット試験を行ふべきを以て製品各種一瓩宛送附さ
れたし。

ロ.本年の試験結果によりては明年は勿論一般に推賞し県組合
聯合会にても取扱ふべし。

ハ.本年としては農家の質問に対して否とは勿論答へざるべし。但
し特種使用法には当然之を推せん。

二、農務課平井技手(肥料検査官)の意見

イ.価格今少しく切り詰め得ざるや。栃木消石灰は先方レール
渡し二十五銭なり。

ロ.本年辛く採算の採れる範囲にて売るは差支なし。

三、仝課村井技師(肥料督励官)の意見

イ.本県は耕地に石灰を要すること甚多し。之に対しての現在
使用量は甚少なり。他県産品を之に加ふるは当方も望ましからず。
大いに改良して廉価に良品を出されたし。

ロ.粒形は当方主張の通り六厘迄は充分効果あるを信ず。但し
農家は微粒効ありと思ふべきも六厘篩にてよきことを本官も大いに
説明せん。

ハ.価格今少しく切り詰り衣装完全(叺可)ならば今后敢て推
挙を吝まざるべし。

右に対する当方策戦。

  イ.粒形はこの際蓋ろ六厘篩及七厘篩を固執せん。但し七厘以
上は誤りても混合せざる様留意し、村よりの微粒註文は可成撃退す
べし。

ロ.搗粉少しく細か過ぐるとの批評数処あり。搗粉に今少しく
粗粉を混じ肥料用の方も生産費を低下したし。且つ新設備による価
格上りを六厘及七厘篩にて慎重考査のこと。一ミリ篩は注文によっ
てのみ作ること。

ハ.栃木産消石灰中に生灼けの石塊可成あり。明日その正体を
検して価格外観に比して大に廉ならざるを明にし宣伝に供すべし。

尚数日中に当地注文相当量有之べくかますに詰込置被成下度候。

敬具

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[308] 1931年3月18日 鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

只今県試験場工藤技手より同封書面到着仕り思はず雀躍仕候 実は
工藤氏は従来消石灰万能の御考に有之年来公言致され居り候関係上
推奨を得るが如き容易の事に非ずと存居候処斯くも容易に御諒解を
得たるは全く貴下の献身的なる値段引下げ等によるものと存じ甚御
同慶の至りに存候 この上は敢迄も良質の物を供給して信用を重ね
度何分にも御心構へ奉願候 尚別簡は全くの私信に御座候間貴台御
覧の上は乍御手数直ちに御返送を得度願上候 先は吉報御報迄如斯
御座候

敬具

  昭和六年三月十八日

宮沢賢治

鈴木藤三様

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[309] 1931年3月21日 工藤藤一あて 封書

(表)盛岡市上田与力小路 工藤藤一様 御親披
(裏)花巻町 東北砕石工場出張所内 宮沢賢治拝(封印)〆

只今お手紙拝誦いたし何とも感奮の次第、場主とも心を協せまして
必らずご期待に添ふやうな良品を更に廉価に作りたいと存じます。
就て目下折角試験中でございますが多分今期は十貫二十五銭の分は
粒径を一.三粍以下といたし右の新叺入も二十七銭迄出来るかと存
じ居ります。但し粒の大さとその調合の割合を如何様にいたしたら
稲作中期以后に対して適当に四要素を供給するか確実な資料がなく
て甚困って居ります。昨年粒径一分五厘(4.5粍)以下というや
うな粗大なもの笹間村附近に大分入りました由成績を集めて見ます
と、それでも目に見えて働いてゐたやうでございます。殊に新墾地、
湿田、砂質土でよく効いたらしく、本年一月頃同村の石田といふ人
二車程小売して歩いた由でございます。

関先生からは「永年の小生の希望が実現しかゝったのを喜ぶ」とい
ふお詞をいたゞき宮城県の内務部からは昨年今年共公文で各農会組
合へご推奨を得ました。たゞしその事はどういふご見地からかまだ
判りません。本県ではあなた様のご賛同を得たい由場主がしきりに
私に申しましたけれども何分にも技術上の問題は懇意とか何とかの
情実で一点も左右されるべきでないことをしきりに申し、万一ご試
験でも得るならば望外の幸とのみ存じ居りました。幸にご試験の成
績から、土性並びに米質に及ぼす影響の優れる点等ありましたら、
そのときこそ佐比内の苛性石灰と相呼応して良質廉価の品を多産し
他県よりの移入品を完全に駆逐したいと存じます。いづれにせよ工
場主も割合に廉潔な直情な男で自治体に関する小著等もありもうけ
ばかりを夢見る我利我利亡者でない点甚私とも共鳴する次第、私と
てもこれから別に家庭を持つ訳でもなし月給五十を確実に得れば、
あとはこの美しい岩手県を自分の庭園のやうに考へて夜は少しくセ
ロを弾きでたらめな詩を書き本を読んでゐれば文句はないのですか
ら、多分はこの後一般の物価が騰貴して消石灰等が相当高値になっ
た際もこちらは労銀の僅かな差だけで略々今日の価格を維持できる
こと 専らこれを楽しみにいたして居ります。甚だ過ぎたことまで
書きつけまして済みません。新らしい供試品は二十五日までに調製
発送いたします。そのうち、炭酸石灰に関する諸方使用者の批評工
場附近の農家が三十貫とか使ってやった由の試験、粒子表面積の計
算等取り集め御監督を仰ぎます。

何分にも今后共ご忌憚なくご叱正を賜はり、種々至らぬ点ご教示を
仰ぎ奉ります。

  三月二十一日

宮沢賢治

工藤藤一様
     御机下

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[314](1931年3月31日)鈴木東藏あて 葉書

(表)東磐井郡 陸中松川駅前 鈴木藤三様
   三十一日夕 水沢駅ニテ 宮沢賢治

今朝手紙差上の后石鳥谷へ参り板垣肥料店と略々約束相定めその足
にて当地に参り菊田氏及中林氏間の完全なる諒解を得、了って水沢
農学校に参り候処校長及名須川教頭より大に激励され申候。校長は
数日前「胆農」誌上に「本年は石灰だけ使って農業せよ」と書いた
りとのこと当方の所説と全く一致したる次第に御座候

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     〔隅にはセキセイインコいろの白き女〕

隅にはセキセイインコいろの白き女
おごりてまなりをつぶりてあれば
蓋をしめたる緑タイルの暖炉前あたりには
かっては獅子とも虎ともよばれ
いま歯ぞ抜けし 村長の
頬紅き孫の中学生とつれだちて
手袋の手をうちかさね
いとつゝましく汽車をまつ
さあれ やさしきその孫の
髪 獅子のたてがみのごとく
逆立てるこそおかしけれ
この時雲はちゞれてひかり
床はけしくもよごれたる
二月の末の午后にありしか
あゝ今日は
一貫二十五銭にては
引き合はずなど
ぐたぐれの外套を着て考ふることは
心よりも物よりも
わがおちぶれしかぎりならずや

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     〔あらたなるよきみちを得しといふことは〕

あらたなるよきみちを得しといふことは
たゞあらたなる
なやみのみちを得しといふのみ

このことむしろ正しくて
あかるからんと思ひしに
はやくもこゝにあらたなる
なみやぞつもりそめにけり

あゝいつの日かか弱なる
わが身恥なく生くるを得んや

 野の雪はいまかゞやきて
 遠の山藍のいろせり

 肥料屋の用事をもって
 組合にさこそは行くと

病めるがゆゑにうらぎりしと
さこそはひとも唱へしか

-〔文語詩稿未定稿(009)〕----------------------------------
------------------------------------------------------------
(本文=下書稿2推敲後)
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     隅田川

水はよどみて日はけぶり
桜は青き 夢のつら
は酔いれてうちおどる
泥洲の上に うちおどる

母をはるけき  なが弟子は
酔はずさびしく そらを見る
その芦生への  芦に立ち
ましろきそらを ひとり見る

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------

     隅田川

雲ひくくして日はけぶり
桜は青き 夢のつら
は酔いれてうちおどる
泥洲の上に うちおどる

甲斐より来たる なが弟子は
酔はずさびしく そらを見る
その芦原の   芦に立ち
ましろきそらを ひとり見る

------------------------------------------------------------
(下書稿1)
------------------------------------------------------------

(一字空白) ひくくして日はけぶり
桜は青き夢のつら
汝は酔いしれてうちおどる
泥洲の上にちをどる

甲斐より来たる汝が弟子は
酔はずさびしくそらを見る
その芦原の芦に立ち
ましろきそらをひとりみる

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(先駆形短歌「歌稿B810・811」)
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810

雲ひくく 桜は青き夢のつら 汝は酔ひしれて泥洲にをどり。

811

汝が弟子は酔はずさびしく芦原にましろきそらをながめたつかも
 

--〔後記〕--------------------------------------------------

 9日に仕事の関係で宴会があり、11日には同窓会の関係者でま
た飲み会があります。来週は大連にも行く日程なので、あまり飲ま
ないようにしなくては…。

 8日には幼稚園の発表会があって、孫の遊戯なんかを見せてもら
いました。知らないうちに成長している姿に感激です。

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