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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第928号--2016.12.03------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(64)1930年-4」「樹園」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(64)1930年-4」
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 1930年の最後です。10月から12月の記事ですが、この間に東北砕
石工場とのつきあいの記事はありません。

 「菊花品評会」あたりが目ぼしいところです。賢治には珍しい俳
句で、菊花展のことを詠んだものがあります。書簡の次に掲載して
いますので、ごらんください。

 また、秋香会という菊の会から頼まれて、「顧問ですか、賛助会
員ですか、客員ですか、とにかくそこら」になっています。

 手紙は多く出していて、あて先も冨手一、母木光、阿部芳太郎、
菊池信一、藤原嘉藤治、澤里武治といろいろです。

 これらの手紙の中で、菊地信一宛てでは「四月からは釜石へ水産
製造の仕事へ雇はれて行くか例の石灰岩抹工場へ東磐井郡へ出るか
も知れません。」、澤里武治宛てでは「来年の三月釜石か仙台かの
どちらかへ出ます。」などと言っています。

 もちろん、実際には東北砕石工場の仕事に従事することになりま
すが、年が明ければすぐにその活動が始まるのです。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

みちのくの山野草 3071 澤里武治について少し
http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/4d91a3e3bbbe9db8637176fc2471376f

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

■がらくた楽団

 過日板谷栄城氏の著書『賢治小景』から『太湖船』にまつわるエ
ピソードを教わったが、同じくこの『太湖船』にまつわる次のよう
な別のエピソードも同書には載っていた。

 賢治は羅須地人協会時代にオーケストラの活動を目指して合奏を
始めました。

 音楽の才能を見込まれて参加した賢治の教え子、沢里武治さんは
「あれはオーケストラなんていうものではなく、がらくた楽団でし
たな。だけど先生は夢中で楽しんでおられました」と話してくださ
いました。

 そのがらくた楽団が、何とか終わりまでひけた唯一の曲が、中国
民謡の『太湖船』でした。………(1)

<『賢治小景』(板谷栄城著、熊谷印刷出版部)196pより>

 私は正直『う〜む』とうなってしまったが、あの澤里武治がこう
まで言っているとなると、やはりそれが実態だったのかなと思わざ
るを得なくなってきた。

■澤里武治の人となり

 というのは、以前、澤里武治の長男裕氏から、

 父は教員であったが、児童生徒の前では賢治のことをあれこれ喋
るようような人ではなかった。一方では、家庭内では興が乗ると賢
治の真似をし、身振り手振りよろしく賢治の声色を真似て詩を詠っ
たものだった。

という人物であったということを私は教わっていた。賢治に畏敬の
念を抱き、かつ心酔していたことがわかる。賢治が有名になってい
くにつれて、それまでは賢治に関して黙していた人が次第に社会的
に多弁になっていったというような人が何人かは居たかもしれない
が、まずはそのようなタイプの人ではなかったのであろうと察した。

 また、巷間よく知られていることのようだが、澤里武治は

 昭6徴兵検査で第二乙種。9月賢治が来訪した際、途中の遠野駅
まで迎えに出て、そこから車中で「風野又三郎」の「どっとどどど
う」の歌の作曲を命ぜられた。苦心したがついに成らず、花巻の家
へ訪ねてその旨を報告した折りの賢治の落胆に反省し、専攻科へ入
った。

<『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)36pより>

のだそうだ。澤里は真面目で律儀な人物であったということがこれ
らのことから窺える。

■賢治先生は神様です!

 そこへもってきて、前掲書で板谷氏は澤里の人柄を偲ばせてくれ
る次のようなエピソードを紹介していることも知った。

 NHK仙台の「賢治ファンタジー」というテレビ番組のために、
遠野の料亭で賢治の教え子沢里武治氏を取材したときのことです。

 南部遠野家の重臣の末えいで、古武士の風格がある沢里氏は背筋
をピンと伸ばし、「私にとって賢治先生は神様です!不肖の弟子の
私に、神様を語る資格はありません!」と言ったきり口をつぐんで
しまいます。

<『賢治小景』(板谷栄城著、熊谷印刷出版部)148pより>

 このことを知って、もうこれで決定的だなと覚悟した。澤里武治
は如何に賢治のことを崇敬していたか納得できたし、断固とした信
念と気骨の持ち主であるということもわかったからだ。もはや、澤
里の証言(1)≠ヘそのとおりだったのだ、それが実態だったの
だと受け止めなければならぬのだと覚悟した。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1930年-4〕----------------------------------------------
34歳(昭和五年)
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10月
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11日、童話「まなづるとダァリア」への赤インク手入れを終り、
原稿表紙に「5.10.11 訂了」と記入。

24日、花巻温泉遊戯場で県下菊花品評会が催されるにつき、審査
員を頼まれる。それに対し、病後医師の勧告により外出を.控えて
いるので断わり、出品者にしてほしい旨をいう。(書簡278)

30日、佐々木実あて葉書(書簡278a)。

この月、弟清六が三週間、教育召集のため弘前歩兵第31連隊第1
大隊へ赴いたので、留守を守って代理をつとめる。

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11月
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1日、本日付発行の「文芸プランニング」3号目次に「空明と傷痍」
として、「空明と傷痍」「遠足許可」「住居」「森」の4編を発表。
表紙も本文も「賢次」と誤植。編集兼発行者北村謙次郎の記述によ
ると、ほかになお2編の詩があり、全部のせるとページ数に狂いが
出るので、2編は割愛し、「同時に岩手の賢治宛て手紙を出して非
礼を詫び、割愛原稿を返送したい旨申し送った。ところがすぐ返事
があって、返送に及ばぬ、そのまま破棄してくれということである。
おそらく別に草稿があるものと察し、原稿は抽斗に入れたままなく
してしまった。もちろん手紙もだ。」という。

2日、母木光へ「岩手詩集」のことについて、藤原草郎(嘉藤治)、
松田浩一他2、3人の作品を3、4日中に送ることなどを報じ(書
簡279)、『注文の多い料理店』を別に送る。

 自分も童話を書いていた母木光はむさぼり読んだが、「自分の書
いているものとのあまりの距離に、つくづく自分がいやになったこ
とを覚えている」と後年書いている。

3日、本日付「岩手日報」四面「『詩』展に際して」の記事の中に、
出品者の一人として賢治の名前が掲出されている。

4日、母木光へ「岩手詩集」の原稿3人分を送る(書簡280)。

6日、本日より10日まで花巻温泉主催で開催された「県下菊花品
評会」の切花の部に出品。題名「妹背山」。4等入選。会期中の某
日見物。照井写真館撮影の肖像写真はダリヤ展(9月27日〜29
日)の際かこの時か不明。

18日、花巻町末広町の阿部芳太郎への菊の会(秋香会)から頼ま
れた件を取り次ぐ(書簡281)。

 阿部は農学校で劇を上演したとき装置をひきうけ、『春と修羅』
の箱の絵と文字をかいている。要件は賢治とともに秋香会の「顧問
ですか、賛助会員ですか、客員ですか、とにかくそこら」になって
ほしいとの要請のとりつぎ。賢治自身は承諾している。受賞者には
自作俳句短冊を贈った。

 同じくこの日弘前歩兵第31連隊勤務中の菊地信一への返書(書
簡282)。

 この月、前橋の上毛新聞社をやめ、郷里福島県石城郡小川村の生
家に帰った草野心平から、以後農耕に従事したい旨の手紙を受けと
る。それに対しその方なら自分は詩とはちがって相当の自信もある
ので飛んでいって設計してあげていい旨の返事を出したが、草野の
方は小作人から田畑の回収がつかず断念する。

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12月
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1日、花巻、相生町裏、藤原嘉藤治の長男嘉秋の満一歳誕生日祝宴
の招待を受けたが欠席のため、祝いの連句を送る(書簡285)。

7日、沢里栄子と養子縁組で改姓した沢里(高橋)武治へ、近況を
報じる(書簡286)。

18日、沢里武治へ返書(書簡287)。

この月中旬以降、の「暮れの夕方」、40日近い花巻警察署留置か
ら釈放された梅野建造を見舞う。

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1月、金輸出解禁、一般物価大暴落、昭和恐慌
   ロンドン軍縮会議開会
2月、共産党員大検挙
10月、第3回国勢調査(内地人工6千4百万人)
    台湾で霧社事件おこる
11月、浜口雄幸首相、東京駅で狙撃され重傷
    静岡、伊豆地方大地震

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ファーブル「昆虫記」日本語訳刊行開始
アメリカのローエル天文台、冥王星を発見
金子みすゞ没(26歳)
内村鑑三没(69歳)
田山花袋没(58歳)
林芙美子「放浪記」
ランボー「地獄の季節」(小林秀雄訳)
堀辰雄「聖家族」
三好達治「測量船」

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政次郎 56歳 7月、暁烏敏来花
イチ 53歳 
シゲ 29歳 7月19日、三女杉子出生
清六 26歳 10月、教育召集のため三週間、弘前歩兵第31連
隊第一大隊小隊長として入営。
主計 27歳
クニ 23歳
フヂ 1歳

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[278] 1930年10月24日 県下菊花品評会係(冨手一)あて 封書

(表)花巻温泉事務所内 県下菊花品評会係御中
(裏)十月廿四日 花巻町 宮沢賢治(封印)〆

拝復

十月二十三日附貴簡を以て審査員御任命相成光栄斯事に存候へ共病
後医師の勧告により今月より外出相控居候間何卒今回は他方御詮考
被成下私儀は出品者として入会御許可願上候

先は此段早々に貴意を得度如斯に御座候

敬具

   十月二十四日                 

宮沢賢治

花巻温泉 県下菊花品評会係
            御中

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[279] 1930年11月2日 母木光あて 葉書

(表)岩手郡御所村 母木光様
   十一月二日 花巻町豊沢町 宮沢賢治

藤原草郎松田浩一他二三氏の分纏めて三四日中お送りします。ほか
に谷内の阿部といふ人、多分ご承如の陶樹春夫氏など出稿をすゝめ
て置きました。出版は急がなくてもよいと思ひます。はなはだお恥
しいものですが童話集一冊見附けましたからお送りいたします。

まづは。
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[280] 1930年11月4日 母木光あて 封書

(表)岩手郡御所村 母木光様
(裏)十一月四日 花巻町豊沢町 宮沢賢治

やっと三人分だけお送りいたします。

藤原氏のは口語の方 松田氏のでは「蛙」をおとりねがひたいと思
ひます。

尚 花巻町相生町    梅野草二氏
   〃 財務出張所  照井圭一郎氏
   〃 館      和地修二氏
   〃 岩手タイムス 佐藤紅歌氏

へ出稿勧誘の葉書一枚づつ下さらばまことに幸甚です。

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[281] 1930年11月18日 阿部芳太郎あて 封書

   岩手県花巻町末広町 阿部芳太郎様
   十一月十八日

過日はどうもありがたうございました。

菊の会の人たちから頼まれて申しあげる次第ですが、今度例の秋香
会が俄に会員も増えて四十幾人になり、新任農学校長が会長、讐察
署長が副会長で大に他地方と競争でやるといふのです。

就てあなたと中井先生と關徳彌さんとわたくしに顧問ですか、賛助
会員ですか客員ですか、とにかくそこらになってくれまいかといふ
訳です。勿論私どもは会費はいらず、責任もなし、まあ名を出して
置いて、あなたは格段にいい花ができたとき淡彩で(一年に二つか
三つ)スケッチをとってくださる(恐らくあなたには十弐分の仕事)
中井先生はメタルか何かを考へて下さる、關さんは歌をよむ(他所
へやる時殊に必要)わたくしは肥料など考へる、それからみんなで
品評もするといった風の訳です。

それで何か得があるかといふに何もないです。ところがなかなかあ
の野暮臭い作り菊も面白いやうです。また作ってゐる人たちは実に
奇体なところをいいとしてねらってゐるのは、私などには仲々勉強
になります。

ご承知下されば幸甚、お進みなければまづあたり前で遠慮も何もあ
りません。

このうちどちらかをお消し下さい。

 ご返事

   ○引き受くべし。
   ○あまり望まず。

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[282] 1930年11月18日 菊池信一あて 封書

(表)弘前歩兵第卅一聯隊第九中隊 菊池信一様
(裏)十一月十八日花巻町豊沢町 宮沢賢治(封印)〆

お手紙ありがたく拝誦いたしました。

あなたのご様子は弟からも聴き上等兵の候補者にもなってゐられる
さうで実に安心いたしました。どうかもう一息ですから、おからだ
を気を付けてまた勢よく帰って来て村の為にお働きください。私も
お蔭で一二度小さな風邪を引いたきり弟の留守も無事にすまし、こ
の冬さへ越せばもう元の通り何をしてもいゝと医者も云ってゐます。
たぶんは四月からは釜石へ水産製造の仕事へ雇はれて行くか例の石
灰岩抹工場へ東磐井郡へ出るかも知れません。それも全く健康にさ
へなれぱどんなことをまた考へ出すか白分でも兄当がつきません。
こちらも雪です。例年より寒いやうです。米はとれても廉くてみん
な困ってゐるやうです。また書きます。

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[285] 1930年12月1日 藤原嘉藤治あて 葉書

(表)花巻町相生町裏 藤原嘉菟治様
   十二月一日夜 豊沢町 宮沢賢治

  藤原御曹子満一歳の賀に

おのおのに弦をはじきて賀やすらん  清
  風の太郎が北となるころ  圭

一姫ははや客分の餅負ひに 清
  電車が渡る橋も灯れり 圭

ほんもののセロと電車がおもちやにて 圭
(この下は菟氏にねがふと爾曰)

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[286] 1930年12月7日 澤里武治あて 封書(封筒ナシ)

すっかり冬になりました。そちらも雪でせう。お変りはありません
か。この夏はおうちの方へ手紙あげたりしてゐました。お兄さんと
は遊園地でダリヤや菊の会のあったとき二度もお目にかゝり写真を
とって貰ったりしました。その節伺ひましたら、あなた、いつかの
お話のところへご入籍なすったさうでまことにお芽出たう存じます。
学校の方も引き続いてうまくやっておいででせうな。あなたの村へ
はわたくしの遠縁にあたる女の人が醤油屋だかへ嫁ってゐます。こ
の頃帰ったのでそちらの模様もきかうと思ってゐて遂会ひませんで
したが、じつにいろいろ伺ひたいことばかりです。わたくしすっか
りよくなって今までの埋め合せに弟の店へ手伝ってゐます。十月は
弟が招集だったのですっかりその代理をし通しました。来年の三月
釜石か仙台かのどちらかへ出ます。わたくしはいっそ東京と思ふの
ですがどうもうちであぶながって仕方ないのです。レコードほしか
ったら送ります。左のうちです。遠慮なく云ってくれませんか。ベ
ートンベン、第五、第六、第九、第一ピアノ司伴楽、ストラウス死
と浄化。

  まづは。

    十二月七日

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[287] 1930年12月18日 澤里武治あて 葉書

(表)上閉伊郡岩手上郷 澤里武治様
   十二月十八日 花巻町 宮沢賢治

しぱらくぶりで帰られるさうでいろいろお話も伺ひたししますから
ご迷惑でもぜひお立ち寄りねがひます。その節前兼ねて大体の時刻
ご報知ください。もすこし丈夫になってゐれば、セロでも合せたい
ところですが。

あなたは上手になったでせうな。

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(俳句)

魚燈して霜夜の菊をめぐりけり

灯に立ちて夏葉の菊のすさまじさ

斑猫は二席の菊に眠りけり(東北大会)

緑礬をさらにまゐらす旅の菊(東北大会)

たそがれてなまめく菊のけはひかな(東北大会)

魚燈してあしたの菊を陳べけり(東北大会)

夜となりて他国の菊もかほりけり(東北大会)

狼星をうかゞふ菊の夜更かな

その菊を探りに旅へ罷るなり

たうたうとかげらふ涵す菊の丈

秋田より菊の隠密はいり候

花はみな四方に贈りて菊日和

菊株の湯気を漂ふ羽虫かな

水霜をたもちて菊の重さかな

                   【「装景手記」ノート】

-〔文語詩稿未定稿(008)〕----------------------------------
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(本文=下書稿2推敲後)
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     樹園

かはたれは青く這ひ来て
しめやかに木の芽ほごるゝ

鳥飛びて気圧を高み
しんしんと歯痛は起る

ぎこちなき独乙冠詞を
青々となげく窓あり

大いなる帳簿を抱き
守衛長木の間を過ぐる

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(下書稿2推敲前)
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     樹園

かはたれは青く這ひ来て
しめやかに木の芽ほごるゝ
    -- -- -- --
    --
鳥飛びて気圧を高み
しんしんと歯痛は起る
    das des dem das
    die der den die
ぎこちなる独乙冠詞を
青々となげく窓あり

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(下書稿1)
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しめやかに
木の芽ほごるゝたそがれに
独乙冠詞を
青々として嘆く窓あり
    der das dem den
    die der der die
気圧を高み
歯痛は来る
    das des dem das
    die der den die
しめやかに木の芽ほごるゝ
たそがれにして
独乙冠詞のうた嘆きくる。

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(先駆形短歌「歌稿B 238」)
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238  しめやかに
   木の芽ほごるゝたそがれを
   独乙冠詞のうた嘆きくる。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 もう12月ですね。和歌山城ではようやく紅葉が見頃になってきま
した。場内に紅葉谷という、紅葉の名所があり、そこを見てきまし
た。家の近所の山では、ぽつりぽつりと赤や黄色になっている樹も
ありますが、常緑樹が圧倒的に多いので、紅葉を楽しむというとこ
ろまではいきません。

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