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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第927号--2016.11.26------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(63)1930年-3」「田園迷信」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(63)1930年-3」
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 今回は1930年の7月から9月までです。話題は何と言っても、東
北砕石工場との付き合いが本格的に始まったことです。

 9月13日、賢治は初めて東北砕石工場を訪れています。この時
は鈴木東藏には会えなかったようですが、賢治は既に東北砕石工場
のために働く決意をしていたようです。

 東北砕石工場は現在も文化遺産として保存されていて、大船渡線
の陸中松川駅のすぐそばにあります。

 現在の時刻表で、花巻から陸中松川まで行くには、こんな時刻に
なります。

花巻7時58分発 一ノ関8時50分着
一ノ関9時10分発 陸中松川9時38分着

 賢治の時代でも2時間はかからなかったようです。大船渡線は一
ノ関から盛までの区間ですが、途中で大きく北側に迂回していて、
俗に「ナベヅル線」と呼ばれています。陸中松川はそのナベヅル線
のところにある駅です。

 大船渡線は震災で全線不通となり、その後一ノ関と気仙沼間は復
旧しましたが、気仙沼−盛間は開通せず、現在バス路線が運行して
います。

 東北砕石工場は現在も保存されていて、当時の様子を窺うことが
できます。以下のぺーじに写真などがありますので、ごらんくださ
い。

産業技術遺産探訪〜東北砕石工場
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2005/saiseki/saiseki.htm

 さて、問題は東北砕石工場はそのころ既に倒産寸前だったのです。
賢治の実家は裕福な実業家でしたから、鈴木東藏は何とか資金の援
助を得ようとしています。

 賢治からはそれに対する断りと、「貴工場への献策」が送られて
います。この「献策」はいろいろと商売上の問題点を整理したもの
で、金儲けとは無縁だったという私たちの賢治に対するイメージを
裏切るものです。

 なかなか「やればできる子」だったのだなあ、と改めて思います。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

■石灰の残した文化遺産002 宮澤賢治と炭酸石灰(第2回)
http://www.jplime.com/bunkaisan/002/

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

「貴工場への献策」

 さて前記「兄のトランク」中の「どうしても手伝ってやりたくて
致し方なくなった」賢治が、昭和五年はじめ東蔵宛に「貴工場への
献策」と題する長い書簡を書き送りました。受けとった東蔵は大喜
びです。これまでの東蔵依頼による広告文作成に係わる学術的な情
報提供とはまるっきり次元が異なっていたからです。そこには工場
経営それ自体に係わる賢治独自の献策に加え、経営参加にも前向き
な賢治の心情を見せてくれたからです。

 では、この「献策」の内容はどんなものだったでしょうか。

・まずはじめに、それまで工場で使っていた石灰岩抹、石灰石粉と
いう商品名呼称を「肥料用炭酸石灰」に改めたらどうだろうか。一
般購買者の理解を拡げるため「充分に購買欲を刺激し、且つ本品の
実際的価値を示す名称だと思う。「炭酸石灰といえばいわゆる薬用
の沈降炭酸石灰のやや粗なるものという感じで、どこか肥料として
は貴重なものでもあり、効き目もあるという心持ちがいたします。
法律的にもこの名称は差し支えあるまいと思います。何分石灰岩は
炭酸石灰が大部分なのですから」と記されていた。

 東蔵は早速、製品名を「石灰石粉」から「炭酸石灰」と改めまし
た。きっと胸はずむ思いだったことでしょう。……今は略称「タン
カル」になっている「炭酸石灰」ですが……

・販売価格について。炭酸石灰は消石灰の製造工程に比べると生産
費が廉くつくことになるが、微細な良いものをつくるとなるとそう
はいかない。だから消石灰との競争に対応するには、粒子の大きさ
と篩い分けの有無で区分けし、それぞれの販売価格を設定したらど
うだろうか。そして賢治は「勿論多量に売るため、社会奉仕のため
にどしどし廉くされるのは重々願うところであります」と書き足し
ます。低価格におさえて農家が容易に入手できるようにしたい。だ
が一方、工場経営自体をも成り立たせなければならない。ですから
賢治の胸中には、単に消石灰との競争に耐え得る価格操作次元での
提言だけではなく、安価な炭酸石灰を、貧しい農家でも入手でき、
豊かな土づくりに役立ちたいとする農村への深い思い入れがあった
からのことではないでしょうか。

・品質について。原石中の石灰含有量や不純物の性質にも触れてい
るが、特にも粒子の微細度と形態に賢治はこだわります。「消石灰
との得失は一に粉末の微と価格の廉によりて定まり候」(別書簡)
で、製品のポイントをそこに置いていたのです。

・販路の開拓について。東北砕石工場は「実に東北に最たる」位置
にあるが、農業の進歩につれてだんだん競争者も出て来ることは覚
悟しておいた方が良い。そうなると炭酸石灰の販売競争は運賃の額、
即ち距離の問題がポイントになるから、貴工場の位置からして宮城
県の大部分、岩手県の南半、並びに山形県北半への宣伝に力を入れ
るのが、先を見越した得策だと考える。「将来の競争者としては花
釜線の鱒沢駅(恐らくは十年後)横黒線の仙人(これは大敵ですが
恐らくは五年後)八戸線の鮫付近、東北本線の福岡付近、福島県の
南部のある地点位」だと、賢治は地質図と鉄道運輸図をにらみなが
ら予測しています。

・その上「他の競争を許さないような」新肥料を作成し「その製造
権を登録したい」。また製品の包装に商標をつけ、東北砕石工場製
品だと表示する必要がある。

・また貴工場の設備で出来る他の事業として「大理石や一般飾り石
の研磨の事業」を挙げ、「今後洋風建築の発達と一般好尚の進歩に
伴って十分間に合うと思います。原料は大船渡線には相当あるはず」
と付記します。

(この献策が後日、彼自らの考案製作による壁材料サンプルをトラ
ンクに詰めて上京し、ついに再起不能の重態におちいる結果につな
がるとは、その頃誰も予想できないことでしたが、時代の先行きを
的確にとらえた「献策」だったことは確かです。)

・最後に賢治は販売戦術として「貴工場では消石灰も生石灰も作ら
れるか扱われるかしていらっしゃるようですが、これは実に良いと
思います。三種の石灰を持っていて、特に炭酸石灰が実情に適する
から使ってくれというのは大いに強みです」と書き足します。確か
に当時の砕石工場では、焼き窯で生石灰を作り、それに水を加えて
作った消石灰も製造販売していました。その経緯を逆手につかい、
炭酸石灰の販売を伸ばす足場にしていこうとする賢治の編み出した
宣伝戦術がこれでした。

 事実、肥料用炭酸石灰の宣伝文中に「当工場でも最初は生石灰を
製造していましたが、小岩井農場からの御用命を機会とし、この
(炭酸石灰のこと)製造を始めてから、年一年需要の増加と、技術
家方のお勧め外国の事情に刺激され、いろいろの困難と闘って専心
良品の作出に没頭いたし、目下充分自信ある製品ができます」と広
告に記すようになっていきます。


 ちなみにこの「献策」に見られる内容及び表現は、賢治が文学者
や宗教家、科学者や農民の友として見られてきた視点からでは、お
よそ想像できない実業人としての側面の発見と云えましょう。さす
が商家に生まれ育った賢治が構想する戦略だとも云えますが、あれ
ほど商売を嫌っていた賢治が、このような積極的な構想を提起して
くるのはどうしてなのかと不審に感じる面もないではありません。
ひと言に尽くせば、炭酸石灰事業へのかなりな思い入れがこのよう
に賢治を動かしたのだと、ひとまずここではおさめておきます。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1930年-3〕----------------------------------------------
34歳(昭和五年)
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7月
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24日、本日付「岩手日報」一面に月丘きみ夫「『岩手詩集』の計
画」が掲載され、「編纂委員」として「富田砕花氏、宮沢賢治氏、
吉田孤羊氏、後藤郁子氏、森佐一氏、佐伯郁朗氏、栗木幸次郎氏、
三十七年龍吉氏、松崎広三氏、織田顔氏、月丘きみ夫氏」と掲出さ
れている。

29日、弘前歩兵第31連隊第九中隊の菊地信一への返書(書簡270)。

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8月
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18日、本日付「岩手日報」四面に「岩手詩集原稿募集規定」「編
輯委員」が掲載され、編輯委員の一人として宮沢賢治の名前がある。

20日、湯本村糠塚の高橋(沢里)武治への手紙(書簡272)。

花巻の料亭「万梅」で催された花巻農学校四回生(1925年3月卒業)
の同級会に出席。幹事の求めに応じて扇子に揮毫する。

25日、盛岡の堀内正己寄贈の詩集『忘れた窓』(自費出版)の礼
状(書簡272a)

「文語詩篇」ノートに「八月 病気全快」とある。

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9月
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1日、本日付発行の「詩神」9月号に黄瀛が「詩人交友録」を発表、
賢治に言及。

2日、鈴木東藏へ湯口村有志数名が工場見学、注文取引に赴く旨を
報じる(書簡273)。

これに対し、有志諸氏はいつ来るか、またいずれの区域でもぜひ販
売方を願いたい旨の返書がくる。

13日、花巻より一ノ関へ南下、大船渡線にのりかえ、真滝、陸中
間崎を過ぎ、砂鉄川の河谷を北へのぼると陸中松川駅である。二列
の山並にはさまれた細長い村が長坂村で名勝猊鼻渓があり、駅から
100メートル余のところに東北砕石工場がある。この日午前11
時過ぎ到着、初めての訪問をした。このとき鈴木東藏は不在、留守
の人から案内をうけ、経営の苦心を聞きその家で小憩した。

 石灰岩抹を土壌改良および肥料に用いることは関教授から教えを
受けており、1923年花巻農学校生徒を引率した北海道修学旅行で石
灰会社を見学、復命書でも特にこの問題をとりあげて「早くかの北
上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に
自らなるクローバーとチモシイとの波をつくり耕地に油々漸々たる
禾穀を成ぜん」と書いており、積極的協力の意思を持つ。

14日、昨日の訪問について鈴木東藏あてに、必要あれば協力した
いといい(書簡274)、資金調達趣意書ないし計画書も今秋中に作
成すると申し送る。「貴工場に対する献策」はその一つである。

26日、岩手郡御所村の母木光が「岩手詩集」の刊行を企画し、編
集委員を依頼してくる。それについて花巻在住の詩人を紹介し、自
作「早春独白」を送り、委員は辞退する(書簡276)。

27日〜29日、花巻温泉主催県下ダリヤ品評会が花巻温泉にて開
催される。期間中に出かけ、照井写真館勤務の高橋忠治に会い、写
真を撮ったか。

日付不明の返書(書簡277)で、出資の困難についていう。

鈴木東藏は工場の経営に四苦八苦の状態で、「貴工場に対する献策」
を示しあるいは資金調達趣意書などを作成してくれた賢治に多大の
期待を寄せていた。特に出資問題は焦眉の急であった。また右の書
簡でさらに大麦作付が10月10日までであるから至急宣伝印刷物
を送りたいこと、また10月より広告並に売込方に従事したいこと
を付け加える。これらによって多分鈴木の花巻訪問があり、種々工
作が行われたと思われる。

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1月、金輸出解禁、一般物価大暴落、昭和恐慌
   ロンドン軍縮会議開会
2月、共産党員大検挙
10月、第3回国勢調査(内地人工6千4百万人)
    台湾で霧社事件おこる
11月、浜口雄幸首相、東京駅で狙撃され重傷
    静岡、伊豆地方大地震

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ファーブル「昆虫記」日本語訳刊行開始
アメリカのローエル天文台、冥王星を発見
金子みすゞ没(26歳)
内村鑑三没(69歳)
田山花袋没(58歳)
林芙美子「放浪記」
ランボー「地獄の季節」(小林秀雄訳)
堀辰雄「聖家族」
三好達治「測量船」

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政次郎 56歳 7月、暁烏敏来花
イチ 53歳 
シゲ 29歳 7月19日、三女杉子出生
清六 26歳 10月、教育召集のため三週間、弘前歩兵第31連
隊第一大隊小隊長として入営。
主計 27歳
クニ 23歳
フヂ 1歳

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[270] 1930年7月29日 菊池信一あて 葉書

(表)弘前歩兵第三十一聯隊第九中隊 菊池信一様
   5.7.29. 花巻町 宮沢賢治

お便りありがたうございました。

お恙もないやうでまことに結構です。どうか国のため郷里のために
折角ご自重ください。私も今はすっかり平常になり小園芸店番など
あちこちできることをやって居ります。本年は稲作は今までの処は
決して悪くありま昔ん。たゞ不景気は町も村もいっぱいです。また
一処にやらうではありませんか。

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[272] 1930年8月20日 澤里武治あて 封書

(表)湯本村糠塚 高橋武治様 平安
(裏)昭和五年八月二十日 岩手県花巻町豊沢町 卸小売 宮
澤商会方 宮沢賢治(封印)〆

お変りはありませんか。お蔭で私も今はすっかり常態に復し、今年
中だけ豊沢町で店を手伝ったりいままで書いたものを整理したりし
てゐるつもりです。あなたの方のこといろいろ伺ひたいことぱかり
です。花巻へ出ておいでになったら遠くですがどうかお立ち寄りく
ださい。六月柳原君にも会ひました。

お兄さんにもお会ひの節はよろしく。まづは

    八月二十日

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[272a]  1930年8月25日 堀内正己あて 封書

(表)盛岡市内丸八五 堀内正己様
(裏)八月廿五日 花巻町豊沢町 宮沢賢治 (封印)〆

ご高著ご恵贈下さいましてありがたく拜誦いたしました。お詞通り
私は一昨夏から病臥いたしましてこの春からやっとどうやら起きる
やうになり只今もまことに不本意乍ら弟の店へ手伝ったりしてごま
かしてゐる次第であります。孰れ全快の上は改めて参上お礼も申し
あげたいと存じますがまづは取りあえずご挨拶まで申しあげます。
残暑の砌りあなた様にも折角おからだ大切にねがひあげます。

  八月廿五日
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[273] 1930年9月2日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 残暑之候倍々御清栄奉大賀候

扱今般当郡湯口村有志数名貴工場へ見学に罷出度趣参上の上は相当
量御取引願度由に有之候間何分宜敷奉願上候

次に小生も病気全く退散来春よりは仙台に出づる予定に有之候へ共
今冬は尚当地にて店の手伝など致す積りに有之若し御事情宜しけれ
ぱ執れかの一地方御引受各組合乃至各戸へ名宛にて広告の上売込方
に従事致しても宜敷其辺の御心持伺上候 尤も右仕事は旧正月迄に
は一段落を付ける様の心構へに非ざれぱ明年の需要には遅るゝかと
愚考仕候 先は右御伺迄如斯御座候

敬具
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[274](1930年9月14日〕鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 昨日午前十一時貴工場迄御邪魔に参上仕候処相僧未だに御不
在中にてまことに遺憾に存候へ共御留守のお方より詳細に御案内を
頂き経営上の御苦心等をも色々伺ひ甚感佩仕候 就て今後の御方針
は貴方にて充分御研究の上若し必要も有之候はゞ小生も一分御協力
申上度御座候 尤も小生のみの考にては可成小人数小設備にて先づ
全能力を挙げて需要をも開柘し製品をも産出し全く事情拡張を要し
たる際現今の十倍位の設備となしては如何と存じ参り候 孰れは是
等諸点数回の手簡にて次第に御照会被成下度場合に依ては資金調達
に関する趣意書乃至計画書の如きものを今秋中に作成可致候 先は
右御礼乍ら

敬具

     追て別紙は昨日の留守のお方へお渡奉願候。

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[277](1930年9月)鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

再啓 貴簡拝誦 御尤の次第に御座候儘父にも相談仕候処漸く御詞
通りの仕儀賛同を得候間可然御手配願上候 尤も資金の件に関して
は父は勿論盛銀常務湯口村長等へ度々申居候へ共何分此の時局にて
殊に私方にては殆んど株式のみを財源と致し居り候処当今の下落の
為に価格負債額を遙に低下し関係銀行より担保追徴の為色々填補に
苦心致し居候次第加ふるに小生は変な主義のため二度迄家を出で只
今としては之等に関しては口を開く資格無之様の訳合にて従来御事
業の必要も有望も充分承知し乍ら御力になり兼ねたるもの全く右に
依る次第何卒御諒解願上候 就て差当っては大麦作付は十月十日迄
に有之宣伝書等至急発送致し度候へ共若し只今印刷のもの無之候は
ゞ次期の分に対し需要先調査の上十月より広告並に売込方に従事致
度存居候 先は右御返事迄

敬具

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     貴工場に対する献策

一、販売名称に就て。

石灰岩を粉砕した肥料を、従来石灰岩抹石灰岩粉石灰石粉等と称し
て居りますが、これらの名称は、どうもまだ一般購売者の理解が進
まない為に不利かと思はれます。則ち「石のままでは利くまい。」
とか「石なら山にいくらでもある。」とかいった風の考が多いので
あります。そこで充分に購売慾を刺激し、且つ本品の実際的価値を
示すには「肥料用炭酸石灰」の名称がいゝと前々から考へて居りま
すがいかがでせうか。炭酸石灰と云へば所謂薬用の沈降炭酸石灰の
稍々粗なるものといふ風の感じでどこか肥料としては貴重なもので
もあり、利目もあるといふ心持ちがいたします。法律的にもこの名
称は差支あるまいと思ひます。何分石灰岩は炭酸石灰が大部分なの
ですから。

二、販価に就て。

本品は元来廉価を特徴とするのでありますが、これは実はご承知の
通り、微細ないゝものを作るとすれば、焼灼工程に比して、そんな
に廉く仕上る訳でもありません。けれども購売者の方では、少し理
解が進んで来ると、燃料代をそっくりそのまゝ廉く仕上るやうに考
へます。尤もいまの消石灰等の価格は相当に高くなってゐますが、
相当の設備でコークスでどんどん灼くやうになると可成競争が要り
ます。それに対しては、いまのうちから粒子の大小や篩別の有無に
よって、数段の等級をつけ、大に廉価なものも作って置いてそれは
牧草地草地専用とでもして置くがいゝと思ひます。

尚御参考までですが、他から価格の廉否の照会があるでせうから申
し上げて置きますが、本品の価格は、

a、石灰含量の点から云へば消石灰の四分の三、次に

b、速効の程度から云へば、最微粒のもの即ち撒布後二三回の雨に
よって全く粒子が溶解するやうなものは消石灰と同価格、それから
だんだん粒が大きくなるに従って廉くなり遂に直径五分なんて云ふ
のはまづ肥料用としては無価値になります。

c、けれども栽培の技術としては、広告文にも書きましたやうに速
く利くからいゝといふものではありませんので、栽培の目的にちゃ
うど適ふ直径一ミリあたりまでは消石灰と同価値と思ひます。即ち、

d、一ミリ以下のものは消石灰が十貫一円二十銭ならば九十銭まで
はよからうと思ひます。勿論多量に売る為、社会奉仕の為にどしど
し廉くされるのは重々願ふ所であります。

三、品質に就て。

製品の品質は、主に原石中の石灰含量や不純物の性質、粒子の微細
度と粒子の形態に依って定まります。

原石に就いては石灰含量の二%や三%のことは問題ではありません。
独乙ではわざわざ泥灰石さへ使ってゐます。

泥灰石でもこの辺にありますから、誰かゞほしいと云ったらそれで
お作りになるのもいゝでせう。たゞ多量の炭酸苦土を含むのはいけ
ないと思ひます。それはまだ定説ではありませんが石灰率といふ学
説があって技術者連中が何か云ひますから。尤もうんと苦土を含ん
だものは別に応用があります。原石の色も問題ではありませんが、
砕いたあとまでその色があまり濃いやうだとどうしても、購売者に
は粗悪に見えます。原石が晶質で特に珪酸を含むことが少なければ
粉砕の工程は速いと思ひます。ご実験を願ひます。

細微度は既に前回にも申し上げた通りであります。粒子の形態も前
に申し上げてありますが、稜角多く裂罅の多いものほど速効であり
ます。円い粒子を作りますと仲々砕け難くなります。これらもご実
験ねがひます。頑固な技術者を説服するには、これらのご実験書類
が一番です。

四、販路の開拓に就て。

貴工場の現在の位置は、実に東北に最たるものでありますが、今後
農業の進歩に伴れてだんだん競争者もできて来ることはご覚悟がい
ります。同時にその頃は需要も今の何十倍でありませう。盛岡の電
気会社や亜炭会社でも大正十年頃には、この事業も考へたのですが、
どうも岩手軽鉄に輸送力がなく且つそちらの技術者が居なかったの
で止めたのであります。

それで沢山の工場が出来ますと、或る程度の設備をした上は、競争
は運賃の小、即ち距離の問題になりますので、今折角遠いところへ
ご宣伝になってもあとでもっと近くに工場が出来ると折角こっちの
骨折りを横から奪はれることになります。そこで地質図と鉄道運輸
図とを按じますと、貴工場としては、宮城県の大部分、岩手県の南
半、(並に多分は山形県の北半)に宣伝なさるのが得策と存じます。
将来の競争者としては、花釜線の鱒沢駅(恐らくは十年後)横黒線
の仙人(これは大敵ですが恐らくは五年後)八戸線の鮫附近、東北
本線の福岡附近、福島県の南部のある地点位のものでありませう。
いまは大阪や日立から沢山出てゐるやうですが。

五、新肥料の製造に就て。(並に商標に就て)

けれども上述のやうな次第では、事業としては甚遺憾な点がありま
すので、何か他の競争を許さないやうにやって行きたいのでありま
す。それには本品を原料として他の有用な肥料を簡単に作成する案
を得てその製造権を登録したいのであります。関農学博士は消石灰
を半々に混じて販売することを云はれたことがありますがこれはど
うも損だと思ひます。これらの点に就ては充分御考慮の要があると
思ひます。

尚新肥料でなくてもいまの製品を単に篩っただけでも何か商標をつ
けて置かれることが得策であります。一昨年八戸から俵へ詰めて非
常に粗悪な岩塊の入ったものが花巻に入って私も大へん迷惑したこ
とがあります。◇岩印とか○東印とか適宜御工風をねがひます。包
装に押すか張りつけるかなさるといゝと思ひます。中味にも一枚入
れる方がいゝと思ひます。木版でいゝでせうから。

六、貴工場の設備でできる他の事業に就て。

製造に余力のある際他のお仕事は沢山あるでせうがいま花巻でも計
画されたりしてゐる大理石や一般飾石の研磨の事業は今後洋風建築
の発達と一般好尚の進歩に伴って充分間に合ふと思ひます。原料は
大船渡線には相当ある筈であります。これらはほんの附けたりであ
ります。

以上すべて御承知のこととは存じましたが、私も数年来調査して来
たことでありますので、何かお役に立てば甚幸甚であります。

(それから広告文を書いてから気が付きましたが、貴工場では消石
灰も生石灰も作られるか扱はれるかしてゐらっしゃるやうですがこ
れは実にいゝと思ひます。三種の石灰を持ってゐて、特に炭酸石灰
が実情に適するから使ってくれといふのは大いに強みです。)

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-〔文語詩稿未定稿(007)〕----------------------------------
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(本文=下書稿2推敲後)
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     田園迷信

十の蜂舎が成りしとき
よき園成さば必ずや
鬼ぞうかがふといましめし
かしらかむろのひとありき

山はかすみてめくるめき
桐むらさきに燃ゆるころ
その農園の扉を過ぎて
苺需要めしをとめあり

そのひとひるはひねもすを
風にガラスの点を播き
夜はよもすがらなやましき
うらみの歌をうたひけり

若きあるじはひとひらの
白銅をもて帰れるに
をとめしづかにつぶやきて
この園われが園といふ

かくてくわりんの実は黄ばみ
池にぬなはの枯るゝころ
をみなとなりしそのをとめ
園をば町に売りてけり

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(下書稿2推敲前)
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     田園迷信

果樹のまはりは直角の
水銀の池めぐらかし
十の蜂舎が成りしころ
よき家成さば必らずや
鬼ぞうかがふといましめぬ
かしらかむろのひとありき
山はかすみてめくるめき
桐むらさきに燃ゆるころ
その農園の扉をば
おとづれて来しをとめあり
そのひとひるはひねもすを
風にガラスの点を播き
夜はなやましき歌よもすがら
かくて稲羽をつけしころ
人は全身うち敗れ
をとめは遠く去りてけり

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(下書稿1)
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九百二十六年の
桃の花よりやゝ過ぎて
その玢岩の渓谷に
化の鳥一羽渡り来ぬ
鳥は黄いろの膨らみて
膠朧質のピンクの春に
かゞやくこしやうさてはまた
ガラスの点をふりまきて
夜ごとに訴へかなしめる
なやましき声をあげわたし
ひるも林や丘丘や
スカイラインの紺にうたひて
ひとびとの粗暴なる力を盗みあつめ
あたかも太陽に熱したる棘の成れるころ
東の青くけぶれる海へ飛び去りにけり
かくてたばこの燃えて立ち
稲がちいさき鳥の羽をつけしとき
人々全身 赤き斑点に冒された
胸やせなかに大なる穴を明けられて
死したりもありそのまゝに
息のみをつくミイラとなれるもありにけり

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(先駆形口語詩「〔桃いろの〕」)
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一〇四五
     〔桃いろの〕
                     一九二七、四、二四、

桃いろの
アガーチスな春より少しおくれて
ぼんやりした黄いろの巨きな鳥がやってきた
それはそこいらのまだつめたい空間に
光るペッパーの点々をふりまき
またひとびとの粗暴なちからを盗みあつめて
ちやうど太陽に熟した黄金の棘ができるころ
東の方へ飛んで行ったのだ
さうして
この歳はもうみんなには
仕事のなかに芸術を感じ得る
その力強さが喪はれてゐた

--〔後記〕--------------------------------------------------

 花巻でも雪が降ったのでしょうか。ずいぶん前のことですが、12
月の初めに花巻に行ったら、大量の積雪で驚いたことがあります。

 私の近所ではようやく紅葉の季節です。もうすぐ年末ですね。

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