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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第926号--2016.11.19------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「宮沢賢治年譜(62)1930年-2」「大菩薩峠の歌」

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-〔話題〕---------------------------------------------------
「宮沢賢治年譜(62)1930年-2」
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 1930年、暖かくなってくると、賢治の病状もようやく小康を得て、
園芸を初めています。

 前回に掲載した「日記」のようなものがあるので、いろいろな種
類の草花を植えて楽しんでいることがわかります。

 そんな中、手紙の方も徐々に増えてきて、状態がよくなったこと
をうかがわせます。

 手紙のあて先では、鈴木東藏あてのものが多くなっていきます。
鈴木の方からいろいろと問い合わせたりしているようです。

 鈴木にとっては工場の行く末は石灰肥料にかかっていましたし、
賢治の方も石灰施用による東北の土壌改善は悲願でもありましたか
ら、利害が一致しているわけです。

 病床の賢治にとっては、こうして助言などを求められるのは、と
ても嬉しいことだったと思います。

 今回掲載している書簡からも、そういう雰囲気はうかがえると思
います。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

大菩薩峠の歌
http://www.ihatov.cc/song/bosatsu.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 中里介山の未完の小説「大菩薩峠」は、原稿用紙にすれば13,000
枚にもなるかという記録的な長編で、「日本一長い小説」とも「世
界一長い小説」とも言われます。

 その物語は、武蔵と甲斐の国境にある大菩薩峠の頂上で、机龍之
助という一人の剣士が、通りかかった老巡礼を無惨に斬り捨てる場
面から始まります。この「動機なき殺人」によって、龍之助は血と
欲望にいろどられた終わりのない旅を彷徨う宿命を背負いました。

 時は幕末、その後の龍之助は京で新選組と大立ち回りを演じたり、
天誅組の蜂起に加わって失明したりしますが、盲目になることで彼
の「音無しの剣法」はますます冴えわたります。善や悪などという
観念を超出していくヒーローの魔剣は、さらに多くの人々の血を浴
びつづけていくのでした。

(略)

 ここに広がる情景は、私たちがイメージする宮澤賢治の作品世界
とは、よほど異質で対極的なものに感じられますから、彼がこの
「大菩薩峠」の愛読者であったと聞くと、かなり意外な感じもしま
す。しかし、賢治の初期短篇の中には、何となくこれと相通ずるよ
うな劇画調のタッチの作もあり、彼もどこかには、このような世界
への親和性を持っていたのだろうと思います。

 何よりも、作者の中里介山は、仏教とりわけ田中智学の主導する
国柱会の日蓮主義に強く傾倒していたと言われています。また田中
の方も、この小説が世に出た当初、各所でこれを賞賛し推奨してい
ました。したがって、ひと頃の賢治――田中智学に心酔し、文学に
よって国柱会に貢献しようと決意していた――にとっては、当然こ
の小説は必読の文献だったに違いありません。

 それにしても、読んだ小説をもとに自分で詞と曲を作り、歌曲に
して唄っていたというのは、賢治としてもこの物語によほど何かの
思い入れがあったのでしょう。

 その思い入れのありかを考えてみると、歌詞に二度出てくる「修
羅」というキーワードに行き当たらざるをえません。これはもちろ
ん、剣を頼りに無明の闇をさすらい、人を斬りつづける主人公=机
龍之助を表わしていますが、ここに重ね合わされているのは、自ら
を「修羅」と規定した賢治自身の魂なのでしょう。

 宗教をよりどころに自己犠牲的な献身を旨とし、また一方で美を
追い求めてやまなかった賢治の生涯は、小説の机龍之助とは正反対
のものに思えます。しかしあえて彼は、これらを同じく「修羅」と
呼ぶのです。

 「大菩薩峠」を読み、この歌を口ずさむ時、彼は自らの心の内部
の闇をも見つめようとしていたのでしょうか。


  さて時は変わって、机龍之助の時代から100年後、また「大菩薩
峠事件」と呼ばれる出来事が起こります。

 全共闘運動が敗北した1960年代終わり、最も暴力的な路線をとっ
ていた共産同赤軍派は、「前段階武装蜂起」のための軍事訓練をこ
の大菩薩峠で行っていました。内偵を進めていた警視庁と山梨県警
は、彼らの集結していた山荘を包囲して、最高幹部ら53名を逮捕し
ます。

 この後、追いつめられた赤軍派はますます武器への固執を強めて
連合赤軍を結成し、やはり中部の山岳地帯において、組織内部の連
続リンチ殺人から「あさま山荘事件」を経て、崩壊へと進んでいっ
たのです。

 机龍之助にしても連合赤軍にしても、暴力に魅入られた人間が歩
もうとする道筋は、私たちに強い印象を与えます。また両者のその
「修羅」のような行状が、「菩薩」という名を冠した地点で繰り広
げられるアイロニーは、何か仏教的な「業」を連想させずにはおき
ません。

 中里介山がこの小説を形容した言葉で言えば、これはまさに「カ
ルマ曼荼羅」です。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔1930年-2〕----------------------------------------------
34歳(昭和五年)
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4月
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1日、いくつもの箱に27種類の花の種をまく。スイートピーの種
もまく。

2日、苗床にケールなどの種まき。

4日、パンジー、モクセイソウ、ポピイの種まき。上郷小学校の高
橋武治からやどりぎをもらった礼状(書簡260)。

8日、花巻温泉遊園地事務所、富手一へのヒヤシンスをもらょた礼
状(書簡261)。

12日、東北砕石工場の鈴木東藏来訪。合成肥料調整の相談を受け
る。鈴木は石灰を基本とした肥料製造販売を考え、その具体案を求
めたのである。

13日、鈴木東藏へあて合成肥料についてのプランを示す(書簡26
2)。

 午後、堀籠文乃進来訪、見舞。堀籠日記に「案外良くなり丈夫に
なったおられた。色々話合をして帰る」とある。

15日、レタスの種まき。

17日、アスターと百日草の種まき。

19日、ラディッシュの種まき。鈴木東藏あて返書(書簡263)。
送られてきた広告文を訂正して送り返す。

21日、鈴木東藏へ返書(書簡264)。秋田、山形農会への紹介を
求められたが、知人がいないため断る。

22日、キクを植える。

23日、スイートピー50本発芽。ポピイとパンジーはまだ出ない。

24日、メロンなどの種を鉢に播く。

26日、レタス、ラディッシュ、アスター、百日草、すべて発芽。

29日、金魚草、しそ類、マツバボタンなど10種類の種まき。

30日、キツネビギクが枯れる。モクセイソウを再びまく。

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5月
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7日、ダリア、百日草、ナスターチュームなどを植える。 鈴木東
藏へ返書(書簡265)。

8日、ゴデチアなどを播く。

10日、朝顔を播く。

14日、4月29日に播いた10種みな発芽する。

15日、ダリア植孔に燐酸と液肥を加える。

16日、トウモロコシ下種。草花一部移植。

17日、スイートピー支柱立。朝顔発芽をはじめる。鈴木東藏へ返
書(書簡266)。

18日、モクセイソウ、トウモロコシ播種。ゴデチア等すべて発芽。

19日、南瓜植付。スイートサルタン移植。

21日、農学校よりペントステモン(イワブクロ属の植物)来る。

22日、金魚草、耐寒(越冬)性フロックス、レタスの定植。

23日、トマトの定植、ラディッシュの収穫をはじめる。

24日、ケールを植える。

25日、ダリアの定植。

29日、ラディッシュ収穫。スキザンサス(ナス科の花)を定植。

 鈴木東藏からの質問。米搗き用白土の件について答える。(書簡
267)。鈴木は他の例をひき、米搗きに石灰を使用した場合の効果
をたずねたのである。

30日、ネメジアなど定植。

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6月
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2日、ダッチアイリスに柵。ラディッシュの収穫。

3日、水仙、ヒヤシンス堀り取り。クラーキア、ジプソフィラ移植。

5日、メロン、カボチャ、アスター移植。

6日、スイートピーの支えを作る。

8日、朝顔鉢植。

9日、朝顔鉢植。

10日、朝顔鉢植(大大倫)

11日、朝顔鉢植終わる。

15日、チシャを売る。朝顔、ナスタシャ植え終わる。

30日、鈴木東藏より送られた広告「新肥料=炭酸石灰」と「ご存
じですか新肥料/炭酸石灰/他の及ばぬ甚大なる効力」につき返書
(書簡268)。後者の広告にはのちに手を入れる。

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1月、金輸出解禁、一般物価大暴落、昭和恐慌
   ロンドン軍縮会議開会
2月、共産党員大検挙
10月、第3回国勢調査(内地人工6千4百万人)
    台湾で霧社事件おこる
11月、浜口雄幸首相、東京駅で狙撃され重傷
    静岡、伊豆地方大地震

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ファーブル「昆虫記」日本語訳刊行開始
アメリカのローエル天文台、冥王星を発見
金子みすゞ没(26歳)
内村鑑三没(69歳)
田山花袋没(58歳)
林芙美子「放浪記」
ランボー「地獄の季節」(小林秀雄訳)
堀辰雄「聖家族」
三好達治「測量船」

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政次郎 56歳 7月、暁烏敏来花
イチ 53歳 
シゲ 29歳 7月19日、三女杉子出生
清六 26歳 10月、教育召集のため三週間、弘前歩兵第31連
隊第一大隊小隊長として入営。
主計 27歳
クニ 23歳
フヂ 1歳

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[260] 1930年4月4日 澤里武治あて 封書

(表)上閉伊郡上郷村 上郷尋高小学校内 高橋武治様
(裏)四月四日 花巻町 宮沢賢治(封印)〆

    四月四日

宮沢賢治

高橋武治様

やどりぎありがたうございました。ほかへも頒けましたしうちでも
いろいろに使ひました。あれがあったらうと思はれる春の山、仙人
峠ヘ行く早瀬川の渓谷や赤羽根の上の緩やかな高原など、をいろい
ろ思ひうかべました。

お手紙もまことにありがたう。休みがなくてお出でになれないとの
ことは甚残念ですが、もう私も一日起きてゐて、またぞろ苗床をい
ぢり出したりしてゐますから、どうかご安心下さい。こんどはけれ
ども半人前しかない百姓でもありませんから思ひ切って新らしい方
面へ活路を拓きたいと思ひます。期して待って下さい。

あなたもどうか今の仕事を容易な軽いものに考へないであくまで慎
み深く確かにやって行かれることを祈ります。

私も農学校の四年間がぽちばんやり甲斐のある時でした。但し終り
のころわづかばかりの自分の才能に慢じてじつに虚傲な態度になっ
てしまったことを悔いてももう及びません。しかもその頃はなほ私
には生活の頂点でもあったのです。もう一度新らしい進路を開いて
幾分でもみなさんのご厚意に酬いたいとばかり考へます。

オルガン奏法別便で送りました。病気以来手もふれませんでしたし
病気もたうたう結核にはなりませんでしたが念のため充分消毒しま
したから安心してお使ひ下さい。  まづは。

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[261] 1930年4月8日 冨手一あて 封書

(表)花巻温泉遊園地事務所内 富手一様
(裏)四月八日 花巻豊沢町 宮沢賢治(封印)〆

先頃は立派なヒアシンスをありがたう存じました。いゝ時候になり
ました。小生又もや苗床を作って花の仕度をしました。結局園芸か
ら手は切れさうもありません。

就いて突然ですがあなたの処でダリヤの球の余るのはありませんか。
もし余分があれば一種一球づつお譲りを得たいのですが。尤も高価
なのは手が出ません。ありふれたものでいゝのです。私の方ではこ
の夏、ヒアシンス色分二百球、ダッチアイリス五種四十球、水仙十
八種五十球、オーニソガラムその他百球などできますが、それらと
交換でも願へるなら特に有り難い次第です。今春は中菊は三十種洋
菊は十六種とりました。例のサガ菊はやめました。ご返事お葉書で
下さい。よけれぱこちらから誰か頂きに上げます。まづは。

   四月八日

宮沢賢治

 富手 一 様

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[262] 1930年4月13日 鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

拝啓 昨日は折角の御来花に何の風情も無之甚失礼仕候 その節は
亦結構なる御土産頂戴仕厚く御礼申上候 扨その際お詞の合成肥料
調整の件大体左の如くにては如何に候や

◎調合歩合   石灰石粉九貫六百五十匁
  十貫に付「加里肥料」(肥料名)三〇%加里三百五十匁

◎右による加里保証含量 一・〇%(強)

◎右価格  石灰石粉三十銭乃至三十五銭
  十貫に付「加里肥料」十一銭五厘乃至十二銭五厘

◎右を反当三十貫水稲に施したる場合の増収玄米最低二斗
  仝     大麦に施したる場合の仝上  最低三斗

◎備考「加里肥料」は燐酸加里を主成分とし調合には最適なるが如
し。一車は八噸十貫当り三円三十銭の割合、一車以下は三円五十銭
位、価格変動なし

尚右充分御考慮の上実行の際は御不審の点御遠慮なくご照会願上候

 先は右御報迄

敬具

  四月十三日

宮沢賢治

 鈴木東蔵様
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[263] 1930年4月19日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

貴簡並に広告文拝見誠に結構に存じ候

但し読者の誤解を惹起すると思はるゝ点、並に技術者に対する参斟、
誤植等一応校正致し置候間御参考に資せられ度存候 先は右用件御
返事まで

敬具

  四月十九日

宮沢賢治

 鈴木東蔵様
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[265] 1930年5月7日 鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

拝啓

貴簡拝誦仕候、配合の件肥料法該当品としては何としても窒素燐酸
加里の孰れかを以てするより仕方なき法文に有之先日の加里配合不
許可とすれば燐鉱粉などを混じても矢張同様に有之べく甚遺憾の次
第に御座候 次に出資の件四五の資本家にも話し候へ共事業の必要
或は有利は充分認め乍ら当今の株式の低落等にて多くは借り入れ金
担保価格以上に達し居る現状に有之急の用には六ヶ敷模様に御座候
間、貴工場としては既に石灰生産の咽喉部を扼し居るもの故当年は
只今迄の需要注文を以て御満足被遊候方得策かとも存候 先は甚乍
不充御返事迄如斯御座候

敬具

  五月七日

宮沢賢治

 鈴木東蔵様

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[266](1930年5月17日)鈴木東蔵あて 封書(封筒ナシ)

少し風邪を引きましてご返事遅れて済みませんでした。大豆の方に
は或は間に合はないとも思ひますがとにかく書いて見ますこんどは
ずっと砕けて葉書へ刷ったらどうかと思ひます。

農業合理化の尖端に!!

 稲作麦作養蚕いづれにもいかに摘順な気候でご同慶の至りであり
ます。かくこうも啼いて大豆を播くころになりましたが石灰はご用
意でありませうか。私ども製作の炭酸石灰は木灰或いは燐酸と混じ
乃至直接に種子に接触せしめて何等の害なく効果は全生育期間に通
じます。大豆をよく作ることは単に収量を増すばかりでなく又地味
を肥す結果ともなりますのでぜひご使用をねがひます。直接の石灰
肥料間接の燐酸加里肥料たる炭酸石灰を!

まづは床申乱筆ながら

 十七日

宮沢賢治

 鈴木東藏様
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[267] 1930年5月29日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

拝復 御照会の米搗用白土の件 営養−研究所佐伯博士発表の分と
存候 思ふに右は千葉県栃木県山形県等に産する石英粗面岩の浮岩
乃至凝灰岩吉製したるものに有之御詞の針状物は一、石英斑晶 二、
披璃質物 三、長石 中の孰れかに属するものと存候 元来右白土
は孰れの成分も胃液に溶解せず殊にその圭角あって胃壁を傷つくる
ものは胃癌等の原因ともなるといふ意味と存じ候 右に対して石灰
岩製品は仮令稜角を有し搗白に有効なるも胃中にては直ちに胃液に
作用して溶解性の塩化石灰となるべく白米中に存する如き微量にて
は何等の害なきものと存じ候 右の点一応新聞紙上にて亦は直接研
究所へ御問合せ確答を得られ置かば今后の販売に御有利と思はれ候 
次に米糠に依て牛馬下痢の趣は白土によるもの石灰によるもの共に、
多量に与ふれば或は当然惹起するに至るものかと存候、但し石灰に
よれる米糠(適当ならぱ)は鶏には充分有効なるべく牛馬にも幾分
の効はあるべくと存候この点専門家の意見を徴され度候 肥料とし
ては特に申し分なくよきものに候 先は貴答まで

敬具

   五月廿九日

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[268] 1930年6月30日 鈴木東藏あて 封書(封筒ナシ)

ご送附の広告類拝見いたしました。いづれも申し分ないと思ひます。
殊に搗粉のもの最有効と存じます。大版のものは次回には裏面の表
類多少整理し諸権威者の著述から抜萃を加へたいとも思ひますがそ
れは今冬のことにいたしませう。暑くなりました。ご折角ご奮闘祈
りあげます。

   六月三十日

宮沢賢治

 鈴木東蔵様

-〔文語詩稿未定稿(006)〕----------------------------------
------------------------------------------------------------
(本文=下書稿2推敲後)
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     大菩薩峠の歌

廿日月
かざす刃は音無しの
黒業ひろごる雲のひま、
       その竜之介

風もなき
修羅のさかひを行き惑ひ
すゝきすがるゝいのじ原
       その雲のいろ

日落ちて
鳥はねぐらにかへれども、
人は帰らぬ修羅の旅、
       その竜之介、

------------------------------------------------------------
(下書稿2推敲前)
------------------------------------------------------------

     大菩薩峠の歌

二日月
かざす刃は音無しの
無明の虚空の流れ星
       その竜之介

風もなき
修羅のさかひを行き惑ひ
すゝきすがるゝいのじ原
       その雲のいろ

日落ちて
鳥はねぐらにかへれども、
人は帰らぬ修羅の旅、
       その竜之介、

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲後)
------------------------------------------------------------

月盲ひに
 行きたる魂の
 所も知らず名も知らず
 なみな三十路のけさ掛けと
 一つら加へし筆の跡

身も魂も
 つかれ盲ひて竜之介われとも知らず
 いのじが原に行き惑ふ
 風さへ死したる修羅の国
 すゝきすがるゝ雲のいろ

------------------------------------------------------------
(下書稿1推敲前)
------------------------------------------------------------

月盲ひに
 かざす刃は音無しの
 所も知らず名も知らず
 なみな三十路のけさ掛けと
 一つら加へし筆の跡

身も魂も
 つかれ盲ひて竜之介
 いのじが原に行き惑ふ
 風さへ死したる修羅の国
 すゝきすがるゝ雲のいろ

------------------------------------------------------------
(下書稿3=三原三部ノート64頁)
------------------------------------------------------------

二日月かざす刃は音無しの
    黒業ひろごる雲のひま
         その竜之介

風もなき修羅のさかひを行き惑ひ
   すゝきすがるゝいのじ原その
           雲のいろ

日は沈み鳥はねぐらにかへれども
   ひとはかへらぬ修羅の旅
         その竜之介

------------------------------------------------------------
(下書稿4)
------------------------------------------------------------

二日月
 かざす刃は音なしの
 みそらも二つと切りさぐる
          その竜之介

日は落ちて
   鳥はねぐらにかへれども
     ひとはかへらぬ 修羅の旅

------------------------------------------------------------
※下書稿3、4は下書稿2との前後関係が定かでない。独立用紙に
書かれた4は、最終形態を補遺詩篇2(第6巻)に本文として提出
した。

--〔後記〕--------------------------------------------------

 今回掲載の文語詩「大菩薩峠の歌」に関連して、京都の浜垣さん
のサイトの記事を引用しました。そこに後に赤軍派が起こした「大
菩薩峠事件」が言及されていて、ちょっと驚きました。

 実は高校生のときに、某所で「渡辺くん、一度銃を撃ってみたい
とは思わないかね?」と聞かれたことがありまして、もちろん即座
に断りましたが、うっかり着いて行った馬鹿な高校生たちが大菩薩
峠で捕まっているのです。そんな話に乗らない、真面目な高校生で
よかったと改めて思いますが、そういう話が聞こえてくる場所にい
たというのはどういうことよ?とも思いますね。どこが真面目やね
ん!とツッコミの入るところです。

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